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悪辣なる侯爵公子

よろしくお願いします。


ナキア宮殿のサロン。


そこには貴人にあるまじき態度でワインをがぶ飲みするジェロームがいた。

側に控えるメイドもビクビクしている。



「わあっはっはっは! どうした? 最近不機嫌そうではないか。従兄弟殿?」



ナキア伯爵公子グスタフはいつもと変わらぬ陽気さでハージェス侯爵公子ジェロームに問いかける。

ジェロームはグスタフを一瞥すると「機嫌が良いはずあるまい」と呟き、再び酒杯を口にする。



先日の娼館(ローレライ)でのやり取り。

ジェロームは侯爵公子としてあるまじき侮辱を受けた。

しかもその場に居合わせたグスタフも娼館側の肩を持ったのだ。

その後、ジェロームはグスタフに彼と娼婦たちの態度を詰ったが、グスタフは「あのような態度は紳士として褒められたものではないな! わあっはっはっは!」として相手にしなかったのである。




だが、ジエラを諦めるなど出来なかった。

彼女は天上の女神もかくやの美貌を誇る。

ジェロームの側に淑やかに佇むのに、彼女ほど相応しい女性はいないのだ。

問題があるとすれば彼女は貴族の女性としての慎みと作法には甚だ欠けるが、それは教育でどうとでもなる。

しかし重大な懸念がある。

ジエラが将来の夫(ジェローム)を蔑ろにする態度は見過ごすわけにはいかない。

更に彼女が娼婦の真似事をしているのも気に入らない。


そのような思いが時間と共に湧き上がってきているのだ。



「グスタフ。そもそも君が甘い態度だから娼婦などという劣悪な連中が勘違いするのだ! ジエラ殿も連中に毒されてあのような態度を! 本来なら私の来訪に感謝し、傅くべきだろう! それに髪を黒く染めるなど何を考えているのか!」(キラッ!)


「そう市井の民を悪し様に言うものではない。それにジエラ殿は…こう言ってはなんだが、お前に惚れている様子ではなかったがな」



ジェロームはチッと舌打ちする。

グスタフはその様子を見ぬふりをしながら話を続ける。



「ジェロームよ、ジエラ殿を無理矢理侯国に連れ帰ったところで、彼女はお前に微笑んでくれると思っているのか?」


「思うとも! ジエラ殿には女性に生まれて来た事を幸福に感じる全てを与えてやろうではないか! 美しく広大な邸宅! 大勢の使用人に傅かれる毎日! 美しい服! 宝石! そして我が侯国の跡取りを授けてやろう!」(キラッ!)


「そんなモノを与えられたところでジエラ殿が喜ぶかね? 彼女が求めるのは戦士というではないか。お主が剣技を披露するなり、魔物を狩ったりする方が喜ぶのではないか?」


「…ぐ」



ジェロームは思い出していた。

豚魔物(オーク)に追い回されて無様を披露した、あの悪夢のような夜を。

貴族の嗜みとして磨いてきた剣が、実戦ではまるで役に立たなかった事を。



「く、下らん! なぜ高貴な私が!? そもそも剣を振るうなど下々のする事だ!」(キラッ)



ジェロームの態度は相変わらずであった。



「…ジェロームよ。忘れたのか。ジエラ殿は強い戦士と戦場を求めていると言っておられた。宝石だの使用人など求めておらん」


「愚かな考えは修正させる。いかに騎士爵家の出とはいえ、あの美貌を持ち得ながら何故そのような事に拘るのか皆目見当が付かん」(キラッ)


「それにジエラ殿には既に屈強な戦士であるヘルマン殿がいるぞ? だから彼らは共に旅をしていたのだ。ジエラ殿をヘルマン殿から奪いたいのであれば、お主がヘルマン殿を凌ぐ腕前を披露すれば良いではないか。それが叶わぬなら、ジエラ殿はお主の想いに応えることはあるまい」



カンッ

ジェロームは乱暴にグラスをテーブルに叩きつけると、弾みで中身が溢れた。



「まさか君はヘルマンとかいう戦士こそがジエラ殿に相応しいと、そう考えているのか!?」(キラッ!?)


