9.美人か否か、それが一番重要なんだ
「うぅ。まさかあのタイミングで見失っちゃうなんて……」
保健室へ向かうアカネの足取りは重たい。
啖呵を切って保健室から飛び出してきたにも関わらず、クララを取り逃がしてしまったのだから無理もないだろう。
ユーリに好き放題文句を言われることを想像すると、今から憂鬱で仕方がない。
「あー……戻ったわよー……って、ユーリ? ……?」
しかし、アカネが保健室に戻ってきた時、そこにはユーリの姿がなかった。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、もう大丈夫かな……?」
校舎の屋上。基本的に生徒の立ち入りが禁止されている場所に、クララは居た。
だが、アカネから逃げ切ったにも関わらず、その表情は優れない。
「なんで、バレちゃったのかなぁ」
屋上のフェンスにもたれかかりながら制服の袖を捲ると、そこには痛々しい青痣が浮かんでいる。
今日、保健室に行ったのはあくまで怪我した小鳥の治療を頼むため。
確かにユーリの回復魔法は凄かった。僅かだが、小鳥のことを羨ましく思った自分がいるのも事実だ。
しかし、それでも治療を頼むことはしなかった。怪我していることを悟られないように気を付けてさえいた。
なのに、ユーリは一体どうして怪我のことに気付けたのだろう。回復術士の勘、というやつだろうか。
どちらにせよ、ユーリたちには怪我のことがバレてしまった。
今頃はもう教職員の間で話題になっているかもしれない。そうなれば事情聴取は避けられないだろう。
「うぅ……。困ったなぁ……」
眼下に広がる校庭をぼんやり眺めながら、クララは大きな溜息を零す。
「──ふむふむ。イメージ通りの純白、と」
「っ!?」
不意に背後から聞こえてきた声に、クララはぎょっとして振り返る。
そこには自分のスカートを遠慮もなしに捲りあげるユーリの姿があった。
一体いつの間に現れたのか。
思わず後退るクララだったが、咄嗟のことで足が絡まってしまう。
その瞬間、屋上に不自然な風が吹いた。
風に背中を押され何とか事なきを得たクララを、ユーリは興味深そうに眺めている。
「風魔法が得意なんだな。アカネから逃げ切ったのも、そいつのお陰か? ……って、その反応はどうやら図星みたいだな」
クララの運動能力はお世辞にも良いとは言えない。
ましてやアカネに匹敵するほどの速さで走れるなんて普通ならあり得ない話だ。
それを可能にしたのは、クララの唯一と言ってもいい特技、風魔法である。
風魔法の性質は、その用途の豊富さ。攻撃や防御だけでなく、補助としても使えるため、極めれば一人何役も担うことが出来る。
ただし、術者の状況把握能力が試されるため、使い勝手の良い魔法とは言い難いかもしれない。
今回、クララが使ったのは、主に「身体を少しだけ軽くする魔法」「水平方向に身体を押す魔法」の二つ。
そして最後に、追跡を振りきるため窓から飛び出した時に使った「身体を浮かせる魔法」の三つだ。
状況に応じて三つの魔法を的確に使い分けられている時点で、魔法士としての適性は十分にあると言えるだろう。だからこそ、分からないことがある。
「ど、どうして、この場所が分かったんですか……?」
クララは確かにアカネを振り切ったし、ここにやって来る時も細心の注意を払った。
もはや居場所を特定することは出来なかったはずだ。
ユーリは一体どうやって、この場所にたどり着いたというのか。
クララの疑問に、ユーリは微かに笑って言った。
「昔から、美人を見つけるのは上手いんだ」
思わず目を丸くするクララ。
一体どんな魔法を使ったのかと思えば、これはまた随分とふざけた魔法があったものだ。
しかし、冗談にしては悪くないような気がしないでもない。ほんとに少しだけだが。
「ま、今回の場合、美人っていうよりも、その卵って感じだけどな」
「わ、私がですか?」
「おうよ。美少女って呼ぶには十分なルックスしてるぜ、お前」
「そ、そんな……。わ、私なんて全然ですよ」
「いんや、今まで星の数ほど美人を見てきた俺が断言してやる。お前さん、美人になるぜ」
