第一話 いつもの夜
旅は危険と隣り合わせだ。特に夜は暗闇が広がり、そこでは何が起こるか分からない。だから僕らは出来るだけ宿に泊まるようにしている。宿がないなら、近くの人に頼み込んで、その人の家に泊まらせてもらう。それだけ屋外の夜は、不安要素が多い。それでも、野宿しなきゃいけない時はある。今日みたいに人里離れた山で夜を迎えたら、その場で野宿した方がマシだ。下手に民家を探し続けていたら、迷いかねない。
落ち着ける場所を探し出し、乾いた枝集めや慎ましい夕食を終え、僕らは朝を待って眠ることにした。でも、暗闇から何が来るか分からない以上、一人は見張り番を立てないといけなかった。そこで、僕は今日も長時間の見張り番を買って出た。どうせ今日も、不安で眠れないことは分かっていたから。
僕は旅人になる前から、寝るのが苦手だった。今日出来なかったことや明日やらなきゃいけないことが、暗闇と一緒に押し寄せてくるからだ。ましてや野宿では、人気のない辺境に寝転がって、心のどこかで周囲の暗闇を気にしながら寝ないといけない。静けさの中に変な音が際立つだけで、僕の心はざわついてしまう。それが葉のこすれる音でも、フクロウの声でも。そんな僕にとって、見張り番はむしろ得意分野と言えた。眠らなくていいと開き直れば、少しは気を楽にできる。旅人のくせに睡眠すら上手くとれない僕でも、仲間の役に立てる。そうしたささやかな満足感を、今日も僕は噛みしめていた。
一際大きく爆ぜた焚き火が音を立てる。そちらに目を向けると、火がさっきより小さくなっていた。外套にくるまり座っていた状態から少し身を起こし、手近な枝を何本か拾うと火に投げ込む。上手く燃え広がるのを見届けてから、また外套に身を包む。背後にある木の幹に背中を合わせて、もたれるように座りこんだ。なんだかまだ冷気を感じるので、外套を少し整え、出来るだけ体全体を覆ってみると、ようやく外套の内側が温かくなってきた。
焚き火を囲むように、僕ら四人は自分の寝床をそれぞれ作っていた。焚き火の向こうにはドワーフのジルバさんがいて、豪快ないびきを立てている。鼻とかの病気でないか少し心配だが、お酒のせいか気持ちよさそうに寝転がっている。
右隣には僕と同じ人間のリードが、岩にもたれて眠っている。たぶん。ずっと剣を携えたままで、隙のある寝息もしていないので、もしかしたら眠っていないのかもしれない。
そして分かりづらいが、左隣の低木の陰ではエルフのニフが寝ている。焚き火でできた濃い影と草木のせいで彼女の細い脚くらいしか見えないが、そちらに耳をすませば、あどけない寝息が確かに聞こえる。夢も見ないくらいぐっすり眠れていたらいいなと思う。
時計なんかないので、もうどれくらい時間が経ったか分からないけど、皆が寝床に入ってからそこそこ経ったと思う。月も少し動いた気がする。まだ僕には、眠気が来る気配はない。このまま誰かが自然に起きるまでずっと待つのは、いつものことだった。暗闇の怖さも空気の冷たさも退屈な時間も、とうに慣れてしまっていた。寝床に入って眠れない自分を責め続けることに比べれば、さして辛くもなかった。
「なぁ、ヨースケ」
急に低い声に呼ばれて、反射的にリードの方を向く。リードは目を開けて、こちらを見ていた。やはり眠ってなかったみたいだ。
「どうしたの?」
「いや、大したことじゃないんだ。見張り番、代わってやろうかと思ってな」
「でも、リード、眠ってないんじゃないのか?」
見張り番を代わってもらっても、眠れないのは恐らく変わらない。それは避けたかった。だから、起きていてもいい見張り番の役を守るように、遠回しにリードを牽制した。
「バレてんのかよ。今日はあんま寝付けないみたいでな。どうせなら、いつも起きてくれてるお前の力になろうと思ったわけよ。そっちは相変わらずか?」
「うん。散々昼間歩き回ったけど、眠くない」
「そうか。じゃあ、一緒に見張ってやらあ。たぶん俺の方が先に寝ちまうと思うが、一応起きてみるから、お前は安心して寝てくれていいぜ」
「そんなこと言って、二人とも寝ちゃったらどうすんのさ」
「その時は、なるようになるさ」
そんなのますます寝られないじゃないかと思いながらも、リードの気遣いはすごく嬉しかった。その言葉に甘えるように一度うとうとして、ちょっとの間だけ眠った。短いけれど不安には邪魔されない、気持ちいい居眠りだった。目を覚ました僕を見たリードは、この短い睡眠時間に少し呆れた顔をしながらも、安心の笑みを浮かべていた。僕が居眠りできたおかげで心配の種が減ったのか、リードは少しずつ口数が少なくなっていき、「もう寝る」の一言とともに剣を懐中へ抱いて、横になった。次第に外套の下の体が、ゆったりと膨らんでは萎む動きを始める。眠れたみたいだ。それを羨ましく思っても仕方がないので、次に焚火へ放り込む枝でも選ぶことにした。
