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愛のかたち  作者: 高山 由宇
第2部
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第1話 はじめての制服

 陽は、この春で十三歳……中学一年生になりました。

「お母さん、リボンが結べない」

 初めての制服に戸惑っているようです。

「これはね、こっちの端をここに通すの」

 お母さんが説明をしながら、手早く結んでくれました。

「なんか、足がすうすうするね」

「陽はズボンばかり履いていたからね。すぐに慣れるわよ」

「うん」

「さあ、早くご飯を食べちゃいなさい」

「はあい」

 そう返事をしながら、陽はブレザーに袖を通したのでした。


「陽、おはよう」

 教室に入ると、真尋ちゃんから声をかけられました。

「真尋ちゃん、おはよう。もしかして、同じクラス?」

「うん、そうみたいだね」

「よかった!」

「今回は、志乃も一緒みたいだよ」

「そうなの? わあ! 幼稚園の頃以来だね!」

 二人が話していると、

「おはよう!」

という声が聞こえてきました。振り返ると、そこには噂の志乃ちゃんが立っていたのですが……。

「志乃ちゃん、おはよう」

「おはよう、志乃」

 久し振りに見る志乃ちゃんは、随分と女の子らしくなっていました。

 さらさらとした艶やかな髪を腰まで伸ばし、それをひとつに結わえています。その結び目を真っ赤なシュシュで飾っていました。

「ねえ、志乃。スカート、短くない?」

 真尋ちゃんの言葉に陽もそちらへと目を向けます。志乃ちゃんのスカートの丈は明らかに膝上でした。下を向いて確認すると、陽のスカートは膝が隠れています。真尋ちゃんのスカートも同様です。

