伯爵一家
よろしくお願いします。
◇◇◇
「おお、エルランドよ、よくぞ無事で…!」
「父上様、ご迷惑おかけしました」
「わあっはっはっは! 意外とあっさり見つかったので拍子抜けしてしまいました! エルランドを見つけられなかった巡回兵共は怠慢でありましょうな!」
「うむ。グスタフもご苦労だった…!」
ナキア伯爵アロルドの私室の一つ。
広くはないが狭くもない。
しかし瀟洒な雰囲気である部屋で、父と息子は対面を果たした。
もし仮にエルランドの立場が後継公子であったなら、謁見の間に臣下を交えて大体的に出迎えただろう。
「ほほほ。エルランドさん。何はともあれ無事で何よりですわ。…アニータさんも人心地でしょう」
飾り扇子で口元を覆う夫人はナキア伯爵の正室・スザンナ。
伯爵夫人に相応しいドレスで身を包んだ彼女の表情だが、それをうかがい知る事が出来ない。
大きな扇子が表情の大部分を隠しているためだ。
「はい、奥様。この度は息子のためにグスタフ様のお手を煩わせてしまい誠に申し訳ありません」
そうお淑やかに深々と頭を下げるのはナキア伯爵の側室・アニータである。
質素ではあるがそれなりに品の良いドレスを着た彼女は、まるでスザンナ付きの侍女かと見紛うばかりの態度で恭しくスザンナに接していた。
「お気になさらず。エルランドさんもグスタフと同様、ナキア伯の息子であるのだから。無事に戻ってきて本当に良かったわ」
スザンナは口ではエルランドを労わってはいるものの、内心は違う意味も含まれていた。
確かにエルランドが無事に帰還したことに安堵していたのは間違いない。
しかしある一方で別の意味で安堵していた。
正室であるスザンナの実子であるグスタフは、『一本気』『単純』『おおらか』『(馬鹿)正直』などという言葉がしっくりくる男である。そんなグスタフの市井の民からの人気はすこぶる良い。
しかし権謀術数渦巻く貴族社会においては、そのような気質はむしろ害悪。
グスタフの足りない部分を補うような絶対に裏切らない腹心でもいない限り、身分と財産を維持し、社交を生き抜くことは難しいだろう。
その点、何の野心もなく万事控えめで兄に従順なエルランドは、まさにグスタフの補佐に相応しい。
未だ10代の前半であり、老獪のろの字すら見受けられないエルランドには、今後伯爵家の家宰に足る教育が必要だろうが、スザンナから見てもエルランドは明晰であり、将来の補佐官として申し分のない素養が感じられた。
かつては佞臣どもがエルランドを擁立するのではないかと疑ったこともあったが、エルランドは女子と見紛う…ではなく心身共に男子としては非常に頼りなく、特に軍部からは「指導者としては心もとない」という評が大多数のであるとの報告を受けていた。
故に、仮にエルランドが伯爵位を継いだ場合、依子である子爵男爵たちがアキア伯爵を侮る可能性が大なのである。
そのためエルランドは頼もしい男…つまりグスタフの隣にあってこそ見栄えし、また威圧と内政の両輪がナキア伯国をより発展させることになるという認識がナキア伯国の廷臣たちの見解であった。
今回の騒動で仮にエルランドに万が一の事があった場合、早々に『グスタフに従順で、内政と社交の責任者』に足る後任を決めねばならないところであったのだ。
「うむ。スザンナの申す通りだ。弟の危機を兄が助けるのは喜ばしい。お前たちのお陰で伯国も安泰だ。…しかしジェローム殿の怪我の具合は気になるところだ。すぐに見舞いにいかねばな」
ナキア伯爵家の寄親であるハージェス侯爵家の嫡男であるジェロームは、治癒術師による治療を受けて養生中である。懸念されていた傷跡やら後遺症は全くないとの報告にアロルドは一先ず安堵していた。
「…しかしジェローム殿も運が悪いとは思うが、魔物の群衆暴動に出くわしてしまいながら結果的に無事で安堵したぞ。我が国での避暑中に大事となれば侯国に申し開きがたたぬ」
「わあっはっはっは! これで向こう傷でも残ればジェロームも男っぷりが増したというのに、元の優男のままとは、ままならないものですな!」
「グスタフ、滅多な事を言ってはなりません。ジェローム殿は妾の兄の息子。侯爵家の跡取りの顔に魔物傷でも残ってしまっては、大ごとでありますよ?」
「ジェローム様には本当に申し訳ないです。僕のために怪我なんてしてしまって…」
グスタフとエルランドはジェロームが魔物戦とは関係ないところで勝手に転倒して怪我をしたことは知ってはいたが、伯爵夫妻はジェロームは魔物相手に獅子奮迅の活躍をした名誉の負傷だと勘違いしていた。
思慮浅いグスタフといえど従兄弟の面目を潰すようなことはしなかった。
「それに驚くべきは、かのコーリエ伯の息子…。その、何と言ったか…?」
「テオドール君です父上様」
「おお、そうであった。テオドール殿も見事な魔術の腕前で魔物の一群を火達磨にしたと聞いている。かの父親は面倒な男であるが、息子は見事な腕前を持つ魔術師なのだな。晩餐の席で感謝を伝えねばなるまい。それに息子の活躍をコーリエ伯に伝えれば、あやつめもしばらくは上機嫌であろう」
