雷神トール
よろしくお願いします。
ボクはどこぞの世紀末にでも棲息していそうな、名状しがたき獄長のような怪物に絶句してしまったこともあり、さっきまで口に出かかった文句を忘れてしまった。
その怪物を目にしたフレイヤ達四人はボクの事を慌てて背後に隠す。
ボクみたいな珍客についてあれこれ詮索してほしくないのかもしれない。
ボクも抱いていたバルドルをソファの陰に隠した。絨毯がふかふかだから赤ちゃんでも大丈夫なはずだ。
泰然と佇む彼女(?)をフレイヤ達の肩越しから見やる。
髭の剃り跡が凄い。おそらくアレは一日に何度も剃ってもすぐ生えてしまうタイプだろう。
脱毛処理とかできないのかな。ボクは全然そういう事を気にした事ないけど。
でもお化粧は慣れているみたいだ。
…でも改めてこの人を観察してみると、外見が絶望的に邪魔しているだけで、意外と女性的な雰囲気を醸し出してる。それに穏やかな表情しているし、案外いい人かも?
「ぐぼほほほほ。先ほどオトコのコの香りがしましたが、気のせいかしらぁ…?」
前言撤回だ!
もしボクが男だとバレたら「(性的にも食料的にも)捕食されるのでは?」という恐怖が湧き上がってしまった。
そういえばあの赤い唇…、血がしたたり落ちているみたい…。ひええ。
「あら、お義母様、ご機嫌麗しゅう…。…おや、そこの方…。見ない顔ね? ぼほっ♡」
…オカアサマ!? 何を言ってるんだ、この怪物はっ!?
「この方は雷神トール様。オーディン様の連れ子で奥様の義理の息子様です」
フーリンさん、いつもながら解説ありがとう。
「…以前、奥様の事をお嫁に欲しいと強請った巨人がいたのですが、トール様は奥様の身代わりに女装して結婚式に望み…、そのままスリュムをヤッてしまったのです。それ以来、女装癖と男色癖が…」
「フリッグ様は、己が領地に召し抱える戦士について、礼儀正しいというか、キレイどころというか、そういった戦士を選り好みしているのですが、招待する端々からあの雷神が連れ去ってしまうのです。そのせいか適齢期にありながら未婚のヴァルキュリーが増えてしまい…。その悪循環で我が領には男手が足らず、労働力不足が原因で財政に難があるのです。…くっ、私にお相手が見つからないのもフリッグ様とあの方のせいです! 私に問題があるわけじゃありません!」
ボクの事をトールさんから隠しながら小声で解説してくれる皆さん。
一方でフレイヤはトールさんの義母ということで毅然と対応してくれている。
「っ! アンタに関係ないわっ。この者は…わ、わ、私の戦乙女としてこれから任務を与えるところなのっ。忙しいんだから早く出ていきなさい!」
「ぼほほほっ、戦乙女ですってぇ~? お義母様ったら何を世迷言を…。その魂のウブな少年のカホリが私の雄闘女心をときめかせているのにぃ?」
「気のせいよっ! ここにいるのは女なんだから!」
「ホントかしら?」
「ほんとよっ! それもタダの女じゃないわ。それはそれはすっごい美女なんだから! ウチのバカ兄貴……フレイが惚れてるゲルズもびっくりするくらいの絶世の美女よっ! ほら、アンタは男しか興味ないでしょっ。さっさと帰りなさいよっ!」
「…怪しいですわね? んん~~? あら~♡ 女性にしては貧相な身体つきな気がするわ? 男の子みたいですわよぉ~♡」
「怪しくないわよっ! 服の上からだと分かりづらいけど、か、身体のほうもどうしようもないくらいに物凄い極上モノよ! 最高っていうか究極至高なんだからねっ!」
なんだかトンデモな事を言っているフレイヤ。
そんな女性いるワケないじゃないか。
しかもその女性がボクだなんて。
だけどここで騒いだら、この怪人に連れ去られてしまうのが目に見えている。
ボクはフッラさんの陰に隠れながら、物凄い裏声で「ボクは女の子です」とか言いながらコクコク頷いてみた。
「…ふぅん? …戦乙女にして傾城傾国…絶世の美女ですって? 肢体も極上品? そんな女性がお義母様の館にいらっしゃったとは初耳だわぁ…。なんだか逆に聞けば聞くほど怪しいことこの上ないわねぇ。…ちょっと貴方、こちらにいらっしゃいな?」
その太い腕が、ぬぅっっとボクに向かう。
雷神を名乗る怪人物は、物凄くいい笑顔でボクに微笑んでいる。
ボクは自分に迫る毛むくじゃらの剛腕――危機に硬直してしまい、反応出来ないでいた。
ボク…男の子だから…この怪物に攫われて…乱暴されちゃ………ッッ!!??
