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愛のかたち  作者: 高山 由宇
第1部
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第3話 はじめての喧嘩とはじめての仲直り

(はる)、何をしているの?」

 忙しなく動きながら、お母さんが焦りと憤りのこもった声で尋ねます。お母さんの視線の先には、床に座り込み、用意された洋服とにらめっこをしている陽の姿がありました。

「早く着替えなさい。学校に遅れちゃうでしょう?」

「うん……」

 とりあえず返事をするのですが、まったく動こうとしない陽に、お母さんの口からは思わずため息がこぼれます。

「もう、どうしたの? 昨日は元気に学校に行ったのに」

 お母さんは陽の両脇をつかんで立たせると、陽の着ているパジャマを脱がせました。

「何か嫌なことでもあったの?」

 うつむいたまま無言の陽に、お母さんは洋服を着せていきます。

「お友達と喧嘩でもしたの?」

 びくりと、陽の体が震えました。

「陽。喧嘩をした時にはね、ごめんなさいと謝るのよ」

「……」

「たとえ陽が悪くなかったとしても、謝るの。そうしたらね、きっと仲直りができるから」

「……てない」

 聞き取れず、お母さんが聞き返そうとした時、

「ケンカなんかしていない!」

 陽は、目尻に涙を溜めながらそう叫ぶと、ランドセルを乱暴につかみ、飛び出すように家を出て行きました。

 その姿に唖然とするお母さん。お母さんは、これまで、陽のあんな大きな声を聞いたことがありません。

「陽……いったい、何があったの……?」

 そう問いかけるものの、答えてくれる人はそこにはいません。

 陽が帰ったら、しっかりと話を聞いてあげよう。そう思いながら、陽の脱いだパジャマをたたみはじめたのでした。


 とうとう、小学校の正門が見えてきました。

 陽は、うつむきながら、いつもよりもゆっくりとした足取りで歩いていました。時に立ち止まり、時に引き返し、それでも学校へは何が何でも行かなければならないという強い思いを胸に、一歩一歩、踏みしめるような思いで歩を進めてきたのです。

「ケンカ、なんか、していない……」

 先程、お母さんに言ったことを思い出していました。

「あたしは、わるくなく、なんか、ない」

 友達と喧嘩をしたなら、たとえ自分が悪くなくても謝りなさいとお母さんは言いました。ですが、昨日のことを思い返してみますと、陽は美菜子ちゃんと喧嘩をした覚えはありません。美菜子ちゃんと別れる時は確かに二人とも笑顔だったのです。

 だから、それはこれからなのです。

 これから、陽は美菜子ちゃんと喧嘩をすることになるでしょう。昨日のことを考えれば、当然のことです。それは、陽にもよくわかっていました。

「ケンカじゃ、ない」

 陽はつぶやきます。

「だって……わるいのは、あたしだもん……」

 最後の言葉は涙声になっていました。

 陽にとって、喧嘩とはどちらもが自分が正しいと思っていることだと、なんとなくそう思っていたのです。ですから、片方が一方的に悪い場合は喧嘩にはなりえないのだと思ったのでした。

 今回の、陽と美菜子ちゃんのように。

「やくそくをやぶったの、あたしだもん」

 学校に行けば、きっと美菜子ちゃんと顔を合わせることになるでしょう。席だって近いし、嫌でも視界に入ってくるはずです。

 その時に、美菜子ちゃんはどういう反応をするのでしょうか。怒るでしょうか。睨むでしょうか。それとも、無視をするのでしょうか。

 望遠鏡がなくても怒り心頭の美菜子ちゃんの顔が見えるようで、陽は家を出て以降、歩いては立ち止まり、立ち止まっては歩き出すということを繰り返していたのでした。

 そして、ついに、小学校の正門まで辿り着いたのです。

 門を見ると、より一層歩く速度が落ちました。それでも、ここまで来たからには門をくぐらなければなりません。意を決して門へと近づいた時、この時間はまだ閉まっている「わたぬき」の店の前に、黄色い帽子を被った一人の女の子の姿を見かけました。

