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12話 王命証書と伝説の寝小便大王

 重い沈黙が食堂に落ちた。

リリエルはクロノの袖をぎゅっと握りしめ、勇者一行にじっと視線を向けていた。家族も皆、息を呑み、空気はぴりりと張り詰めている。


 金髪の勇者セリオスは椅子にふんぞり返りながら、テーブルを悠々と見渡した。その顔には、余裕と傲慢さがありありと浮かんでいる。


 盾役のガルヴァンが腕を組み、ぐるりと食堂を見回す。

「おい、誰なんだ? “魔核”を売ったやつは、さっさと名乗りでろよ」

太い声が響き、場の空気をさらに引き締めた。


 賢者オルフェンは静かに全員を見回し、年季の入った落ち着いた声で言葉を紡ぐ。

「ただの人間が“漆黒竜の魔核”を手に入れるなど有り得ぬ。王都でも噂になっておるぞ」


 クロノはゆっくりと椅子を引き、静かに立ち上がった。その一挙手一投足に、自然と周囲を圧倒する威圧感が漂う。

「俺だが――何か問題でもあるのか?」

その低く響く声は、食堂の隅々まで届いていた。


 遊撃ミーナと魔導士リュシアは、クロノをちらちらと見つめていた。均整の取れた体つきと整った顔立ちが、ふたりの目を引きつけ、思わず見惚れさせている。


 セリオスは値踏みするようにクロノをじっと眺めていたが、その様子から特別な魔力は感じ取れないようだった。

「ふーん、意外と堂々としてるな。だが“魔核”なんてどこで拾った? 正直に言ってみろよ」


 クロノは目線を逸らさず、まっすぐに言い返す。

「なぜ俺が貴様らに答えなければいけない」

一歩も引かないその態度に、食堂の空気はさらにぴんと張り詰めた。


 このとき、クロノ――かつて魔王と呼ばれた男は、心の奥底で静かに思う。

勇者たちごときに押されるとは、自分も油断していたのかもしれない。しかし、不思議と屈辱はなかった。人間界での暮らしも案外悪くない、むしろ面白いものだ。今さら彼らと刃を交えても意味はない。戦いを避けようという新たな決意が、静かに胸の奥で芽生えつつあった。


 その時、ガルヴァンが椅子をぎしりと鳴らしながら立ち上がる。クロノを取り囲むようにじわじわと歩み寄ってくる。

「さすがに“漆黒竜の魔核”を持ち込んだ奴は見過ごせねぇ。国の治安にも関わるってもんだ」

その声がさらに場の緊張を煽った。


 リリエルがすっと間に入り、勇者たちの前に立ちはだかる。

「あなた達が勇者でも、そんな権限ないでしょ」

静かだが揺るぎないその声が、その場の空気を少し和らげた。


 すると、セリオスが懐から何かを取り出し、わざと芝居がかった動作で高く掲げる。

「これが目に入らぬか!」

――それは王家の紋章が刻まれた重厚な“王命証書”だった。赤い封蝋と金のリボンが威厳を添えている。


「王都からの直命だ。俺たちに逆らえば、この家まるごと牢獄行き――この証書が、国王の命を示す絶対の権威だ!」



 カイルはそのやり取りを見て、ぱちぱちと手を叩いてはしゃぐ。

「このお芝居、おもしろい!」と無邪気に声を上げる。


 エドガーは呆れたように小声でつぶやいた。

「あいつら……王命の証書まで振りかざして、大げさだな……」


 バルサムはどうしたものかと腕を組み直して「う~ん」と唸り、ミレーヌは若い人たちのやり取りを眺め、みんな元気だなあと静かに微笑んでいる。


 そのとき、父レオナルドが唐突に前へ出た。白衣の裾を翻しながら、じっと証書を見つめる。

「お主ら、なかなか面白いものを持っとるな。だが、その王命証書にそこまでの権限はないぞ。わしも上級貴族じゃ。その証書だけでは、ちと無理かの?」


 セリオスがむっとした表情で返す。

「……王命だぞ。田舎貴族が口を挟むな」


 賢者オルフェンが咳払いし、勇者をたしなめるように口を開いた。

「……実のところ、王命証書は万能ではない。上級貴族には拒否権がある」


 勇者たちの威厳が一瞬揺らぎ、場の空気がわずかにほころんだ。


 そのとき、料理長のミレーヌがふいに顔を上げ、じっと賢者オルフェンを見つめて声を張り上げる。

「あら? オルフェン、もしかしてあんた、昔うちの村にいた“オルちゃん”じゃない?」


 その呼びかけに、オルフェンはハッと顔を上げた。年老いたその顔に驚きの色が広がる。

「み、ミレーヌ……お前、こんなところにいたのか、いや~、うれしいの……」

戸惑いと懐かしさが交じった表情で、口元に微かな笑みを浮かべる。


 ミレーヌはすぐに懐かしげな声で続ける。

「偉くなったもんだねぇ。子どもの頃は、夜中に大声で泣いて私の布団に潜り込んできてたし、あんたの寝しょんべんで何度風邪を引きかけたか分からないんだから!」


 「しかも鼻水たらして――アンタ、伝説の“寝小便大王”だったんだから!」


 オルフェンは顔を真っ赤にして両手を振る。

「そ、それは子どもの頃の話だ! 頼むから、それ以上は言わんでくれ、賢者としての立場が――」

必死に遮ろうとするが、場の空気はすっかり和らいでいく。


 勇者パーティの面々は一斉にジト目でオルフェンを見つめ、ミーナは吹き出しそうになって口元を押さえる。リュシアも「オルフェン、子どもの頃からそうだったの……?」と笑いをこらえきれずにいる。


 それでもミレーヌは話を止めない。

「それにさ、あんたって私のスカートばっかり追いかけて、すぐにめくろうとしたでしょ。こっちは毎日、あんたのイタズラに泣かされたんだから!」


 今度はオルフェンの顔が赤から真っ青になり、「ああ……わしの威厳が……」とうなだれた。

気まずい雰囲気を振り切るように、彼は話題を変えようとする。

「そ、そういえば……ミレーヌ、お前の夫だった、わしの友達のゲンゴロウ、元気にしてるか?」


 その瞬間、ミレーヌの表情がふっと曇る。

「……あの人なら、もうだいぶ前に病気で……」

声がかすれ、目に涙が浮かぶ。


 オルフェンはそっとミレーヌの肩に手を置いた。

「……そうか。それは……つらかったな」

ぶっきらぼうな言葉だったが、その手には不器用な優しさが込められている。


 「まったく、アンタは昔から変わらないねぇ」

ミレーヌは鼻をすすりながらも、懐かしい笑みを浮かべる。

「私が泣いてると、いつもそばで一緒に泣いてくれたもんね。賢者になっても、やっぱり泣き虫は変わらないみたい」


オルフェンは照れくさそうに頭をかき、勇者仲間に向かって「……まあ、人生いろいろあるものだ」と苦笑いした。その実、オルフェンは子供の頃からミレーヌに淡い恋心を抱いていたが、賢者の身は女性禁制とされ、いまだ童貞のままだった。魔王を倒し役目を終えた後も、独り身の寂しさが胸の奥に残っている年配の男性であった。


 リリエルやカイル、家族たちもそのやりとりに思わず頬を緩め、フィアレスト家の朝食には、奇妙な笑いとほのかな哀愁が混じる。


 ――やがて、勇者たちは肝心の“魔核”について再びクロノに詰め寄るが、クロノはただ不敵な笑みを浮かべたまま、黙して一歩も動じることはなかった。

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