第3話
空模様は8年前の決勝戦の日と同じく、どんよりとした雲が覆っていた。
にも関わらず、国立競技場には多くの人がかけつけていた。
両校の応援スタンドには、特大のフラッグがかかげられ、まるでプロの試合さながらの雰囲気だ。
一生は千駄ヶ谷門側から、サイドスタンド付近に足を運び、場内を眺めた。
試合開始を告げるホイッスルと同時に、周囲の観客は湧き上がり、非日常的な空気感をつくっている。
結局、一生のメールに対し、さや沙からの返信はなかった。
それでも、僅かな可能性にかけ、ここまでやってきた。
《きっと、きっと…来てくれるはず。》
一生は、場内の通路を観客の邪魔にならないように移動しながら、さや沙の姿を懸命に探した。
しかしながら、どこを見渡してもさや沙は見当たらず、一生は焦りを感じた。
その時、ちょうどジーンズのポケットに閉まっておいたスマートフォンのバイブが振動した。
一生はさや沙からかと思い、慌てて手に取った。
そこに表示されていた名前は、さや沙からではなく重孝からのものだった。
若干、落胆したものの、すぐに電話に応じた。
「もしもし、重孝?」
「一生…やっぱり今、国立にいるな?来る気がしてたんだ。」
重孝は、受話器から聞こえる音から、一生がスタジアムにいると判断したらしい。
一生も、耳を凝らすと、受話器の向こうから、同じような雑音が聞こえる。どうやら、重孝もこの国立競技場にいるようだ。
「重孝も、来てたのか?」
一生は尋ねた。
「そう、母校の応援にな。…それよりも、今ここにいるなら話が早い。見せたいものがあるんだ。」
「見せたいもの?」
「ああ、大事なものだ。悪いけど、清城学園側の応援スタンドら辺にこれるか?」
「…わかった、今から行くよ。」
一生は、一旦電話を切った。本当は、今それどころではないのだが、重孝の声が真剣なものだったため、向かうことにした。
再び通路を横切りながら、清城学園の応援スタンドに辿り着くと、端の方で応援している重孝の姿が目に入った。
その横には舞もいて、2人で応援している最中だった。
「よ。」
「悪いな、こっちまで来てもらって。」
「よく俺が今日来てること、わかったな。」
「…8年前と同じ組み合わせでの決勝戦だし。まあ、元相方としての勘だよ!」
重孝は、ニカッと歯茎を覗かせて笑った。
「…そうか。ところで、見せたいものって何だ?」
一生が尋ねると、重孝は隣にいた舞に対し、「ほら、出せよ。」と促した。
そして、舞は一生の目の前に、スッと手を出した。その手元には、綺麗な花柄の封筒の手紙があった。
「……これは手紙?」
一生が問う。
「……そう、一生への。」
舞が静かに話し始めた。
「8年前の、この決勝戦が終わった後…預かってた。一生には渡さなかったけど。」
「………預かってたって…誰から?」
「…マネージャー。向こうの。成川高校の。」
さや沙からのものであることは、名前を聞くまでもなくすぐに分かった。
「俺が舞に問い詰めたんだ。」
重孝が、口を挟んできた。
「あの試合が終わったあと…、この前うちのレストランに来てくれたあの子が、一生に渡して欲しいって舞に頼むのを、俺見てたから…。なんで一生が、マネージャーだってこと知らないんだろうって思って舞に聞いたんだ。やっぱり受け取ってなかったんだな…。」
ーーーなんでっ
「なんで渡さなかったんだ?」と一生が聞くよりも先に、舞がその理由を言ってきた。
「別れた後も、ずっと好きだったから。」
「ずっと好きだったから…一生の眼中にわたしがないのが悲しくて悔しくて…受け取った手紙、渡さなかった。いじわるしたの。」
「……舞………」
なんと声をかけていいのかわからなかった。手紙の件はさておき、舞を知らず知らずのうちに傷つけていたのかと思うと、罪悪感を覚えずにはいられない。
ーーー今自分にできるのは…精一杯誠意のある言葉で伝えるだけ…か。
「舞、ごめん。あの頃、確かにサッカーでいっばいだったけど、付き合っていた時、舞を好きだった気持ちも…嘘じゃないよ。」
ふうっと大きく、息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「俺、行かなきゃいけないところがある。」
一生は、駆け出した。
後ろから、重孝の「後は任せろ!」という声が聞こえた気がした。
「……行っちゃったな…一生。」
舞は、隣の重孝に向かって話し始めた。
「あの頃からずっと一生を見てきたけど…結局わたしの想いは通じなかったか。」
「……そんな、一生を追いかけている舞を俺はずっと見てきたけど?……いちばん、側で。」
重孝は、そっと舞の手を繋いだ。