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弘法大師  空海の秘密 密教の根本原理  秘密の教えは悟った人にしか開陳してはならないのだ、

作者: 舜風人



密教の秘密とは?


密教とは秘密仏教の略である。

英語で言えば

secret buddism


秘密の仏教です。、



要するに一般大衆には秘密にしておかないと、


悪用でもされたら困ったことになるという、


門外不出の仏教の秘密の教えということである。


ではその密教の奥義とはなんであろうか。


その秘密たるゆえんを解き明かしてみたい。


(もちろんここでは概略のみである、実際に会得するには修行と鍛錬が必須である)



第一に

末那識と阿頼耶識である、


末那識とは人間の意識の総体であり

阿頼耶識とは集合意識とでも言おうか、

絶対意識である。

ここに到達すれば(修行して)

即身成仏も可能である。


第2に


真言マントラである。


真言を唱えて、加持祈祷する。

密教寺院では良く見かける風景?ですね。

印を切ることも行われます。

多くは現世利益的な祈祷として行われていますが

本来は精神統一して成仏するための修行法です。




第3に

曼荼羅である。

これは宇宙の集約したパワーの象徴である。

ここに意識を集中して悟りを得るのである。



第4に


即身成仏である。


たとえさかりのついた牡ヤギのような低次元の存在でもブッダになれるのである。

もちろんそれには条件がある。無条件ではないがなれるのである。

その条件とは?

それは秘密である?

だから秘密仏教(密教)というのである。

修行と鍛錬でしかそれは得られない。

あるいは師資相伝でしか

教えないということである。




密教(真言宗)の教義のおおよそは以上である。


なんだこれだけか?


でも実際に修行するとなれば

易行道ではないでしょうね。


密教は現世利益や欲望肯定など誤解されやすい要素がおそらく一番多い仏教です。


つまり使い方を誤ると、


魔薬にもなりかねません。


善悪、正邪、清い、汚い、身分が上だ、下だ、


それらを超越した神理を標榜するがゆえに、


人間の下賤な欲望すら悟りであるとさえ言い切ってしまう。


それが密教です。



もちろんこれらの思想は


インドのタントラ教の影響もありますが


タントラ教は、そのまま欲望肯定ということですが



密教ではさらに善悪の超越を言うために


欲望肯定を断言するわけですからちょっと(というか大いに)違いますね。



麻薬は悪だ。


酒も悪だ。


女犯も悪だ。


怒りも悪だ。


ですがそれも、使い方次第でしょう?


相対的なんです。


麻薬は医療用に欠かせません。


酒だって憂いを掃き清める玉箒です。


ありえないですが、もし地球上の誰も女犯しなかったとしたら人類は絶滅しますね。


怒りだって、いかるべき時に怒るという神の怒りもあります。


つまり世の中の善悪なんてすべて相体的なんです。


ほんとのサトリはその先にあるんです。


そしてその悟りの本体(実相)は


言葉(経典)の先にあります。


所詮仏教経典は


「月を指す指」


「扉をたたく瓦片」にすぎません。


つまり悟りに上るためのはしごです。


サトリに着いたら、梯子は捨てられるのです。


はしご(経典)は単なる手段にすぎません。


経典を崇め奉っても、しょうがないのです。


阿頼耶識まで到達し

真言を唱え、

印を切り

護摩を焚き

曼荼羅を想念し

修行するしかほかに即身成仏の方法はありません。


空海という人は日本真言宗の開祖ですが


彼は草堂にこもって独居瞑想する他タイプではありませんでした。


彼は加持祈祷で人々の苦境を救済し


満濃池を浚渫し、


灌頂を人々に施し、


学校(綜芸種智院)を作り 


ひらがなを作り(いろは歌)


