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血と火の記憶

 朝霧が森を包み込んでいた。


 夜の名残が薄く漂う中、木々の間を白い霞が滑り落ちるように流れていく。

 ひんやりとした空気は、肌を刺すようで、どこか張り詰めていた。


 


 ミルは、魔王たちの背中を見ながら歩いていた。

 数歩、後ろをついていく。何も言わず、ただついてくるだけだが、足は止まらなかった。


 


 (おかしい……)


 


 心の中で、そう思う。


 あれほど人を信じられなかった自分が。

 誰もかれも、信用に値しないと思っていたこの世界で。


 


 (……あいつの言葉が、引っかかってる)


 


 “君の過去を、無かったことにしない”


 それは、あまりにも優しい嘘だった。

 なのに、その優しさが、どうしようもなく胸に残っていた。


 


 「……ついてこないのか?」


 


 突然、前を歩いていた魔王が足を止め、振り返った。


 


 森の霧の中で、その姿はどこか幻想的ですらあった。

 黒い外套の裾が揺れ、腰の太刀がわずかに鳴る。


 


「……別に、あんたらの背中を見るのに、飽きただけ」


 


 ミルは目を逸らしながら言った。


 拗ねたように聞こえるその声に、魔王はわずかに微笑み、再び歩き出す。


 


「なら、慣れるまで後ろを歩け。前はそのうち空けてやる」


 


 何気ない一言だった。

 だけどミルは、小さく目を見開いた。


 


 ——そのうち、空けてやる。


 


 自分が追いかけるのではなく、並ぶことを当然のように受け入れてくれている。

 そんな言葉、今まで聞いたことがなかった。


 


 「……ホント、変な魔王……」


 


 ぽつりと呟きながら、ミルは再び歩き出す。


 足取りは少しだけ軽かった。


 



 


 森は静かだった。

 ただ、何かがおかしかった。


 鳥の声がしない。風が止んでいる。

 代わりに、何かの気配が、空気を震わせていた。


 


「……この空気、嫌な感じ」


 


 ルシアが眉をひそめる。


 そのとき、森の奥から“音”がした。


 


 「……気配がする。三人以上、こっちに向かってる」


 


 ルシアが銃を構えた瞬間、茂みが激しく揺れた。


 


「——奴隷狩りの連中だ!」


 


 ミルが叫ぶ。


 現れたのは、黒鎧をまとった男たち。

 勇者軍の下部組織、「浄化部隊」の兵士たちだった。


 


「このあたりで逃げた女奴隷が目撃された。——あれか」


 


 男たちの視線が、ミルを射抜く。


 


「抵抗するなら、今ここで殺すまでだ」


 


 刹那、空気が震えた。

 ミルの背に、赤い魔力の光が宿る。


 


「……二度と……あたしを“商品”扱いするなよ」


 


 地を蹴った。周囲の土が爆ぜ、紅の魔力が火花のように舞う。


 彼女の腰に携えた二本の刀が、炎を纏って輝き出す。


 


「《双炎牙・紅蓮裂き(そうえんが・ぐれんざき)》ッ!」


 


 ミルの踏み込みと同時に、二本の刃が紅蓮の風を巻き起こす。

 交差する斬撃が一人目の敵兵の胴体を十字に切り裂き、爆風と共に吹き飛ばした。


 


「くっ、魔族の分際で……!」


 


 二人目が回り込みながら剣を振るう。

 三人目は背後を狙って接近。だが、ミルの身体は炎と共に旋回する。


 


「《双炎牙・火車断かしゃだん》!」


 


 大地を踏みしめたその一撃は、片刀を水平に振るいながら回転し、輪のような火輪を生み出した。

 その火輪が接近していた二人を巻き込み、瞬時に爆ぜる。


 


 しかし——


 背後にいた男の剣が、ミルの脇腹を掠めた。


 


 「……ッ!」


 


 血が飛ぶ。

 瞬間、ミルの意識がわずかに遅れる。


 


 (やばい……! 間に合わな——)


 


 ——ガギィィィン!!


 


 耳をつんざくような斬撃音。


 


「……反応が遅いぞ」


 


 割って入ったのは、魔王だった。


 太刀が一閃。

 黒い残光を引くその刃に、闇の魔力が纏う。


 


「《斬夜・黒閃ざんや・こくせん》」


 


 深く、鋭く、冷たい斬撃が敵の胸元を貫いた。

 刃の先から奔った闇の波動が、敵兵を内部から砕くように爆ぜさせた。


 


 もう一人の敵が、恐怖のあまり森の奥へ逃げ出す。


 


 だが——


 


「……逃がさない」


 


 ルシアが、腰の銃を片手で構えた。

 銃口に蒼い魔力が集束し、術式が展開される。


 


「《氷牙術式・壱式──凍鉄穿とうてつせん》!」


 


 放たれたのはただの氷弾ではなかった。

 空気を貫く音と共に地を這う氷の杭が連続して放たれ、逃げる兵士の足元に次々と突き立つ。


 


 ガキン、ガキン、ガキン!!


 


 氷柱が敵の膝、脛、足首を貫き、瞬時に固定する。

 逃げ場を失った男が絶叫と共に凍りつく。


 


 すべてが一瞬だった。


 


 敵の呻きが消え、静寂が森を包んだ。


 だが、ミルは立っていなかった。


 肩を震わせ、拳を握り、地面に膝をついていた。


 


「……思い出したんだ」


 


 魔王が近づいてきた。


 


 ミルは顔を伏せたまま、ぽつりとつぶやいた。


 


「父さんが……あたしを庇って、刺されて、連れていかれたときのこと。……ずっと、思い出さないようにしてたのに……」


 


 彼女の視界に、焼けた村の記憶がよみがえる。


 


 獣人の村が燃えていた。

 叫び声。連れて行かれる母。抵抗しようとした父。

 その背に剣を突き立てた勇者軍の兵士たち。


 


 血を流しながら、父は娘に微笑んだ。


 “逃げろ、ミル。お前だけでも——”


 


 ミルは歯を食いしばった。


 


「何もできなかった。怖くて、逃げることしかできなかった。

 ずっと、自分を責めるのもやめて、見ないふりして生きてきた」


 


「……そういう奴ほど、強くなれる」


 


 魔王の声は、静かだった。


 


「怒りを捨てるな。火に変えて、戦え。——それが、お前の力になる」


 


 ミルは目を開いた。

 その瞳に、赤い火が宿る。


 


「……だったら、あたしもあんたと一緒に戦う。父さんのために。母さんと弟のために。

 あたしを“商品”にした世界を、燃やすために!」


 


 二刀が再び炎を宿す。


 


 紅蓮が、森の霧を押しのけるように燃え上がった。


 「行くよ、魔王……!」


 

その言葉は、もう臆病な少女のものではなかった。


 魔王は、静かに頷いた。


 「お前の火は、まだ消えちゃいない」


  ルシアが横目でミルを見て、くすりと笑った。


 「いい火だね、うさ耳。……仲間って感じがしてきた」


 

ミルは少しだけ顔を赤くしながら、そっぽを向いた。


 


「うるさい、トマト女……」


 


 どこか、微笑ましい空気が流れる。

 森の奥から、やっと鳥の声が戻ってきた。


 


 ——過去は変えられない。

 でも、その痛みを知る者たちが手を取り合えば、未来は変えられる。


 


 この日。

 ミルの火は、本当の意味で燃え始めた。



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