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貴族の資質

「な、なんだと…。グスタフよ。もう一度話してみよ」


「父上殿、耳を疑うのも無理はありません。かくいう俺も自分の目で見ても信じられませんでしたからな! わあっはっはっは!」


「私はもう一度話せと言っておるのだ! 聞こえんのかッ!」



ナキア伯爵アロルドは息子(グスタフ)の態度に苛立つ。

普段ならこの程度のことで腹を立てたりはしないが、今回ばかりはそうは言っていられない。

グスタフは焦りと怒りの表情の父を前にしても竦みあがることなく、もう一度報告を繰り返す。



「これは失礼しました。…ヘルマン殿がドラゴン討伐を成し遂げました。まさしくかの御仁は稀代の英雄です。いやはや、我らは英雄譚を目の当たりにしているかのようです。龍殺し(ドラゴンスレイヤー)という大英雄をナキア伯国に遣わしてくれた神に感謝申し上げるべきでしょう! わあっはっはっは!」



ざわざわ。

ガヤガヤ。



「また、現場にはコーリエ伯爵公子であるテオドール殿が気を失っておりました。ドラゴンの死体には剣による痕と魔術と思われる痕がございましたので、おそらくヘルマン殿とテオドール殿の共闘によるものでしょうな!」


「な、なんと…」

「まさか、儂が生きている間にドラゴン討伐が成功するとは…!」



廷臣たちも驚きを隠せない。

そんな驚愕一色の宮廷を見て「わはは!」と笑うグスタフ。

もう愉快で仕方ないといった様子である。


アロルドも椅子に座したまま無言で頭を抱えている。

それは苦悩ではなく、歓喜のためだ。


彼はヘルマンが己の待機命令を無視してドラゴン討伐に赴いた事など、どうでも良くなっていた。

更に第二公子エルランドの「ドラゴン討伐中止のご命令を!」との訴えをうやむやにしてしまったが、これほどの戦果の前ではエルランドも納得せざるを得ないだろう。



ドラゴン討伐という歴代ナキア伯爵の悲願を己の代で達成したのだ。

それに伴い漁業の展開が期待できる。

海を介した遠方との交易も始まるかもしれない。

それよりも重要なのは、ドラゴンのせいで規模が制限されていた塩産業を一気に拡大できるということだ。

従来はドラゴンの目撃例が多い海岸では、万が一を考えて塩田開発を控えていたのである。

しかし今後は更に安価で大量の量の塩を連邦全土に供給可能となる。

即ちそれはナキア伯国の功績に繋がる。


なんという事だろう。

陞爵し、ナキア侯爵の誕生が現実味を帯びてきた。

まさしくアロルドはナキア伯国中興の祖として歴史に名が残るであろう。



「…うむ。早急にヘルマンを龍殺しの英雄として中央公都に報告すべきだな。私が(・・)ヘルマンを見出したのだ。そして私が命令して(・・・・・)ドラゴン討伐に赴いたのだから…!」



無論、アロルドはドラゴン討伐など命じていない。

にも関わらず、アロルドは英雄(ヘルマン)の功績を己のために最大限に利用し、そのままヘルマンを重用してしまう目論見でいた。


自分の配下に竜殺し(ドラゴンスレイヤー)がいる。

遠くない未来に敵国・グラオサーム帝国へ攻め入る軍を率いさせるのだ。


当然、中央からの覚えは目出度くなる。

さすれば今までのように、塩権益に対する社交界の嫉妬から身を守るための根回しなど必要なくなるかもしれない。

それどころか逆に周囲がナキア伯爵家のご機嫌を伺う立場になるはずだ。



しかしグスタフは思うところがあるのか、父親の話に水を差した。



「父上殿、しかしながらヘルマン殿はジエラ殿の忠実なる戦士。ジエラ殿の命令があったからこそのドラゴン討伐です。父上殿がヘルマン殿に命じてドラゴンを斃させたなどという根回しは、かの主従を不快にさせるのではないですか?」



