ヘルマンと謎の老人
少年を更生させたヘルマン。
ヘルマンがとある酒場を通りかかったとき、店の前で二匹の仔狼がクンクン鳴いているのに気づく。
どうやら腹を空かせているらしいが、辺りに飼い主らしき者は見当たらない。
仕方なく先ほどの手に入れたリンゴを与えると、二匹は猛然と食べ始める。
余程腹が空いていたのだろう。凄まじい食欲の二匹を呆れながら眺めていると、不意に店の中から一人の老人が突き飛ばされるように転がり出てきた。
「てめぇッ! 金持ってねぇくせに高い酒カパカパ飲みやがって!! お役所に突き出してやる!」
かなりの勢いだったので、ヘルマンはとっさに老人の肩を抑える。
「…うい~~ッ。ヒック。儂の口に合わん安物じゃが、酔えるということは少なくとも酒なようじゃな。…ヒック」
老人はかなり泥酔しているようで、半ば足腰が立たなくなっているようだ。
彼はつばの広い帽子を被り青いマントを羽織っている。よく見ると隻眼で立派な口ひげが特徴的だった。
「ご老人、怪我はないか?」
ヘルマンがそう問いかけると、途端に老人は片目をカッと見開いてギロリと彼を見やる。
次ににやぁ~と笑いかけてきた。
先程までの泥酔さは全く感じられず、片目を爛々と輝かせ、ヘルマンを食い入るように見つめている老人。
ヘルマンはその異様な老人に奇妙な感覚を感じながらも、彼から目を逸らせなかった。
「見どころのある若者じゃ。『お主の名は? 儂に教えよ』」
老人がヘルマンに問いかける。
すると傍から先ほどの店員が割って入った。
「戦士様、そのジジィは飲み逃げ野郎なんだ! お役所に突き出すからそのままふん縛って…」
「『黙れ。そして去るがよい』」
老人にそう言われた店員は、何事もなかったようにフラフラと店に戻ってしまった。
「邪魔が入ったようじゃな。それで、『お主の名前はなんという?』」
奇妙な老人が初対面のヘルマンに名を教えろと言う。
しかし彼は何故か名乗らなければならないような気がして、名をヘルマンであると告げる。
「ヘルマンと申すか。覚えたぞ。ところでお主は名のある戦士とみた。どうじゃ、儂の屋敷に来んか?歓迎するぞ?」
初対面の老人はお世辞にも裕福には感じられない。
服装も旅人のそれに近い。
つまり、このナキアの街に屋敷など構えているとは到底思えなかった。
しかし、彼が冗談を言っているようにも思えなかった。
ヘルマンは「初対面の俺に何を言っているのだ、…この老人は?」と心の片隅で考えなくもなかったが、何故か断る一言が思い出せない。
老人は畳かけるように話を続ける。
「…至高座で儂は夢を見たのじゃ。この人間界に、素晴らしい、偉大な戦士が現れようとしている夢じゃ。そしてお主の持つ魂は溢れんばかりの輝きに満ちておる。どうやらお主が儂の求めている戦士に違いない。我が屋敷に相応しい戦士じゃ」
「…俺が…偉大なる…戦士…だと?」
「そうじゃ。優れた戦士は儂の屋敷を訪れる資格を持つ。…儂の記憶ではこの人間界…。確かこの近くに悪竜が棲んでいるはずじゃ。…儂には視える。儂には解る。お主は悪竜と戦うためにこの街にきたのだろう」
「悪竜……。…よく分からない…。それはドラゴンとやらか?」
老人は怏々と頷く。
「うむ。かの悪竜は恐るべき暴力を以てこの付近の人間たちを恐怖に陥れてきた災厄。だが逃げる事は許さん。『お主は竜と戦うのだ』。…お主は死ぬじゃろう。じゃが死したとしても案ずることはない。死した後、儂の屋敷の門は開かれる故な」
初対面のヘルマンに対し、「ドラゴンと戦い、死ぬがよい」などと不吉な事を言う老人だった。
だが老人はとてもとても機嫌が良さそうに微笑んでいる。
「儂の屋敷には多くの英雄豪傑が食客となっておる。彼らと競い、語らうのじゃ。お主が武の高みに登るための糧となるじゃろう」
ヘルマンも「死んで我が屋敷に来い」などという矛盾を感じても良さそうなその言葉に、何故か違和感を覚えない。
むしろ老人の言葉が歌の様に心地よくヘルマンの心に沁み渡ってくるようだ。
ヘルマンは知らないが、老人の言葉は『呪歌』という、魔術的な韻を踏まえたモノだった。
『呪歌』は『呪術』と共に魔術の一種。
言葉の旋律によって様々な効果をもたらす。
ヘルマンは呪歌によって一種の催眠状態に陥っていた。
…………なんなのだ…、これは…?