そしてトールさんの太い指がボクを捕まえようと迫る中、フレイヤが小声で叫ぶ。
「…今言った事は全部真実なのよっ! 此方様の想いを昇華させ、新たな姿をもたらせ! 戦乙女転生術式……“転生”!」
すると、不可思議な力がボクを覆った。
□ ? □
ボクは。
幼い頃から強くなりたかった。
その為にも女子力を鍛えるために。
理想の女性像を追い求めていた。
その理想。
それは。
おっぱいとお尻が大きくて、戦うために鍛えられた女性。
………。
なんか違う気がするけど、そんな気もする。
あれ?
その女性って…もの凄い美女だったっけ?
なんか違う気がする。
でも間違いないと思う。
顔も身体も極上で。
鍛えられているけど、女性の美の極致で。
それでいて、戦いに秀でた女性なんだ。
そんな女性を。
その理想を追い求めたボクは…
□ □ □
ん?
何だか身体に違和感が…?
しかし違和感の正体を確かめるまでもなく、ボクの華奢な身体はトールさんに捕まってしまった。
肩をがっちりと捕まれてしまって全く身動きが取れないっ!
「…あ、ああ…」
「…変わった服ね。ぐぶふふ。さてと、新人ヴァルキュリーさん。戦乙女ならそんな格好はイケナイわ。甲冑が基本よぉ? でもそれは無理な話…。何故って貴方はオトコなのだからぁ! 男の子はヴァルキュリーにはなれないのよぉ! さぁっ! 私にその瑞々しい肢体を晒しなさいなっ!」
びりびりびり…!
「あああっっ!?」
トールさんはボクの貫頭衣を脱がそうとしたのだろう。でも怪力が過ぎたのか、それとも服が脆いのか。ボクが着ていた服が破れ、ボクは床に投げ出されてしまった。
ぐに。
あれ、なんだこの柔らかいの…?
…
…
……………………ッッッッ!!!
「ッッ! ひきゃぁぁーーッ! 女!? 女の子になってるーーーーっ!???!?!!!」
素っ頓狂な悲鳴をあげるボクに対して、非常に残念そうに、急速に興味を失ったトールさん。
「…ちっ。なんだ。本当に女の子だったのねぇ。私の勘も鈍ったかしら? ……ちょっと貴女っ! 戦乙女が肌を晒した程度で取り乱してどうするの? それでもお義母様のヴァルキュリーなのっ!?」
「うぅ…、だって…」
ボクは涙目で巨躯を見上げる。
ずっしりとした、物凄くボリュームある双丘に戸惑いながらも、ボクは服の残骸をかき抱くようにして座り込んでしまった。
一体ナニが起こったんだ!!?
ボク、女の子…ううん。このカラダ…すごい。女の子どころじゃないよっ。
未だに頭の中はグルグルに混乱している。
「しょうがないわねぇ…。…そんな無様な恰好じゃあ、お義母様の任務とやらもダメでしょうから…。わかったわ。お詫びに私が特別な戦鎧をプレゼントしてあげる。…本当はロキが私用にデザインしてくれた特別なアイテムなのよ? 大事に使ってね?」
そういうとトールさんは太い指でボクに腕輪を嵌めてくれた。
「この腕輪を媒介にして九夜毎に八つの鎧を呼び出せる。つまり無限に鎧を産みだすことが可能よ。どれも素敵だと思うから自分の好みのを選ぶと良いわよ?」
そう言いつつ彼は「守護」と唱える。
すると光がボクの身体を包み込んでいく。トールさん用と言っていたけど、光はボクの身体に合わせるように纏まっていった。
ボクのカラダを覆うのは……ビキニの水着だった。
さっきコレを鎧って言ってたって事は…こ、これって…所謂ビキニアーマー…ってやつ?!??
