高潔なるヘルマン
よろしくお願いします。
◇◇◇◇◇
同刻。
村の中央広場。
此処には村の若い衆が集まり、昼間の騒動で焼けた数軒の家の残骸を燃やしているところだった。
そんなキャンプファイヤーのような炎の周りで彼らは昼間の出来事をネタに酒を煽っている。
家庭もちは家族の無事を各々の家で喜びあっているので、この飲み会に集った彼らの多くは独身だ。
自然に話題も女絡みの話題になっていた。
「俺は勇敢に戦ったぜぇ~っ。きっとアネットも俺に惚れるに違いないな!」
「バカ言ってんじゃねえ。オマエは一目散に逃げてただろうが!」
「…しっかしオーク共に女たちが攫われないでよかったなぁ。…あ、オメエはオークに連れてかれねえで残念だったなぁ」
「なんだよそれ!? 俺よりお前の方がデブだからお前の方が喰いでがありそうだろうが?」
「「「わはははっ」」」
女性の話題とはいっても、今回の場合はいつものように村の女の品評会ではなく、話の中心は村を救った二人の女性…ジエラとベルフィになっていた。
「あの騎士様…美人だよなぁ」
ポツリと誰かが漏らした。
「おお。俺も昨日まではアネットが村一番の美人だからって浮かれてたがよ、あの騎士様と比べたらどんぐりの背比べっていうかなぁ…。村一番の美人も村一番の醜女も同じようなもんだ」
「顔だけじゃねぇ。あの身体つき…。すげえなんてもんじゃねえよ。女ってのはああじゃなくちゃ。俺は生まれて初めて女を見た気がするぜ」
「それにピッチリな服だからたまんねえよな! ケツなんて半分以上見えてるんだぜ!?」
「おお、ムネはユッサユサでケツはムッチムチでよ、おりゃあ昼間の作業中、何度便所に行ったかわかんねぇよ」
「「「「「「「俺も俺も!」」」」」」
昼間はジエラの武勇に戦慄していた彼らだが、喉元過ぎればなんとやらで「あれだけの巨馬を操っているんだ。馬の突進力も合わさってそういうことも出来るだろう」と考えがまとまり、今ではジエラの武勇に対しても「さすが騎士様。大したものだ」という程度に落ち着いている。
であるから、若い男衆にとってジエラは『強力かつ得体のしれない武人』というより『淫らな格好をした美人』として男共の猥談の格好のネタとなっていた。
「あのスケベな衣装は都会じゃ普通なのかなぁ? 俺も死ぬまでに一度は行ってみてぇ」
「俺の嫁になってくれんかな?」
「ウチで飼っている牛よりも乳がデカんじゃないか?」
「「「いくらなんでもそりゃねえだろ!? …いや、あの騎士様ならあるいは」」」
がはは!
わはは!
しかしこの場に集ったのは、村を襲った騒動を明るい話題…この場合卑猥な話題でかき消そうという連中ばかりではない。
焚火を囲む輪の後方でチビリチビリと酒を舐めている巨漢…ヘルマンだ。
そんな空気を読まない彼ヘルマンに、他の若い衆が声を掛ける。
「おい、ヘルマン。ナニ黙りこくってんだよ!? おおかたあの騎士様に夜這いでもかけようって魂胆か!?」
「ヘルマンに限ってそりゃあねえよ。オンナ嫌いなんだぜ?」
「でも今度ばかりは女嫌いのヘルマンでも気が変わったんじゃねえのか? 昼間も騎士様に稽古をお願いしてたしよ。…まあ夜這いなんか止めとけよ? 殺されちまうぞ?」
「寝込みを襲おうとしてもなぁ…。あれだけお強い騎士様の事だ。普通の者が寝ているときも人知れず鍛錬に勤しんでいるだろうよ!」
ヘルマンは村人の嘲笑を黙って聞いていたが、『鍛錬』という単語を耳にした途端コップを静かに置いた。
木こりのヘルマン。
剣の道に憧れる21歳。
野性的な肉体美を有しながら貴公子然としたイケメン。