グスタフは実直かつ単純な男であるから、ヘルマンに便乗して自身の評価を上げようとする(アロルド)の姑息な手法に納得いかなかったのだ。



「…グスタフよ。それではお前は、ヘルマンは私に従わず、そのジエラとかいう者の命令に従った…と、そう言いたいのか?」


「無論です。それが事実…

「愚か者ッッ!! お前は何を言っているッ! ドラゴン討伐を(・・・・・・・)命じたのは私だ(・・・・・・・)ッ!」



アロルドは一喝する。

公的な場でのグスタフの不用意な発言を叱責する。

ドラゴンを討伐したのはヘルマンだが、それはナキア伯爵の命令でなければならないからだ。

それが『事実』でなければならない。


既にヘルマンは流浪の戦士ではない。絶対に手離してはならぬ大英雄。

アロルドとヘルマンの関係は蜜月であり、ヘルマンはアロルドに忠実でなければならない。

ならばこそ、ヘルマンはナキア伯爵の命令に従い、ドラゴンを屠ったという『事実』が必要なのだ。


しかし、それは全てアロルドの都合である。

ジエラとヘルマンの主従関係を無視しているに相違なかった。



「…では父上殿はジエラ殿をどうするおつもりですか?」


「決まっておる。有能な人物ならヘルマンと同様に重用してもよい。だがそれはあり得ん」


「あり得ん…とは?」


「知れた事。ジエラなる人物は娼館で身を売っているそうではないか。わが国が雇い入れる価値が何処にあるのだ」


「ジエラ殿とヘルマン殿は主従でございますぞ。ヘルマン殿はジエラ殿の忠実なる戦士です」


「……私にはヘルマンが主としか思えんがな。英雄が娼婦に忠誠を誓う意味が分からん」


「……」


「仮にジエラが主人だとしよう。その者に僅かでもヘルマンを思う心があるなら、ヘルマンを解雇し、ナキア伯国への任官を薦めるだろう。それができんのなら害悪だ」


「……」


「ジエラをヘルマンから引き離し、ヘルマンには『お前の主人殿は娼館にて病を得たため療養中』とでも言えば良い。後でジエラが生命を落とせば(・・・・・・・)ヘルマンも諦めがつくであろう」


「……………」



グスタフは納得がいかなかった。

武人気質であるグスタフはヘルマンの性格や気質に対して、いや、無駄に命を散らしかねない主人(ジエラ)からの命令にも愚直に従うヘルマンに、嫉妬や羨望、憧れにも似た尊敬を念を抱いていた。

そして、「どんな命令を出してもヘルマンは応えてくれる」と彼を信じているジエラが眩しかった。



「……父上殿、あの二人は……」


「なんだ? まだ何かあるのか?」



だが、口下手なグスタフは己が心情を上手く言い表す事が出来ない。

何時もの陽気さは陰を潜めていた。

するとアロルドの隣に座っていた伯爵夫人スザンナが声をかける。

ちなみに口元は飾り扇子で隠されており、その表情を窺い知ることはできない。



「…グスタフ。ヘルマンなる戦士はどうなりましたか? まさかドラゴンと戦い、無事ということはないでしょう?」


「ヘルマン殿は全身重度の打撲を負っております。命こそ別状はありませんが重体です。今はエルランドが側に付いているようです」



するとアロルドが破顔する。



「うむ! 我が伯爵家と龍殺し(ドラゴンスレイヤー)との蜜月を喧伝するのに丁度いい。エルランドにはヘルマンの治療の指揮をとらせよ」



ギリリ…

歯ぎしりのような音が聞こえたが、誰のものか皆目見当がつかない。


対してグスタフは顔をしかめる。


グスタフは先日の魔物退治の時に重傷を負った兵士を治療するために、親身になって治癒術師の手配をしたのだが、それを知ったアロルドは「我ら地位ある者が依怙贔屓を疑われることはあってはならん」と横槍を入れてきたのだ。

それが今度はまるで対応が異なる。



「………」



そして伯爵は現地の立ち入りを禁じる命令を出し、ドラゴン討伐についても当面の間箝口令を敷く事となった。

またドラゴンの死骸から使える素材を回収する手はずを整えたり、公都を始めとする諸国への討伐報告について議論がなされる。更にはアロルドとヘルマンを主役にした討伐式典の段取りなどが協議されていく。



「…本格的な式典は季節が変わってからとなりますかな。式典会場の設営は当然として、ヘルマン殿が回復しなければ話になりません」


「会場にはドラゴンの首を飾りましょう。さぞ見栄えすることでございましょうな!」


「ヘルマン殿のナキア騎士…いや竜騎士としてのお披露目でもあります。生半可な段取りでは竜騎士殿に失礼です。かの御仁が閣下へ忠誠を誓う場でもあるのですから、相応の会場を設えなければ…!」


「テオドール公子閣下の功績も併せて讃えれば、隣国コーリエも我が国に対する態度を軟化させると思われますぞ!」



グスタフはそれを黙って聞いている。

談笑している父アロルドと廷臣たちを、表情の読めない顔で見据えていた。

そんなグスタフはアロルドの目からすると愚鈍に見えた。



「…なんだ? まだそこにおったのか。グズグズしとらんで、お前は兵士を率いてドラゴンの死骸に誰も近づかんように封鎖せよ」


「…父上殿、最後に一言だけお許しください。ジエラ殿とヘルマン殿の主従関係を壊すようなことは…」



武人気質のグスタフは、理想的とも言える彼らの主従関係を尊いモノに思えてならないのだ。

それを貴族の都合で壊してはならない。

しかしグスタフの思いは父親には届かない。

アロルドは椅子から立ち上がり、愚かな息子(グスタフ)を罵倒する。



「まだ言うかッ! ヘルマンは 龍殺し(ドラゴンスレイヤー)に相応しい立場というものがある。地位、役職、屋敷、使用人、そして女! それらを与え、優遇するのは賢君(わたし)の義務である!」