ビキニアーマーどころか、ただのビキニにしか見えないよ!
しかも布地面積はこれでもかって程小さい!
「ひぃぃ…! 何! 何これぇっ!? 殆ど丸見え…!!」
ボクのおっぱいが大きくて、腰幅も外人さんみたいに充実してるもんだから相対的っていうか水着がより小さく見えちゃう!?
勢いよく胸元を隔すと、形の良い豊かな乳房が水着からこぼれ落ちそうっていうか、ほぼ全裸だから、ボクの肢体が余すことなくさらけ出されていた。
「…っ! ……ッッ!!?」
ボクはあたふたと不思議な踊りのように身をくねらせて、何とか半裸以上全裸未満の身体を隠そうと奮闘してみたけど、胸は大きいから片手じゃ隠せないし、下半身はなおさらだ。前も後ろも殆ど全開っていうか、胸と同様に股間もお尻もそれを隠すのが小さい三角形の布地なので、殆ど全裸状態!
だからボクがいくら頑張ってもクネクネと踊ってるだけで、結果的に皆の周りで身体を見せつけているだけみたいだった。
「くぼほほほ。なかなか素敵じゃないの。肉体が良く映えてるわ。でもやっぱり女は肉体美的にアレよね。筋肉が無いのが惜しいのよねぇ」
トールさんは自分が着た時の姿を想像しているようでご満悦だ。
そう言えば女性のボディビルダーって、大会では小さいビキニ着てるよねっ…て、今は関係ないか。
そしてフレイヤ達はというと、ボクが戦乙女というよりは踊り娘にされてしまったことに、開いた口が塞がらないようだった。
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ひとしきり無様を晒して多少は落ち着いたボクは膝を抱えて座り込んだ。
「…ボク…これから…このままだったりするの?」
何処に視線を向けるでもなく、疲れたようにつぶやく。
恐らくだけど、目も死んでると思う。
「…あのね、貴方様。さっきは慌てて…、あの…。もう一度転生…」
「残念ですが…。こちらにいらして間もなく、魂がいささか不安定である状況の処にフリッグ様がかなりの強度で魔術をかけられました。その上、この短期間で再度の転生術をかけ直しとなると、魂への負担が…。お勧めできません」
ん、何のことかしら? と、トールさんは今ひとつ理解していない様子だ。
……というと、ボクはもう、本当に女の子になって…しまった…の?
あれ程、女と言われたくなかったのに。
努力したのに…、最後は…本当に、女の子。
「ううっ」
どうしてこんな事に…。
死んじゃった後とはいえ、女の子になっちゃうなんて…。
女の子っていうか…戦乙女ってのになっちゃったんだ。
戦乙女っていうのは、戦場を駆けて勇敢な戦士の魂を狩る女の人らしいんだ。
ボクの場合、戦場で戦う必要があるから、お役目的には丁度いいかも知れないけどさ…。
でも…。
本当に…何で…何でこんな事に…。
師匠の指導…男らしくなるための特訓を思い出す。
「ナニを言っとるか! 女子の格好が大切なんだッ!」
「馬鹿者ッ! オマエが真の男なら見た目がどうであれ身体から溢れ出す男らしさは揺るがないのだ! たまたま男に生まれついただけでメソメソ、ナヨナヨしたやつが男らしいといえるのかッ!?」
「女の格好をする程度でオマエが女っぽくなるなら既にオマエの男気は外見に負けておるのだ! オマエの男気はその程度のものなのか!? オマエは男だろ!」
思えば師匠はボクを強く、男らしくするために一生懸命だった。
なのに…ボクはなんて愚かだったんだろう。
師匠に「女装しろ」と言われたのは、身体の内から沸き上がる男気を、逆方向から押さえつけて鍛えるためだったのに…。
それなのに…。
ボクは男らしくなるどころか…師匠の期待にも応えられず…。
もしかするとボクが女になっちゃたのは、それでバチがあたったせいなのかもしれない。
…師匠。
ボクは…ボクは…。
「…ボク…どうして女の…」
「危うく雷神様の囲い者になるところだった。よかったね」
するとボクが愚痴を溢すのを見計らったように、グナーさんが相変わらず感情の読めない顔でボクを慰めてくれた。
そうだっ!
