一騎打ち
「ゲアァッハッハッハッ!! テメェら手を出すなよぉッ! コイツは俺の獲物だぁッッ!」
ビクトルは笑いながら己が大剣を振り回す。
大剣はグオングオンという唸り声を響かせている。
その剣に型もなにもあったものではない。
理念や工夫というものが感じられない。
ただ振り回しているだけである。
意味もなく振り回される大剣は乱戦の際は恐るべき効果を発揮するだろうが、一騎打ちでは些か滑稽でもあるかもしれない。
だがビクトルの凶相と巨体の迫力も相まって誰も嗤うことができずにいた。
それに腕力任せの勢いと速度はバカにはできない破壊力を秘めていた。
仮に掠りでもしたら、その部分の装甲は砕け、素肌であったなら肉が削ぎ取られるだろう。
対してヘルマンは両の足を地につけ、下半身や腰に力を溜めている。
構えは無論〝左肱切断″…トンボの構え。
その構えのまま微動だにしない。
大剣を振り回しながら一歩一歩ゆっくりとヘルマンに近づいてくるビクトル。
それは正に荒れ狂う暴風だ。
剣で受け止めるには重すぎるだろう。
仮に躱しても返す一撃が速すぎる。
彼の剣は数字の〝8″を横にしたり斜めにしたような不規則な軌道を描いており、タイミングと間合いをずらすのが目的なのか、もう片方の手に瞬時に持ち替えたりしている。
単純な動きなのだが、逆に単純過ぎて付け入る隙が見当たらない。
仮に剣を掻い潜り一撃を入れられたとしよう。
だがビクトルは巨漢であり、腕も相応に長い。
攻撃は深くならず、腕や肩にかすり傷を与えるのが精々だ。
だが、瞬時に返ってくる剣の一撃で屠られるだろう。
「…なんて乱暴な剣…」
リーゼロッテは呟く。
そうは言うものの、非力な彼女ではあの剣に勝つのは至難の業だ。
彼女の剣はスピード重視のためやや短い。
迅速に敵の間合いに踏み込み、一瞬で急所を切り裂き、そして離脱するのが彼女の剣術。
仮に正面から戦った場合、ビクトルの大剣を掻い潜るのは容易だとしても、剣が急所に届かない。
肩や足を斬りつけての離脱となるだろうが、運悪く剣の戻りに引っ掛かりでもしたら命を落としてしまう。
ならば足を使って撹乱し、ビクトルの剣が届きづらい死角から狙うしかないが、あれ程の怪力ならば剣が届かなくとも豪腕で殴られるかもしれない。
いずれにせよ真っ向勝負は挑まないのが常道だろう。
だがヘルマンは静かな眼光で睨みつけるのみである。
「ぐははぁぁーーッ! 死ねぇッ!!」
ビクトルは一歩を踏み出す。
その一歩で彼の剣はヘルマンに届く。
だがヘルマンはグスタフを睨みつけながら微動だにしない。
「ヘルマン様ーーッ!」
リーゼロッテは叫ぶ。
だが。
ギャギィィッッ!
「ぐぎゃああぁッ!?」
凄まじい金属音が響いた次の瞬間、ビクトルの大剣は弾き飛ばされていた。
そして一撃を与えたであろうヘルマンだが、いつのまにか元の構えに戻っている。
「て、テメェ…。味なマネを…」
「…まだやるか?」
憎々しげに睨みつけるビクトルと、それを静かな眼光で迎え撃つヘルマン。
(な、なんて一撃なの…)
リーゼロッテは唸る。
彼女には見えた。
尋常ではない速さと威力を持つヘルマンの剣が、ビクトルの剣の鍔の辺りを強かに打ち据えたのだ。
ビクトルの大剣は重く勢いがあるとは言っても、剣先よりも手元の方が軽いのは自明だろう。
それでも勢いのある大剣を弾くなど容易ではないはずだ。
つまりヘルマンの独特の構えからの一撃がそれだけ威力があるという事。
そしてビクトルの手や手首に加えられた衝撃は大きく、彼は剣を手放してしまったのだ。
いや、この場合、剣を手放して正解だ。
無理に握ったままでは手首が折れてしまう。
「……俺も未熟だ。仮にこれが我が師であったなら、お前は剣を手放すことも出来ない。指は全て吹き飛び、手首は破壊されていた。いや、我が師ならばその大剣ごと、お前を両断しているだろうな」
「な、なんだと…!」
(な、何ですって…!?)