「あ……」

 思わず声を出しますと、女の子がこちらを振り向くのが見えます。それは、美菜子ちゃんでした。

「み……」

 美菜子ちゃん、と声をかけようとしたのですが、

「ふんっ」

と、盛大に首を振った美菜子ちゃんは、陽と目を合わせないようにしながら小走りで校舎の方へと向かって行ってしまいました。

 あまりの衝撃に、うつむきながらはらはらと涙を流す陽を、登校中の生徒たちが奇異の目で眺めていきます。

「どうしたの?」

 声をかけてくれたのは、正門の前で登校する生徒たちを見ていた女性の先生です。

「えっと……あなたは、一ノ瀬陽ちゃん、ね?」

 先生は、名札を見ながら尋ねました。

「一年三組なら、山本先生のクラスね」

 陽は何も答えません。ただ、次から次へと涙が溢れては頬を濡らしていきました。

「陽ちゃん、待ってて。今ね、山本先生を呼んであげるから」

 先生が携帯電話を取り出しました。けれども陽は、先生のことなど見えていないかのように、うつむきながら門をくぐります。

「陽ちゃん?」

 先生が慌てたような声を上げました。その声をぼんやりと背中に感じながら、陽はとぼとぼと歩いて行ったのでした。


「おはよう、はるちゃん」

 教室に入ると、クラスメイトの女の子が声をかけてくれました。

「……おはよう」

「あれ? はるちゃん、ないたの?」

 その声に、みんなが一斉に陽の方を向きます。そんな視線から逃れたくて、陽は急いで席に着くと机に顔を伏せました。

 しばらくして、腕を少しずらし、その隙間からちらりと外をのぞき見ます。

 ふたつ隣の席には、美菜子ちゃんが座っていました。まだ先生も来ていないのに、ただ真正面だけを見つめて座っています。その横顔は、口をへの字に曲げており、明らかに怒っている様子でした。そんな美菜子ちゃんの姿に再び涙が込み上げてきそうになりましたが、そこはなんとか堪えます。

『もう、みなこちゃんとあそべないのかな……』

 そんなのはいやだなと思っていると、教室の戸が開いて玲先生が入ってきました。そして、いつものように「朝の会」が始まったのです。


「どうしたの? 陽ちゃん」

 家に帰って来ても元気がないままの陽に、お母さんが声をかけます。

「ほら、陽ちゃん。今日のおやつはね、パンケーキよ。陽ちゃん、パンケーキ大好きでしょう?」

 陽は、お母さんにもパンケーキにも目をくれず、ランドセルを背負ったままリビングの床に座り込みました。相変わらず暗い表情を浮かべる陽を前に、お母さんも膝を着くと目線を陽の位置に合わせます。

「学校で、何かあったの?」

 優しく尋ねるお母さん。その声に少し安心した陽は、固く閉ざされていた唇をそっと開きました。

「あのね……」

 そうして、陽は昨日の出来事を語って聞かせたのです。

「それは、陽がいけなかったわね」

 陽の話を聞き終えると、お母さんは言いました。

「約束を破ったのだもの。美菜子ちゃんが怒るのも仕方ないわ」

「……」

「でも、それならどうして、約束していることを言わなかったの?」

 まっすぐに見つめてくるお母さんに、陽は驚いたように顔を上げました。そんな陽を見て、お母さんも驚いています。そして、陽の大きな瞳からは、またも涙が溢れ落ちました。

「陽……?」

 これが、「悲しい」ということなのでしょうか?

