もう一人の英雄
ヘルマンによるドラゴンを討伐よりも若干時間が遡る。
コーリエ伯第二公子テオドールはとある事件の後ナキア伯国の高台にある避暑用の豪邸に引きこもっていた。
とある事件。
それは彼の愛人兼助手である(と勝手に思い込んでいる)ベルフィが娼婦に身をやつしてしまったという悲しい事件だ。
「べべっべべべりゅひいぃぃぃぃ…。ど、どどしててぇ……」
彼はベルフィを想い、涙で枕を濡らす日々が続く。
しかし使用人達にとっては、あくまで他人事らしい。
「どうしたんだ坊ちゃんは。久しぶり外出したと思ったら今度は毎日泣いてるぜ」
「どうやら坊ちゃんの恋人が娼館堕ちしたらしい」
「恋人ぉ? …ホントかしら。坊ちゃんは殆ど自室に引き篭もって、時々エルランド公子様とお逢いになるだけなのに、何処に女性との接点があるの?」
「そうよね。エルランド様みたいな美少年と陰気で根暗な坊ちゃんが並んだら、坊ちゃんに振り向く女性がいるとは思えないわ」
使用人たちの噂は屋敷を統括する執事のところにも及ぶ。
「…ふむ。おそらく公子閣下は「あの少女は僕のモノであるべき」と勝手にお考えのなのでしょう。しかし我らには関係のない事です。皆、自分の役割を粛々と全うするように」
執事は全て仕事と割り切る仕事人であり、仕事に私情を挟まないようだ。
使用人達も同様なのだろうか。
テオドールに対する評価には…私情しかない。
「全く、どうしようもないバカ坊ちゃんだぜ。アレで自分は偉大な魔術師だと思ってんだから始末に負えねぇ」
「でもよ、魔物の群衆暴動を魔術で壊滅させたって聞いたぜ」
「そんなはずねえだろ。魔術学院に通わないで部屋に閉じこもってるだけでどうやって魔術の練習すんだよ」
「それが出来るから偉大な魔術師様(笑)なんだろうが」
◇
行方不明のエルランドを捜索する際、テオドールは運命の出逢いを経験する。
それはとあるエルフの娘・ベルフィとの出逢い。
その夢幻的で幻想的な幼い美貌と愛らしさは、彼が今まで見てきた女性とは隔絶していた。
人間など比較にならないエルフ種の美しさに彼は一瞬で虜となってしまった。
幼いのは容貌だけではない。
人間でいう10歳そこそこの外見相応の未成熟な肢体と、そんな身体のラインを浮き立たせる短衣のセンスも抜群だ。
裾の短すぎる短衣のせいで、小悪魔的に魅惑的な可愛らしい美桃尻がチラチラ見え隠れしているのも素晴らしい。
そしてベルフィもテオドールに一目惚したに決まっているのだ。
彼の魅力は種族の垣根すら超えてしまったのだ。
何故なら彼は偉大なる魔術師であると同時に、男としての魅力に溢れているからである。
テオドールは幼少の頃より自室に引き籠り、独学で魔術の業を磨いてきた。
通常であれば自室では魔術の実験や訓練など出来るものではない。
だが彼は凡人ではない。
理論は完璧なのだから下々の連中とは違うのだ。
更に優秀たる彼は下々の連中の学習も参考になるだろうと、連邦最高の学問都市から魔術の通信教育(入門編)を受けており、『丁』評価を下されている。
無論『丁』評価は『甲乙丙丁』の中で最低評価である。
だがこれは評価者が誤っているというべきか。
評価者は彼の独創的、先進的な魔術理論が理解できていない。
それは彼の魔術理論が連邦の水準の遙か先に到達しているはずなのだから。