それから話題はエルランド不在時の家臣たちの様子、オークの規模や残党の可能性、その場合討伐の必要性についてであったが、ふと、エルの実母がエルランドに声をかける。
「…それにしても二週間にも及ぶ慣れない野宿生活…。さぞ心身ともに疲れていると思いきや、元気そうなので安心しましたよ。なんでも旅の方に随分とお世話になったとか?」
エルランドは待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「はい。運良く通りかかった旅の戦士に助けられて…」
エルランドは熱っぽく戦士の存在を父親たちに説明する。
戦士の強さ、凛々しさ、逞しさ、そして美丈夫さを夢中になって語るエルランドはまるで恋する乙女のそれだ。
更にエルランドの華奢な身体は丸みを帯びており、夢見がちな瞳といい、目鼻立ちの良さと相まってどう見ても少年には見えないはずなのだが、父母たちは宮廷では聞くことのない英雄譚に一々感心していたので息子の態度に違和感を覚えなかった。
「なんと! その戦士は単騎で魔物の群れに突入し、兵士たちの危機を救ったというのか!?」
「はい♡ ヘルマンさんは僕のために戦ってくれたんです♡」
「わあっはっはっは! いやはや、ヘルマン殿が居なかったらと思うとゾッとする。おそらく俺を除いて全滅は免れなかったでありましょうな!」
グスタフはヘルマンの武勇に嫉妬することなく、「ヘルマン殿の武勇に並ぶ者などそうはいまい! 疾風のように魔物の群れの中を駆け巡り、怒涛のごとく大剣を振るい魔物を屠るのであるからな!」と彼を素直に褒め称える。
いかに『怪力無双』『金城鉄壁』『持久力無限』を誇るグスタフであろうとも、『鈍重』『鈍足』では兵士たちや非戦闘員を守りつつオークと対峙するなど不可能であろう。
グスタフはそれが分かっているからこそ、己の部下の命の恩人であるヘルマンに素直に感謝しきりで讃辞を惜しまなかった。
「うむむ。こういう時、グスタフの言は信用できる。それ程の戦士となれば晩餐の前に会ってみたいものだな。…これ、誰かおらぬか? 誰ぞヘルマンなる戦士殿をお連れせよ。父としてグスタフとエルランドの恩人殿には挨拶せねばなるまい!」
そして街路樹の魔物と戦った報奨金を受け取るために役所を訪れていたヘルマンは、急遽伯爵城館まで召し出される事になってしまった。
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そしてヘルマンがナキア伯爵一家の元に迎えられた。
無論、武装は解除されて黒い鱗鎧姿は客人に相応しい小綺麗な恰好に着替えさせられていた。
しかし、剣を置き、鎧を脱ごうともヘルマンの武威は留まるところを知らない。
「…ほぉ…!」
ナキア伯爵アロルドはヘルマンの姿を認めるや感嘆の吐息を吐いた。
「まぁ…」
「……ッッ!?」
アニータもアロルドと同様であったが、特にスザンナはヘルマンを凝視して硬直する有様だ。
張り詰めたシャツから察せられるのは鍛えられた肉体というだけではない。
鋼のごとき筋肉ではあるが、素人目にも怪力自慢だけではないとわかる。
肉体からは威風堂々たるに相応しい力が感じられ、まるで名だたる彫刻家が神話や空想上の戦士を模して彫り上げたような理想的な肉体美。
更にその容貌たるや、戦士としての肉体の見事さとは似つかない。
目鼻立ちの見事さも相まって精悍そのものではあるが、それでいて厳ついイメージなど感じられない男振りである。
それどころか弱者への労りなど慈愛すら感じさせられるほど、見る者を安心させる様相である。
そしてアロルドを最も驚かせたのはヘルマンが身にまとう雰囲気だ。ヘルマンの何気ない所作にも気品と洗練さが伺える。
そして匂い立つ男の色気ときたら…!
社交で大勢の人間を見てきたアロルドだからこそ、ヘルマンという男に見惚れてしまった。
「お初にお目にかかります。ヘルマンと申します」
涼やかな、そして落ち着いた声。
その声にハッとするように、まずアニータが口を開いた。
「あらあら、息子の恩人がこのような見目麗しい戦士殿とは…。私はエルランドの母のアニータと申します。ヘルマン殿、この度は息子を危機からお救いいただいてありがとうございます」
「…うむむ。私からも礼をさせていただこう。ヘルマン殿、息子を助けてくれて感謝する。ヘルマン殿には改めて晩餐に出席してもらい、ナキア伯国の若き英雄として皆に紹介させてもらおうと思う。…ところでしばらくは我が伯国に逗留するのであろうな?」
と、そこでエルランドが父の言葉を遮る。
「ところで父上様、お願いがあるのです」
「…なんだ? いかに息子であろうとも父の会話を妨げるなど無作法なことだぞ?」
しかしエルランドは父に軽く叱責を受けても臆せずに宣言した。
「父上様、どうか、ぜひヘルマンさんを僕の侍従武官として、伯国での士官をお許しください…!」
「……ッ!?」