しかし女嫌いというより女性に興味が無い変わり者。
ヘルマンは他の村の男に比べると顔も体格も良かったが、それよりも風格が備わっていた。
それこそちゃんとした身なりさえすれば誰も木こりだと思わない。いや田舎者と想像できない程に品格すら感じられるほどだった。
オマケに寡黙で誠実で働き者。
そして彼の精悍な外面と内面にのぼせ上る村の女は少なくなく、先程話題に上った村一番の美人であるアネットもヘルマンを想う一人だった。
だがヘルマンは言い寄る女たちを全て断ってきた。
何故ならヘルマンにこの村に根を下すつもりなどないのだから。
だから彼は21歳という年齢になっても、嫁取りどころか女っ気には無縁だった。
縁結びを趣味とする村のオバサン連中もさじを投げる有様だ。
ヘルマンには公然の志があった。
どこかの軍人であったろう彼の父親。
父の意志を継ぐ継がないの話ではないが、幼い頃から戦う者というか武人という存在に憧れていた。
毎日木を切り倒す生活に嫌気がさしている訳ではない。
しかし木こりとして生涯を終わらすのは何かしっくりこないのだ。
ヘルマンに備わった恵まれた体躯。
身体を活かして剣の腕を磨き、そして武人としていけるところまで行ってみたかった。
しかし、そうはいっても現実にはヘルマンに剣を教えてくれる者はいなかった。
近隣の村を含め、根っからの農民にとって剣とは無縁の存在に過ぎない。
そんなであるから仮に一念発起して村を飛び出したとしても、一人で…それも腕っぷしだけでは何も出来ずに朽ちるのは目に見えていた。
ヘルマンはそんな夢と現実の狭間に悶々としていた。
しかし、今日、逢えたのだ。
ヘルマンを導いてくれるであろう存在に。
女騎士…ジエラ。
彼は全力でジエラに挑んだのにも関わらず、彼女に片手で圧倒され、そして完全にやり込められてしまった。
彼は素手に等しい女性に負けて悔しいなどと一片も感じていない。むしろ彼は嬉しかった。
まさに今日、己が師と仰ぐべき存在に出会えたのだ。
ヘルマンにとっての目標は武人となること。
常日頃からゆくゆくは達人となって名を馳せたいと考えていた。
己を武人として鍛えてくれるのなら!
ジエラが女だろうが男だろうが、それこそ美人だろうが醜女だろうが関係なかった。
「鍛錬…。鍛錬か。騎士様が鍛錬をしているのなら、俺も鍛錬するとしよう」
ヘルマンはおもむろに立ち上がると、焚火の輪から離れる。
立てかけてあった父の形見の剣をとると帰り支度を始める。
「ヘルマン! 鍛錬とかいいながら夜の鍛錬とか言って騎士様を夜這うんじゃねえぞ!? わははっ!」
「ほっとけほっとけ。あいつにゃあ、強くなるって事しか頭にないんだからよ。…あの騎士様を見ても野郎のイチモツはピクリともしてねえみてえだったしな!」
「不能なんじゃねえのか? だから嫁取りに無関心なのかもしれねえな! がっはっは!」
「ひょっとすると、明日には騎士様に弟子入りでもする気なんじゃねえのか? 「オレをお連れ下さい!」とか言いそうだ」
「仮にそうでも騎士様は足手まといなんざお断りだろうよ!」
ヘルマンは思う。
確かに彼らの言う通り、出来る事ならば騎士様に弟子入りを願う心づもりでいたのだ。
しかし現実にはヘルマンは足手まといどころの話ではなく、そのような体たらくでは断られるのは明々白々。
それにヘルマンは女性に無関心とはいっても一般常識程度は弁えている。
騎士とはいえ女性連れの旅に同行することの不都合さを重々承知していた。
…ならば騎士様が出立する前に今後の鍛錬の方法などを指南してもらうだけでも…!