こうした彼の自利利他(今でいえば社会福祉)が


後々、弘法大師伝説を生んだわけですね。


伝教大師最澄との大きな違いです。


密教とは

欲望肯定

現世肯定

欲望肯定

『大肯定主義」なのです


つまりそれまでの

印度での、仏教の発展を簡単に言えば


小乗仏教


大乗仏教  マハーヤーナ


金剛乗仏教  ヴァジラヤーナ


という三部構成になります。



これらの諸経典が一緒くたに、歴史順にではなく、中国に伝わり翻訳僧たちが


片っ端から訳していった。


彼ら、翻訳僧には、インドでの仏教の生生流転?の歴史なんか


わかりもしなかったのだろう。


というかこれらの経典はすべて、釈尊が説いた、ありがたい教えだと信じ切っていたのかもしれない。


印度での仏教の歴史とは


本当は、、原始仏教からの、逸脱、、異端の歴史でしかないのです。


つまり大乗仏教なんて、もう、、原始仏教の釈尊の教えからは、どんだけ乖離し果てているか


というか全く別物ですよ。


大乗仏教とは、おそらく釈尊が教えたことからは


すごい逸脱した全く別物の宗教です。


肉身の、現身の仏陀が、説いたであろう教えとは真逆ですらあるのです。



もしゴータマシッダルタが、生き返って?


法華経やら


華厳経やら


理趣経やらを読んだとしたら?




あるいはもっとすすんだ?「秘密集会タントラ」などを読んだとしたら?


「俺、こんなこと説いてないよ」


と言って、ビックリ仰天でしょうね。


法身仏とか


久遠仏とか


大日如来とか




性儀式とか




お釈迦様は、とんと、ご存知ないような


「なんじゃこれは?」という


ぶっ飛んだ教えですものね。



仏陀が説いたのは「スッタニパータ」のような


素朴で


清新な


教えですよ。


それが仏陀亡き後、数百年後には


金剛乗、、ダイヤモンド・ブッディズムです。


でも、、、ヴァジラヤーナこそ、最上のサトリなんて


言われたら、


お釈迦様もビックリでしょう。


おいおい俺が説いた教えも、こんなにまでも、変質してしまったのかよ?


という状態ですよね。



だいぶ、前置きが長くなりました。



金剛乗とは


梵語サンスクリットで「ヴァジラヤーナ」と言います。


どっかで、、、1980年代の日本で、聞いたような?名称ですよね?




クシティガルバ   地蔵菩薩


マイトレーヤ    弥勒菩薩


ジーバカ      インドの名医の名前


マンジュシュリー  文殊菩薩




カルト殺人集団のあんたが「地蔵菩薩」だって??ふざけるなよ、、って言いたいですよね。






さて、、、、、、、、、、、


インド仏教の最終到達点、、それが


このヴァジラヤーナを奉じる「密教」です。シークレット・ブッディズムです。


大乗仏教を超える、、至高の、サトリ、、、それがヴァジラヤーナ(金剛乗)です。


では?


それはどんなサトリなのか?



その前に大乗仏教とは?

みずから菩薩の境地に達して、涅槃に至り完全に悟りをひらいた

菩薩の境地に達しても、そこに止宿するのではなく

あえてその境涯を捨てて、無知蒙昧な大衆のために

身を下して「菩薩行」を行う、、

これが大乗仏教です。つまり自分だけ悟って良しとするのではなく

「さあ、みなさん、一緒にニルバーナの境地までこの大きな乗り物で一緒に行きましょうね」、

これが大乗仏教です。



ところがさらに上位の、、最強のサトリの境地がある、と、密教では言うのです。

それが「金剛乗」ヴァジラヤーナです。

ですが、、このサトリは、常識的に理解しようとしても、

常理を越えているのです。


つまり、常識はずれ?です。

というか、完全に狂ってる?とさえ見えるでしょう。

ですからある意味、恐ろしい、教えなのです。

だから、、秘密の仏教、、つまり密教というのですね。

むやみやたら一般公開したら、どんな恐ろしいことになるかしれないような

神がかった、完全に、あっちにいっちゃった?教えだからです。

常識から見ればもはや犯罪です。


そんな恐ろしい教義が、、密教です。


ではその一端を

理趣経から噛み砕いて?いくつか、解き明かしてみましょうか?


でもこんなこと公開していいのかなあ?

極少数の、大乗の境地を悟ったグルにしか本来公開すべきだはないのが、

この教義なんですからね。


あえてこの毒に耐えられるか?

この露悪を超越できるか?


要は、、それに尽きるでしょう。


ではよくよく、心して、決して惑わされぬように、してくださいませ。






ヴァジラヤーナの秘密の教えとは?




〇愛欲、肉欲はそれそのままで清らかな菩薩の境地である。



〇怒りはそのままで菩薩の境地である。



〇正しい殺人もありうる。活人剣、人を切り殺す刀が、それで人を生かす?



