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愛のかたち  作者: 高山 由宇
第2部
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第7話 思い出のプラタナス

「……座ったら?」

 ずっと立ちっぱなしだった陽に、由梨ちゃんのお母さんは上がり(かまち)を指し示しました。陽は、それに従い腰を下ろします。

「昔ね、私も思っていたのよ。あなたと同じようなこと」

「え……?」

「どうして勉強をしないといけないの? 周りは友達と遊んでいるのに。教養って何? そんなに大切なの? お金があったら本当に幸せになれるの? ……てね」

「……」

「私の母もね、医者だったのよ。だからなのか、私は幼い頃から医者になることを期待されていたわ。もうね、その道しか選ぶことができなかったの。そのために、たくさん本を読んだし、勉強もさせられた。でもね、私……勉強は嫌いだったの。由梨と同じぐらい、苦手だった」

 それは、意外な一面でした。陽には、由梨ちゃんのお母さんは、どんなこともそつなくこなす人のように見えていたからです。

「どうしてお金持ちにならなければ良いのかもわからず、母の言う通りの道を歩いて来たわ。お金持ちになった先には一体何があるのか、ずっと疑問だった。それがわかったのはね、医者として、患者さんたちの病気を治してあげられた時なの」

「……どうして?」

「病気が治った患者さんたちは、みんな感謝してくれた。みんな、喜んでくれた。私の知識や技術が、誰かを幸せにできたんだって思えたから。初めこそ母に言われて始めたことではあったけれど、私はね、私の持っている知識や技術、それからお金は、人のためにこそ使おうと、その時に決意したの。人の役に立つ人生を歩みたいと思ったの」

「……」

「……そう、思っていたのよ。本当はね」

「今は、違うんですか?」

「今は、人のためよりも、娘たちの教育を優先させているかしらね」

「……」

「あなたの言う通りかもしれないわね」

「え……」

「あの子に……由梨の姉に、友達がいるのかと聞いたでしょう?」

「……はい」

「いないのよ、実際ね。私が、周りの子と遊ぶことをことごとく禁止してしまったから。大学生になった今も、人との付き合い方がわからないの」

「……」

「それに、教養もね……。あるとは言えないわ。もしかしたら、それに関してはあなたの方があるのかも」

「え……?」

「もちろん、まだまだ完成されてはいないけれどね」

「私は、勉強だってそんなに得意じゃありません。それなら、由梨ちゃんの方がよっぽど……」

「教養を得るために必要なのは勉強だけじゃないのよ。教養がある人というのはね、心が豊かであるということだから。自分のことだけに構っているような人は、しばしば他人(ひと)を思いやることを忘れてしまう。誰かのために心を砕き、誰かのために動ける人というのは、教養を得るための素質を持った人なのだと思うわ。……あなたも、ね」

 最後の一言に違和感を覚えた陽が顔を上げると、由梨ちゃんのお母さんは玄関の扉を見つめていました。少し、笑っているようです。

 陽もそちらに目を向けると、扉の曇りガラスの向こうに、ゆらゆらと動く影を見ました。

「あ……」

 思わず声をもらします。由梨ちゃんのお母さんとの話に夢中になっていて、ひかるちゃんの存在をすっかりと忘れてしまっていたのでした。

「お入りなさい」

 声がかかった瞬間、勢いよく扉が開かれました。

「由梨……じゃない、由梨ちゃんの友達の桐生ひかる、です! おばさ……、じゃなくて、由梨ちゃんのお母さん、今日は、生意気を言ってごめん! ……えっと、すみません、でした!」

 もっとおずおずとした感じでやってくるのかと思っていだけに、あまりに元気のよい登場に目をぱちくりとさせていると、隣から笑い声が上がりました。由梨ちゃんのお母さんが声を上げて笑っています。それからほどなく、二階の扉が開きました。

「……ひかる? あ、一ノ瀬さんも……?」

 由梨ちゃんが、ほのかに赤く染まった目元をぬぐいながら顔を出しました。

「由梨。お客さんですよ」

「え……?」

「お友達なのでしょう?」

「お母さん……」

「もう遅いから、あまり長く話してはいけませんよ。話し終えたなら、車で送って行ってあげますよ」

「あ、私は自転車なので……」

 陽がそう言うと、

「そう。なら、ひかるちゃんは送って行ってあげるわね」

 由梨ちゃんのお母さんはにこりと笑うと、三人を残して奥の扉へと入って行きました。

 その後、三人で少しだけお話をしたあと、ひかるちゃんと由梨ちゃんは、由梨ちゃんのお母さんの車でひかるちゃんの家を目指します。

 それを見届けた陽は、ふと空を仰ぎました。星が瞬いています。辺りは、いつの間にかすっかり暗くなっていました。

 そんな中、街灯の明かりを頼りに、陽は一人自転車をこいで家路を急いだのでした。


「はい、これ。あまり使い過ぎてはだめよ」

 そう忠告されながら渡されたのは、スマートフォンです。

「わあ! お母さん、ありがとう」

「もう、今年から高校生だものね。電車にも乗らないといけないし、連絡が取れた方がお母さんも安心だから。失くさないようにね」

「うん!」

「それじゃあ、行ってらっしゃい」

 見送られながら、陽は自転車に跨りました。

 陽は、この春、中学校を卒業し、もうじき隣の市の高校に通う予定です。それまでの間に、陽にはやっておきたいことがありました。それは、もう一度美菜子ちゃんに会って、しっかりとお話をすることです。