さらにどれくらい経っただろうか。リードの睡眠もすっかり安定しているみたいで、身じろぎも穏やかだ。すると突然、向かいのジルバさんが起き上がり、背後の茂みへと入っていった。驚く僕の耳に、なんだか水でも撒くような音が聞こえてくる。酒を飲んだものだから用を足したくなったのだろうというところまで推測し、まばらな水音を頭から閉め出そうとした。だが、恐らく隙だらけのジルバさんを無視もできず、一応聞き耳を立てながら辺りを見張っていた。
ズボンを整えながら戻ってきたジルバさんは、大きな欠伸をしながら寝床に座る。そして焚火を挟んで反対にいる僕にようやく気づき、赤ら顔で声をかけてきた。
「よーう、お疲れさん。見張り番ご苦労ご苦労」
呂律が怪しく、声の調子も変だが、労ってくれているようだ。
「そんなに酔って、大丈夫です?」
「ううむ。いい気分だ。問題ないぞぉ」
「体調のことを聞いたんですけど、まぁ、問題ないならいいです」
「ヨースケ、まだ起きているかね?」
ゆらゆらと揺れながら、今にも寝床につきそうな姿勢でジルバさんは問うてきた。
「ええ、まだ起きていられそうです」
「ふむふうむ、それはえらいことだ。ちょいと待っちぇなさい」
甘噛みしながらジルバさんは自分の大きな荷物の山を漁りはじめた。酔っ払いの予測できない行動をちょっと不安混じりに見守っていると、ジルバさんは何かを取り出した。それは木工品のように見えた。それなりの重さがあるらしく、綺麗に焚き火の上を越えて投げ渡された。翼を畳んだ鳥の形を模した工芸品らしいが、奇妙な造形をしている。
「それは職人が奇怪な細工を施して作ったものでな、上手くいじれば分解できるらしいが、ワシには皆目見当もつかぬ代物じゃ。時間を持て余しておるなら、いじっておるがいい」
そう言ってジルバさんは寝床へ静かに滑り込み、しばらくしてからいびきをかきはじめた。酔っ払いの気まぐれもたまにはいいものだなと思いながら、木の鳥と一緒に真夜中を過ごすことにした。
やがて空の隅からこぼれはじめた陽の光が、夜の闇と星の光を塗りつぶしはじめた。僕の経験によれば、たぶん夜明けが近い。相変わらず木の鳥はそのままの姿だった。パズルみたいな木工細工というのはジルバさんの口から出まかせで、実はただの鳥をかたどった木工品という説が僕の中では濃厚になってきていた。
燃料にしていた枝がだいぶ減り、そろそろ探しに行こうかと考えていると、左の草木がそっと一様に音を立てた。ニフが起きたみたいだ。その脚が伸びをしたと思ったら、全身が転がるように木の下から出てきて、すっくと立ち上がる。
「いい朝ねっ、おはよう」
細くしまった体を伸ばしながら辺りの空気を吸い込み、吐き出しながら朝の挨拶をしてくるニフ。
「おはよう。よく寝られた?」
「あなたのおかげでぐっすり、ね」
「よくこんなに早く起きられるね。まだ夜明け前だよ」
「早く寝たなら、早く起きられる。そういうものでしょ? 十分寝たなら、後は活動すればいいじゃない。私より早起きの人なんて探せば幾らでもいるって」
そういえば以前テレビで、夜明け前に起きて準備をする漁師を見たことがある。僕が知らないだけで、早寝早起きしている人なんて山ほどいるのかもしれない。皆さぞ清々しい寝起きなのだろうか、それとも眠気がずっとつきまとっているのだろうか。憂鬱の中で寝起きしている僕には想像もつかない。
「もう私は起きたから、見張り番はいいよ。ありがと、ゆっくり休んでて」
ニフはそう言うと、自分の外套を僕の膝にかけて、露を逃れた枝を探しに森へと入っていく。眠っておけと強く言わない彼女は、僕のことを分かってくれていた。その優しさを純粋に嬉しく思うけれど、そこまで彼女に気を遣わせている自分が恥ずかしくも感じる。
ともあれ、休まなければ今日一日が辛くなるのは分かり切っていた。だから目を閉じるだけでもいい。昨日は色々あって、今日も色々あるだろうけど、とにかく落ち着こう。ニフの外套を少し撫で、彼女がどこかで草を踏み分ける音を聞きながら、目をつむった。
浅い眠りの夢とも、眠れないで膨らんだ妄想とも区別がつかない混濁した意識をさまよった果てに、僕は目を覚ました。陽の光が行き渡りつつある木々の下へ、ちらちらと降りてきた温かい日差しと、夜から変わることのない冷たい空気が、僕のぐちゃぐちゃになった頭の中を徐々にクリアにしていく。この浄化されるような感覚だけが、僕の朝の救いだ。
皆はもう起きていた。ジルバさんが今日もお手製のスープを焚き火の上で作っており、リードは体を起こすように軽い運動をしている。ニフの姿を探していると、高い木から降りてくるところだった。辺りの地形でも確認していたのだろう。
「お、起きたか。おはよう。昨日も見張り番ありがとな」
「丁度いいなヨースケ。スープも煮えてきた頃じゃ」
どのタイミングで挨拶をしようか逡巡していたところで、リードが僕に気づいて挨拶をくれ、ジルバさんは早速僕の器を取り出してくれる。
「あなたが休んでる間も大したことはなかったし、平和な森ね」
ニフがこちらに近づいてきたので、よだれが垂れてないか気になり顔を拭う。そう戸惑っている間に彼女は自分の外套を僕の膝から回収していった。やや遅ればせながら、皆に朝の挨拶をし、ジルバさんからスープとパンを受け取った。僕は今日も無事、夜を乗り越えた。