エルフとアールヴ
◇
上空何百メートルだかわからない空中。
精霊の力を行使しているのだろうか。ベルフィはぷかぷかと浮いている。
そこは気温も低く、かなりの強風が吹いているはずなのだが、彼女の周囲は気温も風も穏やかなままだ。
彼女の手には冒険者ギルドで購入したアリアンサ連邦の地図。
だがその地図は庶民相手のもの。
国防の問題上、精密な地図は市場になど出回っていない。
それでも旅人にとって地図がないと不便…どころか死活問題であるので、お互いの国境線やら山の位置、川の位置、街道、村(町)の名前と位置など、それぞれの大まかな位置関係が線と点で描かれている。
縮尺も適当であるため、『この道を歩いて次に見える村は〇〇』という程度の代物だった。
彼女は遥か上空からそんなインチキ地図と地上の位置関係を見比べている。
地図を上下左右から見たり、傾けたりしながら地上の地形と地図の図柄を合わせようと四苦八苦するものの、地図と地形が全く一致しないのである。
「…めちゃくちゃじゃないですか。川のカタチはいい加減だし、あの山とこっちの山はもっと遠いです。この点線が国境でしょうけど、あそこに見える街を横断しているみたい…。これを作った人間は景色が歪んで見えているんですかね」
すると彼女の周囲に乳白色の光球がフワフワと舞い始めた。
(…ディードベルフィ様、先程から何をなさっておいででしょうか)
光球がベルフィに向けて意識を発する。
光球の正体はこの人間界で最高位の精霊。
彼女が『根源精霊』と呼んでいる存在である。
根源精霊とは原初の精霊だ。
原始人達が自然を神として崇めていた頃、その信仰の対象となった精霊王。
後に精霊王から分かれた『地』『水』『火』『風』の四大上位精霊。
更に精霊たちは四大精霊を主として細かく分かれ、自然界の全てに影響を及ぼしている。
根源精霊とはそれら全ての精霊の母体となった存在。
主にこの人間界がカタチ作られる前の『混沌』であった頃から活動していたモノであり、文字通り精霊の根源だ。
無論、根源精霊は一般的な精霊と比較しても能力、存在力共に桁外れの存在であるため、人間界には顕れずにその表裏たる精霊界に存在している。
『妖精国』はそんな精霊界を支配する総元締めなのである。
そしてベルフィたち白妖精は森の恵みを司る豊穣神の一角であり同時に精霊を支配する存在。
ベルフィはそんな妖精国に住まう白妖精のなかでも由緒ある血筋。すなわち姫なのであるから、根源精霊が彼女の支配下にあるのは至極当然であった。
「…ちょっと聞きたいんですが」
(なんなりと。この世界の森羅万象は我が意のまま。きっとお役に立てるでしょう)
光球がプルプルしながら激しく動き回っている。
恐らくベルフィの役に立てるのが嬉しいのだろう。
本来なら根源精霊は精霊界におり、ベルフィの意思に忖度する形で人間界の精霊に命令を発するのであるが、彼女が悩んでいるようなので相談相手となろうと顕現したのだ。
まさに忠犬さながらである。
顕現したとはいっても根源精霊がそのまま人間界に顕れると精霊のバランスが崩れてしまうため、顕現したのは本体から別れた分体であるが。
そんな根源精霊がベルフィの言葉をワクワクしながら待っていると、彼女はとんでもない事を口にした。
「『ハージェス侯国』って知ってますか?」
(…………)
光球はビタリと止まる。
次にガタガタ震え始める。
恐らくベルフィの質問に答えられないのだろう。
それもそのはず。
根源精霊は存在そのものが強大過ぎて、肉体をもつ生命体に対する認識はゼロに等しい。
人間、魔物、動物、昆虫、微生物の区別がつかない程にかけ離れた存在。
言うなれば人間の街、蟻の巣、アオミドロの違いが分からない程に。