それを聞いたリーゼロッテは戦慄する。
先ほどのヘルマンの一撃は速さ、重さ共に尋常のモノではなかった。
ヴェンダバル一門の中でも同じ剣を振るう者などいないだろう。
それはリーゼロッテ自身も同じ。
彼女は剣速なら自信があるが、アレほどの威力を己が剣に乗せる事など出来ない。
だがヘルマンと彼の師なら出来るという。
しかも速度、威力、共にリーゼロッテやヘルマンを圧倒する剣で、ビクトルを屠ることが容易だという。
(ヘルマン様の師…? そ、それは…どういう?)
リーゼロッテはヘルマンの剣の師を想像した。
当然ヴェンダバル一門ではない。
野に埋もれた剣豪だろうか。
世に出ることなく、只ひたすらに剣の腕前を磨き、己が後継者としてヘルマンを鍛え上げたに違いない。
⬜︎ リーゼロッテの妄想 ⬜︎
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。ヘルマンよ、お前もなかなかサマになってきおったな」
「いえ、まだまだ修行がたりません」
好々爺とした老剣士が己が髭を撫で付ける。
「ワシらの剣は影働きの剣。決して表舞台には出ず、戦えぬ民を暴力から守るために在る。言うなれば…天下無双とされるヴェンダバル流が光であれば、我らの剣は影なのだ」
「はい。心得ております。師よ」
「じゃが光の剣と影の剣は共に在ってこそ、真の救世の剣が生まれるとも言えるのじゃ」
そしてヘルマンは知らされる。
己の許嫁の件を。
老剣士はリーゼロッテの祖父…ヴェンダバル家先先代当主の親友であった。
そして各々の剣を受け継ぐ者が男女に分かれたなら、という前提で許嫁の約束をしていたのである。
「現在、ヴェンダバル流の直系に類稀な女子がいるという。つまりお主の許嫁なんじゃが…、かの流派は弱き剣士には見向きもせん。お主が未熟であれば、許嫁の件はなかった事となるが……」
老剣士はニンマリと笑う。
「まあ心配は無用じゃろう。お主に敵う者など想像できんわ」
老剣士は「ヴェンダバルの娘を伴侶とし、共に切磋琢磨せよ。剣の奥義を極めるのじゃ」とヘルマンを激励しつつ、莞爾と笑うのであった。
⬜︎ ⬜︎ ⬜︎
(…ヘルマン様と、い、許嫁だなんて…♡ …はっ、そ、そんな都合の良い話を考えている場合じゃないわ。ヘルマン様のお師匠様…。まだご存命ならヘルマン様との結婚式典に、是非とも参加して頂かないといけないわよね♡)
ヘルマンが優勢な状況に心の余裕がでたのか、リーゼロッテはついそんな妄想を抱いてしまった。
だが事実は妄想とは異なる。
ヘルマンの師匠は老剣士などではなく、女神すら超越する究極至高の美女。
ジエラ・クッコロ・フォールクヴァング(16)である。
しかし今の状況において、そんな事を想像する事など不可能であろう。
「…手首を痛めたのだろう。降参しろ。大人しく引き下がるなら命まではとらん」
ヘルマンは言い放つ。
だがビクトルは飛ばされた大剣の方を見てニヤリと笑う。
「…へへへ。さすが、あのジジィが惚れ込むだけの事はあるぜ。…だが俺も負ける訳にはいかねえんだよ!」
ズザッ!
