6話 秘密の下は紫だった
そして、エクアの天井が黒から青に染まり直した頃。
「テメー誰だよっ!」
私は待ち合わせ場所についたので、後ろからタカバの肩を叩いただけ。
すると、開口一番そう言われたのである。
エクラディア学園の周りに広がる、首都エクバタ。
市民がよく利用する住宅区域内の繁華街には、白いレンガが引き詰められた、風情溢れる街並みが広がっている。頭上高くを走るモノレールで繋がれた先のビル群が、選ばれた人しか入れない企業区画や公務区画。少し離れたその特別な区域に立ち並ぶ高いビルにも負けず劣らずの高い建物が、住宅区画の中にもそびえ立つ。
天まで届きそうな白い塔は、エクティアタワーと呼ばれているものだ。白い網目で囲まれた透明な三角形の塔は、エクバタの通信電波の主塔。ただ、役目はそれだけでなく、下層部ではレストランやちょっとしたショッピングモールとして観光名所にもなっている。
そんな明るい世界を見上げる薄暗い路地裏には、表の世界には似合わない人々がたむろしていた。ひもじい顔をして、ユイに何かを求めるように骨ばった手を上げてくる老婆を一瞥しながら、私は金髪をさらりと掻きあげた。偏光サングラスを少しだけ下げて見たタカバは、驚きと呆れが半々といった顔だ。
「黒髪のまま尾行したって、すぐ私だってバレるでしょ?」
「そりゃそうだけど……私服の趣味悪くね?」
タカバの言葉に、私は今一度、自分の恰好を確認してみた。
艶やかな発色のピンクのミニスカートに白いタンクトップ。首には奇抜なストールを巻いて、顔にはサングラスをかけている。そして、金髪というよりも、真っ黄色のカツラ。
たしかに派手ね。だけど、これは私の意図通り。
だってふたりの尾行をしているなんてバレたら……未練がましいというか、女々しすぎるというか……とにかく、私のプライドが許さない!
それに万が一、私がタカバとデートしていると思われるのは癪である。
一方、タカバは、タカバらしい動きやすそうな私服で、可もなく不可もないタカバそのものだった。私腹を見る機会なんて数えるくらいしかないけど、本当に子どもの頃から変わらない大きくなったガキ大将。そのわりに、目が腫れている気がするけれど。
「その目はどうしたの?」
「オメー、課題やってねーのかよ!?」
「どうして課題で泣かなきゃならないのよ」
それどころじゃなくてまともにチェックもしてないが、たしか何かを読んでレポートを書けという課題だったはず。そんなに難しかったのだろうか。
ともあれ、今は課題のことなんかに頭を使う余力がない。
「その持ってるのは、エアボード?」
タカバの持つ白くて楕円状の板について尋ねると、彼の顔色が一気に明るくなった。
「おうよ! 何かあったら、これですぐ逃げられると思ってよ」
「自分だけ?」
「なんでオメーをオレが助けなきゃなんねーんだよ」
「私があいつらの待ち合わせ場所やデートコースを解析してやったのに!?」
私がタカバに呼ばれた理由はただ一つ。
それは今日の待ち合わせ場所からデートコースを特定してもらいたかったからだ。
どうやらタカバ、デートを尾行してやろうという奇行は思いついても、彼らの待ち合わせ場所などは調査できなかったらしい。そして、白羽の矢が立ったのが私である。昨日返事をしてから、簡単にルキノのアカウントをハッキングして、検索履歴やメグとのメッセージを盗み見させてもらった。
……これでも、コンピューター関連の知識や技術はクラストップであると自負している。犯罪ソフトも使っていないし、完全実力主義な学園内では自主的なハッキングはむしろ推奨されているのだ。ハッキングされるほうが悪い。これもまた学習である。
ともあれ勝ち誇った顔のタカバに、さらに文句を言おうとしたときだった。
私の首に巻いていたストールが、枯れ枝のような老婆の手によって引っ張られる。何も言わず振り払うと、老婆が尻餅を付いていた。
恨まないでよね。
物乞いに同情していたらキリがない。
胸が痛まないわけではないけど、私に手を差し伸べる余裕なんてないもの。
その様子に顔をしかめて見ていたタカバが、小さく舌打ちする。
「……オメー、なんで待ち合わせこんな場所にしたんだよ?」
「バレなくていいかなって思ったんだけど……さすがに長居はしない方が良さそうね」
「そんな所でオレ、けっこうな時間待ってたんだけど?」