ベルフィの質問から察するに、『はーじぇすこうこく』はおそらく地上に在る何かだと思うが、根源精霊には検討すらつかなかった。
「…分からない?」
(わ、私は人間界のモノたちに認識されませんと申しますか、 私も認識する必要がございませんので…、その…)
「じゃあ解るのを呼びなさい」
(も、申し訳ありません。では精霊の王を喚びましょう)
精霊王はこの人間界における精霊達の親分の様な存在だ。
姿は半透明。
威厳ある初老の男性の姿で、立派なカイゼル髭が特徴的だった。
しかし精霊王も『はーじぇすこうこく』など分からない。
申し訳なさそうに精霊王が喚んだのは『地』『水』『火』『風』の四大上位精霊たち。
精霊王と同様に半透明。
美しい女性の姿であり、それぞれ良妻賢母、お嬢様、遊び人、元気いっぱいの少女のような外見をしている。
しかし彼女(?)たちも分からない。
次に四大上位精霊が喚んだ中位精霊はヒトではない外見をしたモノだった。
それぞれが半透明の体躯をした大型の魔物や動物の姿をしている。
当然だが中位精霊たちも『はーじぇすこうこく』など知らなかった。
もっとも精霊たちが人間たちの情報を見知っていることはないのだが。
「役に立たちませんね」
あからさまに落胆するベルフィ。
しかしこれは彼女が悪い。
ニンゲンの営みを精霊に聞こうとするのがそもそも間違っている。
なお、根源精霊が(その『はーじぇすこうこく』とやらは一体…)と聞くと、彼女は「私に無礼を働いたのです。身の程を教えてやらないと…」との事だった。
「もういいです。分かる者に聞きます。貴方も精霊界に帰りなさい」
ベルフィはそれだけ言うと地上に向かって急降下していった。
(つ、次はお役に立ってみせますのでぇぇ…)
根源精霊は彼女の命令に従ってぽわんと消え失せる。
後に残されたのは精霊王、四大上位精霊、無数の中位精霊たち。
(な、なんという失態ッ!)
(ああ…。ディードベルフィ様のご期待にお応えできないなんて…)
(かの方は英邁でらっしゃるから、これしきの事でお怒りにはなりませんわ。…多分)
(ま、まぁ、大丈夫だって。アタシらが分からないのは当たり前だろ)
(『はーじぇすこうこく』ってディードベルフィ様に悪い事したの?)
(ガウガウ)
(ワンワン)
(ニャンニャン)
さながら精霊王、四大上位精霊、中位精霊がまるで旦那、嫁、娘、ペットのように家族会議をしているかのようだった。
ちなみに精霊王は根源精霊に創られた各人間界につき一体だけの存在だが、上位、中位、下位精霊は世界のどこでも存在するために個体差、個体数という概念はない。
余談だがヘルマンの鎧にもベルフィの手により上位精霊が込められているが、すでに上位精霊というべき存在ではなく、『鎧の精霊』(?)という特殊なモノに変質し、彼を魔術的な災いから守護している。
(…そういえば海に大きな生物が生息してましたが、その生物はディードベルフィ様を襲おうとして返り討ちになりました。その事と関係があるのではなくて?)
(あ、それ私だ。私、おっきくて黒いウロコの生物をグシャってしたの。グシャって)
水精霊と風精霊は巨大生物への懲罰がベルフィの目的と思ったようだ。
(おお…。その生物も無知とは言えなんと恐ろしい事を…。ちゃんと滅ぼしましたか?)
(ううん。ディードベルフィ様は生物のウロコを回収して去ってしまったから、滅ぼさなくても良いのかと思って…。今は海の底で回復中みたい)
風精霊の答えに精霊王は(それはイカン!)と憤慨する。
(おそらくその生物こそが『はーじぇすこうこく』に違いない。ディードベルフィ様を害そうとする生物など、この世界に居場所はないのだ! 回復など儂が許さん。己のした事を後悔しつつ苦しんで滅びるがよかろう!)
