戦火に舞う花と刃
「風の流れが、妙ね……」
クレアは馬を止め、そっと手を掲げた。薄く張り詰めた空気が指先をすり抜け、南東からの微風に混じって、わずかに魔素が含まれているのを感じる。
「残滓……? いや、これは——」
クレアの声に反応するように、隣を並走していたグラムドが笑った。
「相変わらず鼻が効くな、お嬢。そんだけの距離でも感じ取れるってんなら、相手はよほどでけえのをぶっ放したか」
「魔力の揺れ方が普通じゃない。何かが爆ぜた。おそらくは火属性、それも魔族由来……ただ、それだけじゃないのよ」
「ほぉ?」
「同時に、氷と闇の魔力が絡んでいた痕跡がある。三重属性の干渉反応。協力して戦った……あるいは、それが一体の存在なら……」
クレアの言葉に、グラムドの眉が跳ね上がった。
「そりゃまた面白い。つまり、そいつらが“魔王の復活”って噂の根っこか」
「可能性は高い。あの旧魔王城周辺で、そんな揺れが起きるなんて偶然じゃない」
「となりゃ、試し斬りにはちょうどいい相手ってわけだな!」
グラムドは腰の大剣を軽く叩いた。全長180センチを超える巨大な剣。刃からは常に青白い雷が弾けており、振るうたびに空気すら震わせる。
「久々に“雷迅牙”に血を吸わせてやらねぇとな。あいつ、最近飢えてやがる」
「あなたも、ね」
「おっと、俺は常に飢えてるぜ。——戦うってことは、生きてるってことだからな」
グラムドの笑みは獣のようだった。かつて故郷を滅ぼされ、戦うこと以外に意味を見出せなくなった男。強者との戦いに快楽を求め、殺し合いこそが正義だと信じて疑わない。
「思い出すぜ。あのときも、空が割れる音がした……」
グラムドの記憶が、焼け落ちる村へと遡る。
木々が倒れ、家々が焼かれ、人々が潰れていった。自分の母も、弟も、妹も、すべて勇者軍の“浄化”によって失われた。
「——それでも俺は、あの時こう思った。力があれば、守れたってな」
だから、彼は勇者軍に入った。皮肉にも、自分の村を滅ぼした側に。
「で、お嬢さん。お前のターゲットは?」
「……“奴隷狩り部隊”が壊滅したという報告が、リアナ様のもとに届いたわ。旧魔王領のはずれにある村。勇者軍が合法的に支配した土地で、残党の魔族を保護し、養っていた痕跡がある」
「ほう、反逆分子か」
「正確には、処理漏れ。あるいは、同情。どちらにせよ、この国に“慈悲”は不要。粛清するだけ」
「やれやれ。相変わらず冷てぇな。まあ、好きだけどな、そういうとこ」
クレアは無言で槍を構えた。風を纏った長槍——《風穿のクレスト》。
術式と斬撃を融合させる、風属性の神槍。振るえば嵐を起こし、投げれば地形ごと貫く。
「時間がない。行くわよ」
「了解。雷も風も、嵐を呼ぶには充分すぎるぜ!」
二人の騎馬が、森を駆け抜けた。
数時間後、彼らは問題の村の跡地に到達した。
「……酷い有様ね」
廃墟となった村には、血の痕と焼け跡が残る。何者かと戦闘が起きたのは明らかだった。
「やっぱり奴らだな。……なぁ、クレア。ここ、どこかで見覚えがある」
「当然よ。ここは……数年前、私たちが“あの男”を捕らえた場所」
「“あの男”?」
「……ミルという獣人少女の父親。魔族にしては珍しく反抗的だった」
クレアの瞳に一瞬、過去の光景がよぎった。
「娘を庇って負傷し、それでも剣を離さなかった。私が殺そうとしたとき、リアナ様が止めたの。『この者は使える』って」
「……ああ、思い出した。あの時、あんた珍しく手を震わせてたな」
「……あれは、風が荒れていたのよ」
「へぇ」
「ともかく。あのとき生き延びた娘が——今、魔王のもとにいる」
「復讐心を糧に、ってやつか。いいねぇ、最高に香ばしい」
グラムドが剣を抜いた。
「そいつを殺れば、魔王も釣れるって寸法だ。——なぁ?」
「……いいえ。むしろ、そちらが主犯でしょう」
「クレア、お前さ。魔王ってどんな奴だと思う?」
「……まだ判別はできない。ただ、一つだけ確かなのは……光と闇の同時発現が確認されているということ」
「マジか。光と闇?そんなもん、普通共存できねぇだろ」
二人の間にわずかな沈黙が走る。
「彼を再投入する可能性が、現実味を帯びてきたわ。……それほどに、敵が強大であるという証明」
「なら、まず俺たちが見せなきゃな。カイの出番が来る前に、十分すぎる成果を持ち帰るってよ」
「任務はあくまで情報収集。無理はしないで。……あなたはすぐ突っ込む」
「了解了解。お嬢の指示には逆らわねぇよ。だってお前、怒ると怖いからな」
「当然でしょ」
クレアは微笑んだ。その笑みは風のように冷たく、だがどこか魅入られるような気高さがあった。
風が吹いた。森の奥に微かな気配がある。
「来るわよ……“次”が」
グラムドが剣を担ぎ直す。
「ようやく始まるか……魔王との、戦争が」
その風は、嵐の前の静けさだった。だがすでに空は割れかけている。
次に響くのは雷鳴か、それとも——誰かの断末魔か。
彼らの視線の先。霧の奥には、魔王たちの足跡が残されていた。