ビクトルは足元の土を抉るようにして蹴り出し、ヘルマンを怯ませようとした。
その隙に大剣を拾おうとしたのだ。
しかし、ヘルマンのジゲン流は土砂など意に介さない。
一瞬で間合いを詰め、迅雷のように必殺の剣を振り下ろすのだ。
己と敵の間合いをどれだけ詰めれば剣が敵の生命に届くのかなど、対峙する瞬間に理解している。
ましてや一騎打ちの最中に不意に片足を蹴り出し、僅かにも不安定な姿勢になるなど「殺してくれ」と言っているに等しい。
ヘルマンはビクトルの隙を見逃さない。
目潰しが顔に届く前に目を瞑ればいい。
視界を失おうと問題ない。
ひと目で間合いを測る稽古など幾度繰り返したか分からない。
目が見えなくとも間合いは頭に入っている。
ヘルマンは土砂と土煙が舞った瞬間、自ら土砂に向かうようにして一足飛びに間合いを詰め、そして大剣を振り下ろした!
「つああぁぁーーッ!」
ズドォッ!
「ぎゃああぁッ!?」
浅い!
ヘルマンは敵の生命に届かなかったと悟ると、瞬時に間合いを取り、『左肱切断の構え』をとる。
ジゲン流は斬り下ろしはもとより、足運びも構えも『雲耀』…即ち雷のように瞬時に行うのだ。
先ほどのビクトルのような隙など相手に与える事はない。
ビクトルは片腕から片足にかけて深い裂傷を受けていた。
おそらく目潰しと同時に駆け出そうとしたところに、ヘルマンの剣先が届いたのだろう。
「ぜはぁ…。ぜはぁ…。目潰しに向かってくるとはな…。クソッタレめ…!」
痛みからか荒い息を吐くビクトル。
剣を拾う事はできたものの、先ほどのように剣を振り回したりしない。
片足片手に重傷を負っていてる状態で力強く剣を振るっては、痛みが増すどころか傷が広がってしまう。
「ふぅー…」
呼吸を整えるヘルマン。
しかし微塵も油断していない。
次は確実に仕留めるとばかりに集中している。
(勝負あったわ。…ああ、ヘルマン様♡、私のために…♡)
リーゼロッテもときめいていた。
だが、それでもビクトルは不敵に笑う。
「へ、へへ…。さすがは竜殺しってか。だがよ、戦場にテメェの女を連れてくるのは命取りだぜ…!」
「何…? 女…?」
なんと、ビクトルは最後のあがきで側に踞るリーゼロッテを抱え込む!
「きゃあぁッ!?」
リーゼロッテはビクトルの太い腕でギリギリと締め上げられてしまう!
剣をもっていない、傷を負った方の腕であるため血がブシュッと迸るが、ここでリーゼロッテに逃げられては彼の勝ち目はなくなるのだ。
逆に言えばリーゼロッテを離さなければヘルマンを殺せる。
そしてこの人間界最高の女が手に入る…!
