新たなるニンジャ
「…何者ですか?」
褐色肌をしたエルフ…サギニは無表情でヴェクストリアスを詰問する。
サギニの持つ苦無はヴェクストリアスの首筋に肌が斬れない程度に食い込んでおり、何らかの身動きをするどころか、大声を出すだけで皮膚が傷つきそうだ。
「あ、あぁ、あ…あ…」
ヴェクストリアスは応えようとしたが、うまく声が出ない。
混乱しているのだ。
瞬時に目に前に現れた褐色のエルフは何者なのだ!?
上空の精霊力と関係あるのか!?
自分が…大陸での屈指の実力者であるはずの自分が、…追い込まれている!?
サギニは訝しげに目を細める。
「ふん。この人間界のエルフですか。以前からエルフは何度か街で見かけましたが…」
一呼吸おく。
そしてあからさまに落胆してみせた。
「改めて見ても…矜持も気概も感じられませんね。当然実力も未熟。コレが我ら妖精の裔とは嘆かわしい」
「……あ、あーる…ゔ?」
ヴェクストリアスは呟くが、サギニは応えない。
まるでヴェクストリアスの声など聞こえていないようだ。
そしてサギニは冷酷な声で続ける。
「貴女は我らを監視していたように見受けられます。ナニか良からぬことを考えていたのではないですか。…もしや、ハージェス侯国の回し者ですか?」
「な、な…に、を…」
何を言っている。
ヴェクストリアスはそう言おうとしたが声に出ない。
彼女はサギニが放つ圧倒的な殺気、そして瞬時に生殺与奪を握られた技量に圧倒されているのだ。
「殺すのは簡単ですが…。そう言えば…」
サギニは思い出す。
かつて同業者に助言された事。
『怪しいからと言って即殺すのは悪手。やむを得ず殺す場合は情報を収集してから』
彼女は良い機会だと思い直し、試してみることにした。
「では、貴女の名、職業、交友、背後関係、ここにいる目的、身の上、全てを話しなさい。それが偽りだった場合、死体も残らずに消え去ると思いなさい。もっとも害悪と判断した場合も同様です」
「………(こ、殺され…ッ)」(ガチガチガチ)
「…誰が歯を鳴らせと言いましたか? 具体的に死が間近に迫っていると解らせないと質問に答えられませんか?」
サギニの尋問は全くニンジャらしくないが、ヴェクストリアスにとっては気にするどころではなかった。
ヴェクストリアスの周囲の空間が揺らぎ、尋常ではない精霊力が溢れたのだ。
地、水、火、風の四大上位精霊が顕現したのである。
「…ッッ!!??」
サギニが四大精霊を召喚したのはヴェクストリアスを殺し、その死体を消滅させるためである。
燃やした後、灰を吹き飛ばそうか。
殺して地面に埋めて水でもかけてやれば肥やしになるだろう。
そんな物騒な事を考えていた。
「…………(ま、まさか。じょ、上位…精霊…)」
「何を泣いているのです? さっさと答えなさい。死にたいのですか?」
ヴェクストリアスは涙が溢れて止まらなかった。
恐怖ではない。
感動と畏れの涙。
彼女にとっては長年追い求めてきた存在を直に目にしたのだ。
先程までの死への恐れなど完全に忘れて、目の前の偉大な精霊使い…サギニに尊敬と畏れを感じずにはいられなかった。
そしてヴェクストリアスが口から絞り出した言葉は…。
「…い、偉大なる御方。どうか、私を貴女の弟子に…、いや、下僕、奴隷でも構いません…っ。どうか、どうか、私めに、偉大なる御業の…一端でも、おさずけ、くだ…さいッ」
