8話 路地裏の抗争
いつもと同じ、彼の顔。
いつもと違う、彼の姿。
制服の時と違い、開けたシャツの襟の間から覗く鎖骨に目がいってしまう。
私は思わず彼の名を呼びそうになるのを堪えて、代わりにコクリと頷いた。
キンキラ黄色いカツラは外れていないし、サングラスもかけたまま。
せっかくの変装を自らばらして、恥を晒す必要もない。
「それは良かった」
優しく微笑んだのち、ルキノは私をそっと後ろへ下げる。
やめてよ……その紳士的な態度!
無駄に葛藤している私をよそに、ルキノは声を張り上げた。
「で、タカバはこの程度の輩に手傷を負ったのかい? 女性のまともなエスコートもできないなんて、友人として悲しいな」
「ハァ!? 誰がこいつなんかをエスコートするかよ!」
何とかもう一人と抗戦しつつも、ルキノの皮肉にはきっちり対応するタカバ。
それに、ルキノは再び苦笑した。
「あ、大丈夫そうだね」
そしてルキノはさっき蹴り飛ばした、壁にもたれている直毛と対峙する。
「君たちは……確か、去年退学した人たちだったよね?」
「そうだ……貴様のせいでなぁ、ルキノぉぉおおお!」
激昂のままに突っ込んでくる直毛を、ルキノは鼻で笑う。
「まだ根に持っているのかい? 君、女性にモテないだろう?」
「制裁するでござるぅぅぅううううう!」
そして、胸から何かを取り出し――放り投げた。
男の手には、ピンのような物が握られている。
――手榴弾⁉
それがジリジリと燃料に引火し、赤く弾け飛ぶその前に。
「くそっ!」
珍しく険しい顔をして、ルキノは即座に私を抱え込んだ。無理矢理しゃがませ、頭から全身で私を覆ってくる。とっさに跳ねのけようとしても、私の力じゃルキノはびくとも動かせない。
「は?」
このままでは、全員ただでは済まない。爆弾魔たちはどうでもいい。自業自得まで面倒を見てはいられない。
だけど、自分の代わりに前に出て、怪我を負ったタカバは?
正体がバレてないからとはいえ、自分を守ろうとしているルキノは?
――こんな男たちに、大人しく守られながら死ねって?
まだ、ペンキ作戦が残っているのだ。メグを再び汚して、ルキノの財布に大打撃を加えてやらないといけないのだ。やりたいことがあるのならば、今はまだ死ぬときではない。そうよく話していたのは……今は行方知れずの父親だったか。
ユイはルキノの脇の隙間から、今にも弾けようとする手榴弾を睨みつけて、
「きゃあああああああああああ!」
女々しい叫び声をあげた。
無理に声を出して、喉が裂けそうだった。慣れない事は、本来はするべきではないのだ。だけど、やらねばならない時に躊躇っていたら、それこそ後悔が残るだけ。
――消えろ!
そう願うと、シュッと勢いを無くした手榴弾が、カランと地面に落ちた。ただ、飲み捨てられた空き缶のごとく、コロコロと転がる。
「驚かせやがって」
いつになく低い声で毒づいて、ルキノはすぐに私から離れた。
直後、目を見開いている直毛を殴り飛ばす。壁に頭を強打し、白目を向いた直毛は壁にもたれかかるように伸びた。
私は転がる手榴弾を拾い上げる。点火した痕跡はあるものの、完全に火の気はない。
この太陽が沈むようなマーク……どこかで見たことがある気もするが、武器販売で有名なメーカーのものではない。しかし今回は不発にさせたとはいえ、軽さのわりに威力は高そうな代物だ。これが爆発していたら、ここら一帯が火の海になっていたのではなかろうか。
ともあれ、無事にチンピラの鎮圧を終えたルキノが肩を回している。
「僕も気が急いたな。こんな奴が、ちゃんとした武器を持っているはずないか」
「こっちも終わりだぜ!」
タカバもすでに泡を吹いているくせ毛を放り投げていた。見るからにやりすぎである。そんなタカバを、ルキノは再び鼻で笑う。
「ずいぶんと生傷が多いようだけど?」
「るせー、構うな!」
怒鳴るタカバに、ルキノは頬をゆるめる。
……彼なりにタカバの無事を安堵したのだろう。
「僕も、メグが『嫌な感じがする』って言ったから、様子を見に来ただけでね。あぁ、僕が買ってあげた服を、今頃着ているだろうなぁ。どうだい、タカバ。かわいくなったメグを見ていくかい?」
「あーあー、さっさと何処へでも行きやがれ! テメーのツラなんか、二度と見たくねー!」
「言われなくても行くと言ったろ? あ、この礼はすぐに返すから」
そして冷笑を浮かべ、ルキノは路地裏から大通り側の入り口へと戻っていく。
去り際に意味深な笑みを向けられた気がするけれど……気にしない!