そしてテオドールは思春期を迎える。
こうして研究に没頭していても、人前に出ずとも、世の女性は彼のように優秀な男を放っては置かないだろう。
だが彼は魔術は一角の大家であるが、女性の扱いは未経験であると自らの未熟さを理解していた。
天才だが謙虚な彼は「今のままでは女性が僕に群がってきても、上手くエスコートできない。男として恥ずべき事だ」と考え、今度は女性との交際についての勉強に取り掛かった。
『女体の神秘』『女性の悦ばせ方』などという書物を大量に取り寄せて学習に励みに励んだのだ。
そして彼は『如何なる女性であろうとも、自分を愛さずにはいられず、出会ったその日にモノにしてしまう』という恐るべき技術を(理論と妄想上で)モノにしたのだ。
そしてそれは結果として現れた。
ベルフィとテオドールは出逢った夜に惹かれ合い、一晩中情熱的に愛し合った(?)のだ。
更に事後、疲れ果てて意識を失っていてもオークの大群を炎の魔術で焼き払った(?)のだ。
彼の技術や知識は机上のモノであったかもしれない。
しかし彼は男としても魔術師としても超一流であることが実践で証明されたのだ。
だが事実は全く異なる。
ベルフィはテオドールの存在にすら気付いていない。
テオドールの相手をしたのはサギニが作り出した蔦人形だ。
さらに魔物の大群を焼き払ったのはサギニの火遁の術なのである。
◇
「…べりゅひっひっひ…。ボクボボボククのモノモノの…。ででっででも、お金がっががが…」
ブツブツと呟くテオドール。
ベルフィを買うには資金が必要。
余談だが娼館を襲撃してベルフィを救出する度胸はないようだ。
ベルフィの代金は金貨30枚。
身請けにはもっと莫大な金額がかかる。
しかしテオドールはそのような大金を用意することなどできない。
しかし、一夜でいい。
テオドールが「僕のエルフ。君の過ちは許してやろう。君には僕しかいない。君は僕のモノであるべきだ。僕の愛玩助手として、僕の部屋に閉じ込めてあげるから安心するんだ」との愛の言葉と共にベルフィを抱けば全てが解決する。
きっとベルフィは娼館を脱走してテオドールの元に逃げ果せるだろう。
そうすればそのまま彼女を屋敷の奥に監禁…いや保護しさえすれば、全てが上手くいく。
保護。
そうだ。保護すれば良いのだ。
彼女を娼婦として買う必要はないのだがら、金貨も必要ないべきだ。
テオドールはそう思い立ち部屋を出る。
目指すはベルフィが閉じ込められている娼館である!
・
・
テオドールは店に着くや否や、目当ての美少女エルフを探す。
無論、娼館の広間にはエロ下着のお姉さん方が犇いていたが、彼はそのような存在に目もくれずベルフィを探す。
だが見当たらない。
おかしい。
テオドールを愛するベルフィなら、彼が現れただけで「テオドール様っ♡」と駆け寄ってくるべきではないのか。
それとも娼婦となった己を恥じて「もう、この身は貴方様の愛に相応しくありません」と奥に引きこもってしまったのか。
まさか!?
テオドールは慌てて壁に掛かっている娼婦たちの肖像写真を見ると、なんとベルフィの写真に『営業中』の看板が掛かっていた!
「べべリリてrjりfっフふぃィじぇkskdkっlっkっjmlfーーー…ッッ!!」
声にならない奇声!
