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ヘルマンと街の住民

既に晩餐から数日が経過していたが、待てどもジエラたちが宮殿に現れる事はなかった。


エルランドはそれを幸いとしてヘルマンとの逢瀬を楽しみたかったのだが、ここは宮城である。

伯爵公子(エルランド)客人(ヘルマン)という立場では、適度な談笑と、ナキア伯国への任官話に止まる程度だ。

しかしヘルマンはナキナ伯国への任官には乗り気ではないようだ。

何故なら比較的平穏なナキナ伯国では、剣で成り上がる機会に欠ける。

また不幸に喘ぐ少年たちを助けるために各地を巡る事もできない。





ナキア宮殿。

謁見の間。


当主の椅子に座るナキア伯アロルドの前に、戦士ヘルマンが控えている。



「ヘルマン殿。ドラゴンの件だが、しばし待ってもらいたい」



ヘルマンは無冠であるがグスタフをして強力な戦士と評価されている。

また、ヘルマンの進退も不明であるため、アロルドは敢えて敬称を使っていた。



「は。俺は流浪の戦士。閣下が待てとおっしゃるなら待ちますし、何より主人であるジエラと合流しない事には動きようがありません。しかし、待てとのご命令の理由をお聞かせ願えませんでしょうか?」


「うむ…」



先日のヘルマンによるドラゴン討伐宣言。

それに対しナキア伯爵アロルドは当初驚きはしたものの、実のところヘルマンがドラゴン討伐を成せるとは信じられなかった。


だが今回の場合、信じるも信じないもなく、成功や失敗もまた問題ではないが、それとは別の問題があった。


ヘルマンはナキア伯国に所属していない流れの戦士。

失敗して斃れたとしても伯国は問題は無い。


だが万が一にも成功した場合、歴代のナキア伯爵の悲願が達成される。それに伴い海洋産業が開発され、アリアンサ連邦を構成する国家群において極めて強大な発言権を得る事になるだろう。

上手く根回しができれば陞爵され、ナキア侯爵が誕生する可能性もある。


ならば何が問題なのか。



問題は伯爵夫人スザンナと、第二公子エルランドである。



「閣下。かのヘルマンと申す戦士。閣下の御前でドラゴン討伐を成すと大言を吐いたのですから、是非やらせてみれば良いでしょう。かの戦士が死せども何ら問題ございますまい」



スザンナはヘルマンを警戒していた。

偉丈夫のヘルマンがエルランドの側近として収まった場合、エルランドがグスタフ以上の発言力を得る可能性がある。

その為、ヘルマンさえいなければグスタフの未来は安泰と考えて、ヘルマンを追い出すか殺害を目論んでいた。ドラゴンによって殺されてしまえば御の字である。



「父上様、命の恩人のヘルマンさんがむざむざドラゴンに殺されるなんて耐えられませんっ。どうか、どうか、父上様から「ドラゴン討伐など許さぬ」とのご命令を…」



エルランドも必死である。

愛するヘルマンが死ぬなどと信じられず、考えられず、そして耐えられない。



アロルドの心情としてはスザンナの意見、エルランドの意見共に軽視できない。

ドラゴンなどに手を出さずとも現在の繁栄は続くのだ。ヘルマンのように優秀な武人を手元に置いて、将来の有事の際にナキア伯国から派兵する軍を任せた方が現実的である。


不倶戴天の敵国・グラオザーム帝国と、ナキア伯国が所属するアリアンサ連邦は約20年前の大戦が痛み分けであったため、小康状態が続いているに過ぎない。

休戦中ではなく停戦中であるのだから、いつ何時戦端が開かれるか不明なのだ。


中央の王都からは各国に「良将を育てよ」との命令が下っている。

ナキア伯国から強力な武将を派遣できれば中央の覚えはすこぶる良いことになるだろう。


しかしスザンナの意見を退けるとなると、彼女の実家、つまり寄親であるハージェス侯爵家を軽んじているとみなされる。


とどのつまり伯爵は妻と息子の板挟みにあっているだけの事であるが、そのような弱い部分を他者に悟られるワケにはいかない。



「まぁ、色々と根回しがあるとだけ言っておこう」


「分かりました。では討伐の許可をお待ちしております。しかし、我が師であるジエラ様が討伐を決断した場合は、恐れながらジエラ様の命令に従う事をご承知置き下さい」


「……む」



アロルドは鼻白んだ。

ヘルマンは領主である自分よりも、(ジエラ)の命令を優先するというのだ。

アロルドはエルランドからジエラという女について聞いている。

ジエラは異国の没落騎士爵家の子女なのだという。女だてらに武の才に自信があったらしく、お家復興を目標に協力者を求めて旅をしていたが、盗賊に囚われ飯炊き女として辱めを受けてきた。

