間話 一抹の不安
よろしくお願いします。
「ジエラ様は無事に異世界へと旅立ったようですね」
「あの方はきっと立派な戦士様になって私の許に帰ってきてくれるわ!」
フッラは緊張感のない主人を眺める。
その花の顔を曇らせたくはないが、しかし、どうしても心に沸き上がる漠然とした不安があった。
それは…ロキの存在だ。
主神オーディンの義兄弟にして、稀代の問題児。
フレイヤは『ロキは旅行慣れしている』という一点で、独断でトールを通じてロキに連絡をとってしまったのだ。
「…フリッグ様、ジエラ様に転生のことはきちんとご説明しましたか?」
「ええ! 一応はちゃんと伝えたわ。異世界で男を好きになっちゃダメって。…だけど、ジエラは中身はオトコなんだもん。ジエラがオトコを好きになるだなんてそんな事ありえないわ」
「…はい」
「ナニ? また心配事? まったくフッラったら…」
フッラが心配性なのは、いつもフレイヤやオーディンたちの言動に頭を悩ませている日常に起因しいていることもあるかもしれない。
ジエラが無事に戦死さえしてくれれば、その時にジエラが「男として、父親としてフレイヤと我が子を愛したい」という認識のままであれば元の男性の姿に、そして今までの記憶や想い影響なく再転生は可能だ。それは間違いない。
しかし、悪戯神ロキの存在もさることながら、何と言ってもジエラはあの美貌だ。
「何かあるのでは?」と、心配するなというのも無理がある。
「ジエラ様は…奥様の転生術で女性になってしまわれましたが、心と記憶は元のまま。無事に勇者、英雄に相応しい戦士となった暁には…晴れて城館に住まう資格を得ます」
「うん。そうね」
「しかし再転生についは問題はなくもありません。…それは例え立派な戦士としてとなったとしても、異世界で自分は女性だと自覚してしまったら…男性には戻れない可能性が出てきます。その事は奥様もおっしゃるように、異性…この場合は男性に恋愛感情を持ってしまう事が一番恐れるところです」
「……」
「奥様もご存じの通り、戦乙女は戦士に惹かれる存在。…異世界でジエラ様が奥様以外の人物…戦士に愛情を注ぐといいますか…。そしてジエラ様の心は男性のそれです。…奥様とジエラ様の繋がりが弱まるともうしますか…つまり別の者に気の迷いではなく本気になってしまっては、再転生が上手くいかない怖れも…」
ガチャン!
言い辛そうにしているフッラを睨みつけながら、フレイヤが勢いよく立ち上がる。
テーブルの上の花瓶が音を立てた。
「フッラ! 貴女はジエラが私を捨てて他の男や女に走るかも知れないっていうの!?」
「いえ、ジエラ様の心は男性ですから、戦士が言い寄ってきてもジエラ様はきっぱりと拒絶するでしょう。仮に特殊な性癖を持った女性が言い寄ってきたとしても、その女性は奥様の足元にもおよばないでしょう。更に奥様には息子様もいらっしゃいます。何よりジエラ様ご自身も絶世の美貌なのですから、心は動かされないでしょう」
「…でしょう? 何が不安なのよ」
「あのロキ様が、悪戯好きのロキ様が何も為さらなかったのが不安なのです。奥様とジエラ様がお困りになるような事をやらかしてはいないかと…」
「フッラ…あまり考え過ぎると小皺が増えるわよ? 大丈夫。ロキはとても協力的だわ。なんでもジエラの旅と戦闘の補佐として妖精国の由緒正しい白妖精の戦士を付けてくれたみたいなの。私は良く知らないのだけど、アールヴって兄貴直轄の半神半妖精でしょう? 下級とはいえ豊穣神に連なる種族だから、きっとジエラの任務に役立ってくれるわ」
「リョ、白妖精、ですか!?」
「ええ。そうよ。精霊の支配者である白妖精なら申し分のない従者だと思うわ!」
すると、奥の部屋からバルドルがよちよち歩きしながらやって来て、フレイヤの前にぺたりと座り込んだ。