〇生よりも死が正しいこともありうる。


〇戦うことは正しい



〇腐った肉、死体、それらはすべて清らかである。



〇酒を飲み肉を食うことも清らかな悟りの境地である。


〇いわゆる「悪」と称されることはすべて、清らかな菩薩の境地である。



〇自ら着飾り宝石を身に着けて富を誇ることも清らかな菩薩の境地である。


〇この世に不浄なものはない、すべて清らかな菩薩の境地である。




こういう教えを列記ししてみると、これはもう、、カルト宗教、


邪教でしかないですよね?



まああくまでも、字面、、表面づら、を


解釈すれば、、そのとおりです。



まあ要諦は


万物の全肯定、、


全受容、


すべては清らかである。


というそれこそが、ヴァジラヤーナの秘密なんですが、、




でも非常に誤解されやすい


というか、悪用されやすい


教え、、というか悟りの世界ですね。


だからこそ、


秘密にして

極、わずかな


悟りの境外が突き抜けて至高の境地にまで行った人にしか公開してはならぬ、、という、


まさに秘密仏教


だからこそ、



密教なのです。


くれぐれも字面だけで、表面的に理解して、


ははあん


どんな、犯罪してもいいんだな、


なんて曲解しないでくださいね。


理趣経の奥義とは?


すべての存在は清浄である。


すべてが清浄に至る秘密の道理がある


その奥義をサトレバ世界は無窮の自由と喜びの大千世界となるであろう。



善悪を超越した世界


汚辱も清涼も超越した世界


生死も超越した世界


それが金剛乗世界


ヴァジラヤーナ・ボーディサットーバの世界


この上なく清浄で清らかな大楽に満ちた菩薩の世界。




しかし、もし凡夫がこれを字面だけで判断したらたちまちにして邪宗と化す。



ただし、、もっと最末期のインド仏教では


理趣経の清浄なる悟りの地点を越えてしまい、



更にインド土着の性力信仰と融合して

もはや性神信仰としか言えないようなところまで堕落?してしまったのである。

密教ですらない

印度の民間性宗教タントラ教と同化してしまったのですね。


いわゆる左道密教タントラ・ヴァジラヤーナですね。

これは、当時のインドでは仏教はすっかり勢力を失い、民俗信仰であるヒンドウー教に席巻され尽くしたために当時の仏教の苦肉の起死回生方?として大幅にヒンドウー教に歩み寄った?のが

最末期のインド密教なのですね。




更にカーマスートラなどの性的な要素も大いに取り入れて、インド民衆にアピール?しようとしたわけです。性儀式を売り出せば、これは、、民衆は飛びついて来るでしょう?

この方面の行き着いた先が「無上瑜伽タントラ」です。

クスリを使用して、性的なヨーガで涅槃に至る?ってわけですね。

まあ。ここまで来ると、

これはもう完全にアウトでしょう。


クスリやセックスで、「涅槃」?って、、


セックスヨガ?


これではカルト性宗教そのものですものね。


まあこうした最後のあがき?も無駄に終わり、仏教はインドでは11世紀ごろには消滅するのです。




これら最末期の左道密教はチベットに直伝されて、いわゆるチベット密教として生き残ってゆくわけです。

ですがさすがにチベット人も、こうした性的なヨガには反発を覚えて、

今現在は、教理としての観想では性的ヨガを認めるが、それを実践は禁止されていますね。

つまり性力シャクティをチャクラにためてそのパワーで、クンダリニを回す、、という修行法ですね。これはOKですが、男女の性儀式はダメと言うわけです。性エネルギー活用法?というわけです。


日本には、こうした8世紀から11世紀の終末期印度密教が伝わる前に

純密密教の時代に伝わっていたので、真言宗には直接影響はなかったというわけですね。

もともと純密の経典である「理趣経」においても、

その愛欲肯定の清浄観は、あくまでも「観想」としての、清浄観ですものね。


さあクスリ呑んで乱交しましょう。という下世話なお話ではないということです。





ところで茶道密教の流れを汲む性儀式を狭義とした邪宗が日本にもかってありました。

日本の「立川流」がその流れです。

その秘儀とは?

飲酒や肉食、男女の交合神を祀り、そして性儀式、呪法、呪文。血と肉の祭儀、、、、


これでは?もう仏教ではないでしょ?ただの淫祇・邪教の類と一緒ですよね?


