遭遇
◇◇◇
ヘルマンとグスタフが村を出立した時より少し遡る。
とある村が山賊に襲われており、そこに通りかかった剣匠侯爵リーゼロッテとお付きのカリストが剣を振るっていた。
「この私の前に立とうなんて生命知らずね! はぁッ!」
ズバッ
「ぎゃあああぁッ!?」
「姫さま! 多対一! しかも実戦です! 前に出過ぎ…囲まれますぞ!」
山賊の数は50程だろうか。
混戦の中で、いつの間にかリーゼロッテとカリストの距離は離れてしまっている。
カリストが声を張り上げるが、それがリーゼロッテに届いているかは疑わしい。
リーゼロッテは自他共に認める大陸最強の剣の使い手だが、集団戦が不慣れな事もあり周りが見えなくなっているのだ。
いや、仮に周りが見えないとしても彼女は負ける気がしなかった。
単純に、無意識に「一対一を繰り返せばいいだけ」と考えているのだから。
「呆れた! 道場の見習いよりも未熟だわ!」
そんなリーゼロッテの前に別の山賊が立ちはだかる。
大柄で、粗暴さが滲み出ている。
リーゼロッテが最も忌み嫌う容貌だ。
「ダメだぜ嬢ちゃん。ちょっとばかり腕が立つからってよぉ! 剣を置きな。可愛がってやるぜぇッ!」
「誰が! 貴様のような野蛮人と!」
「お、女あァァッ!」
野蛮人と貶された山賊は激昂したが、すれ違いざまにリーゼロッテの剣がきらめく!
ズバンッ
「ぐわあッ!?」
山賊は一撃で急所を斬り裂かれ、その場に倒れ伏した。
リーゼロッテは死体を一瞥して剣を血振りする。
「…弱い民しか相手にできない輩など、この程度なのかしらね」
「「「貴様ーーッ!!」」」
騒めく山賊たち。
だが、リーゼロッテは余裕をもって笑う。
「あら、怒ったの? なら私に向かってきなさいっ。我が剣によって名誉ある死を与えてあげるわ!」
・
・
ドカッ
「ぐわああぁッ!!?」
ズバンッ
「ぎええぇッ!?」
リーゼロッテは戦場を疾走する。
立ちふさがる有象無象は悉く彼女の剣によって倒される。
一撃で絶命するものは少数であったが、大部分の者は戦闘を継続することはできずに、呻き声をあげて倒れ伏している。
「…盗賊ごとき私の敵ではないわね! は…ッ、わ、我が剣こそ、…私が最強なのよ!」
実のところリーゼロッテはこれが初陣である。
不倶戴天とまで言われた連邦と帝国との停戦が久しく、彼女が誕生した時はすでに大戦はなく平和であった。
道場稽古は実戦形式さながらに刃引きした剣が用いられるため、打ち身などの怪我は日常茶飯事だが、相手の生命を奪う事など滅多に見ないほどだ。
そう。
リーゼロッテは…緊張しているのだ。
おくびにも出さないが、肉を切り裂く手応えに一々動揺してしまっている。
それが剣筋に悪影響を及ぼしていないと言えば嘘になる。
だがリーゼロッテは正確に相手の隙を斬りつける事で、一撃で賊を戦闘不能にしていく。
更に「私は剣匠侯爵!剣での勝負なら誰にも負けない!」という信念が、彼女の初陣としての未熟さを補ってあまり在るのだ。
それでも初陣の気疲れというものがある。
リーゼロッテの周囲に十数人の死傷者が転がる頃には、彼女の呼吸も若干だが乱れてきていた。
やがて残りの山賊たちが彼女から距離を取り始めた。
彼らは「この小娘、手強いぞ」とリーゼロッテを遠巻きにするのみで二の足を踏んでいるようだ。
リーゼロッテは息を整える。
そして剣を突き出し、周囲を見回した。
ふとカリストの姿が見当たらない事に気づいたが、彼の実力ならば山賊ごときに遅れは取らないと思いつつ声を張り上げる。
「さあ、賊共! 私を小娘だと侮るなら、いくらでもかかってきなさい!」
だが彼らはそれ以上動かない。いや、動けなかった。
このまま生き残れば掠奪し放題だというのに、突如降って湧いた名も知らぬ小娘によって命を落としては何の得にもならないからだ。
「……もう掛かって来ないの? なら貴方がたの首領の元へ案内なさい。我が名において首を落としてあげるわ」
「き、貴様は一体何者だ!?」
とある山賊が怒鳴った。
何者と問われては応えねばなるまい。
少々緊張しながらも、リーゼロッテは堂々と名乗りをあげる!
