5.心の傷までは癒せない
ユーリは、木剣で素振りをするアカネの後ろ姿を眺めながら、先ほどの発言について考えていた。
父親を殺した。詳しい事情は分からないが、その発言自体に嘘はないのだろう。
たとえそれが故意によるものではないにしろ、一人の少女の心にトラウマを植え付けるには十分すぎる出来事だ。魔法が使えなくなってしまうのも無理はない。
ユーリが分からなかったのは、なぜ自分が呼ばれたのか、ということだ。
初めはてっきり、ダリアンの火傷を治療してもらいたいからだと思っていた。
しかし、玄関ですぐに引き剥がされたことを考えると、どうやらそういうわけでもないらしい。
それに、アカネ曰く、魔法を使えるようになるためにユーリの力が必要だという。
ユーリは回復術士だ。怪我や病気は治せても、心の傷までは癒せない。
「さて、どうしたものか」
これはまた面倒なことに首を突っ込んでしまったかもしれない、とユーリは小さく呟いた。
「調子はいかがですか?」
すると、ダリアンが使用人たちを連れてやって来る。
使用人たちは簡易なテーブルとイス、更には紅茶を用意すると、いそいそと屋敷の中へと戻っていく。
「アカネさんは毎日鍛錬に勤しんでいるようで」
「私としてはもう少し女の子らしいこともしてほしいと思っているんですけどね……。あと、プライベートな席ですので楽にしてくださって大丈夫ですよ。話し方とかも」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。少しだけ」
繊細な氷菓子のような微笑みを絶やさないダリアンに、ユーリは椅子に腰を下ろす。
「この家は炎使いの名家と聞きましたが、やはりダリアンさんも炎の魔法が得意で?」
「恥ずかしながら私は魔法に疎くて。夫である前当主は宮廷魔法士の中でも炎に関しては一、二を争う腕前だったとか。あとは、長女──アカネの姉が宮廷魔法士として勤めています」
「そうなんですか。髪の色があまりに綺麗だったので、てっきり……」
世間一般的に、魔法属性の適正は髪の色に強く出ると言われている。
火属性に適正があれば赤。水属性なら青。風属性なら緑。その他にも多々あるが、しかしそれはあくまでそういった傾向があるというだけの話で、明確な根拠に基づく話ではない。
ユーリの発言に、ダリアンは口元を隠しながら笑う。
「それを言うなら、ユーリ先生は回復術士としては百点満点ですね」
聖職者に多いと言われている白髪だが、これまで何人かの聖職者を見たことがあるダリアンをもってしても、ユーリほど綺麗な白髪の持ち主は未だ記憶になかった。
「そりゃあもう! 俺に治せないものはありませんから!」
「あら、それはすごい……。じゃあ、この火傷も治せたりするのかしら」
「勿論ですとも! お望みとあらば今すぐにでも!」
勢いのままに立ち上がったユーリに目を丸くするダリアン。しかし、治療しようとするユーリを手で制すと、首を左右に振る。
「申し訳ありません、ちょっと聞いてみただけですわ。実際に治療するつもりはありませんの」
「それはまた、どうして」
「……戒め、でしょうか」
どこか憂いを帯びたダリアンの表情に、ユーリは尚も一人で鍛錬を続けるアカネの姿を思い出す。
「もしかして、アカネが魔法を使えなくなったことと何か関係があったりするんですか?」
「アカネがそう言ったんですか?」
「いえ。ただ、父親を殺した、と」
「そんなことまで……。よほどユーリ先生のことを信用しているんでしょうね」
「出会って数日で、信用されるようなことをした覚えもないんですがね」
「それならきっと、ユーリ先生の回復術士としての腕を信用したんでしょう。でなければ、あの子がそんなことまで話すとはとても思えません。……ですが、そこまでご存じなら、わざわざ隠す必要もないでしょう。お話しします、この火傷のことも全部」
ユーリは紅茶を一口飲む。少し苦みのある紅茶が、何となく緊迫してきた今の雰囲気とどこか重なっているような気がした。
「私の夫である前当主のヴェルンは、優秀な宮廷魔法士として功績を挙げる一方で、人格的に難のある人物としても有名でした。自分の気に入らないものを徹底的に潰したり、同じ宮廷魔法士の方と揉め事を起こしたりするのは日常茶飯事でした」
炎を扱う者は気性が荒いと言いますからね、と自嘲気味にダリアンは言う。
「そんな彼が家庭内暴力を振るい始めたのは当然の帰結とでも言うべきでしょうか。さすがに娘に手を出すことはありませんでしたが、私や使用人は何度殴られたか分かりません。あの頃は気の休まる日がほとんどありませんでした」
