2話 些細なざまぁ体験
こいつは今、なんて言った?
失恋の腹いせに、世界を破滅させる?
そんな馬鹿な。
世界を破滅させるって、本気で言うやついる?
しかも、その理由が『失恋したから』って。
そんなくだらない理由でしていいことじゃないでしょ。そもそもできるはずがないけど。
嘲笑しようとして、自嘲する。
「私だわ」
そして、視線をあげれば。
黒フードの男の顔は、とても真剣だった。長い白髪を頬に張りつけながらも、その男はまっすぐに私を見下ろしている。
だから思わず、私のほうから声をかけてしまった。
「全身ビショビショだけど、寒くないの?」
「寒いな。だからどうした?」
「ずっと噴水の中に隠れていたんだ?」
「そこまで俺も阿呆ではない。直前に転移してきた」
「転移……人の空間転移はまだ実現できてないはずだけど?」
物質の空間転移に成功したとニュースで聞いたばかりだった。法整備や臨床実験はこれからだそうで、実用化はまだまだ先。
エクアの科学でも、まだまだできないことはたくさんある。
科学は決して、絵本や漫画に登場する魔法ではないのだ。
だけど鼻で笑う私に、男は無表情のまま告げた。
「できないはずがないだろう――魔法だぞ?」
「は?」
「己のイマジネーションを具現化するのだ。俺ができると思えばできる」
男の言葉に、私は目を見開いたまま動けなかった。
これが男に少しでもふざけた素振りがあれば、すぐに「ばかじゃないの!」とぶん殴っているところ。
だけど、男はあまりに真剣だったから。
私を蔑むわけでもなく、嘲るわけでもなく、同情するわけでもない。
こんな真摯に、私を見てくれる人なんて、まだいるんだ?
ただそれだけで、涙が出そうになるくらい、嬉しく思ってしまったから。
私は少しだけ視線を逸らす。
「わ、私も魔法、使えるようになるかな!?」
「無論、その才能があるからこうして勧誘している」
「魔法を使えば、世界を破滅させることができると?」
「そうだ――こんな世界、もう嫌いなのだろう?」
その言葉に、私は心の底から吐き捨てる。
「だいっきらい」
そして、勢いをつけて立ち上がった。
こんなところでウジウジしていたところで、生産性がない。
私をバカにしてくれたやつらが、楽しくハッピーな毎日を過ごすだけ。
だったら、魔法でもなんでも使って、復讐してやる。
「いいわ、そのお誘い、喜んでうけてやろうじゃないの!」
「いい返事だ!」
私は握手を求めようと手を差し出しただけだった。
なのに、次の瞬間、私は男にキスをされた。
……え、キス?
何かが口の中に流れ込んでくる。毒?
この男、やっぱり痴漢目的の侵入者?
私が慌てて突き飛ばすも、男はやはり変わらずの無表情で。
とっさに動いたときに相手の唇が切れたようだが、彼は私を責めるわけでもなく、唇にしたたる血を舐めながら「それでは、また明日」と踵を返す。
ぺちゃぺちゃと向かう先は、また噴水だ。
さも当然と言わんばかりの堂々さに私は呆気にとられるも……慌てて彼を呼び止める。
「ねぇ、あんた、名前は!?」
「俺に名前はない。好きに呼べ」
「あんた名無しなの?」
彼の歩みは止まらなかった。
ただ、彼が少し振り返ったとき――ずっと真顔だった男の表情が少しだけ緩んでいた。
「ナナシか――悪くない」
そして、男は再び噴水の中に消えていった。
私は慌てて噴水の中を覗き込む。その中に潜っている人影はもちろんなく、街灯を頼りにどんなに目を凝らしても、水質管理の虫が数匹泳いでいるだけ。
「げっ」
私は虫が嫌いだ。エクアにいる虫はすべて機械によるもので、清掃や管理など、何かしら役目が与えられている。だけど、嫌いだから目を背ける。理由も色々あるけど、とりあえず見た目が苦手なのだ。
私は無意識に自分の唇に触れていた。
まだ、少しだけ濡れている。
「夢……じゃなかったのよね」
そう、夢だったら唇に生々しい感触が残らないだろうし、噴水の中に苦手な虫だっていないだろう。
私はなんとなく空を見上げる。
今日に限って、星も見えない。
いつも夜は空のスクリーンに星が映し出されている。ただ月に一度だけ、定期点検としてスクリーン機能がオフになるのだ。
ただ、そこには黒い天井があるだけ。
「明日も授業だ」
私の学費は、シングルマザーの母がひとりで払ってくれている。
私の実家はエクラディア学園とかなり離れた土地にある。六年間の下宿生活だ。世界トップクラスの学園なだけあって、学費も決して安くない。母も立派な仕事をしているとはいえ、決してラクな負担ではなかっただろう。
つまり、私は失恋ごときで授業をサボれる身分ではないのである。
「いくぞ」
私が気合を入れて、教室に入れば。
一番に目に入ったのは、赤毛の少女が金髪の少年と楽しそうに話している光景だった。