「私はイスパルダ侯…」
「ナニやってんだオマエらぁッ!」
「…え?」
リーゼロッテの名乗りを大音声が邪魔をする。
大声の主は怪異な巨漢だった。
男は肩に男を担ぎ上げ、クッチャクッチャと口を動かしている。おそらく干し肉でも咀嚼しているのだろう。
大男は嘲りながら言う。
「おまえら揃いも揃ってバカか!? 上玉だからって無傷で捕まえようとすっからだ。石でも砂でも投げろ。目を潰しちまえばこっちのもんだろうが」
「ッッ!?」
「おほっ。こんな片田舎じゃあ、ありえねぇくらいキレイな娘だ! オマエら、傷つけるなよぉッ!」
大男の言葉で山賊たちはハッとする。
彼らは仲間を殺された恨みでリーゼロッテを害そうとしていたのだ。
決して無傷で捕えようとしていたワケではないのだが、それは棚に上げて一斉にリーゼロッテの顔を目掛けて砂や土をかけ始めた!
「くッ、卑怯な…!」
ここは道場ではない。
野外、それも山賊相手の実戦だ。
山賊相手に正々堂々とした戦いを強いるのが間違っている。
(…囲みを脱しなければ…でも足場が悪い…!)
しかし、そんな不利な状況とはいえ、リーゼロッテは剣の達人。
彼女は異物が目に入るのを俊敏に躱しつつ、反撃の機会を伺っている。
そんな状況を見て面白くないと思った巨漢は、担いでいた男をリーゼロッテ目掛けて放り投げる。
「…え?」
リーゼロッテは飛んできた男を易々とと躱わすが、男の正体に気づいて動きが止まる。
「ぐはッ」
「…叔父上?」
なんと、投擲された男はカリストだった。
カリストは背に傷がある。その傷は致命傷ではないようだが、放置できるほど軽い怪我ではないようだ。
そしてリーゼロッテの動きが止まったところに、顔に砂や土が浴びせられる。
一瞬、目を閉じたがもう遅かった。
(拙い!)
リーゼロッテがそう思った時には、既に彼女の腕が恐るべき剛力によって捻り上げられる。
「げあっはっはっは! よくもまぁ暴れてくれたもんだ。可愛いお嬢ちゃんがオイタしちゃいけねえな…!」
楽しげに笑う怪異な大男。
彼の名はビクトルと言った。
・
・
ビクトルによってリーゼロッテは瞬く間に拘束されてしまう。
彼女はスピードに特化した剣士であるので、腕力に自信があるわけではない。
腕力勝負ならむしろ同年代の農家の娘の方が上かもしれない。
ビクトルが彼女の腕を逆関節に軽く捻るだけで、抵抗などできなくなってしまっていた。
そしてリーゼロッテはカリストと共に後ろ手に縛られて地面に転がされていた。
「無事ですか叔父上…!」
「…め、面目ない。戦っている最中、背後から剣を投げつけられ、…ぐッ!」
「卑劣なッ!」
リーゼロッテはカリストが卑怯な手段で傷つけられたと知り、憤慨すると同時に彼の生命に支障がない事に安堵した。そして地面に寝ながら自らお見下ろす山賊…その中でも首領であると思われる大男に向かって吠える。
「あ、貴方達…、わ、私を…誰だと…!」
「誰だかなんか知らねえな。大方、ちょっとばかり剣をかじったことのある、良いとこの跳ねっ返り嬢ちゃんだろ?」
「げはは」と笑うビクトル。
しかし周囲の賊共は憤怒の表情をしている。彼女は少なくない仲間を傷つけたのだから。
そしてリーゼロッテの心は悔しさと情けなさで埋め尽くされていた。
「かかってきなさい!」と吠えておきながらこの体たらく。
「くぅッ!」
何故このような事になったのか。
そもそも最初から多勢に無勢だったのだ。領主に声をかけ、守備隊と共に討伐すれば良かったのか。
いや、彼女のヴェンダバル家は大陸最強の武門の家柄。
彼女はその中で最強の剣士。
山賊ごときに数を頼んで何になるだろう。
圧倒的に打ち倒してこその剣匠侯爵なのだ。
だが。
山賊共の彼女を見下ろす目。
ビクトルは好色そうな、他の連中は憎しみの目を向けている。
「わ、わた…、私は…」
「無礼者! 私は侯爵だ」と叫びたい。
そしてこの縄を解かせ、不意打ちで自分をこのような目に遭わせた巨漢を正々堂々と一対一で屠り、剣匠侯爵として、ヴェンダバル流派剣士としての力を示したい。
