第5話
店内は休日ということもあってか客の入りはよく、従業員たちは忙しそうだった。
一生はひととおり店内を見渡し、重孝の姿を探したが見当たらない。
しまった、連絡してくるべきだったかな…とも思ったものの、まあまた来ればいいかなんてことを頭の中でふと考えた。
「いい…雰囲気だね、このお店。」
さや沙がテーブルの上のメニュー表を眺めながら言う。
「気取ってなくて、居心地がよくて落ち着くような…好きだな、こういう場所。」
「この店、俺が高校のときによく来てたんだ。」
「そうなんだね。」
「実は高校のチームメイトの実家で…味も美味しいよ。さや沙の好きそうなもの、いっぱいある。」
言い終わった瞬間、さや沙の表情が一瞬強張った…気がした。
しかしすぐさま、いつもと変わらない様子でまたメニューを選びはじめたので、一生もさほど気に留めず、一緒にメニュー表に視線を落とした。
「う〜ん…悩むなぁ。」
さや沙は、どれを注文するか決めかね、腕を組みながら首を傾げた。
「とりあえず、ハンバーグは決まりとして…もう一つ、オムライスとビフテキどっちにしよう?」
「そ、そんなに食うの?」
一生は思わず、口に含んでいた水を軽く吹き出した。
細い身体のどこにそんな入るんだ…と思いつつも、さや沙の一挙一動が可愛かった。
その時、
「……いっせい!」という、よく聞き覚えのある声が後方から聞こえてきた。
声の主は、他でもない重孝だった。
彼はどうやら奥の厨房で働いていたらしく、ホールに出てきた時に一生に気づき、声をかけてきたようだった。
「さっそく来てくれてありがとな!嬉しいよ。」
重孝は気さくに話しかけてきた。
一生もそれに応じ、返事を返した。
重孝は、さや沙にも「はじめまして。」と声をかけたが、その瞬間、重孝はハッとした表情をし、さや沙を凝視するようにじっと見つめた。
さや沙の表情は、不安そうに、どんどん曇っていく。
ーーーどうして、そんな顔をしてるんだ?
3人の、時がしばらく止まった。
「………あ、やっぱり、間違いない。」
重孝は、合点がいったらしく、さや沙に向かって口を開いた。
「君、たしか…成川高校のサッカー部のマネージャーだよな?」
ーーー成川高校…
その名前には、嫌というほど聞き覚えがある。一生が、8年前…あの冬の大会の決勝戦で敗北を喫した高校だ。
ーーーさや沙が、そこのマネージャーだった…?
思考がついていかない一生を他所に、さらに重孝は続けた。
「うん、だんだん思い出してきた…。君の兄も成川高校のサッカー部員だったよね?ほら!DFの背番号16…最後の冬の大会の決勝で一生と接触したさ…!」
「…は?……兄って…?」
一生は重孝に向かって尋ねた。自分でもスッと血の気が引いていくのがわかる。
「え、おまえ知らなかったのか?まあ、基本的に他校の選手のこととか、全く興味なかったもんな!」
と言った後で、さらに付け加える。
「あの成川高校の2年のDF…たしか浅野翔真と、1年のマネージャーは兄妹だって、練習試合とかで話題になってたぞ。」
一生は、そっとさや沙の方に視線を向けた。さや沙は、肯定も否定もせず、無言でいた。その表情からは、明らかに動揺の色がうかがえる。
ーーー浅野翔真…。
ああ、そういえば、そんな名前だったかと、一生は当時の記憶をぼんやり思い出した。
ーーー浅野…さや沙だもんな…。
今、自分の目の前にいる愛しい女性は、自分の過去のトラウマの原因となった人物の妹だった。
一生は、言いようのない焦燥感におそわれた。
ふと、再びさや沙の方を見てみると、さや沙は下を向いたまま、虚ろな表情をしていた。
「あれ?おかしいな、でもさ…」
重孝は、また何かを思い出したのか、話し始めた。
「なんで一生は、このこと知らないわけ?この子、あの冬の大会の決勝戦の後、たしか舞に………」
ーーーガタッ
重孝の話を聞き終える前に、さや沙は席を立つ。
「…ごめんなさい、わたし今日はもう帰ります。」
振り絞って出したような、小さい声だった。
さや沙は、一生を残し慌てたように去っていく。
このままどこかに消えてしまいそうな…そんな雰囲気だ。
「わるい、また今度な。」
重孝に一言残し、一生は必死でさや沙を追いかけた。
店を出てすぐの歩道橋にさや沙の姿を見つけ、一生は後ろから手を引っ張る。
「…とりあえず、もう夜遅いから。送ってく。」
さや沙は何も答えなかった。
そこから、2人はさや沙の家まで並んで歩いたものの、どちらからも会話はなく、重い空気が流れていた。
《聞きたいことは山ほどある。…でも一旦口を開いたら、さや沙を傷つける言葉ばかりが…溢れてしまいそうだ。》
途中、乗った電車のスピードがやけに早く、目まぐるしく変わる風景に、一生は気持ち悪さを覚えた。
さっきまでの水上バスのスピードとは、大違いだ。
「………それじゃあ。」
家に到着したとき、その一言だけを残し、一生は立ち去った。
その日以降、一生はさや沙に連絡することはなかった。
………さや沙からも、連絡はこなかった。
この回で3章ラストです!次はいよいよ最終章(…になる予定)です。