8.脱がせられればそれで満足
何はともあれ、治療は無事に終わった。
最初のセクハラ発言を鑑みても、成功と言って差し支えないだろう。
「今日は本当にありがとうございました。また何かあればお願いします」
「もちろんよ。そもそもここは皆の保健室なんだから、遠慮なんかする必要ないわ」
満足した様子で保健室を去ろうとするクララに、アカネも一安心だ。
クララの口コミ次第では、生徒間で広まっている悪評も少しは収まってくれるかもしれない。
全ては順調かに思えた────ユーリが口を開くまでは。
「なに帰ろうとしてるんだ。次はお前の番だぞ。ほら、さっさと制服を脱げ」
ユーリの発言に、アカネは思わず目を見開く。
小鳥の治療をあっさり引き受けたり、あまりに事が順調に進みすぎたせいで油断していた。まさかこのタイミングでいつもの悪い癖が出るとは……。
「あー、頭をどこかにぶつけたりしたのかしら。ホントに、こいつのことは気にしなくていいから!」
これ以上面倒なことになる前に早々にお引き取り願おうと焦るアカネだったが、既にユーリが出入口を塞いでいる。
本当に、こういう時だけは動きが早くて困る。
「そこを退きなさい! せっかく良い感じだったのに、台無しにする気!?」
「知るか! 俺はただ、制服を脱がせられればそれで満足なの!」
「あんた……どうやら本当に一回死にたいようね……」
普段ならここまで言えば大抵大人しくなるのだが、なぜか今日のユーリはやけにしつこく食い下がってくる。
ユーリの強気な態度に、さすがのアカネも戸惑わずにはいられない。
その一瞬の隙が仇となった。
ユーリは素早くアカネの隣を通り過ぎると、驚くクララに迫る。アカネが止めようと試みるが、もう遅い。
クララの細腕にユーリの魔の手が遂に届く。
今回の治療も失敗かと溜息をこぼしそうになるアカネは、袖を捲られ露になった肌を見て、驚きに目を見開いた。
クララの細腕には、見るからに痛々しい大きな青痣が浮かんでいた。
アカネは困惑せずにはいられなかった。
何故なら、つい数分前にクララ自身の口から治療してもらう必要はないと聞いたばかりなのである。
だが、目の前にあるのは明らかに治療してもらうべき必要がある怪我だ。
クララは慌てたようにユーリの手を振りほどくと、袖を元に戻す。
まるで痣を隠すようなその仕草に、「まさか……」とクララに詰め寄ると、もう片方の袖を捲る。
そこにはやはり、先ほどとは別の痣がもう一つあった。
「あなた、もしかして……──っ!?」
アカネが何かを言いかけた瞬間、クララは風のように保健室を飛び出していく。
これまでの弱気な雰囲気からは想像できない俊敏な動きに、アカネは面食らう。
「あんたはここに居て! すぐに連れ戻してくるから!」
数秒後、ようやく我に返ったアカネが慌てて後を追いかける。
背後からユーリの声が聞こえてくるが、それに構っていられるだけの時間はない。
廊下に出ると、既にクララの背中は随分と遠ざかってしまっている。
本当に予想外の速さだ。
しかし、足の速さならばアカネとて自信がある。
魔法が使えない分、身体能力向上のための鍛錬を日々続けてきた成果を見せる時だ。
クララの背中を必死に追いかけながら、アカネは先ほど見た痣のことについて考えていた。
普通に考えて、あれだけの怪我を負っているならば治療してもらおうとなるのが一般的な思考回路である。
前評判でユーリの悪行の数々を知っていたとしても、あの回復魔法を目の当たりにしてまで躊躇う必要性はないはずだ。
それでも尚、治療を拒み、それどころか痣の存在すら隠そうとするのは、何かしらの事情があるとしか考えようがない。
そしてそれは、本人にとって周囲に知られたくない理由なのだろう。
以上のことを考慮した上で、最も当てはまりそうなものはと言えば──。
「────いじめ、かしら」
由緒正しきシリウス女学園。
乙女が集うこの学園でも、「いじめ」という概念は存在する。
何を隠そう、アカネもいじめの被害にあったことが何度かある。
アカネは名家の生まれだが、魔法が使えない。それなのに志望は魔法士というのだから、いじめの理由としては十分すぎたのだろう。
ただ、アカネの場合、そんな輩に構ってやるような性格でもなかったため、特に被害といった被害を受けることもなく、気が付けばほとぼりも冷めていた。
しかし、クララの場合、そう簡単な話ではなさそうだ。
クララは見るからに気が弱そうで、恐らく貴族の生まれでもないのだろう。
そんなクララがいじめの標的に選ばれてしまうのは想像に容易い。
いじめは悪だ。この世に存在していいものではない。
クララの怪我の具合からしても、既に相当過激なものになっているのは間違いない。早急に解決すべきだ。
そのためにはまずクララ自身の口から情報を教えてもらわなければならない。
怪我の治療も必要だし、やはり一度捕まえるしかないだろう。
「……はぁ、はぁ……っ」
いきなり全速力で走ったせいで息があがるが、クララの背中が着々と近付きつつある。
このままいけば次の曲がり角で追いつくことが出来るだろう。
だが、最後まで油断はしない。
アカネは速度を落とすことなく、クララの背中を追う。
そして遂に曲がり角に差し掛かり──。
「────え」
アカネは思わず立ち止まる。
廊下を曲がった先、確かにそこにいたはずのクララの姿が忽然と消えていた。