ジエラへの疑惑
よろしくお願いします。
アニータが苦悶していると不意に来客があった。
「失礼します。叔母上様」(キラッ)
ハージェス侯爵家の若き次期当主…ジェローム・ブランデルであった。
彼はスザンナが「ジェロームに傷や後遺症が残ったら一大事」と伯国でも選りすぐりの治癒術師達をジェロームの病室に派遣したおかげで、転倒…ではなく魔物との激戦で負った怪我は跡形もなく完治していた。お陰で担ぎ込まれた時の痛々しい姿など微塵も想像できない。
「叔母上様がこちらでお休みと聞き、挨拶に参った次第です。叔母上様のご配慮のお陰をもちまして、この通り全快いたしました。お礼申し上げます」(キラッ)
「ほほほ。礼など良いのですよ。侯爵家を出た妾ですが、ジェローム殿の事は我が子同然に大切に思っておりますので」
優雅に挨拶するジェロームにスザンナは羨望を禁じ得ない。
我が子もこれくらいの作法を身につけてくれれば、と思う。
しかるにグスタフは貴族の作法など御構い無し。常日頃から無作法にも呵々大笑し、身分卑しき兵士や平民と馴れ馴れしく接している。
そして時折縁ある女も同様に卑しいのである。
今回もグスタフが連れ帰ったジエラが山賊の囲い者であったと聞いて、「いい加減にしなさい」と彼を叱責するのをどうにか思い止まった程だ。
幸い、そんなグスタフの事をこの賢き従兄弟殿は好意を以って接してくれている。
グスタフの礼儀作法や女の趣味も同年代の友人であるジェロームに指導してもらおうと考えた矢先、ジェロームがトンデモナイ発言をする。
「叔母上様。ところでジエラ殿についてお願いがあるのですが」(キラッ)
「……はい? ジエラ?」
スザンナは貴公子たるジェロームの口から山賊の囲い者の名が出たことに驚き、呆けてしまった。
「ジエラ殿は私が侯国に連れ帰ろうと思いますので、グスタフが彼女を側におくことに反対していただきたいのです」(キラッ)
「……ジェ、ジェローム殿、貴方はジエラという娘をどうなさるおつもりなのですか?」
「無論、正室としてお迎えします!」(キラッ)
「な、何を言って…。栄えある侯爵家が身分卑しき娘を…。ハージェス侯も反対なさるでしょう」
「父上は私が説得いたします。ジエラ殿には私が必要なのです!」(キラッ)
なんと、ジエラなる娘はこの短期間の間にジェロームを籠絡してしまったようだ。
グスタフも籠絡とはいえないものの、剣指南として召し抱えたい様子。
このような事は偶然ではない。
意図して振舞わなければ不可能である。
(………何ということ。もしかするとジエラなる娘、余程の食わせ者なのでは…? かの娘は囚われていたのではなく、娘自身が賊の一味ではないのか?)