そう思うとビクトルは腕の激痛を感じなくなっていた。
「ゲエッッハッハッハ! さあ、この女の命が惜しければ、その剣を捨てろ!」
「……ッ!?」
ヘルマンは混乱した。
今更ながらにリーゼロッテに気づく。
何故、このような娘が戦場にいるのか。
そしてビクトルの言う「ヘルマンの女」とはどう言う意味だろう。
ヘルマンに近い存在の女性など、師のジエラ、そして義妹のセフレ、武芸者のスレイ、そしてサギニとその仲間くらいしか思い浮かばない。
だが無関係とはいえ、女性が巻き添えになるのを無視するなどヘルマンには出来なかった。
ヘルマンは己の剣を静かに足元に置いた。
ジエラに授かった剣を放り捨てる訳にはいかない。
「ヘルマン様ーーッ!?」
娘が悲痛に叫ぶ。
ヘルマンは「何故、この娘は俺の事を知っているのか」と思わないでもなかったが、今はこの場を切り抜ける方が先決だ。
「グヘヘ…。甘っちょろい野郎だぜ。さあ、叩き斬ってやるから、ゆっくりとこっちに歩いて来い…。おっと、下手な事しやがったら、この女の首を砕いてやるぜぇ…!」
ビクトルは下衆い貌をして笑う。
「ヘルマン様、ヘルマン様ぁ…」
リーゼロッテは泣いている。
「………」
ヘルマンには〝師のジエラと世の少年のために戦う″という崇高な使命がある。
だからといって人質を見殺しにはできない。
ヘルマンは腕をだらんと下げたまま、ゆっくりとビクトルに近づいて行く。
「よおぉーし…。良いぜェェ。グヒヒ…。ようやくあの女が俺のモノに…!」
ビクトルは興奮していた。
恍惚としていた。
彼はヘルマンを屠った暁にはこの人間界最高の女が得られるのだ。
彼は血と情欲に酔ったように顔を歪める。
「最後に礼を言っておくぜ。いや、最後じゃねぇなぁ。これからテメェとは同輩として長い付き合いになるんだ。後でヴァルハラの訓練場で顔を合わせる事になるだろうが、そんときゃ思う存分ブチのめしてやるからよ、今度とも宜しく頼むぜ…!」
ビクトルが何を言っているのかヘルマンには分からないが、ヘルマンは少なくとも冷静を装っていた。
それは自分が陥っている状況にではない。
それは…。
ガシィッ
「ぐがッ!?」
「わあっはっはっは! 俺を忘れてしまっては困るな!」
なんと、グスタフがビクトルを背後から羽交い締めにしたのだ。
グスタフはヘルマンの一騎打ちの妨げになるであろう山賊たちを殲滅した後、ビクトルの卑劣さを察して様子を伺いつつ背後に忍び寄っていたのだ。
ビクトルはヘルマンを殺した後の褒賞に気を取られてグスタフの接近に気付かなかった。
逆にヘルマンはグスタフの動きを把握しており、ビクトルを油断させるためにあえて彼の命令に従うふりをしていたのである。
ギリリリ…!
ビクトルに劣らぬ体躯を誇るグスタフが、その恐るべき腕力でグスタフの首を背後から絞め捻る!
「て、テメェ…、一騎…打ち、らぞ? ひ、ひきょ…!」
「わあっはっはっは! 女人を人質にする一騎打ちなど聞いたこともない! よって加勢させていただく!」
「ぐぞぉッ!」
ビクトルはリーゼロッテを離して必死にグスタフの腕を振り解こうと足掻くが、彼の剛腕はビクともしない。
地面に倒れそうになるリーゼロッテを咄嗟にヘルマンが抱き抱える。
(…まじぃ! 死ぬ! 死んじまう! あの年増女神は人間界で死んだら魂が砕け散る…って。し、死にたくねぇッッ!?)
ビクトルは考える。
ここは投降し、獄に繋がれることで生き存えるのだ。そして折を見て脱獄し、今度は最初から不意打ちでヘルマンを仕留めてアースガルズに帰還するのだ。
「こ、こう…さんすりゅ…。やめ…」
べキィッ
「ガッ!?」
ビクトルの訴えはグスタフには届かなかった。
彼は首をあらぬ方に曲げて崩れ落ちる。
ビクトルは口から血泡を吐いており、呼吸は「ゼヒゼヒ」と乱れに乱れている。
だが彼の眼光は未だ健在で、憎しみをもってヘルマンを睨みつけている。
「ひ、ヒョゴ…が、ひいィィ…」
ビクトルは何か恨み言を言いたそうにしていたのだが、遂に目を見開いたまま絶命したのである。
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