ヘルマンとブリュンヒルデ
よろしくお願いします。
5年ぶりの連載再開だったりします。
「ぜあああッッ!!」
ドシュッ!
「ぎゃあああああぁ!?」
動けぬ山賊相手に殺人と間合いの鍛錬を行っているヘルマン。
ちなみにジエラとベルフィは少し離れたところで話をしてくるという。
彼は一人黙々と稽古を続けている。
しかし相手が無法な山賊で、少年どころか老若男女を不幸にしてきたとしても、大声をあげて盛大に空振りしたり、山賊の断末魔と共に肉を切り裂く手ごたえを繰り返しているうちに彼は段々と冷静になってきた。
「……なかなか…キツイものがあるな…」
チラリと練習台を見ると既に恐怖で気絶しているか、あるいは「助けてくれ助けてくれ」とブツブツ言ってるのが見て取れる。
しかしヘルマンは怯まない。
これしきのことで躊躇していたのでは戦場で役に立つどころの話ではない。
戦場でヘルマンが斬る相手とは、凶悪な犯罪者でもなく憎い相手でもないのだ。
「……ふう。続けるとしよう」
深呼吸し、ジエラに教わった『トンボの型』に剣を構えた時だった。
「あの…。すこしよろしいでしょうか」
ヘルマンはビクリとして声の方を向き直ると、そこには煌びやかな甲冑に身を包んだ女性…ブリュンヒルデが佇んでいた。
・
・
話は少し遡る。
白鳥へと姿を変化させたブリュンヒルデがジエラを追って空を飛んでいると、突然虹色の衝撃波に襲われたのだ。
「な、ナニっ!? ナニが起こってるの!??」
彼女はバランスを崩して地面に舞い落ちる。
落下の衝撃で変化が解けてしまった。
少しの間気を失ってはいたが、カラダに打ち身以上の怪我がない事を確認すると、ブリュンヒルデはカラダを擦りながら立ち上がった。
「…いったぁ。でも良かった、怪我とかしてなくて。…さっきの衝撃はなんだったのかしら? ジエラ様にお怪我が無ければいいけど…」
すると今いる場所から遠くないトコロから何やら声が聞こえる。
どうやら気合を入れているようだ。
ブリュンヒルデはその声に惹かれるモノを感じ、声のする方に歩き出した。
・
・
「せいッ! はぁッ!」
それは異様な光景だった。
地面に足が埋まって身動き出来ない連中を前に、一人の男が素振りをしている。
男…ヘルマンはトンボの構えからの斬り落としを何回か素振りしたあと「うむ」と頷き、足が埋まった連中から距離をとるように歩き出す。
そして十分に距離をとってから「はあああぁぁッッ!!」という気合と共に駆けより、踏み込みと同時に大剣を振るうのだが、距離感を誤って目標の手前を空振りした。
斬り殺されそうになった男は恐怖のため立ったまま気絶している。
「…むう。最初は上手くいったのだがな。なかなか難しいものだ」
最初の頃は怒りで我を失っていたヘルマンだが、段々に冷静になり剣の型を意識して剣を振るっていた。
そんなヘンマンに山賊は命乞いをする。
「お、おいっ。アンタ、助けてくれっ。見逃してくれっ。頼む、この通りだっ!」
その声にヘルマンは淡々と答える。
「…お前ら山賊は他人の命と財を奪うのだろう? 自分が殺されそうになったら命乞いか?」
「……わ、悪いかよぉッ!? カネでも食いモンでも奪わなきゃ俺たちは飢えて死んじまうんだッ。だが、アンタからはナニも奪わなかったっ。そ、それに見逃してくれたら、もう山賊から足を洗うッ。頼むッ! この通りだッッ!!」
「…一つ聞こう。お前は子供を害したことがあるか?」
「お、おう。そりゃあ…な。泣き叫んでウルセェのは何人も殺したな。特に男のガキは奴隷になっからよ。人買いに高く売れ…がふっ!? 痛えぇぇッッ!?」
「…話にならん。お前らは俺のジゲン流の踏み台になってもらう」
強かに殴られ、顎を砕かれた男の前でヘルマンはトンボの型の素振りを再開したのだった。
木陰からブリュンヒルデが彼らの様子を覗いている。
正確には彼女の視線はヘルマンに釘付けだった。
「…あ、あの方は…?」
凛々く精悍な顔立ちは高貴な生まれが想像できる。
そして鍛え抜かれた肢体はまるで俊敏な獣のよう。
そして彼らの話から察するに、目の前の美丈夫は悪を挫く誇り高い志を持っているようだ。
「なんて…素敵な殿方…なの♡♡」
なんと、恋多き戦乙女であるブリュンヒルデはヘルマンに一目惚れしてしまったのだ。
この人間界にやってきたのは確かにジエラの為であったかもしれない。
しかし、男性化する予定のジエラを確実にモノにできる保証がない以上、保険は必要なのだ。