 美菜子ちゃんとは中学校が違ってしまいましたが、時々家に電話をかけてお話をすることはありました。それから、少し前には、本屋さんで偶然の再会を果たしたばかりでもありました。その時に、「中学を卒業したら卒業旅行に行きたいね」という話をしていたのです。

 卒業旅行と言っても、中学生が二人で行けるところなど限られています。先日、電話でどこに行きたいかを美菜子ちゃんに尋ねたところ、「当日に話す」と返されてしまいました。

『それって、すぐに行けるような近場ってことかな』

 そう思いながらペダルをこいでいると、前方に美菜子ちゃんの姿が見えてきました。美菜子ちゃんが手を振っています。陽も、軽く手を上げて答えました。

 美菜子ちゃんが待っていたのは、懐かしい「わたぬき」の前です。自転車から降りた陽は、

「美菜子ちゃん、元気だった?」

と尋ねました。美菜子ちゃんはこくりとうなずくと、

「うん! 陽ちゃんは?」

と尋ね返します。

「元気だよ」

 陽は笑顔で答えました。美菜子ちゃんも穏やかに笑っています。

『すっかり元気になったんだね』

 陽は、三年前の美菜子ちゃんを思い返しました。あの頃は、何と声をかけたら良いのかわからないぐらい、本当にひどい状況でした。それが、今では、かつての明るさを取り戻したかのように、陽の前でにこにこと笑っているのです。

 そんな美菜子ちゃんの腕には、陽があげた天然石のブレスレットがしっかりとつけられています。そしてそれは、もちろん、陽の腕にもありました。

「持っていてくれたんだね」

 陽がブレスレットをかざして言うと、

「当たり前でしょ」

 美菜子ちゃんも、天高く腕を上げて言いました。

「ねえ、美菜子ちゃん。これからどこに行くの? 美菜子ちゃんの行きたい所ってどこ?」

 そう陽が尋ねると、

「あ、うん。ここだよ」

 美菜子ちゃんはこともなげに答えました。

「え……?」

 陽が驚きの声を上げたのも仕方がないのかもしれません。

 なぜなら、美菜子ちゃんが指し示したのは、「わたぬき」の隣にある建物……かつて、陽と美菜子ちゃんが通った小学校だったのですから。

「ここ?」

「そう」

「……小学校?」

「そうだよ」

「……ふうん」

 腑に落ちない表情の陽が可笑しかったのか、美菜子ちゃんは吹き出しました。

「私ね、高校生になる前に、もう一度ここに来たかったの。陽ちゃんと一緒にね」

「そうなの?」

「うん。だって私……あの時、陽ちゃんとちゃんとお別れできなかったから」

 それは、きっと小学校の卒業式の日のことを言っているのでしょう。美菜子ちゃんは懐かしそうに語りながら、校門をくぐり、誰もいない広々とした校庭を歩いて行きます。

「私ね、陽ちゃんがいなかったら、小学校を中退していたかもしれないわ」

「そんな、まさかあ」

 陽が笑うと、美菜子ちゃんも笑います。

「そうだね、中退はないかも。でも、転校はしていたかもしれないよ」

「……そうかなあ」

「陽ちゃんが変わらず話しかけてくれたからね、私は休まず学校に行けたんだよ」

「そう?」

「だから、私は小学校が嫌いになれなかったの。……何があっても」

「……」

「全部、陽ちゃんのおかげなのよ」

「そっか」

「うん」

 そして、

「ありがとね」

 ぼそっとつぶやかれた言葉が、春風に乗って陽の耳に届きます。

「あ、そうだ!」

 照れくさい気持ちを隠すように、陽はより一層はしゃいだ声を上げました。

「私ね、スマホを買ってもらったの」

 真新しいミントグリーンのスマートフォンを見せながら言います。

「ねえ、これからは私の番号に電話してよ。それから、美菜子ちゃんがスマホ買ってもらったら、メールしよう。美菜子ちゃんもスマホを持たせてもらえるんでしょう?」

「うん。高校生になったら買ってくれるって言っていたから、たぶんそろそろだと思うよ」

「なら、これ。私のアドレスと番号ね。買ってもらったら連絡して」

「わかった」

「ねえ、美菜子ちゃん。高校生になっても、会おうね。また一緒に遊ぼうよ」

「あ、それなんだけどね」

 それまで、小学校の象徴ともいえるプラタナスの木を見上げていた美菜子ちゃんが、くるりとこちらに振り向くなり言いました。

「一緒に登校しようよ」

 思いも寄らぬ提案に、陽は目を見開きます。

「だって、私も陽ちゃんも、隣の市の高校でしょう? 同じ電車で行けるじゃない」

「そう、だね」

「え、嫌?」

「嫌なわけないよ! びっくりしたの。そう言えばそうだよね。そのことに全然気がつかなかった!」

「それじゃあ、決まりね。毎朝、駅で待ち合わせするの」

「わかった。じゃあ、早速時刻表を見て待ち合わせ時間を決めようよ」

「え、今から? なら、駅に行く?」

「行かなくて大丈夫! ほら、スマホがあるから」

「あ、そっかあ。便利だね、これ」

「えっと、私は確か、八時半までに登校しないといけないの」

「私もそうだよ」

「学校までどれぐらいかかるのかなあ。そこから調べないとね」

 陽と美菜子ちゃんは、その場に座り込み、プラタナスの太い幹に背を預けました。そして、陽のスマートフォンを二人でのぞき込みながら話し合っています。

 これからの高校三年間を、毎朝一緒に登校できるという喜びに、その目をきらきらと輝かせながら――。

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