第3話
生憎、女性と楽しく会話をしながら場を盛り上げるなんていうスキルは待ち合わせていないため、一生は無難な話題でこの場をやり過ごすことにした。
「浅野さんは、よくこの蕎麦屋さんには来るのですか?」
「わたしは…、今日で2.5回目なんです。」
「………一応聞くけど、その0.5は何?」
「さっきの真島さん?と一緒です。」
さや沙は、口をモゴモゴと動かしながら話を続けた。
「前来た時、わたしも食べてる途中で帰る羽目になってしまって…。だからわたしの中では、それは1回にカウントされていないんです。だから、0.5。」
「なるほどね。」
わかるような、わからないような理屈だなと思い、一生は曖昧に頷いた。
「黒崎さんは?」
「ん?」
「黒崎さんは、よく来るんですか?」
今度は、さや沙からの質問返しが飛んできた。
「いや、俺たちは今日初めて。前からここに蕎麦屋があって結構賑わってるのは知ってたけど…食べたのは初めてです。」
「えぇっ?!」
急に声のトーンが上がったので、思わず前に腰掛けるさや沙の顔をまじまじと見たら、しまったという表情を浮かべ、右手を頬に当てていた。
「初めての人からわたし、鴨ネギ蕎麦を取り上げちゃったんですね。」
「とんでもないことしちゃったな…。」
さや沙は憂いを帯びた声色で、ゆっくりと呟いた。
「あ、大丈夫です。俺にとって鴨ネギ蕎麦、そんなに大切なものじゃないし。」
フォローのつもりでその言葉を発した瞬間、店員の冷ややかな視線が降り注いだ…気がした。
「じゃあ、黒崎さんにとって大切なものって何ですか?」
気を取り直したのか、さや沙がまた、屈託のない笑みを浮かべて、突拍子もない質問をしてきた。
控えめにさや沙の唇から覗かせる、八重歯が可愛かった。
「なんだろうね…強いて言えば、先月新調した長財布かな。」
いきなり大切なものを聞かれると、人は案外悩むものだとこのとき知った。
無論、恋人であったり、子供を持つ人であればそう答えるのが定番だろう。
しかしながら、恋人もいなく、結婚もしていない人間にとっては…?親友や仲間など、密な人間関係をこれまで構築してきた人の場合は、そう答えるのもよいのかもしれない。
一生は、8年前に起きた一つの出来事がきっかけで、深い人間関係を築くのをどちらかといえば拒んできた側の人間だ。
そんな一生が、さや沙の問いに対して、親友!や仲間!などと即答できるはずもなく。
ましてや両親などと小恥ずかしいことは到底言えない。
曖昧に、ただの物である長財布と答えたのは、一生のこれまでの生き様を表すかのようだった。
《以前までの俺だったら、迷わずサッカーと答えられていたのにな…》
ふと、この質問主であるさや沙に踵を返すと、彼女は頷くでも言葉を発するでもなく、ただ一生の瞳の奥を覗いていた。
その優しい眼差しが、不思議と嫌ではなかった。
暫くして、さや沙が鴨ネギ蕎麦を食べ終わり、手を合わせた後、箸を置いた。
一生は智大の分まで喰らいあげたので、満腹だ。
「それじゃあ、鴨ネギ蕎麦ありがとうございました。」
「親子丼、ありがとう。…それじゃあ」
今まで自分の周りにはいなかったタイプであるさや沙と別れるのが、若干名残惜しい気もしたが、午後の始業時間まで時間もないので、その場を後にした。
仮に時間があったとして、さや沙と関係性を深めていたかと聞かれれば、それは謎だが。
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社に戻ると、すでに仕事をはじめている智大が小さく手招きをして一生を呼んだ。
「んで、どうなった?あの可愛い子ちゃんと〜」
「は?」
「もちろん、連絡先くらいゲットしておいたんだろ〜な?」
「いや、普通に飯食って、少し会話してサヨナラしたけど…」
「バカ!!おまえ、超ド級のバッカ!!」
智大の声に反応した下山係長が、大きく咳払いをしたのは、言うまでもない。
気まずそうな顔で軽く会釈をした後、智大は今度はヒソヒソ声で話しかけてきた。
「お前なぁ〜、このあたりにいくつ企業があると思ってるんだよ?!連絡先くらい聞いておかなきゃ、二度と会えないぞ!」
不思議なもので、もう会えないと言われると会いたい気持ちが芽生えてきた。
なるほど、後悔先に立たずなんていうことわざは、案外身近な所に転がっているものなのだ。
その後、一生はふとした時に何回かあの蕎麦屋に足を運んだが、そこにさや沙の姿はなく。
季節もゆっくりと移り変わり、暑さが少したけ和らいでいくのを肌で感じていた。
相変わらず家と会社との往復の毎日で、さや沙と出会ったあの日の記憶が薄らいできた頃。
ーーーさや沙と再び出会ったのは、思いがけない場所でだった。
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