神の名の下に
聖都セラフィム、その中心に立つ白亜の大聖堂は今日も光の神を讃える祈りの歌に満ちていた。
ステンドグラスから差し込む七色の光が聖堂内部を神秘的に染め上げ、祈る者たちの影を床に落とす。
正面祭壇の前に、白いフードを深く被った一人の少女が跪いていた。神聖なる祈りの言葉が空気を震わせる。少女の名はリアナ。
勇者軍神殿所属の“浄化官”にして、勇者ノア直属の審問官。年端もいかぬ少女の姿ながら、その指先ひとつで数百人の異端者を裁き、魔族を「清めて」きた。両手を組み合わせ、長いまつ毛の奥で青く輝く瞳が開かれる。
「神よ……今日もこの穢れた世界を、お導きください……」
囁きのような声。だがその響きは、空気を震わせるほどに深い。
祭壇に飾られた巨大な聖剣像。その剣の根元に、異端者の血で染まった錫杖が安置されていた。
数日前、リアナが粛清した魔族の子どもたちのものだった。
「泣いていましたよ。とても悲しそうに。でも、私は知っています。彼らの涙は“原罪”の水に過ぎません。浄化され、救われたのです。……そうでしょう、神よ?」
彼女の笑みは、天使のように優しく。だがその裏には、狂気があった。
彼女の聖属性は「再生と崩壊」の二重性を持つ。神の加護により触れた者を癒す一方、神の意志に背いた者には、肉体の分子すら断絶させる“浄化”をもたらす。
癒しと破壊が紙一重で共存するその能力は、まさに神の代理人たる証だった。そんな彼女に、ある報告が届いたのは朝の祈りの直後だった。
「リアナ様、黒炎の森にて異常魔力の流動が観測されました。旧魔王城に向かっている者がいる可能性が」
「魔族、ですね?」
報告者の声が震える。
リアナはゆっくりと立ち上がった。白衣の裾がふわりと浮き、足元の光が集束していく。
「神は、再び選び給うたのです。——私に、試練を」
彼女は静かに錫杖を掲げた。瞬間、空間が揺れ、天井から降り注ぐ光が一点に集束する。
聖なる印章がその身に刻まれ、彼女の周囲に“天の書板”が浮かび上がる。書板には浄化の律が記されていた。
「第一律:異端に情けをかけるな。第二律:罪なき者は、真に従順な者のみ。第三律:疑いは許されぬ。生まれが魔であれば、それは即ち——」
彼女の瞳が細まる。
「死、です」
その声は凍てつく風のように冷たく、そして神々しいほどに美しかった。
彼女はすぐに出撃の準備を整えた。
リアナは常に単独行動を許される数少ない存在だが、今回は魔王級の反応である以上、補佐を要請する必要がある。
彼女が名を口にしたのは二人。
雷の戦鬼。
そして風の処刑人。
二人とも勇者軍の中でも最精鋭の戦闘特化型。勇者ノア直属の討伐部隊に所属し、どちらも一騎当千の実力者だった。
まず現れたのはグラムド。背中に巨大な雷刃剣を携え、上半身裸に近い鎧姿。逞しい肉体と軽薄な笑みを浮かべた男は、天幕のように聖堂に入ってくるやいなやつぶやく。
「おう、聖女様直々のお呼びとは光栄だねぇ。久しぶりに骨のある相手か?」
「神の意思に従い、粛清に協力してください」
リアナはグラムドの軽口に微笑で返したが、その笑みは目に一片の揺らぎもなかった。
次に現れたクレアは長い風色の髪を揺らしながら静かに歩いてきた。
銀装束に身を包み、片手に持った槍が軽く空気を切る。
「報告は受けたわ。魔王級の魔力反応……本当なのね?」
「はい、間違いありません」リアナは頷いた。
「……奇妙なのは、それが“闇”だけではなく、微弱な“光”を含んでいること」
グラムドの眉がぴくりと動く。
「は?魔王が光属性?それって、裏切り者でも混じってるって話かよ」
クレアが肩をすくめた。
「それだけじゃないわ。旧魔王城周辺で奴隷狩りに抵抗する者が現れ、こちらの浄化部隊が壊滅したって。……恐らく、その者たちは魔王の配下。あるいは……仲間」
「仲間、ね」
リアナは静かに錫杖を握りしめた。
「ならばその者たちも、裁かねばなりませんね」
グラムドが雷剣の柄を回す。
「なあ、どうせやるなら祭りにしようぜ。派手にやってくれって神様も言ってるだろ?」
リアナは首を横に振った。
「神は静寂を愛します」
クレアが軽く溜息をついた。
「はいはい、またリアナの“説教”が始まった……」
グラムドが苦笑する間にも、リアナはすでに天へ祈りを捧げていた。
「神よ、私に再び、聖なる浄化の力をお与えください。勇者ノア様の正義が、今こそ、この世界を貫かんことを——」
彼女の背に、六枚の聖なる羽根が一瞬だけ現れ、すぐに消えた。
次の瞬間、彼女たちは出撃のための魔導転送陣へと向かっていた。彼女たちの目的地は、黒炎の森。
——かつて魔王が封印され、今まさに新たな戦火が芽吹きつつある地。
そこで彼女たちは、過去の“失敗作”と再び邂逅する。