「注文の時に、丈を間違えちゃったのかな」

 陽が口を開くと、真尋ちゃんは呆れたようにため息をつき、また志乃ちゃんはくすくすと笑い出しました。

「ちがうよ、陽ちゃん。これはわざとだよ」

「わざと?」

 首を傾げる陽に、笑いながら志乃ちゃんが教えてくれます。

「短いのが流行りなのよ」

「流行り?」

「そう! 短い方が可愛いでしょ?」

「……ふうん」

 陽は、それに対しては何とも言えず、そう相槌を打つだけにとどめました。

「陽ちゃんは雑誌とか読まないの?」

「……うん」

「でも、もう中学生なんだしさ、流行とか意識した方がいいよ」

「そう、かな?」

「まあ、私服ならいいとは思うけれどね」

 志乃ちゃんの熱の入った言葉に流されかけた時、真尋ちゃんが口を開きました。

「そういうの、改造って言うんだって」

「改造?」

 陽が聞き返すと、真尋ちゃんがこくりとうなずきます。

「本来あるべきでない形に変えるっていうこと」

「それの何がいけないの?」

 志乃ちゃんが尋ねます。

「制服は学校から支給されている物だから。それを勝手に改造したら駄目なんだよ」

「なんで? みんなやっているよ」

「みんなって誰よ」

「それは……。まだ、このクラスにはいないみたいだけれど、でも、これからきっと流行ると思う」

「一部にはね、流行るかもしれない。でも、流行ったからといってやっていいことにはならないよ」

「……わからないなあ。真尋ちゃんって、本当に固いよね。小学生の頃から、ずっと」

「志乃は流され過ぎなんだよ」

「別にいいじゃない」

「口も赤いよ。もしかして、口紅?」

「ちがうよ。これはリップクリーム。リップは薬と同じでしょ? かさかさ予防につけているの。ねえ、陽ちゃんはどう思う?」

「え……」

 突然に話題を振られ、陽は言葉を詰まらせました。その時です。

「あ、チャイムだ」

 始業の鐘が校舎内に響き渡りました。それを合図に、陽たちもそれぞれの席に着きます。

 窓際の席に着いた陽は、そこから真尋ちゃんと志乃ちゃんに目を向けました。

『始まりは、みんな同じ幼稚園だったのになあ』

 陽と真尋ちゃんと志乃ちゃんの三人は、幼稚園の頃は大の仲良しだったのです。

 その頃は、三人の間に大きな違いなどは何もありませんでした。みんながリーダーであり、みんながそれぞれに遊びを提案し、みんながそれぞれにその遊びを支持しました。

 興味を持つことも、大体は一緒だったと思います。

 あの頃は、三人の意見が食い違ったり、衝突するようなことはほとんどなかったのです。

 朝の会が終わると、志乃ちゃんの席に先生が来て何かを話しています。その後、先生が教室を出て行くと、志乃ちゃんもそのあとを追うように出て行きました。

「呼ばれたみたいだね」

 そのうしろ姿を見送ってから、真尋ちゃんが陽の席に来て言います。

「呼ばれたって?」

「たぶん、職員室に連れて行かれたんだよ」

「……注意されているってこと?」

「そうだと思うよ」

「スカートが短いから?」

「まあ、いろいろじゃないかな」

「リップのこととか?」

「それもあると思う」

「でも……志乃ちゃんが言うように、リップクリームは薬用だよね?」

「薬用リップなら、無色無香のものをつければいいんだよ」

 志乃ちゃんが真尋ちゃんに言った「固い」の意味が、この時、陽にもなんとなくわかったような気がしました。

「真尋ちゃんは、おしゃれは良くないって思うの?」

「周りに悪影響を及ぼしたり、風紀を乱すようなものは良くないと思うよ」

「え……風紀……?」

 おしゃれの話からなぜ風紀が乱れるという話になるのか、陽は言葉を詰まらせてしまいました。

「それにね、スカートを短くして色付きリップを塗らないとおしゃれができないわけじゃないでしょう?」

「え……?」

「学生のおしゃれは、染みや皺のないブラウス、糊付けされた襟、(ひだ)のあるスカート、それからきっちりと切りそろえられた爪。それだけで充分でしょ」

 同じ中学一年生とは思えない発想に、

『真尋ちゃんは、やっぱり大人だなあ』

と、陽は改めてそう思うのでした。

 一時間目が始まる少し前、志乃ちゃんが教室に戻って来ました。

『あ……』

 陽は、志乃ちゃんの服装の違和感にすぐに気づきます。まず、頭の上の赤いシュシュが取り払われていました。それから、スカートの丈も膝下になり、赤いリップクリームもすっかり拭き取られているようでした。

 そうして、腑に落ちない表情の志乃ちゃんは、腑に落ちない態度のままに席に着いたのです。


 陽のクラスには、如月(きさらぎ)蓮音(れおん)君という男子生徒がいました。

 多くの生徒と同じように、彼も陽と同じ小学校からこの中学校に上がってきたのでした。けれども、陽は蓮音君と同じクラスになったことはありません。ただ、彼のことは知っていました。

 蓮音君は、小学生の頃から勉強がよくできました。スポーツも万能でした。休み時間に、男の子たちとサッカーやドッヂボールをする彼の姿を目にしたことがあります。

 彼に対する噂はすべて良いもので、誰かが彼の悪口を言っているところを見たことがありません。先生からも生徒からも信頼を寄せられている、優等生の中の優等生が蓮音君だったのです。

 そんな蓮音君は、当然のように、陽のクラスの学級委員長となりました。学級委員長は男女から一人ずつ選ばれます。女子からは真尋ちゃんが選ばれたのでした。

 蓮音君は、学級委員長だけでなく、一年生にして生徒会役員としての活動も行っていました。それでいて、成績は常に上位で、休み時間にはクラスメイトの勉強を見てあげたりしていました。物腰も柔らかく、決して偉ぶることのない彼は、男女ともにたいへん人気があったのです。

「蓮音君って、モテそうだよね」

 そんな話になったのは、志乃ちゃんと一緒に掃除当番になった時のことです。

 けれども、そもそも陽と志乃ちゃんとは班が違います。それなのに、なぜ一緒に掃除当番をしているかと言えば、志乃ちゃんがまたしてもスカート丈を短くして登校して来たからです。

「あれぐらい、いいじゃん。木下のヤツ、本当に目敏いんだから」

 「木下」とは、生活指導の先生の名前です。

 志乃ちゃんはだいぶ腑に落ちないような雰囲気でしたが、先生の悪口をひとしきり言ったあとで、ころっと、先生のことなど何でもなかったかのように、次の話題を蓮音君のことに向けたのです。