「ふむ。相応しいか相応しくないかと問われれば、相応しいだろう。事実ジエラ殿もヘルマン殿で十分だと言っておられた。そしてヘルマン殿はジエラ殿の期待に応えて腕を磨いている」



グスタフには心に秘めた願望があった。

ジエラたち主従に出会う前からの密かな思い。

それは伯爵公子などの身分を打ち捨て、気ままな武者修行の旅にでかける、というもの。

元々彼は伯爵家の後継公子という身分を窮屈に感じていた。

しかし、己の生まれ持った立場というものを己の都合で放棄するわけにいかず、父母からの「貴族としての資質」を要求される日々に苦痛を感じながらも、笑い飛ばすことで気を紛らわしてきた。


だが、流浪の戦士ヘルマンと出会った事で、一度は諦めかけた願望が再燃しているのだ。



(…ヘルマン殿が羨ましい。己の剣に生きる事ができるのだからな。…もし俺が伯爵家などに産まれていなければ、単なる戦士であったなら…)



グスタフは思う。

剣一本で自由気ままな旅ぐらし。

戦争はないとはいえ、辺境では魔物は蔓延り、巡回兵の目を盗むようにして山賊盗賊が跋扈する。

それを退治して回るだけでも修行と収入には事欠かない。


そしてふと思い出す。

修行といえば、ジエラの腕前は未知数だ。

彼女との手合わせで、何か得るモノがあるかも知れない。



「…なあジェローム。ジエラ殿はヘルマン殿を指南したというが、この俺をも凌ぐ腕前だと思うか?」


「ふざけた問いかけだ! ジエラ殿は嫋やかな淑女だ。君の怪力を前にしたら全身粉々になるのは目に見えている。仮にそのような腕試しをしようものなら、我がハージェス侯国は全力でナキア伯国と敵対するぞ!」(キラッ)



そして「ヘルマンという戦士の師のはずがない。優しく美しいジエラ殿は戦士の気あたりで気を失ってしまうだろう。戦場の空気で泣き崩れてしまうだろう! 俺がお守りせねば!」と続ける。

するとグスタフは膝を叩いて声を張り上げた。

この日一番の陽気な哄笑だろう。



「全くだ! ジエラ殿の細腕では剣など振れんはずだ。だがヘルマン殿が嘘を言っているとは思えん。だが…仮に、仮にだがジエラ殿が剣の達人で俺を凌ぐ怪力あるなら、それは人外人越の猛者という事だな! わあっはっはっは!」


「…君は何を言っている!? とにかく、ジエラ殿は私が侯国に連れ帰る。そのためにもグスタフ、君はヘルマンという戦士を高禄で召し抱えるんだ。資金が必要なら我が侯国で出す」


「…?」


「金、身分、屋敷、上等な女、なんでもいい。ヘルマンをジエラ殿から引き離すんだ!」


「……」


「さらにジエラ殿にまとわりつくエルフの小娘を処分すれば…。くくく。…幸にして、あのエルフは娼婦だと言うではないか。私がカネを出して兵士共の慰安に輪姦(まわ)せば…。ふ、くくく、ふ、ふは…」