⬜︎ スザンナの妄想 ⬜︎
「アンタたち、準備はいいかい?」
「「「へい、姐さん!!」」」
ここは山賊のアジト。
そこにたむろするのは女頭目ジエラとその部下である山賊たちだ。
彼女たちはアジトに貴族が率いる領主軍が近づいていることを知り、大胆不敵な計画を立てた。
「姐さんが俺たちに囚われた娘を演じるってワケですね。それで事情を知らないお貴族様が姐さんを救出する…と」
「そうさ。ボクはそのまま貴族様とネンゴロになる。そしてお気に入りの愛妾になって権力を握り、いずれはお前たちを衛士として採用する。そしてこのカラダでお貴族様を籠絡し、裏から国を支配する。そうすればボクたちの思うがままさ」
「すげえ。さすが姐さんだ!」
「姐さんに溺れない男なんかいねえ。きっとお貴族様も骨抜きだぜ」
「娼婦も真っ青なスケベな身体をしてやがる姐さんにかかれば、お貴族様も身が持たねえにちげえねぇ」
ジエラはニヤリと嗤う。
山賊の女頭目に相応しい獰猛な笑みだ。
彼女は豊満な肢体をしていたが、攫ってきた村娘の衣服を破ることで無理やり袖を通し、さらには汚す事で『山賊に囚われた娘』に変装する。
山賊たちは「それじゃ姐さん、ご武運を」とだけ言い残し遁走していった。
一人、山賊のアジトに取り残されたジエラ。
髪は乱れ、服も原型を留めていない。
さらには念入りに身体中を泥と埃で汚している。
「今夜中にもお貴族様にお情けをいただこうとしようか。…既成事実…。うふふ。楽しみだよ♡」
するとアジトの外から慌ただしい物音が聞こえる。
領主軍が到着したようだ。
「うむむ。山賊め。一足違いで逃げ出したようだ」
「いや、誰ぞ山賊に攫われた者が残っているかもしれんぞ。…おおい、誰かいるか!! 俺たちは領主軍だ! !」
その声を待っていたかのように、半裸のジエラはヨロヨロとよろめきながら奥の部屋から現れる。
「あ…あ、兵士様、ボクは…助かったのですね?」
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ジエラは体を清められ、清潔な服を着せられてグスタフとジェロームの前に跪いている。
「ああ、お優しい貴族様、お救いくださいましてありがとうございました。剣には自信があったつもりですが、やはり山賊には通用せずに…このような目に…」
「わあっはっはっは! 災難であったな! 部下をつけてやるのでオマエは安心して村に帰るといい!」
「ははは。山賊の跳梁を許すのは領主の不手際によるもの。賊は責任を持って対処する。賊が再び貴女の村を襲うことはない」(キラッ)
しかしジエラははらはらと涙を流す。
村では身寄りもなく、自分に身の置き所などないと。
「貴族様、どうか私を哀れとお思いになられるなら、私をお連れください! 私が下女としてお仕えすることをお許し下さい! 私は命の恩人たる貴方がたにお仕えしたいのです…!」
「わあっはっはっは! そんな事か。いいとも。剣の心得があるというなら、オマエは軍の官舎の下働きでもしてもらおうか!」
「ふむ。よかろう。不幸な娘を援けるのも我ら貴族の義務というべきだな」(キラッ)
「ああ、ありがとうございます、旦那様ッ! この身を捧げてお仕えさせていただきますっ!」
涙ながらに顔を伏せるジエラ。
しかし、その貌は獲物を捉えた肉食獣のそれ。
狙いは侯爵家・ジェロームだ。
(…侯爵家か。これは大物だねぇ。ボクが全て手に入れてみせるよ! きひひっ)
彼女は侯爵家を食い荒らそうとする猛獣に相違なかった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
実際には美と豊穣の女神を凌ぐまでの美貌と肢体を誇るジエラに、男ども…特にジェロームが勝手に虜になっただけではあるが、スザンナは実家の危機とばかりに反対する。
「ジェローム殿、身分定かではない娘を正室など…侯爵家の名に傷が付きます! お考え直し下さい!」
「いいや、彼女は身分卑しき娘ではなく元騎士爵家の娘という話です。没落後、山賊に囚われたなどと根も葉もない噂があったようですが、彼女を見ればそれが偽りだとわかります。彼女はまさに貴族であり、心身ともに美しい女人です」(キラッ)
「…ジェローム殿…」