「こ、こんな美人にそんなことするなんて、同じ男として許せない……!!」
憤るユーリに、ダリアンは「昔の話ですから」と苦笑いを浮かべる。
「ある日、酔っぱらって帰ってきた彼はよほど腹の虫の居所が悪かったのか、それまでにないくらい私たちに当たり散らしました。それこそ魔法さえ使って」
アカネが現れたのは、そんな時です────と、ダリアンは言う。
「彼はあろうことに、偶然やって来た自分の娘に対して魔法を使おうとしたんです。私が止めると彼はひどく怒り、私の顔に炎を押し当てました。そんな父を、アカネは恐らく止めようとしたのでしょう。覚えて間もない強力な炎魔法を発動しようとして────暴走させてしまったんです」
その時の光景を鮮明に思い出すように、ダリアンは静かに語る。
「炎は手始めに、近くにあった家具をどんどん呑み込んでいきました。床、壁、天井が炎で埋め尽くされ、そして最後に、彼の前に立ちはだかったんです。その時既にアカネは意識を失って倒れており、魔法が術士の意思に関係なく動いていることは明白でした。あの魔法は、生きていたんです」
ダリアンの言葉に、当時の光景を想像したのだろう。ユーリは息を呑む。
「彼は必死に抵抗しているようでしたが、暴走した魔法はとどまる気配を知りませんでした。そして遂には優れた炎使いである彼を呑み込んでしまったのです。すると炎はそれまでの勢いが嘘だったかのように小さくなっていき、やがて消えました。私には、それをただ見ていることしか出来ませんでした」
それが事件の全貌です、とダリアンは締めくくる。
「それ以来、アカネは魔法が使えなくなってしまいました。彼に魔法を教わっていた姉との折り合いも悪くなり、姉の方が宮廷魔法士となった今では滅多に顔も合わせていないようです」
「……なるほど。それでアカネは姉のことを話さなかったのか」
「かもしれません。アカネは魔法が使えないことに劣等感を抱いているようですし、特に姉に対しては苦手意識が強いのでしょう。あの子はあの子で、我の強い性格ですから」
凶暴なアカネを上回るという姉の存在に、ユーリは顔を顰める。正直、想像するだけでも厄介なことこの上ない。まあ、美人ならオールオッケーなのだが。
「因みに、戒めというのはアカネにトラウマを植え付けてしまったことに対してのものですか?」
「ご明察の通りです。私には、娘一人に全ての罪を押し付けるなんてことは出来ませんから」
「だから今までずっと顔に傷を背負ったまま生きてきた、と」
その言葉に頷くダリアンだったが、ユーリは何やら言いたげな表情だ。
「本当に、その選択は正しいと言えるんでしょうか」
「……と、言いますと?」
「あなたの火傷の痕が、いつまでもアカネを過去のトラウマに縛り付けているんじゃないのか、ということです」
「それは……」
ユーリの指摘が尤もなものであるということは、他ならぬダリアン自身が一番よく分かっていた。
アカネが、顔を合わせる度に一瞬辛そうな表情を浮かべていることも、それを悟られまいと気丈に振る舞っていることも、自分に遠慮して知人を屋敷へ招かないことも全部、分かっているのだ。
しかし、娘にトラウマを負わせてしまった母親の罪がそんな簡単に許されていいはずがない。一人だけのうのうと人生を謳歌していいはずがない。そう思って今まで生きてきた。きっと、これからもずっと。
「何と言われようと、私はこの火傷を治すつもりはありません。この傷と一生を共にすると、あの事件の日に誓ったのです」
ダリアンの固い意志に、観念したように両手をあげるユーリ。
「患者の望まない治療は、回復術士にとってはルール違反なのでね。それに、一人の女性が顔の半分を犠牲にしようという覚悟は、他人が否定していいものじゃない」
ユーリの言葉に、ダリアンは思わず目を瞬かせた。
これまで何人もの親戚や知人に火傷のことについて言及されてきたが、皆が皆、口を揃えて治療を勧めてくるばかりで、ユーリのように自分の判断を認めてくれた者は誰一人としていなかった。
娘が久しぶりに誰かを屋敷に連れてくるというので身構えていたが、何となくその理由の一端が分かったような気がする。
「……もしいつか、傷痕を治してもいいと心から思えるような日が来たら、その時は──」
「────奥様、お食事のご用意が出来ました」
ダリアンが何かを言いかけた時、使用人のひとりがやって来る。何とも間の悪い登場だ。
因みにアカネは今、鍛錬でかいた汗を流しに行っている。直に戻ってくるだろう。
「では、私たちもリビングに向かいましょうか────え」
そう言って立ち上がるダリアンの手を、不意にユーリが引く。そしてダリアンが何かする間もなく────頬に口づけした。
