小さな女の子と片翼の紳士
風が吹いています。
ぽやぽやとした風が、川原に群れるタネツケバナを揺らしました。
穏やかな風に吹かれながら、あちらこちらと首を傾げているタネツケバナたち。その姿は、まるで何かに困っているかのようでした。
よく見ると、吹かれて揺れる白い花の中に女の子がいました。
小さな女の子です。
女の子は、目も鼻も頬も、顔中を真っ赤に染めながら泣いていました。
辺りには誰もいません。女の子の泣き声を聞いているのは、タネツケバナたちだけでした。
その時、なかなかやまない女の子の泣き声が、ぴたりとやみました。
きっかけを与えたのは、どこからか降ってきた羽です。それは、大きな羽でした。羽というよりも、翼といった方がよいかもしれません。ただ、その翼は片方だけでした。
片翼が、女の子の上に降ってきたのです。女の子の姿は、純白の翼に覆い隠されてしまいました。
「なに、これ?」
女の子は、驚きながらも、自分に伸しかかる翼をひょいと片手でどかします。
「うわあ、おおきい」
見たことのない不思議なものを前に、先程まで泣いていたことなどすっかり忘れてはしゃいでいます。
「ふわふわだあ」
女の子の言う通り、手を離せばすぐさまそよ風に攫われてしまいそうになるほどに、それはとても軽いものでした。
しばらくの間、女の子が翼と遊んでいますと、
「ああ、こんなところにあった」
と声が聞こえました。
「だあれ?」
翼に抱きつきながら女の子が尋ねます。
「私は、君の腕の中のものの持ち主だよ」
そう答える人物をまじまじと見つめますと、確かにその人には大きな翼が生えているようでした。
――右肩にだけ。
「これ、おじさんの?」
「おじさん」と言いましたが、まるで逆光の中にいるかのように輝くその姿を、女の子が正確にとらえていたかはわかりません。それでも、片翼の紳士は女の子の言葉に気を悪くするふうでもなく、笑って言いました。
「そうだよ」
「おじさんって、てんし、なの?」
女の子の問いに、
「ああ」
紳士が答えます。
「ほんとうに?」
「本当だとも」
「そうなんだあ。それじゃあ、これはたいせつなものなのね」
「そうだね。それがないと、私は天国へ還れないのだよ」
「そうなの? それは、かわいそうね」
女の子は、紳士に翼を手渡しました。
「君は、優しい子だね」
名残惜しそうに翼を見つめる女の子。紳士は、再びそれを女の子に渡して言いました。
「この子に必要なものとなれ」
手を翳してそう唱えると、羽は望遠鏡へと姿を変えます。
それは長く、本当に長くて、レンズの先が見えないほどの長さを持った望遠鏡でした。それにも関わらず、その望遠鏡は軽く、まるで紳士の羽のような軽やかさだったのです。
「なるほど。君は知る必要があるようだね」
「……なにを?」
「いろんなことを」
「いろんな、こと?」
「そう。この望遠鏡が、その手助けをしてくれることだろう」
「え、でも、それじゃあ、おじさんはてんごくにかえれないでしょ?」
「ああ、いいんだよ。私は、地上でやり残していたことがあったんだ。それを、今、思い出した」
「ふうん」
「君が成長して、それがもう必要でなくなった時に返してもらいにくる。これは、私の翼を拾ってくれたお礼だよ」
そう言うと、片翼の紳士は光の中に消えていきました。それを見つめる女の子の手の中には、雲を突き抜けるほどに長い望遠鏡だけが残されていたのでした。