「……………はい?」
突然の申し出にサギニは虚を突かれた。
拘束が緩んだ事を幸いに、ヴェクストリアスは拘束を逃れて瞬時にその場に土下座する。
「私の名はヴェクストリアスと申します! この大陸の南部、人間たちが『深淵樹海』と呼ぶ森の奥…旧いエルフ集落出身でございますッ! この100年、冒険者として精霊を遣う術の研鑽に努めてきました! そして、今、ここに光を見た思いでございます!」
ヴェクストリアスは顔面を地面に押し付けながら絶叫しているので、口の中に砂が入ってくるのだが気にするどころではない。
「どうか、どうか私をッ! 精霊遣いとしての高みに導いてくださいませぇッ! そのためならば、私をいかようにお使いしていただいても構いませんッ! どうかぁッ!!」
「………」
サギニは黙っている。
不審者かと思いきや突然の弟子入り願い。
しかもどうやら嘘偽りではなさそうである。
(…私のニンジャとしての実力に感嘆した、と。奴隷になっても弟子入りしたい、と。ふふ。嬉しい事言ってくれるじゃないですか)
単純なサギニは思いを巡らす。
(奴隷…ですか。良い響きですね。私もジエラさまの愛玩ニンジャ側室…いや愛玩奴隷ニンジャ側室として、一層ジエラさまに尽くさなければなりません。ならばこの者の願いを聞き届けるのはスジというものでしょう)
そしてサギニはヴェクストリアスに対して「立ちなさい」と宣告した。
「は、はいっ」
ヴェクストリアスは涙と涎と鼻水、そして土砂で汚れた顔をあげ、立ち上がった。
汚れきった酷い顔であるが、瞳はキラキラと輝いている。
だがこんな状態であってもエルフとしての美貌は陰ることはない。
サギニはそんな彼女を興味があるのかないのか分からない、といった雰囲気で眺める。
エルフらしいスラリとした肢体。
金髪碧眼。
その肢体は幾分ゆったりとした長袖長ズボンで全身が覆われている。
胸から腹にかけての部分は大きめの革鎧。
「弟子入り希望との事ですが…話にならないとはこの事ですね」
「え?」
「貴女は精霊遣いとして入り口にも立っていない、という事です」
「え? え?」
ヴェクストリアスは混乱する。
彼女はエルフ。
エルフは精霊との親和性が高く、彼女自身も下位精霊との契約者だ。
確かに目の前の存在より未熟なのは間違いないが、それでも『入り口』にも至っていないとは…。
「ど、どういう事でしょう!? エルフとして生を受け、先人の教えに従い精霊遣いとして鍛錬を続けてきました。確かに貴女様と比べるべくもありませんが…。……。それとも何かが決定的に誤っているとでも仰るのですか!?」
ヴェクストリアスは半信半疑…当惑と歓喜の表情で問いかける。
今までの修行が誤っているとしたら…? そう思うとやり切れない気持ちない訳ではない。
しかしそれ以上に故郷の先達すらも知らない『誤り』を偉大なる精霊遣いに修正される幸運に喜びを隠し切れない。
「貴女が誤っていること…それはコレです」
サギニが手をかざすと、ヴェクストリアスの衣服が一瞬にして崩れ去った!
「ひぅッ」
突然全裸にされたヴェクストリアスは悲鳴をあげるのを辛うじて堪える。
悲鳴によってサギニを不快な気分にさせるわけにはいかない。
しかし、羞恥の心は隠すことができなかった。
故郷の同族に散々侮蔑された肢体が露わになってしまったのだ!
