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魔王秘書ールシア・ヴェイルブラッドー

 風が吹いていた。

 高く、乾いた風だった。

 魔王城を出て、魔王はただ一人、焦げた山道を歩いていた。


 焼け落ちた木々。

 黒ずんだ地面。

 魔力の痕跡は薄れ、死んだ土地だけが広がっている。


 この世界は、“救われた”はずだった。

 勇者セリオンによって、魔族は滅び、世界は統一された。

 誰もが安堵し、涙し、感謝した。


 だが、その“美しい世界”の中に、確かに異物が残っている。


 ——そしてその異物こそが、自分だ。


 


 「……この空気も、変わっちまったな」


 


 空を見上げながら、魔王は呟く。

 空の色は以前よりも澄んでいた。けれど、それは息苦しいほど整っていて、不気味だった。


 


 そのとき、ふと背後に気配を感じた。

 踏みしめられる音も、呼吸もない。

 だが確かに、自分を“知っている”者の視線があった。


 


 魔王は立ち止まり、何も言わず、ゆっくりと右手を伸ばす。

 黒き太刀《夜哭》の柄を握る。闇が、彼の背中から滲み出した。


 


 「お久しぶりですね、魔王様」


 


 女の声だった。

 どこか懐かしく、落ち着いた響き。

 それでいて、薄い氷のような冷たさを帯びていた。


 


 「……ルシアか」


 


 魔王は振り返る。

 そこにいたのは、漆黒のコートに身を包んだ女。

 名はルシア・ヴァイルブラッド

 青白い肌、深く透き通るような蒼の瞳、そして目を引く豊かな胸元。

 派手ではないが、戦場では異質なほど整った立ち姿だった。


 


 彼女の手には、一丁の魔導銃。

 六連装の銀製リボルバー。その銃身には魔法陣が走っており、戦闘用の結界が微かに光っていた。


 


 「ここで会えるとは思ってなかった。……ずっとここに?」


 


 「ええ。あなたが再び立ち上がる日を信じて、近くで動いていました。

 もっとも、ほとんど独断ですけれど」


 


 そう言って、ルシアは軽く片目を閉じて微笑んだ。

 冗談のようでいて、眼差しには揺るぎがない。


 


 「勇者軍の追手は?」


 


 「ゼロです。彼らにとって、あなたは“処理済み”の存在。

 死んだ魔王に、もう興味はありません」


 


 「そうか……あいつらしいな」


 


 セリオン。

 この世界の“正義”を名乗る男。

 敵を討ち、世界を救い、神の使徒として君臨する“英雄”。


 だが、魔王は見た。

 あの男の目の奥にある、冷たく乾いたものを。

 感情でも、怒りでも、悲しみでもない、“空虚な正義”。


 


 「……変わらないな、お前も」


 


 「あなたも。

 けれど……少しだけ、優しくなった気がします」


 


 その言葉に、魔王は軽く眉を上げる。


 


 「そうか?」


 


 「はい。以前のあなたなら、私が現れた瞬間に警告もなく斬りかかっていました」


 


 「警告のつもりだったがな」


 


 二人は視線を交わす。

 そこには奇妙な信頼と、言葉にしない何かがあった。


 


 「……何をしていた?」


 


 「周辺の監視、状況の整理、残党の探索。

 少数ですが、あなたを慕う者もまだ各地に散っております。

 とはいえ……ほとんどが討伐されたか、逃亡中です」


 


 「……だろうな。正義の“救済”は、都合の悪い命から順に行われる」


 


 ルシアは無言で頷いた。

 彼女もまた、“救われなかった者”の一人だったのだ。


 


 「……これを」


 


 ルシアは懐から小瓶を差し出した。

 中に入っているのは、真っ赤な液体。


 


 「……まさか、血じゃないよな?」


 


 「ええ。トマトジュースです」


 


 魔王はしばらくルシアを見つめ、それから口元を緩めた。


 


 「お前、それしか飲まないもんな」


 


 「ええ、今も……あれは苦手なので」


 


 “あれ”。その言葉の奥に何があるのか、魔王は深くは聞かない。

 知っているが、あえて触れない。今はまだ、その時ではないからだ。


 


 「……これからどうする?」


 


 「まずは、現状の把握と戦力の確保を。

 “第二の戦争”を始めるには、準備が必要です」


 


 「ふん。今度は、こっちが“正義”になる番か」


 


 「正義にはなれません。

 ですが、“問い”を投げかけることはできます」


 


 その言葉に、魔王は静かに頷いた。

 空はどこまでも青い。だがその青は、どこか作り物のようだった。


 


 「行こうか。俺たちの戦いを、始める」


 


 「はい、魔王様。

 あなたの剣が再び振るわれる日を、待っていました」


 


 二人は並び、歩き出す。


 かつての主と、唯一の腹心。

 かつての闇と、名もなき冷たい怒り。


 世界が“美しさ”を装うのなら、

 その嘘を暴くのが、自分たちの役割だ。

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