 けれども、陽には違うもののように思えました。

「いったよ!」

 泣きながら叫ぶ陽に、お母さんは目を見開きます。

「いったもん! みなこちゃんとやくそくしているって……」

「え……言った?」

「いった!」

「そうなの? ごめんね、陽ちゃん。お母さんは、それは聞いていなかったわ」

 ぐずぐずと泣き続ける陽を前に、少しばかり頭をひねって考えていたお母さんが、

「そうだわ!」

 突然声を上げました。その声の大きさに、陽は泣くのをやめてお母さんを見つめます。

「陽ちゃん。お母さんと一緒にお菓子を作りましょう」

「……おかし?」

「そう、お菓子。何がいいかしら?」

「おかし、つくってどうするの?」

「美菜子ちゃんにあげるのよ」

「みなこちゃんに?」

 そこで、陽にもお母さんが言いたいことがようやくわかりました。

「みなこちゃんと、なかなおりできる?」

「きっとできるわ」

「じゃ、じゃあね、パンケーキ!」

「パンケーキ? そうね……もうちょっと、持って行きやすものにしたらどう?」

「んとね……」

「クッキーは?」

「あ、クッキー!」

「陽、クッキー好きだものね」

「うん! クッキー、あたしにも作れる?」

「ええ、作れるわよ。お母さんと一緒に作りましょう」

「うん!」

 すっかり元気になった陽は、おやつを食べると、早速お母さんと一緒にお菓子作りに取りかかりました。

「あ、バターとけているよ?」

 キッチンに入ってすぐ、皿に置かれたバターに目がいきました。いつもはかちこちに固い角が、今は丸くなっています。

「陽ちゃんがおやつを食べている間にね、冷蔵庫から出しておいたのよ。この方が早く混ざるからね」

 そう言いながら、お母さんは手を洗うと、ボウルを出しました。

「さあ、陽ちゃんも手を洗って」

 その言葉に、陽は素直に従います。

「この中に、この皿の中のものを入れてちょうだい。ところで陽ちゃん、この中身が何かわかる?」

 突然の質問に、陽は右手と左手に持っていたふたつの小皿を見比べます。

「バター」

「そうね。ひとつはバターで正解よ。もうひとつは?」

「……なんか、しろいもの……」

「これが入るとね、お菓子が甘くなるのよ」

「あまく……? あ、わかった! さとうだ!」

「正解」

 お母さんが笑うので、陽も嬉しくなって笑いました。それから、言われたようにバターと砂糖をボウルの中に入れます。それをお母さんが混ぜてくれました。途中で卵を入れたり、白い粉を加えたりして、休むことなく混ぜ続けます。そうして、ボウルの中身がどろどろになってきた時、お母さんの手が止まりました。

「それじゃあ、ラップをかけて」

「ラップ? ここに?」

「そうよ。それでね、これを少しの間お昼寝させるの」

「え、ねちゃうの?」

「そう。今、いろんなものを混ぜたでしょう? 砂糖とかバターとか卵とかね」

「うん」

「突然一緒にされちゃって、まだ仲良くなれていないのよ。一緒にお昼寝させておくとね、起きた頃にはみんな仲良くなっているの。それでね、美味しくなろうという気持ちでひとつになれるのよ」

 そんな話を聞きながら、陽は「おやすみなさい」とつぶやくと、ボウルにラップをかけました。それを、お母さんが冷蔵庫へと入れます。

「それじゃあ、陽もおやすみなさいしようか」

「うん……」

 うなずいた陽ですが、はたと気になって尋ねます。

「ねえ、どれくらいおやすみなさいしているの?」

「クッキーはね、三十分くらいかなあ」

「さんじゅっぷん?」

「陽のお昼寝時間は、クッキーの四回分ね」

「え……なら、ねない」

「別にいいのよ。クッキーだって、もう少しお寝坊させておいても」

「ううん。ねない」

「そう? なら、テレビでも観て待っていましょうか」

 そうして三十分後、冷蔵庫から取り出したボウルの中の生地をのばし、そこに型抜きを当ててクッキーの形を作ります。それは、陽の仕事です。陽は、お母さんの見本に従い、スタンプ感覚でハート型や星型の型抜きを生地に当てていきました。そして、それらを温めていたオーブンに入れて焼きます。