ここでボクが落ち込んで沈んたら、せっかくフレイヤが助けてくれた行為に水を差す事になってしまう。
確かにグナーさんの言う通り、女性になったのは状況が状況だし仕方ないと思う。
あのまま男の子だったら、トールさんに連れ去られて…そのままトールさんのモノにされちゃうところだったんだ。
ボクは自分の都合ばかり考えてしまって、助けてくれたフレイヤへの配慮が足らなかった。
ボクはおどおどしているフレイヤに微笑みかける。
「……ゴメンね、フレイヤ。せっかくフレイヤが助けてくれたのに、ボク…ちょっとビックリしちゃってさ」
ボクが微笑んだせいか、フレイヤもホッとしているみたい。
彼女の顔がパァッっと明るくなる。
うん。やっぱりフレイヤには笑顔が似合うよ。
「ううん、いいの。貴方様も突然女性にされちゃって…ごめんなさい。でも大丈夫よ。今すぐ再転生とはいかないけれど、立派な戦士…つまり戦士になれば…魂の在り様が真に男であるなら、再び男性として転生し直す事も可能だと思う。…この子にも父親は必要だし、母親が二人だなんて情操教育に問題あるから、絶対に男性に戻してあげる!」
えっ!?
…男に戻れるのッ!!?
でも「立派な戦士にならないと男に戻れない」とかなんとか…。
ッッ!!
ボクは気付いた。
この状況は正に師匠の言う鍛錬に通じている!
そうだ!
ボクの心が男のまま残っているのに身体だけが女性になったのは、すべて師匠のいう鍛錬と同じ状況なんだ!
生前…今までは女装をしようが、自分の都合で女装を止めれば鍛錬はそれでおしまい。
これじゃあ、いくらヤル気になったつもりでも、無意識に修行に身が入らないのも同然だ。
だから、せっかく師匠が『女装しても無理やりソレを抑え込むほどの男気を鍛錬する』っていう修行を企画してくれてもあまり効果がなかったんだ!
だけど、身体そのものが女性になってしまっては、生半可な気構えじゃ全てが始まらない!
逆に考えれば、今の状況は、ボクが真の男になるために、女性になったと考えることが出来るんだ!
フレイヤの言う戦士――つまり周囲にボクの事を「姉ちゃんよぉ。美人だし、良いカラダしてんな。げへへ」と思わせることなく、皆に「おお、なんという勇ましい女性だ。女性にしておくのが惜しい…!」って思わせるくらいの男気溢れる存在になれば無事に男に戻れる!
そうすればフレイヤと子供との幸せな新婚生活が待っているんだ!
何の問題もないじゃないか!
いや。
やっぱり問題もある。
恐る恐るトールさんの様子を見る。
ボクが男性に戻ったら再び貞操の危機が…!?
「あら~~ッ♡ そういうコトだったのねぇ。お義母様も愛人をお作りするなんてなかなかやるじゃないのぉ♡」
トールさんはフレイヤの言葉に歓んでいるみたい。
「ぼほほほっ。安心して頂戴。私もお義母様の幸せを壊すつもりもないし、他人の男を奪う程見境ないわけじゃないわ。…しかしお父様にも困ったものよねぇ。あの方は戦士の収集と自分の知識にしか興味がない変人だから、ご自分の妻とも仲良くなれないのよねぇ」
どうやらトールさんはフレイヤの浮気(?)に同情的なようだ。
「…オンナを自分の都合の糧にしか考えていないお父様には少々お灸が必要のようねぇ。分かったわ。お義母様の為に私も協力しちゃうわよぉ! お母様の愛人…新人ヴァルキュリーさんの任務とやらに協力してあ、げ、る♡」
トールさんは不気味半分愛嬌半分にウインクしてくれた。