教会に来た理由
予備知識:聖書では婚前の性交渉は「みだらな行い」として禁止されている。
僕はどうしても抑えきれなかった。穂見を抱いてしまったのだ。まだ高校生だというのに。当然僕たちは結婚をしておらず、クリスチャンの家系の僕は、まだそのことを親には恐ろしくて話していない。
日曜のミサのとき、僕は勇気を振り絞って牧師さんに相談することにした。
ミサが終わり、十字架の明り取りが、外の光をぼやけさせ、神聖な光を会堂に届けている。僕の宗派はプロテスタントだった。それゆえ、カトリックのようにイエス様が十字架に架かっている絵はぶら下がっていない。
僕は事前に牧師さんに話しをしたいと相談していたので、二人きりで会堂で、膝を少し斜めに突き合わせ、僕は切り出した。
「恋人と、セックスをしてしまいました」
牧師さんは、へえ、と感嘆した反応を見せ、それから、いつもの笑みを浮かべ、
「それじゃあ、イエス様にお許しをいただかないとね」
「はい、それは勿論です」
「だけど、それだけじゃあだめだよ」
牧師さんは、僕の肩に手を回した。
「もうその恋人以外の人を、愛してはいけないんだよ。恋人が死ぬまではね」
その通りだ、耳が痛い、と体を前かがみにすると、牧師さんは笑って背を叩き、
「なーんちゃってね。いいんだよ、自由で。聖書なんて大昔の書物だからね。今の人がこれを全部守ろうなんて思うと、信仰どころじゃなくなっちゃうよ」
「……でも、教会に彼女を連れて行きたいと思います。それで、イエス様に、彼女と姦淫をしたことへのお許しと、今後彼女を大事にすることの誓いを立てたいと思います」
「姦淫なんていう言葉を若い君が使うのはよしなさい。まあ、教会に来るのは歓迎するよ。その子、どんなに可愛い子か、見せてくれよ」
僕は安心しきってほほ笑んだ。
穂見に教会に一緒に行こうと誘うと、承諾してくれた。
「わたしのこと大切に想ってくれてるんだよね」
僕は首肯するのに困った。何故イエス様の問題を自分の問題にするのだろうと思った。僕は静かに想起した。愛と言う名の三日月が雲に隠れ朧月夜になっているのだと。
僕たちはバスに乗った。穂見は眠そうにしていた。どうやら、徹夜で新約聖書を読もうとしていたが、理解できないまま、3時間しか寝ていないらしい。
「新約聖書、家にあったんだな」
「うん、お姉ちゃんがキリスト系の大学に行ってたから」
何も講釈はするまい。聖書は動機付けがなければ読めない。読書ではなく信仰だからである。
「聖書って、案外身勝手なこと書かれてるんだね。差別的で、イエス様を信じれば救われる、そればっか。栞くん、こんなのすき好んで読んでるの?」
「昔の本だからね。男女差別も奴隷も、あるだろう。もし聖書でイエス様が差別をなくしなさいと主張したら、俺は……」
お前とセックスしても、教会に行こうなんて言い出さなかったろうな。
「栞くん?」
「信者にならねぇか。いや、冗談だ。忘れてくれ」
穂見は僕の手をぎゅっと握って。
「私の加護が、栞くんにずっとありますように。私の愛が、栞くんに未来永劫ありますように」
穂見にそう言われ、僕はむなしくなった。バスから降りると、
「しばらく空、眺めてていいか」
そう言って、僕は主が築き上げた、天の海を眺めた。
「主なる神よ。私たち現代人は、あなたを拝むことを、いつ忘れたのでしょう。この大空を、海と忘れた日はいつだったのでしょう」
「栞くん?」
穂見は僕の肩に抱き付いて、僕は我を取り戻した。
「俺は科学が憎い。だが、科学の遅れた世界にさえ、きっと平安はない」
僕は穂見の手を取り、教会へ向かった。
恋人ができて、仮にセックスしたら、イエス様に一言言っておきたいなという願望。