こうして落ちるところまで落ちた?仏教(左道密教)はインドでは、自滅するのです。


かくしてインドでは仏教は完全に消滅するのです。

おりしも、イスラム教徒が北部インドに侵攻して仏教寺院を焼き払い僧侶を皆殺しにして

インドでは仏教は消滅するのです。


今日本にある密教はこのような左道密教ではありません。

健全派?純密・密教です。


依拠経典としては真言宗では


理趣経(これは秘典です)


金剛頂経


大日経


  、、、、、、、、の三つだけです。






でも秘仏として「歓喜天」を祀ったりしていて

性力シャクティ信仰の要素も秘伝として伝わってはいるんですよね?


性は不浄ではない、、というのが、理趣経の教えですからまあ当然と言えば当然?でしょうね?

性が無ければ私もあなたも生まれてこなかったわけですから

性が不浄であるわけがない?ですよね?


しかし性を儀式化して、宗教としてクスリ呑んで輪姦を行うってのは

完全にダメでしょう。


ただし、もちろん現在日本の密教では、性儀式などのタントラ教的の要素は完全に排除した

健全派密教?ですから、間違えないようにね。





たとえるなら、、、


原始仏教とは

青蜜柑のような清新な酸っぱさ、清涼感のある味わい。



そして

大乗仏教とは

調度良く熟した果実の馥郁とした芳醇な味わい。



そうして


密教とは

完熟してもう腐る寸前の味わい。


肉は腐る直前が一番おいしいと言われますよね?

そんな風に密教も、、もう寸前で腐るというか

下手すりゃ、食あたりしそうな危険な味わいと言えるのでしょうね。

うかつに近寄れば、、うかつに口にすれば、食中毒で即死?かもしれない。


ご用心


ご用心。






性パワーを活用して?超能力を得る?という発想は実は古代から連綿としてあります。

人間の中で食欲と性欲は絶大ですからね。

これを何とか活用できないか?

それが古代の性神信仰であり、それの発展形である、シャクティ信仰、

性ヨガ、タントラ教ですね。

そもそも女性が出産しないことにはその種族は絶滅してしまうわけですから

出産(多産)を祈願することは原始人の共通の最大の祈りです。

そういう生み出す性としての女性性が侵攻の対象になっても不思議はありませんね。

確かに、老子も、「玄妙な女性性は万物の始源である」と言ってるくらいですから

地母神の信仰が世界各地にあるのもうなづけますね。

それはイシスであり、カーリ女神であり。鬼子母神であり、女禍氏であり

ビーナスであり、アマテラスであり、つまり永遠の女性性です。

ゲーテも「永遠の女性性が最後の救いである」と言ってますからね。

種族絶滅したら、宗教もへったくれもありませんものね。

そういう意味で性は、不浄であるわけがありません。

では?なぜ一般に宗教で性が不浄とされて禁欲が説かれるのか?

それは性のパワーは強大過ぎて、暴走しやすく、人間の手におえるものではないからです。

うかつに手を出すと身の破滅だからです。

だから悟りを求めるためには性に近づいてはならない、というわけです。

これが普通の宗教です。

ところが性パワーのこの強大を何とか善用して、解脱、サトリ、超能力を得られないか?

と、、考えた異端派がいた。




それが仏教ではいわゆる、最末期密教であるチベット仏教などの

「無上瑜伽タントラ」です。


一般に密教は、金剛乗、ヴァジラヤーナ、と言われますが、

正統密教はここです。真言宗もこの階梯です。


ところが、、


それよりもさらに上を目指すというか、究極の密教、それが無上瑜伽タントラです。


ですが、、さすがにここまで行っちゃうと、行き過ぎですよね。

性儀式や、アルコール、幻覚剤、血の儀式、薬物


そこまで行ったら、もろ、カルト宗教ですものね、


かくして行き過ぎた最末期密教は滅びるのです。


その片鱗が、、チベット密教に残っていますが

もちろん現在は、性儀式は禁じられています。



もちろん

日本真言宗は


そういったチベット仏教のような

物ではありません


いわゆる

準密であり


初期の

密教形態を保っていますから


性儀式などあり得ないのです。


ただし

密教の根本原理である


欲望の肯定や


全ては清いという


「大肯定主義」は


貫かれているのです。


この世に汚れたものなどない


全ては清い



それが密教の根本原理だからです








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