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伯爵夫人の苦悩

よろしくお願いします。



夕暮れ時。

宮殿の大広間にて、魔物の大群を殲滅した功績を称えた晩餐の宴が始まる。


なお、エルランドの行方不明と救出については公には伏せられていた。

高官たちには周知されてはいるものの、大々的に発表すると伯国の治安に悪評が立ってしまうためだ。

そのため今回の宴の趣旨は『魔物の群衆暴動スタンピードの殲滅に対する宴』であった。


晩餐とはいっても立食であり、堅苦しい形式とは無縁の宴会の態である。


最初に伯爵であるアロルドの挨拶があった。



「諸君。この度は我がナキア伯国に若き英雄が現れた。我が子グスタフと共に魔物の大群の討伐に尽力してくれた皆を紹介しよう。ハージェス侯爵家のジェローム殿。隣国コーリエ伯爵家のテオドール殿。旅の戦士であるヘルマン殿だ!」



なお、ジェロームは魔物と激戦を繰り広げた際に負傷し、治療が終わり次第晩餐に参加するという。

心配する声が上がったが、治癒術師によって傷跡も後遺症もないとの報に参加者一同安堵した。



そしてヘルマンである。

彼は宴席の場には相応しくないかもしれないが、彼が旅の戦士である立場を分かりやすくするために、自前の黒の鱗鎧(スケイルメイル)を装着している。



宴会の余興として、彼が魅せた剣技に来場の皆は感嘆を禁じ得ない。


ヘルマンは与えられた木剣をジゲン流の『トンボの型』に構えると、裂帛の気合を以て会場の脇に植えられた大木を左右から滅多打ちにする。


その早業は目にも止まらぬばかりか、なんと大木と木剣からは焦げた臭いと煙すら上がる程であった。


会場にいた軍の関係者は「おお、凄まじき剛剣でありながら、かような早業とは信じがたい!」「魔物を一瞬のうちに数体斬り伏せたという話も納得だ」とヘルマンを褒め称える。


更にグスタフが親しげな態度で「いやはや実に素晴らしい! わあっはっはっは!」とヘルマンの肩をバンバン叩き、取り巻き連中もヘルマンを囲んで「まことに、まことに」「左様でございます」と高速に揉み手している。

そのため会場の皆は「ヘルマンという戦士は旅の戦士というだけではない。グスタフ様と生死を共にした親しい友人らしいぞ」とヘルマンに一目も二目も置く扱いをする。






ナキア伯国は豊かではあるが辺境国であるため、中央の高位貴族とは異なり庶民を忌避する感覚に乏しい。

その為、若く凛々しい戦士であるヘルマンには廷臣や女官たちが群がっていた。


ヘルマンは持ち前の気品ある雰囲気で女官たちを悶絶させている。

女性に興味のないヘルマンであったが、邪険にすることなくストイックで紳士的な態度で応対していた。

どちらかというと女嫌いと思われても仕方ない態度であったのにも関わらず、むしろそんな態度がますます女官や貴族の子女を夢中にさせる有様だ。



「…はぁ♡ なんて素敵な殿方なの♡ なんとか二人きりになって一夜の愛に燃え上がりたいわ♡」


「ああ、どうして私の家は子爵家なのかしら? 既に此の身には親同士が決めた婚約者も…。か、駆け落ちしちゃおうかしら♡」



宴席はヘルマンを主役に和やかに進んでいた。


そしてもう一人の主役…テオドールはというと。

素晴らしい魔術の冴えでオークの群れを焼き尽くした、若き大魔導士(テオドール)

彼のもとにも多くの文官、女官、そして貴族の子弟子女が英雄譚を聞こうと群がった。しかし彼は自らを誇るのが苦手らしく、「あ、あ、ああのあの…、ぼ、僕は…その…」などと周囲との会話が成立しなかった。