精霊王の怒りに空間がビリビリと震える。
炎精霊が名乗りを上げた。
(じゃあ、アタシが処分すっから。一瞬で消し炭になんかさせねぇ。ジワジワと灼かれながら滅びるがいいさ)
すると水精霊や土精霊も同意する。
(わかりましたわ。私はその生物を海から追い出すとしましょう)
(関係のない他の生物たちのご迷惑になってはダメよ。ディードベルフィ様を害そうとしたという生物を灼くにしても体内にしなさいね)
そんなこんなで精霊たちは巨大生物を更に瀕死に追い込むことになる。
そして一仕事終えた精霊たちは、(よし、また何かあればお呼びがかかるだろう)とばかりに消え失せてしまった。
◇
「な、な、なんッ、なんだったの…!?」
高位の冒険者であるヴェクストリアスはガタガタ震えている。
彼女が恐れ慄いている理由。
人気のない雑木林の中での薬草採取中にて、上空に巨大な精霊の存在を感じ取ったのだ。
精霊が発するとてつもない圧力のため、彼女はそれ以上近づくことが叶わなかった。
「あ、アレが…私が追い求めていた…力…」
彼女がナキア伯国を本拠地に定めている理由。
それは先日、このナキア近海の海で強大な精霊力が猛威をふるったためだった。
当時彼女は内陸のナキア伯国とは離れた地域にて活動していたが、そこからでも異常な精霊力を知覚できた。
それは故郷の長老すらも不可能と思える精霊力の行使。
その原因を探すためだ。
「こ、コレは…この精霊の奔流は…上位精霊を凌ぐ…? ま、まままさか伝承にのみ伝えられる精霊の王!? そ、そんなバカな。あり得ない。上位精霊に決まってる。し、しかし上位精霊を召喚するなんて…エルフのなす業ではない。故郷の大祖父様よりも…もっと高位の…ナニか…。人間の魔術師が精霊を使役する魔術を開発? そんな事ができるはずがない!?」
ヴェクストリアスは考える。
自らの目的を反芻する。
当初は大陸中を放浪しながら精霊遣いとして修行を行いつつ、可能であれば自らが認めた偉大な精霊遣いを探し、弟子入りし、腕を磨き、故郷に住まう旧態依然の価値観を持つ愚かな連中を見返してやる事が目的だった。
だが現在のところ彼女自身は下位精霊を支配してはいるが、中位精霊との接触のみで精神力を使い果たしてしまうといった程度の実力しか持ち得ない。
「も、もし私が…先程の存在に対面していたら…、私という存在…心を打ち消されてしまうかもしれない…」
彼女は大陸でも屈指の実力者だ。
それは精霊魔術と剣術弓術の複合戦法が強力無比であるため。
しかし戦士としての力量はともかく、精霊遣いとしての実力は故郷では普通の存在でしかない。
「私は…、私を嘲る村の連中を見返す…。そのために村を出たというのに…。百年にも及ぶ外界での修行で剣の腕前は上がったけど、精霊遣いとしての実力は…未だ…」
このままだと彼女の目的が達成することはない。
彼女の容姿が嘲笑の的であるままだ。
精霊遣いとしての腕前をハイエルフ並みか、それに近いまでに引き上げなければ彼女の名誉は回復しないのだ。
具体的には中位精霊と契約し、かの力を行使する精霊遣いになるのだ。
中位精霊との契約はハイエルフのみがなし得る奇跡であるから、彼女を「エルフよりもニンゲンに近い」などと見下す連中も己が不明を恥じるだろう。
「と、とにかく…。この奇跡を成し得たモノが対話可能な存在なら…。なんとしても弟子に…ひぅッ!?」
ビタリ、と。
いつの間にか彼女の首筋に刃物が当てられていた。
視界の隅には褐色の肌をしたエルフの女がいるのだが、まるで瞬きの瞬間に出現したかのようだった。