目の前の光景と共に、心も…、全てが、曖昧に…
…英雄豪傑との毎日か…。…ああ、それはとても、有益な時間を過ごせそうだな…………。
ヘルマンの意識が霞みがかってくる。
大切なコトが曖昧になっていく。
ヘルマンの心に靄のようなモノが拡がっていく。
「見事な大剣じゃのう…。お主はこのような大剣を振るい、戦場では骸の山をこしらえるんじゃろうなァ…」
曖昧な意識の外から、老人が声をかけてきた。
剣…。
剣…………。
ヘルマンは薄っすらと思い出す。
あの日、ヘルマンを導いてくれる師に出会った。
師の剣は大岩を砕き、大地を割る。
その師が授けてくれた世界最強…ジゲン流。
鍛錬の日々。
師は言った。
「強くなりたければ、我を撃ち出せ」、と。
『我』
ソレは。
「あうっ!」
すると唐突にヘルマンの足元に幼い少年がぶつかってきた。
どうやらよそ見をしてヘルマンに気付かなかったようだ。
ヘルマンの意識の靄はその瞬間に晴れ渡る。
ヘルマンの足元に転んでしまった少年の膝小僧には擦り剥けが出来ており、目にはじわぁ~と涙が浮かんでいる。
幼い少年はヘルマンを見つめる。
「抱き起こして」と目で訴える。
しかし、ヘルマンは少年を優しく見つめるのみである。
「男だろう。立つんだ」
ヘルマンは少年にそう言い聞かせる。
少年はヘルマンが助け起こしてくれないと悟るや、涙を堪えて立ち上がった。
ヘルマンは無言のまま笑い、少年の頭を撫でる。
少年は顔を赤らめ、また元気そうに走り去ってしまった。
ヘルマンはその元気な少年が走り去るのを見送りつつ、老人と目を合わせないようにしてキッパリと告げた。
「…せっかくのお誘いだが、俺には豪傑とやらと語らう趣味はない」
「ほほう。お主は武人であるのに、武の先達に興味がないと申すか?」
老人は落胆するでもなく、どこか興味深げだった。
「俺は未熟者で修行の身。それに俺にはお仕えする主がいる。武の先達とやらも俺には必要ない」
「主人だと?」
「そうだ。主人であり、剣の師でもある。俺には指南を仰ぐべき師が既にいる。それに貴方の屋敷には俺の力の源となる者は居そうにない。せっかくだが貴方の誘いはお断りしよう」
ヘルマンは老人に向き直り、キッパリと告げる。
「………ふ、ふ、っはははは……。素晴らしい。素晴らしいぞヘルマン。手加減していたとはいえ、儂の誘いを断るとは…!」
何故か笑い出す老人。
「だがヘルマンよ。お主が儂の誘いを断ろうと、お主が儂の屋敷を訪れるのは決まっているのだ。…儂には分かる。お主は直ぐ近い未来、恐るべき強敵と戦う運命にある…!」
「……」
「それは人間の敵う相手ではない。即ち、お主の剣は敵に届かず、その強大な力の前に斃れることとなる」
老人に言われるまでもなく、ヘルマンはジエラの言葉に従い、ドラゴンと戦うつもりである。
だがヘルマンが目指すはジエラが立つ頂。
ドラゴンなどという害獣に遅れを取るわけにはいかないし、ジエラが許さないだろう。
「ふっ。俺はそのような害獣などに敗れるつもりはない」
「ッ!? …ふはははは! 素晴らしい決意じゃ! 好いぞ! 気に入ったぞヘルマン! 褒美を取らそうではないか!」
「…褒美?」
老人はそう言うや否や、突然老人の隣に金の鬣が美しい巨馬が顕れた。
いや、直ぐにヘルマンはその巨馬が最初からいたと思い直した。
或いはいなかったような奇妙な感覚したが、街を歩く人々が騒がないのだから、最初からいたのだろうと自らを納得させた。
「この馬はグルファクシという。この通り中々の駿馬だが、若駒であるせいか癖のある馬でな。儂には懐かなんだ。だがお主が真の武人であるならば見事に乗りこなせよう」
「…何故だ。何故初対面の俺に、このような見事な馬を…?」
ヘルマンの言葉通り、グルファクシは美しく見事な体躯をしている。
それこそ、師・ジエラが駆るスレイプニルに勝るとも劣らない程の生気が漲っているようだ。
「ふはは。儂は強き戦士を求めておる。お主は見所あるばかりか、儂の誘いを断るほどの精神力を有しておる。素晴らしい戦士じゃ。ならば戦士に相応しい名馬を以て餞とさせてもらおうではないか」
「………」
「なに、遠慮することはない。お主が死して我が屋敷を訪れる際にグルファクシは返して貰うことにしよう。『グルファクシよ、お主はヘルマンが戦場に斃れるその日まで共にある事を命ずる』」
「…一体何のことだか…話が…!?」
「ではな、ヘルマンよ。『お主が武人として更に成長し、壮烈な最後を遂げる事を期待しておるぞ』」
ヘルマンの話を聞かない老人は、一方的に言いたいことだけ言って雑踏に紛れていく。
そして彼の肩に先程まで居なかった鴉がとまっていることが印象的に感じられた。
また、先程の仔狼も姿を消している。どうやら老人の狼だったようだ。
「……変わった老人だ」
ヘルマンは無理やり(?)預けられた名馬を見る。
「…グルファクシといったな。お前も不本意かも知れんが、俺に付き合ってくれるか?」
そう言いながらグルファクシの首筋を撫でようとしたが、「ブルル」と嫌がられてしまった。
老人の言う通り、中々気難しい馬らしかった。
「…ふっ。剣の修行と一緒に、こいつとも仲良くならんとな」
ヘルマンは笑う。
この名馬と共に戦場を駆ける様を夢想しながら。