間もなく彼は一人になってしまったため、今は一人で晩餐の会場の入り口で不審者じみた…いや、ソワソワと想い人(ベルフィ)が到着するのを待っていた。

だがベルフィが会場を訪れることはなかった。



なお、グスタフはというと。

彼はナキア伯の身内であるため、宴会の主役にはなり得ない立場である。

しかし彼もまた命懸けで魔物の大群を相手に武を誇ったはずであった。

だが彼は自らを誇る事は一切なく、いつもと同じように飲み食いし、バカ笑いをしていた。





ここは伯爵夫人スザンナの私室。

彼女は気分が悪いとして宴には参加していなかった。


椅子に腰かけた彼女の前にはグスタフが立っている。

宴の後、グスタフに自室に来るように命じていたのだ。



「…母上殿、一体どうしたのですかな? ヘルマン殿を歓迎する宴に顔もお出しにならないとは。父上殿のみならず我ら兄弟の恩人たるヘルマン殿にも失礼でありましょう。そういえばジエラ殿はお出ましになりませんでしたな。美味い料理を食い損ねて残念なことだ。わあっはっはっは!」



いつもの調子と変わらない息子(グスタフ)に、スザンナの飾り扇子を握る手に力が入る。



「……グスタフ。そういえば貴方が言うじえら(・・・)について聞きたい事があるのですが。ドラゴンを退治するためにヘルマンとこの国を訪れたという話でしたね。いかな女性なのですか? きっと男性と見紛うような屈強な女武人なのでしょうね」



グスタフは笑う。



「わあっはっはっは! ジエラ殿はこの度のエルランド捜索の際に出会った女性です! どうやら没落した騎士爵家の娘御とのことですが、屈強どころか嫋やかで美しい娘でしてな!」


「…エルランドさんに聞きましたが、彼女は山賊に囚われていた娘だとか」


「そうでしたか? …美しさ故に苦労続きなのでしょう。しかしまぁヘルマン殿を鍛え上げたと聴きますから、実戦には不慣れな反面、指導者としてはなかなかなのかも知れません! 俺も指南いただければと思います!」


「…お前はそのジエラとかいう娘を…側に置きたいと思っているのですか?」


「側に? ああ。実際に腕前を見たわけではありませんが、俺が納得するほどでしたら剣指南役を任じても良いと思っております!」


「………」



スザンナは呆れ、ため息をつく。

珍しくグスタフが女性に興味を示したと思ったら、それは女武人という物珍しさ(・・・・)程度の好意であるようだ。


もっともスザンナとしては、ジエラなる流浪の女剣士が剣指南としてもグスタフの側に侍るのを承知するはずがない。


貴族たるもの、社交において重んずるべきは体面である。

体面…つまりは身分に相応しい身の程(・・・)を弁え、品格を磨き、体裁を整えることが肝要。

これを大きく逸脱すると、政敵がよりこちらを敵視し、それどころか味方すら敵に回りかねない。

『女の剣指南役とグスタフの距離が近い』との風評ですら、どれ程ものかグスタフは理解していないのだ。


しかし、それ以前にグスタフは異性に興味を示さない。

正確には彼にとって興味の優先順位が低いのである。

部下に付き合って女がいる酒場で飲み食いした事もあるし、部下と共に高級な娼館を利用した事もある。

グスタフの周囲にいる女性とはその程度であり、それ以上の女性など皆無なのだ。


スザンナは嘆息する。



(……夫…伯爵閣下には似なかったわね。まぁ、興味はなくともいずれは次期伯爵に相応しい娘を用意しますが)



余談ではあるが現ナキア伯爵アロルドには、スザンナを正室に迎える前に十人を超える愛妾がいた。

その内、幼馴染であった使用人の娘・アニータを側室として残し、残る愛妾たちは様々な理由で十分な一時金と共に市井(しせい)に放逐している。



「……そうですか。まあ、貴方の事ですから今更驚きはしません。ジエラなる娘については母はとやかく言いますまい。ではグスタフ、真面目に正直に答えなさい。かのヘルマンなる戦士。お前はどう感じましたか。自分と比べてどう思いましたか?」


「ヘルマン殿は剣の腕前は言うに及ばず、そして精神力、胆力、義侠心や気風など全てにおいて尋常ではありません。俺が優っているとすれば腕力や持久力(スタミナ)でしょう。それに見てくれは完敗です。なにせ俺はコレ(・・)でありますからな! わあっはっはっは!」