だけど、赤毛の少女がすぐに私に気がついたようだ。
「あ、ユイ!」
彼女は当然、私が親友だと思っていたメグである。
朝から泣きそうな顔をしていて、私に駆け寄ってくるも。
彼女が座っていた席の隣から、当たり前のようにルキノが心配そうな顔でこちらを観察している。くそ、今日もいいツラしやがって。
「ユイ、あのね……」
私は無視して、メグの隣を通り過ぎる。
教室の席は自由席だ。今日からはひとりで座らなきゃだけど……さて、どこに座ろうか……。適当に席をとろうとにも、私を見ては舌打ちしてきたり、コソコソ陰口を始めたり……そりゃあ、性格の悪い黒髪なんて、だれも隣に座りたくないわよね。
とはいっても、まさか教室の後ろで立っているわけにもいかないし……と、できるだけ隅の席に座ろうとしたときだった。
「そこはオレの席だぜ?」
また厄介なのに絡まれてしまった。
クラスのガキ大将、タカバである。体格もクラスで一番大きな喧嘩好き。そして座学の成績は悪いという、いわゆる脳筋バカ。
毎年クラス替えがあるのに、なぜか十年とも同じクラスという最悪の腐れ縁である。
私はタカバにため息と一緒に吐き捨てた。
「もう何年も前から、自由席だったと思うけど?」
「けど、いつもそこはオレが座っているだろ。察しろや」
「いやよ。今日はここに座りたい気分なの。早い者勝ちでしょ?」
そして、私たちは睨み合う。
ほんとーにこいつとは性格が合わない。黒髪の私に対して珍しく真っ向から文句を言ってくる根性は認めてあげるが、話してもいつもケンカになって終わりという、まるで嬉しくない同級生。
さて、今日もなんて言い負かしてやろうか……と、口を開きかけたときだった。
なぜか、おどおどと間に入ってきたのはメグだった。
「ユイ……あたしたちといっしょに座ろう? ユイの席、ちゃんととってあるよ」
「冗談でしょ」
私は思わず目を見開く。
たしかに、メグたちが座っていた三人席の、ちょうど真ん中が空いていた。
まさか、私にそこへ座れと?
私を振った男と、その男と付き合いだした元親友の間に、私が座れと?
そりゃあ今までなら、たまに私が隣に座れるようにと、そんな席取りでルキノを誘ってみたこともある。だけど、まだそれを続けろと?
――冗談じゃない!
「ふざっけんな!」
私が怒気に任せて腕を振ったときだった。
バチッと火花が弾けるような音がしたのち、男が一瞬うめく声が聞こえた。
「うおっ!」
視線を向ければ、タカバが慌てて何かから避けていて。
だけどすぐに、彼は私に唾を飛ばしてくる。
「ふざけてんのはそっちだ黒髪! メグちゃんと何ケンカしたか知らねーが、教室に改良スタンガン持ち込んでんじゃねー! 俺じゃなかったから感電してっぞ!!」
「えっ?」
スタンガンとは、身体に微弱な電流を流すことで電気ショックを与える防犯グッズである。
私は機械いじりを含めた改良が得意だし、趣味でそういった道具を改良することはたびたびある。だけど当然、そんな物騒なモノを許可なく教室に持ち込むこむ趣向はない。
乙女の防犯意識として、たしかにひとつ持ち歩いてはいるものの……逆に威力は最小限。学園の警備システムにひっかからないように、静電気で一瞬驚く程度のモノにしている。
「え、じゃねーよ! こっちは思いっきりバチッてしてんだよ! 俺だから避けられたものの……体技が苦手なやつだったらあぶねーだろうが!!」
そのことはクラスに知れ渡っているので、今タカバもこうして勘違いをしているのだろうが……私も弁明すべく、普段持ち歩いているスタンガンを取りだそうとしたときだった。
「ケンカなら合法的にやれ。エクアージュよ!」
授業開始のチャイム音が流れる。
それとほぼ同時に教室に入ってきたのは、担任でも教師でもなかった。
ただ、服装はよくいる科学教師のようだった。
長髪をゆるくまとめ、長い白衣の下に、シャツとスラックス。ただ、足下は便所サンダル。
そんな不審者に、生徒全員が身構える。
その中で、クラス委員かつ生徒会長のルキノが低い声を発した。
「代理の教師が来るなんて、聞いてませんが?」
だけど、その男はルキノを一目見ることもなく、隣を通り過ぎる。
ペタペタと歩く白髪で金眼美丈夫に、私は思い当たる人物がいる。
「あんたは、昨日の――」
「俺が決闘の場を用意してやろう! 腕が鳴るな、エクアージュよ!」
その男は昨日とうってかわった哄笑をあげる。
笑い方がまるで絵本の魔王だな、とか、あんたがなんでここにいるの、とか、なんで昨日はいきなりキスしたの、とか、色々ぶつけてやりたい疑問があるものの……一番の疑問はこれだった。
いや、まっすぐに私を見下ろしているのはいいんだけど……。
……エクアージュって、誰?