娼婦たちが何事かと思いテオドールの方を見やると、彼はひとしきり叫んだ後はベルフィの肖像写真を前に半ば放心状態であった。
「…何あの子? ベルフィちゃんの知り合い?」
「まさか」
「ビィちゃんに会いに来たのかしらね。彼女、これから出張だっていうのに…」
なんと、ベルフィは予約客のもとに出張サービスするのだという。
すると店の前に見事な馬車が横付けされた。
そこから見事な仕立ての外套を羽織った初老の男性が降りてきた。
その上品そうな佇まいはおそらく執事か、またはそれに準じる立場の者に違いない。
「失礼。私はモンタネール家の執事でございます。ビィ様をお迎えに上がりました」
初老の男性は娼婦であるビィに対しても敬意を以て対応するようである。
ちなみにモンタネール家はナキア伯国でも有数の商家だ。
ビィを予約したのはモンタネール家のようだ。
そして奥の部屋からビィがサギニを伴い現れた。
二人は共に露出の多いアラビアーンな踊り子服を着ている。
彼女たちは別に踊りはしないのだが、ただ歩くだけでも男の目を楽しませるようだ。
「…………ッッ」
それを見たテオドールの虚な瞳に光が宿る。
なんという美しさだろう。
なんという可愛らしさだろう。
まるで見えない光に照らし出されているように輝いている。
そんな他のエルフ種など及びもつかない存在を前に、テオドールは一言も発する事もできない。
だが…手を伸ばそうとしても身体が動かない。ガクガクと震えるばかりである。
彼女はコレから春を売りに出かけるのだ。
そしてテオドールの耳に周囲の娼婦の声が聞こえた。
「ビィちゃん、本当に大活躍ね。今日は大商会主催のパーティーに、招待客がお持ち帰り前提のドライアードっていうのを大量に呼び出しに行くんでしょう?」
「その前は、お大尽サマのご子息の童貞を切るのに、ドライアードを呼び出したって…」
「凄いわ。他にも何人も太客を抱えているのよね」
「………」
テオドールは彼女たちの話が嫌でも耳に入る。
ベルフィはドライアードを召喚して丸投げしているだけなので彼女の身体は清いままなのだが、彼の耳には『ベルフィが娼婦として八面六臂の活躍』をしている…つまりベルフィ自ら男性の相手をしていると聞こえたのだ。
そしてベルフィとサギニは馬車に乗り込む。
バタン、と扉が閉まった時、彼女から発する光が見えなくなった気がした。
「…………」
テオドールは今まで期待していた。
それはベルフィが部屋で独り、テオドールを待ち続けて己が純潔を守っているのだと。
だがそれは誤りだったのだ。
そして彼は他者にも身体を許すベルフィに対して興味を失ったのである。
それと同時に心の靄がスンッと晴れた気がした。
・
・
テオドールはいつの間にか海岸にいた。
彼のモノであるはずのベルフィは、既に多くの男の手垢で汚れていたのだ。
その事実を知った事で、ベルフィへの興味や執着が急速になくなっていく。
「…ぼ、僕は偉大な魔術師だ。女なんかいくらでもいるし、無学の亜人なんか、ぼ僕に相応しくないッ。それにあの女の純潔は、、僕に捧げられたんだ。連中は、ぼッ、僕のお下がりで満足すれば良いんだ」
テオドールは思う。
ベルフィが彼の元を去ったのではない。
彼が彼女を下々の者に下げ渡したのだ。
「僕は、ま、魔術師だ。魔術を研鑽する、女性なら、僕のモノになるに、違いないッ!」
テオドールは手にした魔術師の杖を掲げると、ナニやら呪文らしきものを唱え始める。
そして海に向かって気合いを入れてみる。
「………」
決まった、とテオドールは思った。
強大な魔術を撃つイメージは形になっている。
イメージが現実になれば…研究中の魔術が完成すれば今頃は海が割れているはずだ。
「ぼ、僕が女性を、追うなんて、ま間違えていた。僕は女性に迫ら、れる男なんだ。…差し当たりドラゴン、を倒せば、国中の女性、が僕、ののモノになろうとするはずだ」
それからテオドールはドラゴンを倒すイメージトレーニングを始めた。
炎の魔術でドラゴンを焼こうか、氷の魔術でドラゴンを凍つかせるか、いや雷の魔術で撃ち抜くのも良いかもしれない。
彼の脳内で何度となくドラゴンが屠られた後。
ふと、遠くを見ると、男女が話しているのだろうか。二人して相引きしているのが見えた。
近眼であるテオドールにはその二人が誰なのか分からないが、ドラゴンが出現する可能性がある海辺で相引きするなど愚か者のする事だと思った。
羨ましいなどとは思わない。
すると。
相引きする男女付近の地面が盛り上がったと思うと、真っ黒な小高い丘が現れたのだ!