美しいが豊かな乳房。
美しいが豊かなそして張りのある臀部。
細身ではあるが、肉感的でもある肢体。
腰はしっかりと括れてはいるものの、このような肉感的な肢体はエルフに相応しくなく、まるで人間の血が混じったエルフ…ハーフエルフのようである。
いや、例えハーフエルフでも、ここまでメリハリの効いた肢体はまずお目にかかることはないだろう。
「…精霊遣いが服を着る。コレが間違えているのです」
「な、何を仰っているのか…そんな事より、み、見ないで…くだ…さい」
「?」
涙目になるヴェクストリアス。
彼女は己の肢体を心底恥じているようだ。
「う…ぅ…っ。わ、私は、このようなカラダをもって産まれてしまって…同族に嫌悪されてきたのです。エルフは細身であるという事が美しいとされています。こ、こんな鈍重そうな…胸…なんか。お尻だって…」
ヴェクストリアスは語る。
容姿を変える事が出来ないのなら、せめて精霊遣いとして高みを目指すのだ、と。
現状では下位精霊を支配できるのだが、中位精霊を支配する事がかなえば、エルフ社会で彼女を邪険にする者はいなくなる、と。
「ふん。貴女は己のカラダを見苦しいと思っているから、肌を晒したくないと考えているのですか?」
「…いいえ。私のカラダ以前に、我らエルフは慎み深い種族。肌を晒すなんてあり得ません。そ、それなのに、どうして…それが間違いなの…ですか?」
「…愚かな」
サギニはわざとらしくため息をついた。
そして叫ぶ。
「忍法・脱衣!」
その声と共に、サギニは一瞬だけ光に包まれる。
そして私服からニンジャ装束へと変化したのだ。
具体的には黒のミニスカ甚平を脱ぎ去り、顔は覆面で隠されている姿。
褐色の肢体は全裸の全身網タイツ。
そして細紐状の『力の帯』を亀甲縛りに。
腕と脚には忍者としての革装甲が装備され、武器も余すところなく身につけている。
側から見れば単なる露出狂の痴女なのだが、『力の帯』で忍力(?)を強化しているためか、ヴェクストリアスはサギニが丸見えなのにも関わらず違和感を持たなかった。
「我が名はサギニ。精霊遣いにしてニンジャ。そしてコレが私の真の姿です」
「ッ!?」
ヴェクストリアスは開いた口が塞がらない。
何と言葉を発すればいいか分からない。
サギニが全裸紛い…いや、全裸よりも恥ずかしい格好をしているようなのだが、不思議と受け入れてしまっている。
分からないのは、何故、服を脱ぐ必要があるのか、だ。
「我が姿の意味が分からないとは…。貴女の祖は人間界に亡命するにあたり、服に拘ってしまったのでしょう。そのため大切なコトを忘れてしまったようですね」
「た、大切な…こと?」
「そうです。だから子孫たる貴方も、誤った認識を当然の事と受け入れてしまった。むしろ被害者です」
「…? …?」
サギニは語る。
精霊遣いは精霊との親和性を重視する。
ならば。
大自然と一体化するのに服など不要なのだ、いや、むしろ精霊との間に壁を作るに等しい、と。
「そ、そんな…」
がくり、と。
ヴェクストリアスは膝をついた。
サギニが嘘を言っているようには思えない。
何故なら、彼女自身が偉大なる精霊遣いなのだから。
「…精霊の存在を肌で感じるため…ぜ、全裸となる。サギニ様の仰り様は理解できます。し、しかし私は冒険者です。は、肌を晒して、どう戦えば良いのか…」
「? 貴方は私の奴隷志願と言いましたね。冒険者など引退して私のもとで修行すれば良いでしょう?」
「それは…それって、私を弟子としてお認めいただけるとッ!?」
ヴェクストリアスは歓喜の眼差しをサギニに向ける。
偉大なる精霊遣いの弟子となれるなら、冒険者稼業など廃しても問題ない。
しかし、サギニの次の言葉に愕然とする事になる。
「私は世を忍ぶ仮の姿として、とある娼館にて娼婦をしております。貴方も我が奴隷を希望するならば……ああそうでした。確か同業者に助言頂いたのでした。貴方は精霊遣いニンジャとしての修行と並び、娼婦として男どもから情報を収集する役目を命じましょう」
