第4話
緩やかに秋の訪れが感じられるようになってきた頃、一生の休日の過ごし方といえば、決まってランニングだった。
都内にしては、やや大きめの近所の公園には、休日ともなると多くの人が利用するランニングコースがある。
季節折々で様々な植物の変化を見てとれるのも、この公園の魅力だ。
サッカーを辞めて以来、長らく運動からは遠ざかっていたものの、身体は正直だ。昔の鍛えていた身体とはほど遠く、メタボなお腹周りが多少気になるようになってきた。
このままでは健康に影響が出そうなので、時間がある休日には走るようにしていたのだ。
この日も一生は園内で1番アップダウンの激しいランニングコースを走り終え、目の前に噴水が広がる抜群のロケーションを楽しめるベンチに腰かけた。
自販機で購入したミネラルウォーターを、コクコクっとゆっくり口に運ぶ。
秋が近づいているとはいえ、まだ日中の気温は高い。冷たくひえた水が、なんとも言えず美味しい。
一生は呼吸を整え、目の前に広がる噴水をぼんやりと眺めていた。
視界の奥の方から、ついさきほどまで一生が走っていたコースを辿って近づいてくる人影を捉えた。
その影はこちらに近づくにつれて大きさも増し、次第にピントも合ってくる。
目の前に現れた、その女性はさや沙だった。
以前会った時のOLのスーツ姿とは違い、ランニングウェアを身に纏い、ポニーテールに束ねられた髪が印象的だった。
さや沙は一生の前で立ち止まると、自分の両膝に手を当て前屈みになり、ハァハァと肩で息を吸う乱れた呼吸を落ち着かせながら、こっちを向いた。
「ハァ…ハァ……、やっぱり、黒崎さん…だっ…」
さや沙は一生を見て、悪戯な笑顔を覗かせた。
会いたいと思っている時には会えることはなく、会うのを諦めかけていた途端に再開できるのだから、やはり神様というやつは、些かイジワルなのだろう。
「こっち、座りますか?」
一生は、空いている自分の隣を指差した。
さや沙は、「はい。」と呟き腰を下ろした。
「意外だな。」
一生のその言葉に、さや沙は何が?と言わんばかりの顔でこっちを見つめてきた。
「スポーツとか、するタイプに見えなかったから、浅野さん。」
「あ、ひどい。」
さや沙はプクッと頬を膨らませた。
「スポーツはね、確かにあまり得意ではないんだけど…観るのは好き…です。」
「そういう感じだね。」
一生の言葉に、ふふっと笑った。
「スポーツマンは無理だから、いっそスーパーマンでも目指してみようかな。」
そう戯けながら話す、さや沙に少なからず心が動いている自分がいるのを、一生はハッキリ自覚した。
この日は快晴の下という天候の恵みもあってか、以前はじめてさや沙と会ったときよりも会話が弾んだ。
最寄駅が隣同士なこと、洋楽にハマっていること、絶叫マシンが得意なことーーー
どれくらいの時間、話をしていただろうか。
気がつけば時刻は夕刻、太陽が沈み、空の色合いは落ち着いた藍色へと変化し始めていた。
「今度、一緒に走らない?時間があるときにでも。」
さりげなく誘ったつもりだったが、胸の鼓動はバクバクと波打っていた。
これまで幾度か女性を誘った経験はあるものの、それはそこまで深い気持ちで、ではない。
酷い言い方をしてしまえば、適当に誘った、これに尽きるだろう。
だが、今回ばかりは違った。
《さや沙に、会いたい。》
心に芽生えたその気持ちを、大切にしたかった。
「う〜ん、一緒には走らないです。」
さや沙の口から発せられた返答に、一生の胸の内に落胆が広がった。
「おそらく、黒崎さんの方が足速いので…。同じペースで走るのは難しいんしゃないかな。」
「なので、ウォームアップと途中休憩を一緒にしましょう!」
なんだそういうことか、と一生の肩の力がガクッと抜けた。
「じゃあ、ウォームアップと途中休憩、……それから走り終わった後のお茶でも一緒にどうですか?」
「はい、喜んで。」
さや沙の頬に、小さなえくぼ。
今この一瞬が、一生にとってたまらなく愛しい時間だった。
この回で第1章最後になります‼︎最後までお読みくださりありがとうございました。第2章も、引き続きよろしくお願いします!