11話 祝宴、勇者来訪――魔核を巡る波紋
朝の陽射しが降り注ぐフィアレスト家の食堂は、これまでにないほど賑わっていた。
長いテーブルの上には、焼きたてのパン、香ばしいロースト肉、色とりどりの果物やケーキがずらりと並ぶ。家族や使用人たちの歓声が、ご馳走を囲む空間を一層明るくしていた。
料理長ミレーヌは台所と食堂を何度も行き来し、額にうっすら汗を浮かべながらも、得意げな笑みを絶やさない。家族が幸せそうに食卓を囲む姿を見るたび、目元が自然と緩んだ。
ミレーヌはテーブルの端に立ち、明るい声で言う。「ほらほら、今日は遠慮しないで、腹いっぱい食べなさい! 借金地獄の終わり祝いよ!」
弟のカイルはパンを大事そうに両手で抱え、まるで金貨を眺めるようにテーブルのご馳走を見つめていた。
カイルは思わず叫ぶ。「すごい!お肉もケーキも山盛りだ!」
リリエルはその隣で帳簿を脇に置き、久しぶりのご馳走に自然と頬がほころぶ。長年、肩にのしかかっていた借金の重みが、ようやくほどけたことをしみじみと感じていた。
リリエルはミレーヌに優しく話しかける。「本当に……ミレーヌ、こんな豪華な朝ごはん、ありがとう」
ミレーヌは目頭を指で押さえ、しわの寄った顔をさらにくしゃっとさせて涙をこらえた。
少しかすれた声でミレーヌが返す。「リリエ……いえ、お嬢様、わたし、うれしくて……。借金地獄の夜明けを一緒に見られる日が来るなんて……」
リリエルも目を潤ませて、「ミレーヌ、あなたがいたから私もここまで頑張れたの」とそっとささやく。
執事のバルサムはハンカチで目元を拭い、「リリエ様、じいやも本当にうれしいです」と涙声で言った。
兄エドガーはため息をつきながらクロノに視線をやり、少し言い淀みながら口を開く。
エドガーは遠慮がちに言った。「……俺は何もできなかったけどな。家も借金も、全部お前に救われたようなもんだ……。本当に、大した奴だよ」
和やかで温かな空気が食堂に満ちていた、そのとき――
突然、玄関のドアが勢いよく閉まる音が響いた。
重い足音が廊下を伝い、父親のレオナルドが息を切らせて食堂へ駆け込んできた。白衣のままで、髪は爆発したように逆立っている。
レオナルドは嬉しそうに言った。「借金が返済できたんだな! わしも今日は研究をやめて皆と語らおう。いや~、この数式が、いや新しい錬金触媒が……」
家族は顔を見合わせ、エドガーがそっと肩をすくめる。レオナルドは食卓を見回し、隣に立つクロノの肩を勢いよく叩いた。
レオナルドは笑い混じりに続ける。「クロノ! よくやったな! さすがは魔王――じゃなかった、わがフィアレスト家の救世主だ。いっそ息子になって、リリエルと結婚して家を継いでくれ!」
クロノの胸は一瞬で高鳴った。結婚という言葉が頭をよぎるたび、理由もなく心がざわつく。この気持ちは一体なんだ――そう戸惑いながらも、表情ひとつ変えず、堂々と椅子に腰を下ろしていた。
リリエルは顔を真っ赤にし、立ち上がって手を振りながら声を上げた。「ちょ、ちょっとお父様! またそんなこと言って……クロノが魔王なわけないでしょ、それに、なんで私と……」
言葉の端が小さくなり、リリエルはもじもじと視線をそらす。
カイルはパンをもぐもぐと食べながら、クロノの隣に身を寄せて問いかけた。
カイルは興味津々に尋ねる。「クロノ兄ちゃん、ほんとに魔王なの?」
クロノはカイルの頭をぽんと撫でて、堂々と答えた。「そうだ、俺は魔王だ」
カイルは「やっぱりすごい!」と目を輝かせる。
大人たちはそのやり取りに苦笑し、「夢を持たせているんだな」と温かく見守っている。
バルサムは紅茶を注ぎながら、穏やかな笑みを浮かべて「おめでとうございます」と小さな声で言った。
その穏やかな空気が流れる中――
突然、甲高いベルの音が食堂に鳴り響いた。
リリエルは驚いた顔を上げる。「……誰かしら?」
レオナルドも眉をひそめる。
レオナルドは不安そうにつぶやいた。「まさか、また借金取りじゃないだろうな……?」
バルサムは椅子を引いて立ち上がり、きびきびと玄関へ向かう。食卓には一気に緊張感が漂った。
しばらくして、廊下の先で扉が開き、重厚な鎧ときらびやかなマントをまとった五人組が立っているのが見えた。バルサムは一歩下がり、丁寧にお辞儀して尋ねる。
バルサムは静かに声をかけた。「恐れ入りますが、どちら様でしょうか……?」
ひとりが不敵な笑みを浮かべて言う。「おい、お前、俺たちのことを知らねえのか?」
もう一人が足で小石を蹴りつつ、不満げに言った。「やれやれ、こんな田舎まで来たくなかったんだよな。入るぞ」
五人はバルサムの制止も意に介さず、ずかずかと屋敷の奥へ進んでいった。
バルサムが慌てて追いかける。「こ、困ります!勝手に……!」
だが、彼らは自信たっぷりにフィアレスト家の食堂へと向かう。
食堂に近づく足音に家族がいっせいに振り返ると、扉が開き、金髪の青年を先頭に五人が堂々と現れた。
リリエルは慌てて立ちはだかり、声を張る。「ちょ、ちょっと! 今は家族の朝食中です!」
金髪の勇者が余裕の笑みで言う。「まあまあ、お嬢さん。俺たちは特別な客さ」
仲間たちも勝手にテーブルの料理に手を伸ばし始める。
勇者は得意げに名乗った。「俺たちを知らないのか? この国を救った“勇者様”だぞ!」
カイルは驚きで椅子から転げ落ちそうになる。「勇者さん……!?」
リリエルは警戒しながら問いかけた。「どうしてうちに……?」
金髪のリーダーはパンを頬張りながらテーブルに身を乗り出し、「用があるのはお前たちじゃない」と告げる。
「俺たちの耳に入ったんだ――」
勇者たちが食事を楽しむ中、金髪のリーダーが急に椅子を引いて立ち上がり、クロノに鋭い視線を送った。
「――さて、俺たちが来たのは飯を食うためじゃねぇ」
その言葉に、食堂の空気がきりりと張りつめていく。
リーダーは強い口調で言い放った。「ここに“漆黒竜の魔核”を売ったクロノという男がいると聞いた。どいつだ?」
リリエルは思わずクロノの袖をぎゅっと握る。家族も息を呑み、食堂の空気がいっそう引き締まっていった――。