9話 限りなく残酷な悪魔のテーゼ
エクティアタワーのお膝元には、中央公園が広がっている。明るい時間であれば老若男女問わず、人が集まりやすい場所だった。
芝生ゾーンでは、球技に励む者たち。
遊具ゾーンでは、全力で遊ぶ子供たちと、それを見守る母親たち。
噴水ゾーンでは、カップルや大道芸人、割引チケットを配るきぐるみなど、各々が楽しそうな休日を賑やかしている。
女神のオブジェクトが映える噴水を中心とした石造りの広い空間は、学園内の噴水広場と雰囲気が似ていた。理由は簡単。ここを準えて、学園内の広場が作られたのだ。そもそもこの女神像自体は、南部クオノール地方で有名だった芸術家が作った彫像の模造品であり、満ちた平和の象徴なのだという。
「だったら、まさに絶体絶命な私を救ってみせなさいよね」
「オメー、誰に文句言ってんの?」
「嫌われ者の黒髪は基本ぼっちだからね。必然と独り言が多くなるのよ」
青く、一段と穏やかな空の下。
その一角で人盛りの向こうに頭だけ見えた女神像に皮肉を言うことさえ許されない私に、タカバがため息を返してきた。
「オメーの場合、たんに性格が悪いんじゃねーの?」
「なんか言った?」
そんな私たちの目の前には大量のお客さん。
一番最前列では、絶世の美男美女が喜々とお喋りしている。
「ねぇねぇ、ルキノ君。タカバ君たちは何を歌うのかなぁ?」
「どうやら、古代の歌を歌うようだよ。昔は誰もが知っていた名曲が、今の時代で忘れ去られているのを嘆かわしく思ったらしく、そういった歌を再興していこう! ていう試みらしいんだ」
「そうなんだぁ! 確かに、名曲が消えちゃうのは勿体ないよねぇ」
「そういうこと! しかも、エクラディアの軍事クラスといえば、将来有望なエリートだからね。そんな彼らが大々的に活動しているんだから、注目しないほうが不思議じゃないかな?」
「ふふ、ルキノ君。自分でそれを言う?」
「でも、本当のことだろう――なぁ、タカバ?」
疑問符を投げかけられて、タカバは「うっせーよ!」と一喝した。
そんなこんなで、目立つルキノたちの無駄に懇切丁寧な会話を耳にした人々がどんどん集まって来て、今に至る。半円状に囲まれてしまった私たちに、逃げ場はない。
タカバの固唾を呑む音が、私にまで聞こえてくる。
「オメー、ギターなんか弾けんの?」
「それが弾けちゃうから、余計タチが悪いんじゃない……」
「仕方ねェ……じゃあ、オレは適当に踊ってやるから、歌は任せたぞ」
「えっ!?」
批難の声を上げる私に、タカバは親指を立てた。
ニヤリと笑った口元から白い歯がきらりと輝く。
「オレが古代の歌なんか、知ってるわけなくねェ?」
「……そうよね」
私も深呼吸して、嘘っぱちの金髪を掻き上げた。
とりあえず、今の自分は傍から見たら、金髪の派手なサングラスの女なのだ。いつもと違う自分。ならば、いつもと違ったことでもできるはず。
ええい、ままよ!
こいつらの前で泣き言なんて、言ってたまるか!
どうせ、神様だろうが女神様だろうが偉そうに突っ立っているだけなんだから。
けっきょく、自分を助けたければ自分で動くしかない!
