4.自分の欲望に正直
放課後。約束通り校門前までやって来たアカネは、早々に何も見なかったことにしてその場を立ち去ろうか本気で検討し始めていた。
「な、なにあの恰好……?」
「あれって例の新任の先生だよね?」
帰路につく生徒たちが何やらヒソヒソと話しながら、立ち止まるアカネの隣を過ぎ去っていく。出来ることならアカネも彼女らの一人でありたかったのだが、そういうわけにもいかないのが辛いところだ。
アカネは観念して、校門に近付く。
「遅かったじゃないか。随分待ったぞ」
「そ、それは申し訳なかったけど……何なの、その服」
アカネに気付いたらしいユーリが駆け寄ってくるが、問題はその格好だ。
保健室を出ていくときは白衣だったはずだが、今ではどこで用意したのか真っ黒なスーツに身を包み、その手には大きな薔薇の花束が握られている。まるでこれからどこかの舞踏会にでも参加するかのような決めっぷりだ。
「どうだ。イカすだろ?」
「いや、何というか、その……まあ、あんたが良いと思うんなら良いんじゃない?」
確かに、状況が状況なら似合っていると称せるだけのポテンシャルを秘めていたかもしれないが、残念ながら今夜の予定は舞踏会やパーティーの類ではない。
しかも先日盛大にセクハラ発言をぶちかましたばかりのユーリが、そんな恰好で校門のところに立っていれば、悪目立ちしない方が難しいというものだ。正直、あまり近付きたくない。
「あんた、今夜の予定ちゃんと憶えてる?」
「失礼な、俺が美人との予定を忘れるわけないだろ」
「じゃあ何でそんなにキメてんのよ。普通に白衣で良かったじゃない」
「馬鹿やろう! 美人との食事に、あんなみすぼらしい恰好でいけるかっ! しかも相手は未亡人…………ぐふふ……」
「……ほんとに大丈夫なのかしら、こいつ」
怒りを通り越して呆れしか出てこないアカネだったが、とりあえずこれ以上ここで目立つのは避けたい。アカネは迷いに迷ってユーリの手を取ると、屋敷までの道を急いだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
屋敷に着いたアカネたちを出迎えてくれたのは大勢の使用人たちだった。
ユーリには自分が貴族だということは伝えてなかったので多少驚かれるかと思っていたアカネだったが、ユーリの反応は意外にも薄い。使用人たちを見ても顔色を変えないあたり、もしかしたらユーリもどこかの貴族だったりするのだろうか。
使用人の一人に制服の上着を預けながらそんなことを考えていると、不意にコツコツという足音が近づいてくる。
「あら、お客さん? もしかして、昨日話してくれた回復術士の方かしら?」
二人の前に現れたのは、赤髪の貴婦人。少し乱暴なアカネに、お淑やかさと妖艶さを足したような感じだろうか。ユーリは思わず生唾を飲む。
ユーリはこほんと咳払いを一つすると、用意してきた薔薇の花束を差し出す。
「い、いかにも。回復術士のユーリです。本日はお招きいただきありがとうございます。これはお近付きの印です、どうぞ」
明らかに普段話す時よりも渋い声で花束を差し出すユーリに、アカネはジト目を向ける。
「あらあら、これはご丁寧にありがとうございます。私は、アカネの母のダリアンです。今は亡き先代に代わって、レナード家当主を務めさせていただいております。先生のお話は聞いていますよ。娘がお世話になっているようで」
「とんでもない! むしろ私の方がお世話になっているくらいですよ! 先日も危ないところをアカネさんに助けていただいて……」
学園でのユーリを知る者がここにいたら、もれなく全員「誰だこいつは」と思っていたに違いない。現にアカネは、あまりのギャップに寒気さえ感じていた。
それにしても、まさか自分の母親が教師に口説かれているところを見ることになろうとは、数日前まで想像もしていなかった。
とはいえ、そんなことをさせるためにわざわざ屋敷まで連れてきたわけではない。
「お母様、ちょっとこいつ借りるわよ」
「なっ!? せっかく良いところなのにぃぃっ!」
悲痛な叫び声をあげるユーリを、アカネが無慈悲にも廊下の奥へと引きずっていく。
連れてこられたのは、あちこちに色んな種類の花が咲き乱れる庭園だった。さすが貴族というべきか、庭園といえど広さ的には申し分ない。
庭園の入り口で立ち止まったアカネに、ユーリは勢いよく立ち上がる。
「おい! せっかくのチャンスを邪魔しやがって、どういうつもりだっ!!」
「あんたこそ教師が生徒の母親を口説こうなんて何考えてるのよ!」
「そんなの知るか! 俺は自分の欲望に正直なんだよ!!」
せっかく良い雰囲気だったのにぃ……と涙目で凹んでいるユーリに、さすがのアカネも呆れてかける言葉がない。
「それにしてもっ! お前の母ちゃん、めっちゃ美人だな!?」
急にテンションが戻ったかと思いきや、ユーリは目を輝かせながらアカネに詰め寄る。
確かに、アカネから見ても自分の母親は美人な方だと思う。身内なのでユーリがそこまで興奮するものなのかどうかは分からないが、とうに40を過ぎている身とはとても思えない。どう見ても30代半ばといったところだ。
しかし、アカネの表情は優れない。むしろユーリが母親を褒めれば褒めるほど暗くなっているように思える。
「……ねえ。私のお母様のこと、ほんとに綺麗だと思う?」
「? どういうことだ? もしかして『自分の方が可愛いでしょ』とか言うつもりじゃないだろうな。やめとけやめとけ。あの大人の魅力はお前が敵う相手じゃないぞ」
「そうじゃなくて! …………火傷のことよ」
「あぁ、そういうことか」
ユーリの得心のいったような声に、アカネは「やっぱり気付いてはいたのか」と更に表情を曇らせる。
これまで散々ユーリに褒めちぎられてきたダリアン。だが、その美しい顔の半分には、酷い火傷の痕がある。見るに堪えない、痛々しい傷痕だ。
「私の家は、優秀な炎使いを何人も輩出してきた名家なの。私自身、才能に恵まれて『神童』なんて呼ばれていたこともあったわ。でもそんなある日、私はとんでもない事件を起こしてしまったの」
「事件?」
「魔法を暴走させてしまったの」
魔法士にとって一番怖いもの。それは「暴走」である。
暴走とは、術士の発動した魔法がまるで自我を持ったかのように動きだす現象のことを言い、場合によっては術士さえ呑み込んでしまうことがあるらしい。
もちろん、そんな恐ろしい現象が頻発するはずもなく、実際は過去に数度確認されている程度の話でしかない。作り話か何かだと思っている者も少なくはないだろう。
しかし、アカネには冗談を言っている様子は見受けられない。
恐らく、アカネが魔法を使えなくなったのはそれが原因なのだろう。過去の事件がトラウマとなって、アカネを苦しめ続けているのだ。
「じゃあ、ダリアンさんの火傷はその時に?」
「……いいえ違うわ。あれは、私じゃない」
意外にも否定するアカネに、ユーリは思わず首を傾げる。
確かに当時子供だったアカネには魔法の暴走は恐怖の対象となり得ただろうが、かと言って母を傷つけたわけでもない。それなのに、魔法が使えなくなるほどのトラウマを植え付けられることが、果たしてあるのだろうか。
更に詳しく話を聞こうとして、ユーリは思わず言葉を飲んだ。
「私は────」
アカネの顔は青ざめ、瞳は大きく揺れている。その声は微かに震えていた。
「────お父様を殺したの」
昼12時にも更新あります。