 「もうちょっとカッコよければなあ」という志乃ちゃんの発言に対して、「モテそうだよね」と陽が答えたのですが……。

「ええ? でも、蓮音君って地味じゃない?」

 志乃ちゃんが驚いたように言いました。

 この時、陽と志乃ちゃんは、二人でゴミ箱を持ってゴミ捨て場を目指していました。

 この日は数学の抜き打ちテストがあったこともあり、勉強のできる蓮音君の名前が話題に上がったのです。

「地味? そうかな。志乃ちゃんは派手なのがいいの?」

「地味よりはね」

「でも、蓮音君って地味かな。勉強もスポーツもできるし」

「ああ、確かにそこはスペック高いよね」

「……スペック?」

「そうそう。でも、ほら、顔は地味系じゃない?」

「……どうかな。私にはよくわからないよ」

「私はねえ、もっとやんちゃな感じが好きなんだよねえ」

「……ふうん」

「もしかして、陽ちゃんって蓮音君みたいのが好きだったりするの?」

「え! それは……考えたことないよ」

 陽は言葉を濁してうつむきました。

「ねえ、蓮音君じゃないにしても、陽ちゃんって好きな人はいないの?」

「うん……いないよ」

「そうなんだあ」

「志乃ちゃんはいるの?」

「いないよ」

「そっかあ」

「でも、作るよ!」

「……え? 好きな人を?」

「うん。それで、その人と付き合うの!」

「え、付き合うの?」

「うん。それが中学での目標よ!」

「中学で……? 早くない?」

「早くないよお。もう中学生なんだから。普通だよ」

「……へえ」

「それでね、早く結婚して、さっさと家を出てやるの」

 その言葉に、陽は思わず足を止めました。

「……っちょっと!」

 陽が止まったことでバランスを崩したらしい志乃ちゃんから抗議の声が上がります。

「もう、急に止まらないでよ!」

「……ごめん。でも、志乃ちゃん……」

「なに?」

「だって、それ、どういうこと?」

「ああ、別に……家にいたくないだけ」

「どうして?」

「嫌いなの」

「家が?」

「あいつが!」

「え、誰?」

「あいつ! ……父親だよ!」

「……お父さん?」

「そう!」

「なんで?」

 今度は、志乃ちゃんの足が止まりました。陽もそれに合わせて立ち止まります。うつむいている志乃ちゃんの表情は、長い前髪に隠れて読めません。ですが、ぎりりと歯を食いしばっているのだけは見て取れました。

「ねえ、陽ちゃん」

 ふいに志乃ちゃんが顔を上げました。そして、言います。

「不倫って、知っている?」

 ぽかんとした表情の陽に、志乃ちゃんは再度尋ねました。

「ねえ、知っている?」

「えっと、ごめん。わからない」

 陽が首を振って答えると、志乃ちゃんは、

「だよね。陽ちゃんは、知らないよねえ」

 そう言って再び歩き出しました。陽もそれについて行きます。

「ねえ、志乃ちゃん。それ、どういう意味?」

「不倫?」

「うん」

「自分の奥さん以外の女の人と仲良くすることだよ」

「それが、そんなにいけないことなの?」

「だめだよ、絶対! 社会的に、絶対にしたらいけないことだよ。法律違反だから」

「え、法律……っ?」

「そうだよ。だから、絶対にやったらいけないの」

「そうなんだ……」

「あのね、陽ちゃん」

「うん?」

「誰にも内緒って誓える?」

「……」

「真尋ちゃんにも、陽ちゃんのお母さんにも」

「お母さんにも?」

「そう」

「……何を?」

「今から言うことを、だよ」

「うん。……わかった」

「あのね」

「……うん」

「うちの父親さ、不倫しているんだよね」

 そう言って振り向いた志乃ちゃんの口元には、歪な笑みが浮かんでいたのです。

「え……」

 この時、陽にはぼんやりと見えた気がしました。

 志乃ちゃんの表情と同じぐらいに歪んだ、志乃ちゃんの周りを取り巻く空気の存在を……。

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