「うわあ」

 陽は、焼かれていくハートや星たちを、目を輝かせて見つめています。

「陽、あんまり近づかないでね」

「うん!」

 間もなく、いい匂いが漂ってきました。

「できた?」

「まだよ」

 お母さんが苦笑して言います。そんな問答が何回か続き、生地をオーブンに入れてから二十分後、

「もうよさそうね」

 お母さんがオーブンの蓋を開けました。中からは、こんがりと狐色になったクッキーたちが顔をのぞかせています。

 はしゃぐ陽の横で、お母さんはクッキーを皿に乗せるとラップをしました。

「どうして? みなこちゃんにあげるんでしょ?」

「もちろんよ。少し冷ましたらね、綺麗にラッピングしましょう」

「さましてからなの?」

「熱いうちに包んでしまうとね、食べ物が傷みやすくなってしまうのよ。だから冷ますの」

「ふうん」

 再びお昼寝をさせられているクッキーを見つめている陽に、お母さんが小皿を差し出しました。

「あ!」

 それを見た陽は、明るい声を上げます。お母さんが手にした小皿には、ハート型と星型のクッキーが乗せられていたのです。

「さっきパンケーキは食べたけれど、今日だけは特別ね」

 この日二回目のおやつに、陽はご機嫌で星型のクッキーを頬張ったのでした。


「み、みなこちゃん」

 翌日、昼休みの時間に、陽は紙袋を片手に美菜子ちゃんの席まで行きました。

「みなこちゃん、あのね……」

 言いかけた時、美菜子ちゃんはがたりと席を立ちます。そして、そのまま、陽と目を合わせることなく教室を出て行ってしまいました。

「みなこちゃん……!」

 陽の呼びかけにも止まる気配はありません。陽はまたも打ちのめされそうになりましたが、歯を食いしばって美菜子ちゃんのあとを追いかけます。それは、出かける時にお母さんから言われていたからです。「ちゃんと向き合って心から謝りなさい」と。そうすれば美菜子ちゃんも許してくれるからと、そう言われていたのです。

「あやまらないと」

 陽はその一心で美菜子ちゃんのあとを追いました。

「みなこちゃん!」

 階段の方へ廊下を曲がった美菜子ちゃんの後ろ姿を見た陽は、走る速度を速めました。美菜子ちゃんを追って階段の前に出た時、驚いて足を止めます。突然止まろうとしたので、バランスを崩し、陽は尻もちを着いてしまいました。

「ろうか、はしったらいけないんだよ」

 階段の前で立ち止まった美菜子ちゃんが、そう言って冷たい視線を投げてきました。

「う、うん」

 陽は、痛さに顔を歪めながら、なんとか立ち上がります。この時ばかりは泣くのを堪えました。

「まって!」

 その後、何も言わずに階段を上ろうとする美菜子ちゃんを呼び止めます。

「こ、これ!」

 立ち止まった美菜子ちゃんは、陽の差し出した紙袋を不思議そうに見つめていました。

「みなこちゃん、ごめんね。やくそくやぶっちゃって」

「……」

「あたしね、おかあさんにいったの。でも、だめっていわれた。みなこちゃんのおかあさんがだめなら、おかあさんもだめなんだって」

「……」

「あたし、それをいおうとおもってね、みなこちゃんのところにいこうとしたの。でも、もうおそいから、それもだめだって……」

「……」

「みなこちゃん……」

「これ、なに?」

 陽の話を黙って聞いていた美菜子ちゃんが、陽から渡された紙袋をがさごそと開けています。そして、その中に隠された、綺麗なラッピングを施された物を見つけたのです。

「それね、クッキー。きのう、おかあさんとつくったの」

「……たべものをもってきたら、いけないんだよ」

 また怒らせたろうかと肩を落とす陽の前で、美菜子ちゃんはラッピングを外すと、クッキーを一枚取り出しました。ハート型のクッキーです。美菜子ちゃんがそれを口に運ぶと、さくっと小気味よい音が聞こえてきます。

「……たべちゃった」

「……おいしい?」

「うん」

「みなこちゃん、ごめんなさい」

「うん」

「また、あそんでくれる?」

「うん」

 ほっとしたのでしょうか。

 今日、これまでずっと堪えていた涙が、陽も知らない間に溢れて頬を濡らしていきました。

「どうしたの?」

 美菜子ちゃんが驚いて尋ねます。

「わかんない」

 そう言いながら泣き続ける陽の頭を、美菜子ちゃんが優しく撫でてくれました。

 そんな美菜子ちゃんの手の温もりを感じながら陽が笑うと、美菜子ちゃんもにこりと笑います。

 こうして、実に二日ぶりに、二人は笑い合うことができたのでした。

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