あまりに突然のことに状況が把握できないダリアン。今までの落ち着いた雰囲気はどこへ行ったのやら、ふらふらと覚束ない足取りで今にも転びそうだ。慌てて使用人が支えに入る。
だが、その場に偶然居合わせた者がもう一人。
「な、なにやってんのよあんたはぁぁぁぁああああ────ッ!!!!」
「ごぶべっ」
タイミングよく戻ってきたアカネに拳で吹き飛ばされるユーリ。一瞬でノックダウンさせられるだけのアカネの剛力に驚くべきなのか、それともユーリの打たれ弱さに驚くべきなのか。恐らくその両方だろう。
ノックダウンしたユーリがふらふらと立ち上がる。辛うじて血は出ていないものの、頬が赤く腫れている。
「い、いってえなあ! いきなり何すんだよ!」
「それはこっちの台詞よ! 教師が生徒の母親に手を出していいと思ってるわけ!?」
「出しちゃいけないなんて決まりはありませーんっ」
「私は常識の話をしてるのよ!!」
まったく反省の色が見えないユーリに、アカネはご立腹だ。
そんな中、何やら使用人の様子がおかしい。ダリアンの顔を見つめたまま固まっている。
「お、奥様……お顔が…………」
そこでようやく使用人の様子に気付いたアカネが視線を追い、同じように固まった。
「顔が、どうかしたの?」
並々ならない二人の様子に、ダリアンは廊下の壁に貼り付けられてあった鏡の前にやって来る。そして鏡に映し出された自分の顔を見て、絶句した。
「や、火傷が…………消えてる」
そこには、遠い過去に捨てたはずの自分の素顔が映し出されていた。
震える手で頬を触る。未だ指先に残っていた荒れた肌の感触が、しかし肌に触れた瞬間、新しく上塗りされていくのを確かに感じた。
「ど、どうして……。つい先ほどは私の意思を尊重してくれたばかりなのに……」
殴られた場所を痛そうに擦っているユーリに、ダリアンは戸惑いの声を出す。
自分の意思を理解し尊重してくれたユーリの言葉が、一人の母としてどれだけ励みになったことか。それを嘲笑うかのような仕打ちに、沸々と怒りがこみあげてくる。
だがそれと同時に、一人の女として言い表しようがない幸福感が去来していることもまた事実だった。
そんなダリアンの複雑な胸中を知ってか知らずか、ユーリはいつもの笑みを浮かべている。
「あー……さっきのは全部、嘘だ。美人の顔に傷があるなんて、神が許しても俺が許さない!」
「なっ!?」
悪びれる様子もなく白状するユーリに、ダリアンは開いた口が塞がらない。
「そ、そんな無茶苦茶な……」
「無茶苦茶で結構。俺は美人を綺麗にするために回復術士をしてるんでね」
反省するでもなく、むしろ自慢するかのような態度のユーリにダリアンが思わず文句を言いかけた時──。
「お母様!」
「ア、アカネ?」
「やっと、やっと治ったのね……!」
アカネが突然、瞳を潤ませながらダリアンに抱き着く。
「お、奥様の傷が治られたぞぉぉおおお──ッ!! 今日はお祝いだぁぁあああ──ッ!!」
更には傍で控えていた使用人までもが取り乱したように大声をあげながら、廊下の奥へと走り去っていく。
その直後、屋敷中から聞こえてくる誰かの泣き叫ぶ声や物が落ちる音に、ダリアンは戸惑いの色を隠せない。
「どうやら、この家にはアンタの意思を否定する奴がこんなにもいるらしい」
「それは……」
これまで何度も否定されてきた自分の決意だが、しかしアカネや使用人に直接否定されたことはなかった。それは少なからず自分の意思を尊重してくれているからだと思い込んでいたが、それは大きな勘違いだったらしい。
顔の火傷がなくなって、まるで自分のことのように心から喜んでくれている彼らの想いを、どうして否定することが出来るだろうか。
抱き着いてくる娘の頭を優しく撫でるダリアンに、ユーリが言う。
「あんたがすべきだったのは自分の罪を背負うことじゃない。『綺麗であり続ける』こと────それがあんたの義務だ」
「私の、義務……」
その言葉をしっかりと呑み込むように呟くダリアンに、ユーリは手を差し出す。
「さあ、美味しい料理が冷めちまう。何たって今日は最高のディナーだからな」
「あら。招待された貴方が、そんなことまで分かるんですか?」
「分かるさ。美人の笑顔ってのは、料理が美味しくなる一番のスパイスなんだ」
その言葉に思わず吹き出しそうになるダリアンだったが、自分の娘がユーリを選んだ理由が、今度こそ分かったような気がした。
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追記:本日19時にもう一話更新されます。