ジエラに惚れているばかりか、没落貴族のジエラに救いの手を差し伸べようと貴族の義務に意気込むジェロームにスザンナの声が届くことは無かった。
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ジェロームが去った後、スザンナは手持ち鈴を鳴らし、侍女のセリーヌを呼び出す。
スザンナより些か年配であるセリーヌはスザンナが侯爵家にいた頃からの付き合いであり、スザンナとは気心知れた関係である。いわば側近中の側近であった。
「お呼びでありましょうか。奥様」
「…セリーヌ。最近、夫…伯爵様の周りで色々ありましたから、すこし貴女とお話がしたかったのです」
「ああ、伯爵夫人として家を切り盛りされる奥様のご心労、いかばかりでございましょう。お察し申し上げます」
「ありがとう、セリーヌ」
そして一呼吸おき、スザンナはふと、ポツリと漏らす。
「…悪い虫が伯国に入り込んでしまいました。その虫は息子たちがお気にいりのようだけど、虫は汚らしいから…私は好きではないのです」
セリーヌはほんの僅か目を細めたが、それは注意していないと分からない程であった。
「…虫…害虫でございますか。それはさぞお困りでしょう。すぐ対処してご覧にいれます」
ただそれだけの会話であったが、セリーヌは一礼し、夫人の部屋を去っていった。
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翌朝。
早朝から使用人たちが動き回り、ナキア宮殿の一角にある住居区画(伯爵邸)を機能させていた。
スッスッと、足音も静かに廊下を歩くセリーヌの姿を認めた使用人たちは、仕事を中断して彼女に会釈をする。
セリーヌは伯爵夫人付きの筆頭侍女として、執事、家政婦長と並ぶ、いやそれ以上の権威を有している。そのため、使用人たちは彼女を前にして仕事に没頭するなど不可能であった。
なお、生涯を主人であるスザンナに捧げた彼女は現在独身である。
「エリックさん、エリックさん!」
宮殿の中庭。
セリーヌは庭師のエリックを呼び出した。
「セリーヌさんですか。…はいはい、少しお待ちを」
梯子に登り、高枝の剪定を行なっていた男が、軽々とした身のこなしで飛び降り、セリーヌの元に駆けてくる。
エリックは現在こそ庭師であるが、かつては凄腕の冒険者であった。
しかし、冒険者同士のトラブルで引退を余儀なくされ、今はこうして貴族お抱えの庭師として働いていた。
彼は冒険者を引退して久しいものの、その身体つきは庭師として似つかわしくない程に鍛えられている。
引退後も日々の鍛錬を続けてきたことが想像されるが、おそらく冒険者であった頃の習慣が抜けきらないのかもしれない。
本来であれば伯爵夫人付きの侍女であるセリーヌは男性使用人に対して話をする立場にはない。だがエリックもまた侯爵家から付いてきた、セリーヌとは気心知れた間柄であった。
セリーヌは花壇を見ながらエリックと世間話を始める。
「何用でございますか? 今日中に剪定しなければいけない樹々がまだまだあるんですがねぇ」
「くす。相変わらず仕事熱心ですね。それはご苦労様です。…ところでそちらの花は美しく咲き誇っていますね。虫などの駆除も大変でしょう」
セリーヌは唐突に花の話を始めたが、エリックは気にしない。
『虫の駆除』
それどころかその一言でエリックの顔つきが変わった。
「…そうなんですよ。連中、美味い蜜があるとなれば寄ってたかって花をダメにしちまいますからね」
「……本当に害虫には困ったことです。害虫は見つけ次第、早々に対処しないと被害が広がるばかり…」
「高貴なる方々は害虫がお嫌いですからな。近くにお仕えするセリーヌさんも大変なことだ」
「……高貴な方々は関係ありませんよ。ところで、今回の騒動の折にご子息様方に予期せぬ客人が付いて来てしまったようなのですが、エリックさんはご存じですか?」
世間話ではあるが、両者の目は笑っていない。
「………ほう? なるほど…承知しました。では俺はこれにて。急用を思い出しましたので」
「はい。執事殿には伝えておきましょう。…エリックさんもお忙しいコトですね」
ニコリと微笑む侍女と、ニヤリと笑う庭師。
エリックは仕事途中であったが、剪定道具と切り落とした枝葉をサッサと片付けると、早々に伯爵邸を後にした。