幼いバルドルは目覚めたらジエラが居ないことに不安が隠せなかったのだ。
朝から何度も泣き出し、さきほど落ち着いたと思ったら再び幾つかの部屋を歩き回っている。
「…ふれいやままー。じえらまま…。…どこぉ?」
「バルドル、お父様はお仕事なの? いい子にしてましょうね?」
「ままー。ままー。……ふぇぇ…!」
再び泣き出すバルドル。
彼はフレイヤがあやすのも聞かずに、泣きながらハイハイしてジエラを探そうとする。
すると、ロキから預かった仔狼のフェンリルがてててっとバルドルに駆け寄ると、彼の小さい手をペロペロと舐めた。
「………うあ」
バルドルは小さな仔狼を抱きしめる。
「……ままぁ」
泣きつかれたバルドルはぬいぐるみのようなフェンリルをだっこしたまま絨毯の上で眠ってしまった。
「ああ…。バルドル。可哀そうに…。貴方様…早く帰ってきてね」
「奥様。このまま寝室にお連れしましょう」
フレイヤはもうは話は済んだとばかりにフーリンと共に息子を抱いてその場を後にする。
フッラは去りゆくフレイヤ達に深々と頭を下げて見送った。
・
・
フッラは宮殿の廊下を速足で歩く。
ジエラの従者が、あの白妖精…!
白妖精。
妖精国の住人である彼女たちは、フレイヤの兄・豊穣神フレイ直轄の妖精族だ。
妖精でありながら、精霊であり、更には下級ではあるが豊穣神でもあるという自然と共に在る種族。
彼女たちはあまり妖精国から出ることが無いためフッラといえども噂程度の知識しか知り得ない。
どうやら気位が高く、王妹フレイヤが戦乙女を従えているということで、「我らの王が妹に劣るワケにはいかない」とばかりに白妖精たちは戦乙女に強いライバル意識を持っているらしい。
また、戦火で活躍する戦乙女に対し、自然を司る妖精は恨みを抱いているという噂を聞いたことがある。
つまり妖精にとって戦乙女であるジエラとは、従者どころかライバル関係、もしかすると敵対行動に走る可能性が大なのだ。
ジエラの異世界での活動に支障とならないだろうか?
しかし問題はそれに納まらないかもしれない。
豊穣神の末席に連なると同時に森の恵みを守護するというかの種族は、とても美しいことで有名だ。しかし問題なのは、白妖精には女性体しかいないということだ。
白妖精は豊穣神でもある。
つまりその特性上、“豊穣”や“多産”を意味する胸や尻の大きい女性と縁が深い。
つまり…ジエラの様にグラマーな女性はアールヴの嗜好のど真ん中である恐れがある。
戦乙女という敵対するライバル的存在を相手に、その白妖精がどういう行動にでるのか見当がつかない。
ナニか…良からぬ展開が…?
いや、考え過ぎだ。
ジエラは心は男性、身体は女性というあいまいな存在。
しかしジエラが白妖精の愛憎を受け、その結果、妖精が血迷った行動に出る可能性はゼロではない。
だが、ほんのわずかな憶測で「ジエラ様と共に在る妖精は戦乙女に強い対抗意識と恨みを抱いています。さらにジエラ様に興味津々なのです!」などとフレイヤに言えるはずもない。
フレイヤはなにより子育てで大事な時なのだ。心配なんかさせられない。
ロキの考えが何処にあるのか、などということはない。
今回の事もかの悪戯神の思い付きだろう。
「ロキ様…! 白妖精の参戦など私の計画になかったのに…。余計なコトを…!」
フッラはここにはいないロキに悪態をついた。
この問題はジエラの異世界生活が長引けば長引くほど尾を引いてくるだろう。
そうなると悪影響も深刻なモノになってくる。
フレイヤの笑顔、フッラたちの秘密の計画、そしてフッラの旦那様を連れてきてくれるという約定が破綻する可能性も出てくるのだ。
「…信じておりますよ! ジエラ様! 一刻も早くお亡くなりになってくださいね…!」