そう考えたブリュンヒルデは目の前の美丈夫と交友関係を結んでおくべきだと即座に判断する。
そう、戦乙女の社会において、男は奪い合いだ。
彼女達の主神オーディンが好む戦士は戦乙女たちに不評極まりないのだから、運よく彼女たちのお眼鏡に叶う戦士がアースガルズにやってくる機会は稀なのだ。
当然のことながらそのような素敵な戦士がアースガルズにやって来た時は、早い者勝ちという名の奪い合いとなる。
「あの、少々よろしいでしょうか?」
ブリュンヒルデは美丈夫…ヘルマンに声を掛ける。
拘束され、突っ立ったままの山賊たちの存在を無視しながら、ブリュンヒルデはつつとヘルマンに駆け寄る。
「凄い汗ですよ? さ、これで汗をお拭きください」
「…あ、ああ。すまん」
ヘルマンは女嫌いではなく、単に異性に無関心なのである。
故に唐突に現れた甲冑姿の女性に違和感を覚えながらも、己に敵対しているワケでもないので邪険にはせずに普通に応対していた。
「ところで、貴方様はここで何をされていらっしゃるのですか?」
「ああ、師の指示でな。世の害悪である悪人を用いて鍛錬をしているんだ」
ブリュンヒルデはチラリと悪人…山賊を見る。
ガタガタ震える山賊は一目で野蛮で粗暴で道徳観など微塵もなく、暴力と理不尽がそのまま人間になったような容姿をしていた。
だが、仮に彼らが命知らずの勇猛果敢な戦士であれば主神のメガネに適うかもしれない。
ブリュンヒルデはあんな連中に近い荒くれ戦士を相手にしている同僚を憐れと思うと同時に、目の前の超優良株とお近づきになれるチャンスに気合を入れた。
初対面であるためか辿々しい会話が続く。
どうやら目の前の美丈夫は武者修行の途中らしく、腕力だけでまだまだ剣士として実力が不足しているという。
「…ああ。一切の虚勢を張らず、自らを未熟者として鍛錬に励むなんてなかなか出来ることじゃないわ…。なんて人格者なのかしら…!」
ブリュンヒルデは美丈夫の受け答えを聞いて、もういてもたっても居られなくなった。
彼女は笑顔で世間話をしながら内心で将来の事について高速に思考を張り巡らす。
目の前の美丈夫が苛烈な戦場で戦死し、彼の傷ついた魂を優しく抱き留め、手を取り合ってアースガルズに帰還する。
それは戦乙女なら一度は夢見る憧れのシュチュエーションだ。
「ああ、素敵…」
思わず呟いてしまう。
ヘルマンは「どうしたのだ?」と訝し気に感じるが、ブリュンヒルデはまさか「貴方が雄々しく戦死する光景を幻視してしまったのです」とは言えず、「鍛錬に勤しむ姿勢がご立派だと思いまして」と話を誤魔化した。
ジエラに夢中であったブリュンヒルデが美丈夫に心を動かされているのにはワケがある。
それは先程の村での出来事でブリュンヒルデの中のジエラ像が崩れがかってしまっているのだ。
ジエラは好色かもしれないという疑い。
無論、男性化しても同じだろう。
それが原因でこれから先、苦労を背負い込むかもしれない。
□ ブリュンヒルデの妄想 □
チュンチュン。
朝
男性となったジエラとブリュンヒルデはめでたくゴールイン。
ここは彼女たちの新居。
女性だった頃のジエラ美しかったので、男性化した後も絶世の美男子。
しかも女性の頃の心も忘れてはいないようで、女性へのこまかな気配りもできる素敵な殿方だった。
更にはジエラはフレイヤに仕える家令として収入も多く、そんな旦那様を捕まえたブリュンヒルデは他の戦乙女から羨望の的だった。
しかし、その順風満帆な新婚生活は、ある意味大変な生活でもあったのだ。
何故なら男性となったジエラは朝、昼、晩とブリュンヒルデを求め続けている。
彼は女性であった時も好色であったので、男性となった後も好色癖が抜けなかった。
「ああっ♡ ジエラさまぁ。…もう朝です。お休みに…」
「はぁはぁ、可愛いよブリュンヒルデ、キミが素敵だから俺の滾りが止まる事を知らないんだっ!」
「私が可愛いすぎるのが悪いのっ!? 嬉しい…♡ で、でも、ジエラさま…また…遅刻しちゃう。今日も遅刻…しちゃったら…フレイヤ様もお怒りに…」
「フレイヤ様なんかどうでもいいよっ! 俺にとってはキミこそが全てさっ」
女としてはここまで愛されるのは嬉しい。
なのでブリュンヒルデも強く拒絶できないでいる。
「フレイヤ…フォールクヴァング宮には「ジエラは体調不良で欠勤」と伝えておかないとね…!」
「旦那様ぁ…♡」
バタン!
