「青い少女、赤い世界」4
リビングまで姉の荷物を運び込みソファに寝転がっていると、後ろの方で冷蔵庫を開けようとしている姉の声がする。
忙しい人だと思いながらも耳を傾ける。
「んー…。ねぇ、何かない?」
言葉にならない声で反応しつつ身体を起こすと、先程の私の様に冷蔵庫内の冷気で涼み始める姉の姿がソファの背凭れ越しに見える。
暑いのはその通りだろうが自意識過剰な私には、話題をわざわざ振ってくるあたり嫌味に違いないと感じる。これだってきっと異常に多感な思春期のせいだろう。
「……見ての通り」
「………うわ…。半額惣菜ばっか……。これなんて一昨日のだし…」
惣菜を作っているスーパー自体は悪くないのだが、問題は出来立てならいいもののわざわざ古くなって品質の下がったものを買っている事と、それが食卓に出てくる頻度の二点に集約されるだろう。
この二点が揃った時、尋常ではないストレスが蓄積してゆく事となる。
成る程、父親が母親と別れたくなるのにも納得だ。
「毎日こんなもんよ」
「………信じられない…。よく飽きないわね」
そうだろうとも。しかし事実だ、仕方ない。
「飽きるに決まってんでしょ」
確かに私たちの母は家事と言う家事をまるでしない。
それどころか人間が幸せに生きる上でも重要な位置を占めるであろう食事と言うものに全く拘りがない。寧ろ削りに削っている。
その為に我が家の食事は豚の餌にも劣る。
よって姉の食事に対する考え方にだけには同意を禁じ得ない。
実際姉は惣菜やレトルトが嫌で自分で料理をするようになり、最終的には調理師免許だかをとって今は東京でどこかの店の板前の一人になっている。
今にして思うが、内の家庭は反面教師的に過ぎる。
そこに生まれる子供にとっては迷惑極まる家庭環境だ。
我慢を嫌う私なんかには荷が重い。
「……昼は私が作るわ。リクエストある?」
「…………肉」
「………もっと何かない?」
「……じゃあご飯が進みそうなの」
こう言う受け応えしかできないと言うのも、あの母あっての私ありと言う事の証明に違いないのだ。ああ、環境と言うものは何処までも忌々しい。
きっと私は姉とは違い料理の才能が開花することはないのだろう。
「ふぅん…オッケー。じゃあ、お金渡すから買ってきてー」
「………」
聞き間違いではないのだろう。こう言う時、こう言う事を年下に平気で言ってくるのが残念かな我が愚姉なのである。
この猛暑の中自分の妹を…いや誰であろうとも室外に放り出すとは…。流石に冗談抜きで止めてもらいたいものだったのだが。
姉のそれは文字通り鬼畜の所業であると言えるだろう。
姉の悪行、許すまじ。
「……自分で行ってよ。面倒くさい」
「私、長旅で疲れたし」
「………」
何と言うか、困った。それを言われてはぐうの音もでない。
事実と言うのは実に厄介だと感じる。言いくるめる事も叶わないのだから。
仕方がないので私は東大寺の大仏くらいには重い腰をやっとの思いで持ち上げる。
「………お釣り、返さないから」
「……高い駄賃ね」
吐き捨てるように言って、姉は千円札を渡してきた。
こちらは命が懸かっているのだ。いくら出しても安いと思う。いや、もっと出せ。
姉はケチん坊なのでこれ以上出してはくれなかったが…まあいいだろう。何も貰えないよりはましだ。
着替えも適当に済ませ、早々に出かける準備を整えた。
勿論焼けたくはないので日焼け止めも塗りたくっている。
シャワーは帰ってきてからにしよう。昼を優雅に食べながら涼むのだ。
玄関の扉を開けた途端、油蝉共の呪詛が一斉に耳に届いてくる。
「………夏…」
斯くして私はこの火をくべた石釜の中をスクーターで行って帰ってくる事となる。
今朝思い付いたばかりのフレーズを口ずさみながら。