ユーリがあまりに自信たっぷりに言うもので、クララも否定してはいるものの頬が少し赤くなっている。
だがすぐに本題を思い出したのか、ハッとした様子で表情を引き締める。
「ユ、ユーリ先生は、ここには何をしに来たんですか……?」
「俺か? わざわざこんなとこまで来る理由なんて一つしかないだろ」
「っ……!」
ユーリの言う通りだ。明らかに人為的な怪我をしている生徒を見つけた教師がとる行動なんて、ほとんど限られている。
歩み寄ってくるユーリの気配に、クララは万事休すかと目を瞑る。
「さあ、制服を脱げ」
「…………はい?」
しかし、実際に告げられた言葉はクララの想像とは全く違っていた。
状況がうまく呑み込めず戸惑うクララだったが、ユーリが制服の一つ目のボタンを外したあたりで、ようやく我に返った。
「な、何してるんですか!?」
「? そりゃあ治療に決まってるだろ。他に何かあるのか?」
「ち、治療?」
「逆にそれ以外何があるんだよ。こちとら、お前が保健室から逃げ出したりするから、こんな場所まで来てやったんだぞ」
「け、怪我の理由を聞きに来たんじゃないんですか……?」
「怪我の理由ぅ? そんなもん聞いてどうすんだよ。怪我は怪我だろ。俺は別に生徒の事情なんざに興味はないし、面倒ごとに首を突っ込む気もない」
「そ、それで良いんですか?」
「そもそも、問題なのは過程じゃない。美人か否か、それが一番重要なんだ」
ユーリの発言に、唖然とするクララ。
もしここにどこぞの赤髪少女や女教師がいたら、ありとあらゆる罵詈雑言が飛び交っていただろう。
しかし、まるで教師とは思えないユーリの言動に、クララはすっかり毒気を抜かれてしまっていた。
「ユーリ先生って、おかしな人ですね」
思わず吹き出したクララに、ユーリは不満げに口を尖らせる。
「おかしいとは失礼なっ。怪我した生徒を追いかけて、こんなところまで治療しに来てやったっていうのに」
「でも、制服を脱がすためですよね?」
「違う。脱がせて治療するためだ」
「…………脱がすのがそんなに大事なことなんですか?」
「脱がせられないんだったら、そもそも回復術士にはなってない。昔はヌード専門の絵描きになる道も考えたんだが、残念なことに俺には絵の才能がなくてな」
「私としては、そんな考えで回復魔法の才能があったことの方が信じられませんけど」
「よく言われる」
自虐のつもりで言っているのか、もしくはただの事実として言っているだけなのか。
何はともあれ、今の状況がクララにとって好都合なものであることには違いない。
「……じゃあ、治療をお願いしてもいいですか?」
迷いはある。もちろん、抵抗も。
しかし、今はこの選択こそが最良に思えた。
クララの決断に、ユーリは目の色を変える。
鼻息も荒く、控えめに言って気持ち悪い。
早くも後悔し始めるクララに、ユーリの魔の手が届く────かと思われた。
しかし、その手がクララの身体に触れることはなかった。
「何してんのよあんたはぁぁッ!!」
「ごほ──ッ!?」
突然、謎の鉄拳制裁がユーリを襲う。
いとも容易く吹き飛び、床を転がるユーリ。
「ど、どうしてお前がここに」
「────保健室からいなくなったかと思えば……。一発殴られる覚悟はできてるんでしょうね?」
そこには、鬼の表情を浮かべるアカネがいた。
錯覚か、その背後には怒りの業火が吹き荒れている。その怒気に、ユーリも思わず「もう殴られてる」という言葉をぐっと呑み込んだ。
「そ、それにしてもよくここが分かったな。一回は見失ったんだろ?」
「簡単よ。クララさんを探す手がかりはともかく、あんたは有名人だもの。目撃情報だって一杯あるに決まってるじゃない」
「くっ! 俺の溢れるカリスマ性を隠しきれなかったか……ッ」
「変態性の間違いでしょ。みんな言ってたわよ。ニヤニヤした表情が気持ち悪かった、って。あんたのことだから、どうせ『うるさい奴がいない内に、制服を脱がしてやる!』とか考えてたんじゃないの?」
「ぎくっ」
図星を突かれたと言わんばかりのユーリの反応に、アカネは大きな溜息をこぼす。