だが、無様を晒しておきながら侯爵家の銘に縋るのは、若いリーゼロッテの矜持を酷く傷つけるものである。
だが同時にニヤニヤとこちらを見下ろす巨漢に、言いようのない恐怖を感じ、思うように声が出ない。
「わ、我らを…どうする、つもり…だ」
背の傷が痛むのだろうか。
カリストが声を振り絞るようにして問いかけると、ビクトルは下品に笑う。
「どうするって、そんなの決まってるだろうが。戦ってのはなあ、男は殺し、女は犯すって相場が決まってんだ。なぁに、嬢ちゃんは殺しはしねぇ。飽きたら奴隷として売っぱらってやっから、テメェは安心して死んでくれや!」
ドボォッ
「ガハァッ!」
ビクトルはカリストの鳩尾を強かに蹴り付ける。
カリストは吐瀉物を撒き散らした後、グッタリとしてしまった。
そしてビクトルは周囲の盗賊たちに怒鳴りつける。
「この嬢ちゃんはおめえらにも貸してやっから傷つけるんじゃねぇぞ。俺たちのところに遊びにきた嬢ちゃんに、世の中の厳しさってのを教えてやらねえとな!」
「はっ、そりゃあいい!」
「女のくせに、ちっとばかし腕が立つからって首突っ込んできやがって。女に生まれてきた事を後悔させてやるぜ」
「今度はその可愛いケツで俺たちの肉槍を受け止めてもらうぜ!」
ビクトルに唆されて下品に笑う盗賊たち。
仲間を殺された彼らは、リーゼロッテに獣欲をぶつけることで恨みを発散させる気満々であるようだ。
野蛮な男共がニヤニヤと笑う。
獣欲ダダ漏れで彼女を見下ろしている。
なんと、このままでは彼女は山賊共に輪姦されてしまうのである…!
「…あ、ああ……」
18年間守り続けた貞操の危機。
無論、ヘルマンに捧げる予定であった。
それどころか、剣で負けた相手に奪われるのはなく、拘束されたまま、薄汚い山賊共に…!
リーゼロッテは唇を噛み、震えを堪えながらあらん限りの声で叫ぶ。
「ぶ、ぶ、無礼者め! わ、私は侯爵! エスベルト侯爵リーゼロッテ・ヴェンダバルなるぞ! はやくこの縄を解きなさい!」
ここに至り、リーゼロッテは己の純潔を守るのに必死になっていた。
先ほどまでの「無様を晒したまま侯爵を名乗ったら、剣匠侯爵家の恥」などという考えは頭から吹き飛んでいた。
しかしビクトルたちは動じない。
それどころか「侯爵…貴族だぁ? 貴族サマなら尚更テメェが傷モンになったって公にするワケにはいかねぇよな!」「口止め料と身代金が美味しいぜぇ!」と取り合わない。
リーゼロッテは青ざめる。
なんと、自分が侯爵を名乗っても状況は一向に変わらないのだ。いや、むしろ悪化している。
「……………いや」
このままでは犯し壊される。
ヘルマンのためだけの清い身体が…純潔が最悪の形で…。
彼女の目から涙が溢れる。
「……ヘルマン…様」
リーゼロッテは愛しい旦那様(予定)の名を呟くのが精一杯。
しかし、ビクトルはその聞き捨てならない名に反応する。
ぐいと魁偉な貌をリーゼロッテに近づける。
「…おい。オメェはヘルマンの女なのか?」
リーゼロッテは獰猛に笑うビクトルにガタガタと震えるばかりで声がでない。
その恐ろしい笑顔に、思わずコクコクと頷いてしまう。
「こりゃあ運が良い! オメェを人質にすりゃあ簡単にヘルマンをぶっ殺せるってもんだ!」
「き、貴様は…、ヘルマン様…の?」
リーゼロッテは問いかけられずにいられない。
「俺か? 俺はとあるジジィからヘルマンをぶっ殺すよう頼まれたんだ。野郎、ドラゴンを殺したからっていい気になってるようだからよ、上には上がいるって分からせてやらねぇとな!」
「………」
「ヘルマンは腐っても竜殺しだ。ちったぁめんどくさくなるとも思ったが、オメェを盾にして戦えば俺の勝ちは揺るがねぇ」
「………」
「そんなワケだからよ、オメェを犯しながらヘルマンをぶっ殺してやるぜ。ヘルマンの魂は頂くが、首くれぇはオメェにくれてやっから喜んでくれや。腹のガキと共に侯爵家とやらに帰してやるからお礼はたんまりと頼むぜ。げあっはっはっは!」
なんと、ビクトルはアースガルズからの刺客だった!