すると、女神フレイヤからの伝言を司る女神・グナーが突然訪問してきた。
そして未だベッドにいる二人に無表情に宣言する。
「…フレイヤ様からの伝言。『度重なる指導にもかかわらず、貴方の勤務成績は一向に改善の兆しが見えません。よって解雇し、以降はフォールクヴァング宮殿への出仕を禁じます』…以上」
「…そ、そんな」
驚き嘆いているのはブリュンヒルデのみ。
ジエラは何も感じていないようだ。何故なら彼はブリュンヒルデに夢中なのだから。
・
・
グナーを通じて去った後、ジエラはとんでもない事を口にする。
それはブリュンヒルデにオーディンのヴァルハラ宮殿でホステスとして働いて欲しいという事。
ブリュンヒルデは嘆く。
「…セクハラ戦士のお世話だなんて、そんなのイヤ…。でも旦那様は無職…収入が減っちゃうから…仕事を選んでいられない…。ヒドイ…。…こ、こんなはずじゃ…」
□ □□
ブリュンヒルデは考える。
ジエラに愛してもらえるのはいい。
しかし、ジエラの遅刻欠勤が過ぎて仕事を失ってしまい、幸せなはずであった家庭が崩壊してしまうのではないかという可能性…いや怖れが出てきた。
それに引き換え目の前の美丈夫は、真面目で、寡黙で、ストイックで、努力を惜しまないタイプに思える。
あまりブリュンヒルデとの会話に熱心ではなさそうだが、それは異性に慣れていないように思われた。
「ジエラ様とお近づきになる為にこの人間界に来てみたけど…。ここは…」
彼女は無意識に背嚢の中の『子宝の林檎』の在庫を確認する。
運良く一個だけ残っていた。
ブリュンヒルデが悪いワケではない。
憐れ、ハレンチ妖精に毒されて好色な露出狂となり果ててしまったジエラ。
そして目の前には将来性ありまくりな美丈夫。
そう。
ブリュンヒルデが悪いワケではないのだ。
運命が……。
妖精がジエラと行動を共にしなければ、
ブリュンヒルデがたまたま立ち寄った村であんな噂を聞かなければ、
全ては丸く収まったのかもしれないのに。
全ては運命の巡り合わせなのだ。
ブリュンヒルデは考える。
もちろんこのままジエラを放置するワケにはいかない。
フレイヤからの評価を上げるためにも、ジエラの過ちを諭す必要はある。
しかしそれは目の前の美丈夫をモノにしてからでも十分なはず…。
いや、この美丈夫との関係こそが最優先事項であると断じたのだ。
そう。
ブリュンヒルデにとっての将来性を鑑みても、露出狂のジエラと、この真面目な美丈夫は比較にならないように思えるのだった。
「…ここは…、既成事実しかないわ」
彼女は小さく呟くと、おずおずと『子宝の林檎』…子作り性行為の関係あるなしに関わらず即・妊娠させる神のアイテムを取り出そうとして自己紹介する。
「あの…、お、お疲れのときは甘いモノが良いですよ? 私、偶々瑞々しい木の実を持っているんです。どうか召し上がってください。…あの、私、ブリュンヒルデっていいます」
「ああ、すまない。俺の名はヘルマン。師にお仕えして武者修行の身だ」
「ヘルマン…さん。ですか。素敵なお名前ですね…? あ…れ? ヘルマン…。ヘルマン……。ーーーッッッ!!??」
ブリュンヒルデは背嚢に手を突っ込んだまま硬直した。
ヘルマン。
それは先ほどの村で、ジエラが籠絡し連れ去った男の名ではなかったか。