グスタフは己の太鼓腹をポンポン叩いて母の質問に正直に答えた。

彼が「ヘルマンなどという流れの戦士など、高貴な俺にとってどうという事はありません」とでも言ってくれれば良いのだが、あいにくと気概のカケラすら見せぬ。

スザンナは一言物申したかったが、本題とも言える質問を続けた。



「ではエルランドさんが、かの者を己の侍従に取り立てたいと考えている事について、貴方は反対しないのですか?」



ヘルマンは首を傾げる。



「母上殿、何故反対せねばならないのです。かの御仁とは俺も少々話をしましたが、剣の腕前のみならず人格見識共に尊敬に値します。エルランドのみならず俺も交流を深めたいですな!」


「グスタフ、何を言っているのですか? ヘルマンとやらは何処の馬の骨とも知らぬ流れの戦士。それをエルランドさんの侍従武官など…」


「母上殿こそ何をご心配なのです。ヘルマン殿とエルランドが俺を盛り立ててくれるのならナキア伯国は益々安泰でしょう? それにエルランドは命の恩人たるヘルマン殿に懐いています。仮に俺がヘルマン殿を排除しようとした場合、エルランドは俺を恨むでしょう。それは伯国の将来を危ぶむものですぞ?」



スザンナは暫く無言であった後、「もうよい。下がりなさい」とのみ告げると椅子に深く腰掛ける。


グスタフは一礼して退室していった。





グスタフは母の考えが理解できない。

素晴らしい戦士であるヘルマンが、己の弟で将来の右腕であるエルランドの侍従となるのだから、ナキア伯国は益々安泰であると考えていた。


しかしスザンナの考えは全くの逆である。


ヘルマンを初めて目にした時、かつて懸念した材料が噴出した思いであった。



完全なる武人気質であるグスタフと比べ、エルランドは内政に秀でた才能を持つ。

ナキア伯国は敵国たる帝国領とはかけ離れた内地なのだから、領地の安定こそがナキア伯爵の最優先事項。

スザンナとしてはグスタフを差し置いてエルランドが伯国を継ぐのではないかと恐れがあった。


しかしエルランドは外見内面共に少女のように優男極まりない。

故に彼が伯爵となった場合、家臣や依子貴族を統率する魅力に欠けているため、伯国の乱れに繋がりかねない。


そのため、エルランドがどれほど優秀であろうともグスタフの補佐が最善であるという認識が宮廷では大多数であり、グスタフも「俺は睨みを利かせるのみ。内政は弟に丸投げでナキア伯国は安泰」と楽観視していた。


スザンナにとってグスタフが無事に伯爵となるならそれはそれで良かった。


しかしエルランドが「ヘルマンを侍従武官にしたい」と言い出した事で状況が変わったのだ。



スザンナは思い描いてしまったのだ。

伯爵となったエルランド。

彼に並び立つ威風堂々としたヘルマンを。

そしてそこには我が子たるグスタフは居ない(・・・)



スザンナはハージェス侯爵家からナキア伯爵家に嫁ぐにあたり、父である侯爵から厳命を受けている。


それは『嫡男を産み、伯爵家を継がせる』ということ。

それを達成しなければ貴族に生まれた娘として仕事(・・)は失敗だ。


海に面し、地形的に広大な塩田を所有するナキア伯国はアリアンサ連邦の塩産業において巨大権益を握る。

そのため伯爵位でありながらナキア伯爵の影響力は計り知れない故に、歴代のナキア伯爵と縁を結びたいと思う大貴族は多かった。

よって現当主アロルドの正室の実家であるハージェス侯爵家としては、今代の影響力(・・・)を早々に手放したくはないのである。

ハージェス侯爵家の血を引くグスタフに無事に伯爵位を継がせなければスザンナの気は安らぐ事はない。


ハージェス侯爵家と何の所縁(ゆかり)もない側室(アニータ)が産んだ男子(エルランド)が伯爵となったらと思うと、スザンナは実家に顔向けができないばかりか、貴族の女(・・・・)として失格。



「…ああ、いっそエルランドを殺…。いや、それは拙いわ。お家騒動を口さがない連中が吹聴するに違いない…。ヘルマンを伯国から穏便に追い出す方策を…」







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