どうやら探す対象をクララからユーリへと変更したのは正解だったらしい。
「た、確かに不純な動機が少しはあったかもしれないが、俺の目的はあくまで治療だ」
「制服を脱がすのが治療にどう繋がるのよ。彼女に必要なのは腕の治療のはずでしょ。まさか、碌に診察もしていないのに腕以外にも怪我があるなんて言うつもり?」
「ああ。こいつの怪我は腕だけじゃない」
「…………ちょっと待ってなさい」
あまりにユーリが自信たっぷりに言うので、さすがのアカネも無視することは出来なかったらしい。
半信半疑の面持ちでクララに近付き、断りを入れてブラウスのボタンを二つばかり外す。
「っ! これは……」
クララの身体には本当に青痣があった。
一体どうやってそれを見抜いたのかは定かではないが、思い返してみれば保健室でもユーリはクララの怪我のことを見抜いていた。
偶然なのか、それとも回復術士としての勘でも働いたのか。
何はともあれ、ユーリの言い分が全くの出鱈目というわけではないらしい。
不純な動機が「少し」という点については疑わしいが、今は治療を優先するべきだろう。
「とりあえずはあんたの言うことを信じるけど、妙なことをしたら…………分かってるわね?」
ドスのきいた声で釘を刺され冷や汗を流しながら、ユーリは再び患者と向かい合う。
「それじゃあ、制服を脱いでくれ」
「わ、分かりました」
緊張気味にブラウスのボタンを一つずつ外していくクララ。次第に露になっていく少女の柔肌は、しかし綺麗とは言い難いものだった。
「こんな場所で服を脱ぐなんて、ちょっと恥ずかしいですね」
最後のボタンを外しながら、クララが苦笑いして呟く。
ブラウスに隠されていたのは無数の青痣だった。下着姿になって改めて分かる痣の酷さに、アカネも驚きに目を見開いている。
そんな反応に少しだけ顔を伏せるクララだったが、ただ一人、他の二人とは決定的に反応が異なる者がいた。
言わずもがな、ユーリである。
「純白パンツを見た時から逸材とは思っていたが、自分のポジションをきちんと把握したうえでの下着のチョイス。まさに文句の付けようがない、完璧だ……ッ!!」
ユーリは初めて見るような真剣な面持ちで、下着の批評をしている。
気分が悪くなるようなものを見せてしまった、と罪悪感を抱いていたクララは面食らい、そして思わず吹き出した。
「それじゃあ先生、お願いします」
「おう、任せろっ」
自信たっぷりに頷くユーリに、クララも不安は感じていない。
ユーリの回復魔法を見るのは二度目だ。実際に治療を受けるのは今回が初めてだが、きっとあの小鳥のように綺麗に治療してもらえるのだろう。
そんな暢気に構えていられたのは、治療が始まるまでだった。
「っ──!?」
ユーリの指先に光が生まれだし、それが肌に触れる。とても温かい光だ。
その心地よさと言ったら、まさに犯罪的だ。全身から力が抜けていき、立っていることさえままならない。
意図せずしてユーリに身体を預けることになったクララだが、悲劇はそこで終わらなかった。
「んっ……!!」
徐々に大きくなる回復魔法の光は、クララの全身をも呑み込んでいく。
押し寄せる快感の波。指を噛んで必死に声が漏れないようにしているが、その頬は上気し、目尻には薄っすらと涙が浮かんでいる。
決壊寸前であることは、誰の目から見ても明らかだった。
今回のセクハラ治療は明らかに度が過ぎている。
治療を止めるべきか悩むアカネだったが、迷った末に止めるのをやめた。
回復魔法は神聖だ。傷を癒し、病を消し去る。
その行いは当然ながら肯定されるべきものであり、その領域は限りなく不可侵に等しい。少なくとも、一人の少女が無暗に口を出していいようなものではないはずだ。
────なんてのは建前だ。他の誰でもない、アカネ自身がそれを一番よく理解している。
アカネはただ、ユーリの回復魔法をもっと見たかった。許される限り、その光景を目に焼き付けておきたかっただけなのだ。
それを自覚した時、アカネは思わず笑った。
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