「じゃあ――行くわよ!」
「おう!」
するとルキノがリズムを取るように、指をパチンパチンと鳴らしだす。その隣で、メグも楽しそうに手拍子しはじめた。
私は覚悟を決めて、ギターを掻き鳴らす。
「いーとーまきまき、いーとーまきまき、ひっぱりのばして、よいよいよい♪」
「ハァ!?」
いい感じのタイミングで、タカバの驚きの合いの手が入る。狼狽えながらも、膝を曲げ伸ばししながら、手をくるくる回して始めたようだ。
「でーきたできたー♪ かーみさまーのぱんつー♪」
ルキノは目に涙を浮かべて、腹を抱えている。
メグが見ていられないとばかりに、顔を手で覆う。
こうなれば、もう自棄である。
「二番行くわよー!」
「お……おう!」
私が一層ギターを掻き鳴らすと、タカバも調子が出てきたのか、中腰で両手を前や横に動かしていた。
「たーねをまきまき、たーねをまきまき、ふみつけそこのけ、どんどんどん♪」
その歌は、四番まで平和の象徴たる広場に響き渡った。
「あーもう、疲れたぁ……」
ベンチに座って項垂れる私の前で、噴水の女神様が掲げた水瓶から無限に水を民に分け与えていた。ザァザァとした水しぶきが、少しだけ私にも届いて気持ちいい。向こうに悠々とそびえ立つエクティアタワーもまた、水を浴びて気持ちよさそうに見えた。
私はベンチの上に、金髪のカツラとサングラスを乱暴に投げ捨てる。そして蒸れた黒髪を思いっきり掻きむしった。
歌が終わると、爆笑とアンコールが巻き起こり、似たような歌をあと二曲歌う羽目になったのだ。湧いてくる客を無理矢理解散させ、ようやく一息入れるまでに一時間以上。
気が付いた時に、ルキノたちの姿はなかった。
「ひどい目に遭うわ、ルキノたちは見失うわ……散々だったわね」
「ほらよ」
ライブが終わってから、エアボードで逃げたんだと思ってたんだけど……律儀に紙袋をもって帰ってきたようだ。
そんなタカバが紙袋から取り出したのは、素朴なコッペパン。
中には卵のクリームが挟まっているだけのシンプルな総菜パンだが……疲れも相まって、今はなんでもありがたい。ちょうど空の光源も頂点……お昼時だ。
私は「ありがと」と受け取りつつも確認する。
「あんたが作ったわけじゃないわよね?」
「実家からもらってきたんだよ。安心しろ、オレんちのパンはうめーぞ」
「ふーん……」
そういや、タカバの実家はパン屋をしているんだっけ?
その時だ。
「見てー黒髪だぁー」
「黒髪はやっつけろー」
無邪気な声に顔を上げるやいなや、バシャっと水を掛けられた。とっさに閉じた目を開くと、五歳くらいの少年少女が空のバケツを持っている。
顔を上げながら、私が多少睨んでいるように見えても仕方あるまい。
「お……お兄ちゃん、黒髪がこっちを見たよ……」
「目を背けるんだ! 石にされちゃうぞ!!」
私は寓話のバケモノか?
そう反論したくても、疲れて怒る気にもなれず。
私がただただ黙っていると、先でコッペパンを食べ始めた「懐かしいなー」と告げた。
「昔、オレがオメーに水をぶっかけたら、オメーがトイレからホース繋げて来て、教室中ビシャビシャにしたことあったよなァ」
そのことなら、私もよく覚えている。
タカバと私がケンカするなんていつものことだけど、その後立体映像投影機がショートしちゃって、ルキノが慌てて先生に言い訳する羽目になるわ、巻き添えくらったメグが風邪引いちゃうわで、あとで二人に怒られたっけ……?
タカバは懐かしいというけれど、たしか去年度のおわり……二か月くらい前の話では?
だけど私は特に指摘せず、小さく笑う。
「忘れたわ……そんな昔の事」
そう話している間も、子供たちは怯えるように私を見ている。その様子に気が付いたタカバが、食べかけのパンを一気に口に入れてから、紙袋を押し付けてきた。
「タオルくれー、自分で持ってるんだろ?」
「一応ね」
私が答えると、すぐにタカバは子供たちと向き合った。
「いいかオメェら! この黒髪の悪魔を倒したかったら、先に子分のオレ様を倒してからにするんだなァ!」
大袈裟さにそう言うと、タカバは子供二人を片手ずつ抱き上げる。そして噴水まで駆けていくと、子供たちをその中に放り投げた。
バシャーンと小さな水しぶきが上がると、その直後に「どーんっ!」と、自分で言いながら噴水に突入するタカバ。さらに大きな水しぶきが上がる。
子供たちがキャッキャと笑っていた。そんな子供にタカバはさらに水をかける。すると、子供たちも負けじと水をかけ返していた。
「馬鹿ねぇ……」
私はそんな光景を見ながら、ゴソゴソとカバンを漁った。幸い、背中に置いていたカバンはあまり濡れておらず、中味は無事。タオルで髪を拭いていると、チラリと目が合う女性がいた。雰囲気と距離からして、あの子供たちの母親だろう。私が小さく会釈すると、気まずそうに視線を逸らされる。
ま、黒髪の女なんかとは関わりたくないわよね。
私は嫌なことはとっとと忘れて、持っていたコッペパンにかじりつく。
濡れてしまったが、それがなくても地味なパンだ。だからこそ、パンのふわふわ感とやさしい甘み、そして卵クリームの塩っ気がそれぞれ相乗的に舌に幸せを感知させる。
「あ、美味しい」
「だろォ?」
私が思わず零した感想に、びしょぬれになったタカバがニタニタと戻ってきた。