やがてジエラはヘルマンに救出されたが、彼を料理の腕前と閨の技で籠絡した。

更にジエラは家に伝わる武術をヘルマンに指導する事で、彼の師という立場に収まっているのだという。

更に現在のジエラの所在も確認している。

なんと、ナキナ伯都への滞在資格を得るために娼館に在籍しているというのだ。



(…ふん。要はジエラとはヘルマンの情婦なのだろう。ジエラは片田舎の力自慢(ヘルマン)に対して、聞き齧った程度の正規軍の鍛錬を課したのだということか)



アロルドはジエラを軽視していた。

いや、蔑んでいると言っていい。



(ジエラという女。盗賊の囲われ者となった後、ヘルマンの助けなくて逃げ出す事も出来んとは武の才もたかが知れている。家門再興を目論む意気込みは分からんでもないが、ヘルマンを身体で縛るとはな…。…それにしても知己を頼るなど他に方法を考えなかったのか。元・貴族の誇りも何もないのだな。くだらん女だ。反吐が出るわ)



対してヘルマンに対する評価は高い。



(娼婦女(ジエラ)からもたらされた鍛錬法だけで魔物を殲滅させる程の武の才…。ドラゴン相手に散らせるのは惜しい。淫売(ジエラ)と引き離し、我が正式な騎士とするのが常道…だが)