⬜︎ ⬜︎ ⬜︎ ジェロームの妄想 ⬜︎ ⬜︎ ⬜︎



「…ううっ。ヘルマンがボクを置いてナキア伯国に仕官しちゃう…。これからはヘルマンの世話になる? いやっ。そんな恥知らずなマネなんかできないっ。ど、どうしよう」



娼館にて。ジエラは嘆いている。

すでに彼女の従者たるベルフィの姿も見えなかった。何故ならベルフィはジエラが止めるのも聞かずに客を取りすぎ、身体を壊して故郷の森へと帰ってしまったからだ。



ジエラは独りになってしまった。





彼女は己の美貌に酔いしれていた。

娼館に勤めて常軌を逸した高額を設定した事も、言いよる男を揶揄(からか)う為であった。

「ボクは戦場で輝くんだ」とは言うが、それを聞いた男たちがあたふたするのを眺めて楽しむ為だ。


そんなお遊び(・・・)が可能なのも屈強な戦士ヘルマンが側にいたからである。


しかし、ヘルマンとベルフィはジエラのもとを去る事となった。



「うう。ボク、ボクぅ…」



ジエラには後悔しかなかった。

そんなジエラを訪ねる一人の貴公子。



「…おや? ジエラ殿、何故泣いているのです?」(キラッ?)



彼の名はジェローム。

アリアンサ連邦に名だたるハージェス侯爵家の後継公子、ジェローム・ブランデルであった。


ジエラはジェロームを袖にし続けた過去があった。

ジェロームの想いを蔑ろにした過去があった。

にも関わらず、ジェロームはジエラへの想いを持ち続けていた。



「…じぇっ、ジェローム様…」


「どうしたのだ? ジエラ殿? 美しい貴女に涙は似合わない」(キラッ)



ジェロームの微笑みは優しかった。

その優しさがジエラを苛む。



「……ボク、貴方様にあんなにも酷い事を…無礼な事をしたのに…」


「それが誤りだと気づいたのだろう。ならいいんだ」(キラッ)


「ボクは愚かな女なんです。弱いくせに…強い男の人に守られていなければ何もできないって…今更…気づいて」


「……これからは私が貴女を守ろう」(キラッ)


「ジェローム様…ッ!」





ジエラはジェロームに、いやハージェス侯爵家に嫁いだ。

元は下級貴族の令嬢であったジエラは市井の生活は長かったせいで些か奔放気味であったが、ハージェス侯爵の正室としての自覚を持ってからは教養と作法を身につける努力を欠かさなかった。

そしてジエラは、いや、侯爵夫人ジエラ・ブランデルは誰もが羨む淑女(レディ)として社交に大輪の花を咲かせたのである。




⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎⬜︎




「…ふふ…ふふ。ククク…クカカカッ」(ギラッ)



ジェロームは悪辣に微笑む。

戦士(ヘルマン)を高禄で伯爵家に仕えさせ、ベルフィを排除すれば、独りに耐えきれなくなったジエラを堕とすことなど容易。



「………」



グスタフはそんな従兄弟(ジェローム)を冷めた目で見ていた。



(…そのような小細工にヘルマン殿が乗るはずがない。俺には分かる。ヘルマン殿には安寧は似合わん)



出会った当初、ヘルマンにナキア伯国に仕官させ、友として剣技を高め合おうと目論んでいたグスタフだが、彼と交流を深めるにつれてそれがあり得ない願望と知るに至っていた。



(ヘルマン殿には武者修行の旅が似合っている。あわよくば……俺も、とは思うが、それは叶わぬ夢…か…)



そして思う。

ジェロームはジエラの従者であるベルフィ(エルフ)を排除しようとしている。

ベルフィが娼婦をしている以上、客を取って身体を壊すのは自業自得かもしれない。

だが、悪辣な陰謀の結果とあれば話は別だ。



(兵士をもってエルフ娘を壊すだと? 胸糞悪い話だ。ならば兵士どもが女を抱く気も起こらんよう、当分の間ボロボロになるまで扱いてやるとするか。…おおそうだ! ヘルマン殿も誘い、兵士たちの指南を願うのも面白いかもしれん! さすれば連中も女などより鍛錬の素晴らしさに目覚めることであろうな! このモヤモヤした気もいささかながら晴れる事だろう!)



サロンにはジェロームの邪悪な、そしてグスタフの陽気な笑い声が響いていた。



作中、ジェロームの(キラッ)は、彼の歯が光っているとご想像下さい。

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