「よしっ!」
私は両頬をパシンと叩いて、気を取り直す。
着替えたばかりなのにペンキが降ってきて台無し作戦は、これからなのだ。
待っているあいだ、私は昨夜の魔法授業を思い出していた。
『練り上げたイメージを具現化させるためには、合図が必要だ――それこそ、呪文とかな』
よくあるマンガやゲームのように、定められた言葉を叫ぶ必要はないらしい。本気で走る前に足首を回すとか、殴る前に手首を鳴らすとか、自分なりの合図ができれば、なんでもいいようだ。
パンチラ強風の時は、口笛を使ってみた。
さっきの不発弾の時は、叫んでみた。
でも、なんかシックリ来ないのよね……。
戦闘中に口笛を吹く余裕はないだろうし、呪文を叫ぶのはそれはそれで怪しい。
なんかもっと自然で、簡単なことはないかしら?
そのときだった。
「タカバ君!?」
背後から聴こえた聞き覚えのある可愛い声に、ユイは戦慄する。
エアボートを弄んでいたタカバと振り返れば、彼女は少し大人っぽいカーディガンに、ショートパンツという恰好をしていた。背の低い彼女でも健康的な色気が出ていて、さっきまでのワンピースよりも似合っている。
そんなメグの生足を凝視しながら、タカバがエアボードを落とす。
「めめめメグちゃんっ⁉」
「タカバ君、大丈夫だった? 泥棒に襲われてたんだって?」
駆け寄ってきたメグが心配そうにタカバを見上げていた。タカバは顔を真っ赤にして、視線を逸らす。
「怪我だらけだね……痛くない?」
「べ、別に! こんなもん、唾でもつけときゃー治るし!?」
「あはは、唾じゃ治んないよぉ」
強がるタカバを笑いながら否定しつつ、メグは小さな鞄からピンクの絆創膏を取り出した。白くて可愛い動物が描かれた絆創膏を、タカバの手に貼っている。その間、全身を硬直させたタカバは為されるがまま。
「ほら、メグ。これ以上タカバの邪魔をしちゃいけないよ」
「あ、ごめんねー!」
もちろん、メグを注意してくるのはあとからきたルキノだ。
その手には、なぜか木製ギター。懐かしい音がすると学生の間で流行っているアンティーク楽器である。模造品も多く出回っており、それらは比較的安価に手に入る代物だ。
なに、この不気味な光景……。
するとメグがいつも以上に声を弾ませる。
「タカバ君、今からライブなんだよね?」
「ハァ!?」
そのいきなりすぎる単語に、私たちは思わず目を見開くも、メグのきゃぴきゃぴとした話は止まらない。
「ルキノ君に聞いたよぉ。路上ライブを、そこのお姉さんと一緒にやるんだよね? あたしたちも、見に行っていいかなぁ?」
「お姉さんが楽器を弾くんですよね? 僭越ながらさっき盗まれてしまったというので、代わりのものを用意させていただきました。よければ使ってください!」
ルキノは好青年全開の笑みで、そのギターを私に手渡してくる。
「タカバも軍事クラスの一員なら、そのギター盗んだ奴も現行犯で捕まえて欲しいところだけどね」
「でも、まさか泥棒が三人組だなんて思わないよね? 一人逃げられたって仕方ないことだよぉ」
メグの必死のフォローに、「お、おぅ……」とたじろぎながら頷くタカバ。
「はい、どうぞ。見知らぬお姉さん?」
私はルキノの美しき笑顔に圧力に耐えきれず、そのギターを受け取るしかない。
だって、私は思い出してしまったから。
『この礼はすぐに返すから』
それって、もしかして尾行がバレてたお礼ってこと?