言われて、私はは時間を確認する。
今がちょうど、待ち合わせしていた時刻ピッタリだった。
私はタカバの顔を見上げて、苦笑する。
「結構真面目ね」
「うっせー!」
タカバが拗ねてそっぽを向いた時だった。光が照らす通りの真ん中を、通り過ぎていくターゲットを二人は見かける。喫茶店から出てきた美男子が、遠くから走ってくる少女に手をあげていた。
少女の服装は優しい色合いのワンピース。裾に少しだけ付いたレースが、彼女の可愛らしさを清楚に引き立てている。一方、美男子は制服とはまた違う、ルーズな白いシャツを爽やかに着こなしていた。
無事に会えた恋人たちが、互いにはにかんでいる。
私は物陰に隠れるように見つめながら、自分のわざとらしい金髪のカツラに触れる。彼の髪の色は、同じ『金髪』と称されるものであっても、まるで違うから。
二人の会話は聴こえない。だけど二人が楽しげに笑い合っている。
空が青い。それを強調するかのように低く造られている白を基調とした街並みは、ただ彼らを引き立てる背景でしかなかった。あぁ、なんて眩しいのだろう。思わず、目を瞑りたくなるほどに。
「メグちゃん……可愛いなぁ……」
タカバの声に目を開くと、隣の大男はうっとりと彼らを見つめていた。
こいつ、私服のメグが見たかっただけじゃないでしょうね……。
そもそも、なぜこいつがデートの尾行をしたいと誘ってきたのだろう?
未だ呑気に見惚れているタカバに辟易していると、ターゲットはゆっくりと目的地へ歩き始めていた。
「とりあえず、後を追うわよ」
「あ、あいつらどこに行くんだ?」
「とりあえず、ランチまではお買い物をするみたい」
私はは口角を上げて、サングラスを掛け直す。
つまり、あの可愛いお洋服が、どうなったっていいわけよね?
途中の柱に隠れながら、ルキノとメグの後を追う。
適度な間隔。それがまた難しい。
「もう少し近寄ろうぜ。なに話してんのか、聞こえねェよ」
「馬鹿。メグにバレたらどうするの?」
「ルキノの野郎ではなく?」
半信半疑な声に、私はターゲットから目を離さないまま説明してやる。
「そうよ。個人対集団訓練でも負けなしって、あんたも知ってるでしょう? 殺気とかいうのが、読めるんだって」
我ながら、このご時世に『殺気』などナンセンスだなと思う。
だけど実際、本当にゼロに近い音や空気振動を事前に察知できると本人に言われてしまえば、『殺気』なんて単語に理解を頼ってしまったほうがラクだったりするわけで。
だけどタカバは、もっと他の観点から不満があるらしい。
「そんな物騒な言葉使うなよ。メグちゃんに似合わねーだろ」
「じゃあ、なんて言えばいいのよ?」
「……乙女のシンパシーとか?」
「あんたがシンパシーなんて言葉、知ってたことに驚きだわ」
タカバから出た思いがけない単語に噴き出していると、目的の場所はすぐそこだった。
細い路地と交わる場所。ルキノはエスコートのつもりなのか、道の端にメグが来るように歩いている。つまり、路地に近い方に彼女がいるのだ。
私は満を持して、ピューと口笛を吹いた。
すると、路地から地面を這うかのような塵風が吹き荒れる。
「きゃぁっ!」
メグは全身埃に包まれながら、懸命に持ち上がろうとするスカートを押さえていた。しかし、前を押さえたがいいものの、スカートの後ろは大きくめくりあがる。
「大丈夫かい!?」
ルキノも埃で咳き込みながら、大きな声でメグの心配をしていた。
メグは重力に従うようになったスカートを払って、なにやらルキノに尋ねたようだ。それに、ルキノは小さく首を振って、何か提案しているようである。すぐそばの女性洋服店を指差していた。
どうやら、埃まみれになったメグに、新しい服を買ってあげるようである。
「ふふ、大成功ね」
「なにか言ったか?」
「別に?」
その全てが、私の想定通り。彼らはその店に入っていく。
「さて。奴らが出てくるまで、私たちは待機しましょ」
再び路地裏に隠れようとするものの、タカバがついてくる気配がない。
振り返れば、彼は耳まで真っ赤に染め上げて、固まっていた。
「め……メグちゃんのパンツが、紫だなんて……」
私は思わず苦笑する。そして「いいモノ見られて良かったじゃない」とほくそ笑みながら、ワナワナしているタカバの手を、風の吹いた路地裏まで引っ張っていった。