「…な、ななんッ!?」
ゴゴゴ…という地響き。
そしてテオドールは見た。
かなり離れた距離があるにも関わらず、その異様なる威容を。
醜悪な姿は丘…いや山のようだ。
巨大過ぎる大顎。
恐ろしい無数の牙。
全身黒光する鱗で覆われている。
そして人間など一瞬で挽肉にしてしまうであろう絶望的な重量感!
「うわああーーー……ッ!!?」
テオドールは自分が叫んだ自覚すらなかった。
感情を超越したナニカが悲鳴をあげたのだ。
その感情が恐れなのか、畏れなのか、惧れなのか、全てを含んだ絶望なのか。
テオドールはワケが分からないまま気を失ったのだ。
・
・
やがて彼は目を覚ました。
その場所はナキア伯国で一番設備が充実している治療院である。
「…おお、目覚めましたな。テオドール様。いや英雄様…ですかな?」
「えい…ゆう?」
テオドールは英雄という単語を繰り返す。
彼は自分が気を失う前後の記憶が抜け落ちていた。
しかし、彼は覚えている。
彼はドラゴンと(脳内で)戦っていたのだ。
失神するきっかけがあまりにも強烈だったため、それが影響して記憶が曖昧になっているのだ。
「…もしかして、僕がドラゴン、を斃した?」
「やはり!」
男…テオドールの屋敷に仕える執事は満面の笑みで応じる。
ドラゴンが討ち取られた。
ドラゴンには剣と魔術による攻撃痕が多数確認できたという。
近くにはヘルマンという流浪の戦士が倒れていた。
そしてドラゴンから離れた位置でテオドールが発見されたというのだ。
「…おそらく魔力を振り絞り、それでも限界まで戦われたせいで気を失ったのでしょうな…」
「………」
テオドールは考える。
確かにドラゴンと戦うことを想像していた。
想像がいつから現実となったのだろう。
よく…ワカラナイが…本物のドラゴンが魔術によって斃されていたというからには、斃したのはテオドールに相違なかった。
執事は続ける。
「公子閣下は偉大な魔術師と聞いておりましたが、それでも無茶はなりませんぞ。万が一の事があった場合、父君であるコーリエ伯爵閣下がどんなに悲しまれる事でしょう…!」
「………」
「ささ、まだお疲れでしょう。国許には私めが報告を出しておきますれば、ごゆっくりお休み下さい」
執事は機嫌の良くなった伯爵からの特別報酬が与えられるのではと考え、終始上機嫌であった。
・
・
ナキア伯国にあるコーリエ伯爵家所有の避暑屋敷。
テオドール不在の現在、使用人たちが噂話をしていた。
「それにしてもすげぇなぁ。坊ちゃんは」
「おお。女に振られた腹いせにドラゴンを退治したんだってな! ドラゴンってなんだっけか。でっかいトカゲを踏んづけでもしたのかよ。ププッ」
「おいおい。そんな事言うなよ。なんでも一方的に恋焦がれていた女が娼婦堕ちしたんで、世を恨んで、恨みの力で魔術の威力が底上げされたって聞いたぜ?」
「さすが自称・偉大な魔術師様だぜ! さしずめ怨魔術ってか! ぶわっはっはっは!」
使用人たちはテオドールがドラゴンを斃したなどまるで信じていなかった。
それどころか、話のネタ程度に考えている。
「…それでドラゴンモドキを斃したって吹聴って…、キモ…」
「そうよね。坊ちゃんって目つきが怖いし…、ナニ考えているか分からないのよね。それに恨みの魔術ってナニよ? 私も恨みでどうにかされるのかしら。…それとも泣き寝入り…?」
「あーーーっ! お給金はしょっぱいし、お仕えする貴族様はあんなだし! ヤダヤダ! もう辞めてやるわ、こんな仕事!」
テオドールはドラゴンを屠った魔術師として雄名を馳せるだろう。
英雄として褒め称えられるかも知れない。
しかし、彼の日常を知る使用人たちは、その限りではなかった。