「いや、しかし…」


竜殺し(ドラゴンスレイヤー)が娼婦ごときに仕えるなどあり得ん! いや、許さん! ヘルマンの主人はナキア伯爵たる私なのだ!」



そしてアロルドは小声で「…じきに陞爵し、ナキア侯爵となるのだがな」と続けた。

続けて彼は声を荒げたことに対し「ゴホンッ」と咳払いして場を収める。



「…グスタフよ。どうやら私はお前を甘やかしし過ぎたようだ。お前の考えは貴族に相応しくない。お前のような者が伯国を導いては国が乱れるだろう。今後は我が後継になるべく厳しく指導を課す。貴族の家に生まれた意味を良く理解するがいい…!」


「………」



グスタフは何か言いたそうだったが、一礼し去っていく。





夫たるアロルドと息子たるグスタフの会見後。


グスタフの生母である正妃スザンナは自室にて思い悩んでいた。

夫であるアロルドはグスタフを後継とすべく厳しく指導するなどという考えのようだが、言い換えればグスタフが貴族に相応しく成長しなければ、廃嫡も十分あり得るのだ。


そして母だからこそ解る。

グスタフは『貴族』として変わることはないだろう、と。




「…お呼びでございましょうか。奥様」



スザンナの腹心、セリーヌである。

どこか浮かない顔をしていた。

それは『害虫駆除』の話をしたエリックが帰還しないためだ。

エリックが裏切るとは考えられないため、状況からエリックの仕事は失敗したと判断せざるえない。

今までこのような事態がなかったので、次の『庭師』を侯国から呼ぶか思案中でもあったのだ。



「…ヘルマンとかいう戦士がドラゴンを討伐したそうです。そして討伐のための祝典が催されるのだとか」


「ッ!?」



忠実なるセリーヌは主人の思いを察する。

主人にとってヘルマンは駆除すべき『害虫』なのだと

だがドラゴンを倒すほどの戦士をどう駆除すれば良いのか!?



「とはいえヘルマンは重体だとか。しかしエルランドが甲斐甲斐しく介護に当たっているようです。…セリーヌ、貴女はかの者が助かるとお思い? 快復は難しいでしょう? このまま目覚めなければ…、ほほほ」



スザンナの表情からは「害虫(ヘルマン)を一刻も早く排除したい」としか読み取れない。

また、英雄たるヘルマンが死ねば介護者たるエルランドの責任は重大となるだろう。



「……」



セリーヌはスザンナに余裕がなくなっていると察した。

ヘルマンが回復する前に事を迅速に遂行しなければならないため、侯国から後任の『庭師』を呼ぶのは間に合わない。



「かしこまりました。特別なお薬(・・・・・)を用意いたしましょう」



セリーヌは自ら手を下す決断をする。

幸いヘルマンはドラゴンとの激闘の末に衰弱しているという。

毒殺しかない。

それも毒殺には見えないよう、心臓のみを停止させる毒が望ましいだろう。



「ところで奥様、治療虚しく英雄様がお亡くなりになった場合は…」


「ふふ。その時は息子(グスタフ)をドラゴン討伐を成した英雄としてお披露目するのが当然の流れでしょうね」






グスタフは廊下を歩いている。

先ほどまで母の部屋の扉の前にいたのだ。

ヘルマンの処遇について母親と相談したかったのだが、聞きたくもない話が漏れ聞こえてしまったせいで部屋に入る気になれなかった。



(…よそ者は利用されるか害される、というワケか)



時折、使用人や宮廷仕えの女官とすれ違い彼らが挨拶をしてくるが、彼らの態度は貴人に対してではなく、親しい目上の友人に対するそれであった。


無論、グスタフがそれを咎めることは無い。

何時もの事(・・・・・)なのだから。

そしてグスタフも彼らの態度を心地よく感じていた。


恭しい態度で距離を置かれるより、笑顔を向けられる方が好ましいのである。


そして。

父親(アロルド)が「後継者として厳しく指導する!」と息巻いてはいるが、それはグスタフの人格の全否定に等しい。

また先程の母親(スザンナ)の話はヘルマンの死を望んでいるようにしか聞こえない。更にドラゴン討伐の手柄をグスタフに与える気なのだ。

そう思い返すだけで、彼の心は沈んでしまう。



「……つくづく俺は貴族には向かんなぁ。…わあっはっはっは」



その呟きに気づく者はおらず、その笑いが些か自嘲気味であった事にも誰も気づく事はなかった。

また、グスタフはヘルマンを軍属専用の治療院に移し、食事や投薬には細心の注意を払うよう命じたのであった。





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