しかしヘルマンはジエラに気があるようだ。

しかもそれは領主であるアロルドよりも優先されるという。

面白くない。

ジエラへの対処を誤ると、ヘルマンからの反感を買うのは必然。

ならばヘルマンが自然にジエラから離れるよう仕向ければ良い。

幸い、ジエラは娼婦として働いているという。

ヘルマンが自分の情婦として飼っていたジエラが、他の男に股を開いていると知れば…。



「そうか。ヘルマン殿はジエラ殿への忠義に篤いのだな。そう言えばジエラ殿の所在は確認している。今から向かうか?」


「是非に!」



アロルドは側近に指図し、『娼館(ローレライ)』までの道順を記した地図をヘルマンに渡す。

ヘルマンは入都早々に魔物と立ち合い、そのままジエラとは別行動なのだ。

ドラゴンを相手にどう戦うかの指示を含めて、更なる指南を受けたいところだった。

そしてアロルドは当面の生活費としてヘルマンに金貨袋を手渡す。



「滞在には何かと費用がかかろう。宮城での費用は気にする事はないが、念の為だ」


「忝く存じます」



ヘルマンは金貨袋を侍従のてずから受け取る。

生来、銅貨しか見た事がない彼は、初めて見る金貨の価値を知り得なかった。






ヘルマンは全身に黒い鱗鎧スケイルメイルを装備し、背に大剣を帯びている。

それらは彼が尊敬する師・ジエラから贈られた武器と鎧であり、すでにこれらの武装はヘルマンになくてはならない程に彼の身体に馴染んでいる。


先日まで木こりルックであったヘルマンだが、今では黒の全身鎧を着こなしているので、街でヘルマンとすれ違う者は皆彼を冒険者だと考えた。


当然、街には一般人と共に冒険者の人々も多数滞在しており、彼らの興味の視線も否応なく浴びせられている。



「おい、見ろよ。スゲエ装備だぜ。剣も鎧も逸品だ」


「…うむぅ。あの鎧は強力な護りの力を宿しておるようじゃな…」


「どうやら一人だけみたいだぜ。俺らのメンバーに勧誘してみようか?」

「いや、あれだけの戦士だ。きっと俺たちなんざ相手にしてくれんだろう」


中身(・・)も装備に負けてないな。俺には分かる。アイツは名だたる戦士に違いないぜ」



女性冒険者たちもヘルマンを興味深々に見つめている。



「素敵な戦士様だわ…♡ ウチの野蛮な乱暴者とは違って凛々しくて優しい目つき…♡ カレと寿引退したい♡」


「ああ、剣の腕前もそうだけど、夜の方も……凄そう♡ そ、それもイイ…わね♡♡」


「はぁはぁ♡ 彼を見ているだけでもうどうにかなっちゃいそう♡」



ヘルマンはそんな冒険者たちの熱い眼差しを背に受けているのを気にもせず、アロルドから得たジエラが滞在している場所に向かいつつ、街を散策する事にした。







「リンゴ…。リンゴはいかがですか? 美味しいですよ…」



薄幸そうな少女が道端でリンゴを売っている。

身なりも貧しく、身体は痩せており、更には顔には前髪が垂れ下がっているので、ただそこにいるだけで周囲に陰鬱な雰囲気を振り撒いているかのようだ。


ナキア伯都は豊かであるが、豊かであればこそ反面こうした貧しい民も現れてくる。


だが街行く者たちは彼女の声など届いていない。

むしろ邪魔だとばかりに少女を追い払う。



「そんな薄汚れたリンゴなど食えるかッ」


「ほらほら、目障りだからあっちへ行きなッ」

ドンッ

「…あううッ!?」



少女が転んだことで地面に置いた頭陀袋(ずだぶくろ)が横倒しになり、そこからリンゴがばら撒かれてしまう。

ゴロゴロと転がるリンゴだが、誰も気にしていない。

それどころか足元に転がるリンゴを蹴り飛ばす輩もいる。



「ああ、リンゴが…。…売らなきゃ…売らなきゃいけないのに…。病気のお母さんが…。ううっ」



半泣きでリンゴを拾い集める少女だが、誰も手を貸そうとしない。

しかし、そこに大柄な男が通りかかる。

屈強な美丈夫。

戦士ヘルマンである。



「大変だな。手伝おう」


「ああ、戦士様、恐れ多い…」



少女だけでは道端に転がったリンゴは拾いきれなかっただろうが、見るからに屈強な戦士(ヘルマン)がリンゴを拾い集めているのである。

誰も「邪魔だ」などと文句などを言わず、リンゴはあっという間に集まった。


しかしリンゴは傷だらけ。

とても売り物になりそうにない。


少女は俯いていたが、薄汚れたエプロンで顔と涙を拭うと「どうぞこちらへ」とヘルマンを路地裏に連れ込む。



「お優しい戦士様。どうか私を買ってください!」


「…なに?」


「家には病弱な母が…。母の薬代が必要なんです。ですがリンゴは売り物になりません…。なら…わ、私…私を買って欲しいんです!」



決然と顔をあげた少女は美しかった。

身体は痩せ気味であったが、むしろ彼女の儚げな美しさを際立たせんばかりである。

薄幸の美少女はヘルマンを見つめて今更ながらに思う。



(なんて素敵なお方だろう。ああ、私はこんな素敵な戦士様に抱かれてしまうんだ…♡)



なんと、薄幸の美少女は既に抱いてもらう気満々であった。

しかし同時に「でも私はおっぱいもお尻も貧弱だし…。どうせ断られるに決まってる…」とも思ってしまう。

ヘルマンはそんな薄幸の美少女に「いくらだ?」と問いかける。

目を見開く美少女。



「ほ、ホントに買ってくれるんですか? な、なら、こんな貧相な私の身体で良かったら…。ぎ、銀貨二…いえ三枚で…」



薄幸の美少女は自分でも高すぎると思った。

例えリンゴを売り切ったとしても銅貨五枚そこそこだろう。

それだけだと薬効が疑われそうな安物な薬程度しか購入できない。

それが銀貨三枚あれば素晴らしい良薬を買い、さらにしばらくは栄養のある食事を続けることが叶う。



「あのあのあの…。ど、どうぞ。その…初めてなので…、や、優しくして下さい…♡」



薄幸の美少女はこんな状況にも関わらず、「ああ、ついに私も…。で、でも、こんなステキな戦士様の赤ちゃんなら、きっと働き者の立派な息子に…♡」などとイケナイ妄想でハジメテの恐怖を紛らわそうとした。