そのような事を考えつつ、皆の元を去ろうとしたとき、村長の嫁…影の村の指導者たるアーダがやってきた。
「ったく、アンタたち。まだ飲んでるのかい!? 明日も早いんだからさっさと寝な!」
普段であれば村の男はその一喝でビビりまくるのだが今夜は違う。
皆浮かれていた。
「いやいや、騎士様と亜人の嬢ちゃんのお蔭で村も安全になった。だからこその祝い酒ですよ!」
「こんな時くらい飲ませて下さいよ!」
アーダは呑気な男共に溜息をつくが、今夜くらい大目にみてやるか、と思い直した。
「ああそうかい、話は分かったからさっさと適当なところで解散しな! …そうだ、ヘルマン、ヘルマンはいるかい?」
「…ん?」
アーダはヘルマンを呼び止める。
「ヘルマン、騎士様がね、旅の従者をお探しなんだ。アンタは日頃から武者修行に行きたいとかいっていたから、アタシの一存でアンタの事を話したら是非にとの事だったよ! 騎士様も明日には出発だ。さっさと帰って荷造りしな!」
「…ッ!!」
ヘルマンは無言で目を見開く。
アーダの説明は色々と事実とは異なるがヘルマンはその事実とやらを知らない。
ましてや此処には他の男衆もいる。
アーダはとっさの機転で「騎士様がね、アンタを婿に迎えてくれるんだってさ」とは言わなかった。そんな事を言えば村中で騒ぎになるのは自明だったからだ。
男衆はもちろん、ヘルマンが婚姻を断ってきた女衆も黙ってはいないだろう。
なお、アーダはここに来る前に村の長老たちに「ジエラが従者を要望していている」と話は通してある。
長老たちはジエラへの報酬に頭を悩ませていたのでその話に飛びついた。
ヘルマンという働き盛りの若者を失う事になるが、木こりは村に複数人いるし、ましてやベルフィのお蔭で村の護りも格段に強固になっている。今後はオーク程度の魔物の襲来にも問題なく対処できるだろう。
なにより決め手となったのはヘルマンには嫁を貰うという意思がない変わり者だということだ。
つまりアーダの根回しによって、長老たちとは「ヘルマンさえよければ問題ないじゃろう」という事で話はまとまっているのだ。
後はヘルマンの返事待ち。
そして案の定、ヘルマンは「是非…願ってもない!!」と即座に承知し、アーダは満足に微笑み頷く。
男と女が旅をする。
ヘルマンもジエラも健康な男女。
そこに起こる事は明白だ。
そんな事は如何に朴念仁のヘルマンにも言わなくても分かるだろう。
ヘルマンとジエラ。
同性のアーダから見てもジエラの美貌は尋常ではないがヘルマンも中々の男前。
努力すれば決して見劣りはしないだろう。
そして何よりも重要なのはジエラがヘルマンとの再婚に前向きという事だ。
そうなれば後の問題はヘルマンの頑張り次第で解決する!
だが、仮にだが、もしかすると今の時点でヘルマンはジエラの事を愛しく思わないかもしれない。
しかしその場合でもずっと共にいれば時間と共にヘルマンの心境も変わる。
ジエラとくっつくのは時間の問題だろう。
そしてヘルマンも無事に家庭を持てば、武人とやらになる夢を諦めて、平穏な毎日の素晴らしさが分かってくれるに違いない。
アーダは目線で「頑張るんだよっ」とヘルマンに気合をいれる。
しかし、周囲の男共はアーダの思惑とは別に騒ぎ始めた。
「なんだと! 女嫌いのヘルマンが!?」
「俺の嫁と…!?」
「騎士様がいつオマエの嫁になったんだよ!」
「武者修行!? …夜も武者修行する気じゃねぇだろうな! あの騎士さまのチチやケツを…ヘルマンが思う存分…好き勝手に…。…何てこった。アーダさん、今から俺に代えてくれるよう騎士様にとりなしてくれ!」
「許せねえ! なんてうらやまけしからん旅だ!!」
男共の下品な悲鳴をアーダは一喝する。
「バカかいアンタたちは! ジエラさんは騎士として戦場を渡り歩くんだよっ。アンタたちが想像する旅じゃないよっ。…ホラホラ、さっさとお開きにして! 帰って寝なっ!」
そんな中ヘルマンは周囲の狂騒など耳に入らない。
無言で父親の形見の剣を振るう。
自分が剣一本で成り上がり、戦場で輝く事を夢見て一心に素振りを続けていた。