「しょッ、娼婦…ッ!?」
ヴェクストリアスは耳を疑った。
彼女は己がエルフという種である事に誇りを抱いている。
娼婦に身をやつすなど想像の外なのだ。
長命種である彼女にとって、人間など老人でも子供に等しい。
肌を晒す事については、相手を子供だと思えばどうという事はない。
しかし、客にカラダを許してしまっては、子が…ハーフエルフを身に宿すことになりかねない。
しかもヴェクストリアスは生娘であった。
「わ、わたっ、私は…っ」
「どうしました? …なるほど、分かりました。『ニンジャ』がどういったものか分からないのですね」
サギニは勝手に話を続ける。
ニンジャとは、主人のために正体を隠して闇に潜む存在だと説明した。
暗闘や情報収集を是とし、主人に影として仕えるのだという。
ヴェクストリアスは「ニンジャとは暗殺者兼間諜なのだな」と理解した。
「更にニンジャとして足手まといとならないよう、貴女と上位精霊との契約を精霊王へ打診しておきます」
「ッ!??」
精霊王。
それはエルフにとっての神。
それ程までの存在と繋がりが持てるのかと思うと、ヴェクストリアスは感動で目眩を覚える程だ。
(……娼婦になるだけで…精霊王の名において上位精霊との契約…。こんな機会もう絶対に訪れない。で、でもッ!)
娼婦になれば妊娠や病気のリスクが避けられない。
上位精霊を従える偉大な精霊遣いになれたとしても、娼婦生活でカラダを壊しては元も子もない。
(どうすればいいッ!? 私は性病や避妊薬の知識はない。けれどそれ以前に、エルフとしての矜持はッ!?)
『精霊遣いとして大成する』と『娼婦となるリスク』を天秤にかけたら?
いや、かけられるものなのか。
(どうすれば…どうすれば……)
ふとサギニを見ると、「私の弟子になりたいと言ったのに、ナニをグズグズしている?」と言わんばかりの表情をしている。
そしてふと疑問を抱く。
(サギニ様は…、こんな偉大なる御方が娼婦をしていらっしゃる…。どうして…そんなことを…。聞いたらお怒りになるだろうか?)
ヴェクストリアスは意を決してサギニに問いかける。
「サギニ様にお伺いします。貴女様は娼婦をされていると仰いました」
「ええ。それが?」
「そ、その…。娼婦になると、色々と問題が…。貴女様程の偉大なる御方が、不特定多数の男にお身体を…その…、お許しに…ひッ!?」
ヴェクストリアスはそこで口を噤む。
サギニから異様な精霊力が溢れているからだ。周囲を上位精霊が舞う。
「失礼を申し上げました!」
サギニは怒りの感情をもって答える。
「…私が男に身体を許している? その様な事を想像するとは!」
「も、ももも申し訳ありませぇッ!」
「我が身はすでにジエラ様のモノ。私の貞操を欲する男など万死に値します!」
「は、はひぃぃぃッ!」
そしてサギニは一呼吸おく。
「…私は妖精国出身ですが、この人間界では男に快楽を与える職業を『娼婦』という事くらい知っています。しかし私たち妖精は人間の娼婦とは違うのです。ちなみに私は森妖精に処理を任せています」
「え? 任せる?」
「ですので我が身は清いままです。ジエラ様に求めていただくのですから当然でしょう。もう二度と穢らわしい妄想など控えるように」
「え? あ、はい」
「貴女も私と祖を同じくするエルフなのですから男に身体を許す必要などありません。工夫すれば良いでしょう」
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かくして大陸最強の冒険者の一人と言われた討伐者・ヴェクストリアスは引退した。
彼女が引退したと同時期に、とある娼婦が客を取り始めたのだが、その評判は微々たるものであった。
それは彼女の客となった者の多くが、彼女の奉仕内容を語ろうとしなかった為である。
無論、ヴェクストリアスと娼婦の関係性を想像する者…ましてや同一人物なのではないかと勘繰る者など皆無であった。