既に妊娠する気満々である。


しかし、彼女の妄想は無駄になってしまったようだ。



「リンゴの傷など気にしない。母親が病なのだろう。全部でいくらだ?」


「え、あ、あの…?」


「…これで足りるか? あいにくと銀貨の持ち合わせがなくてな」



荒れた彼女の手に渡されたのは黄金色に輝く金貨三枚だった。

薄幸の美少女は金貨を見て硬直してしまう。

ヘルマンは「母を大事にしろ」とだけ言い残し、リンゴの頭陀袋を肩に引っ掛けると、そのまま歩き去ってしまった。



後に残された薄幸の美少女。

彼女は戦士の名前すらも知ることが叶わない。



「…戦士様…♡」



薄幸の美少女の初恋は、儚くも金貨三枚を残して終わってしまったのであった。

そして思う。


このお金で母の薬を買おう。

そして、身だしなみを良くして、今度こそ戦士様に買ってもらおう。

それに抱き心地の良い身体にならなくちゃ♡


と。






薄幸の美少女と別れたヘルマン。

リンゴをどうしようかと考えながら歩いていると、不意に老婦人の「ど、ドロボーッ!」という悲鳴が聞こえた。


ヘルマンが婦人に駆け寄る。

彼女に怪我はないようだが、どうやら財布をひったくられてしまったらしい。

直ぐに辺りを見回すと路地裏を走る小さな影があった。



「…ばあさん。運が悪かったな。この辺は子供のスリやかっぱらいが多いんだ」


「ウチは卵とか果物をしょっちゅう万引きに遭ってるよ」


「だがすばしっこくて誰も捕まえられん」



老婦人を慰める街の人たち。

「悪ガキ共、役人に突き出してやるヨ!」と息巻く老婦人。


しかしヘルマンだけはスリの少年(・・)が走り去った路地裏を睨みつけている。


彼はどのような理由であれ少年たちが悪事を働くのを見過ごすわけにはいかないのだ。





「へっへっへ。ちょろいもんだ!」



悪ガキは路地裏を知り尽くしている。

どうやら街の人間は追いかけては来ないようだが、油断は禁物だ。

できる限り不規則に路地を選び、先ほどの場所とは関係のないところまで一気に駆け抜ける。



「…さてと、ここまでくりゃあ…わぷっ!? だ、誰だ! こんなところに突っ立って……ッッ!??」



突っ立っていた男。

それは黒い全身鎧の美丈夫・ヘルマンである。

ヘルマンは初めての街の複雑な路地裏にもかかわらず、見事にスリの少年の裏を書くことに成功した。

それは彼が盗人の少年の事を本当に心配しているに相違ないだろう。

ヘルマンにかかれば少年の心などお見通しで、少年の行動など手に取るようにわかるのだ。

迷路のように複雑な路地裏など、彼の想いの前では一本道に等しいのである。



「や、やべ…わきゃあっ!?」



反転して逃げようとした少年だが、ヘルマンに服の襟首を掴まれてしまう。



「…何故こんな事をする。日々の暮らしに困っているんだろうが、だからといって他人のモノを奪うのが許されるわけではないんだぞ?」



そう少年を諭す声は優しく、耳に心地いい大人の男の声だ。

その声は少年の心を鷲掴みにしてやまない。

少年は観念したのか、「どうせ…オレはこんな事しか…」と不貞腐れ始める。


彼は捨てられた子供だった。

愛情を知らずに、やっとの事で生きてきた少年だった。

同じような少年たちと(つる)み、スリや万引きで生きてきた。


彼は大人の愛情を受けた事がない少年なのだ。




しかし…。



「ああァーーーっっ♡♡♡」



少年の身の上話が終わる頃には、彼は大いなる愛で包まれていた。



「お、オレ…。こんなのハジメテ♡」



ヘルマンから足腰立たなくなる程に愛を教えられた少年は恍惚としている。

ヘルマンは少年の頭を撫でながら「お前たちは親に捨てられたというが、親から元気なカラダを授かったんだ。それを悪事に使ってはならない。真っ当に働くんだ」と諭す。



「……ああ、わかったよ。アニキぃ…♡」



ヘルマンは少年に微笑む。

そして少年と共に被害に遭った露店に謝罪に回った。



「この子も反省している。代金は俺が立て替えよう。勘弁してやってほしい」


「ごめんなさい」



盗まれた商品は果物やら野菜だったので金銭的には少額だったのだが、ヘルマンは一律して金貨を一枚づつ支払ったため、却って露天商たちは恐縮してしまったようだ。



「…いやぁ、こうやって謝ってくれれば…」


「そうだよな…。子供を役人に突き出すのも気がひけるしな…」



中には子供の面倒を見てくれる者まで現れた。



「仕事を探しているならウチの農園で働かないか? 賃金は安いが、メシはしっかりだそうじゃないか!」


「は、はい! が、頑張ります!」



なお、先程の老婦人もヘルマンから慰謝料として金貨を受け取ると、「可哀想な子だったんだねえ」と同情し、財布を引ったくられた事を許したのだった。


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