大神オーディンの命令を受け、ヘルマンを殺害し、彼の魂を奪いに来たのである!
しかし、そんな天上の実情などリーゼロッテの想像の外だ。
ビクトルの話など理解できないが、リーゼロッテが足枷となってヘルマンが殺されてしまう事は理解できた。
そして自らも壊される。
自らが人質となり、他者の生命が奪われるなど剣士として恥辱の極み。
山賊のような人倫に欠けた者に陵辱され、子を孕まされられるなど女として恥辱の極み。
…もう生きていけない。
「げあっはっはっは! ま、オメェも剣士の端くれなら、戦場で死ぬまでしっかり生きてくれや! アースガルズで再会できたら情婦として囲ってやっからよ! …ま、それはそうと」
そしてビクトルはリーゼロッテの剣を拾い上げると、べキリとへし折り、ゴミのように放り投げる。
さらに彼女の革の胸当ての襟元に指をかけると、おもむろに引き裂いた。
ビリビリ…ッ
「……いや」
胸当てごと鎧下が破られる。
彼女の下着が露わになり、年相応の胸が僅かに見える。
「安心しな。ヘルマンを殺る前に俺のモノを教え込んでやる。笑えるぜ。ヘルマンは自分の女を助けようとして死ぬんだ。とっくに俺の女になってるのを知らずにな!」
「……いやぁ」
「ゲアァッハッハッハ!」
「いやあぁぁァァッッ!! ヘルマン様あァァァァッッ!!」
絶望の中、その悲鳴と泣き叫び様は、おおよそ侯爵とは考えられない取り乱しよう。
すでに彼女はイスパルダ侯爵ではなく、18歳の娘であった。
リーゼロッテの絶叫と同じくして。
遠方から剣戟の音が聞こえる。
ギャリィンッ
さらに遠方から聞こえる悲鳴はどんどん近づいてくる。
ぎゃああァァッ!?
ぐわあァァッ!
誰かが賊共を切り伏せながら近づいてくる。
「何もんだぁッ!?」
「領主の兵か!?」
「黒鎧の戦士だッ!」
「デブもいやがる! 手がつけられねぇ!」
ズドッ!
「ぎゃああぁぁッ!」
そしてリーゼロッテは見た。
その泣き腫らした瞳で。
黒鎧の戦士の前に賊が三人立ってる。
グバッ、ドカッ、ズバンッ
「ぐがッ!?」「ギヒッ!?」「グギャッ!?」
だが迅雷とも言える黒鎧の戦士の三連撃に、三人の賊はほぼ同時に崩れ落ちた。
そしてリーゼロッテは盗賊の亡骸の向こうに黒鎧の戦士を見ることとなる。
「……あ、貴方様は……」
リーゼロッテは呟く。
その黒鎧の戦士は、彼女が幼い頃から「こんなステキな人が旦那様だといいなぁ♡」と想像していた理想の男を遥かに上回る。
それは想像を超えた偉丈夫であり美丈夫。
悪を許さぬという優しくも強い意志を秘めた眼光。
(まさか、かの戦士様は、戦士様の名は……)
リーゼロッテが考える傍らで巨漢が「ゲハハハあァァァァッ!!」と笑う。
「ヘルマンンンンーーーッッ! 会いたかったぜぇぇッッ!!」
ビクトルにとってヘルマンは初対面ではない。
かつてヴァルハラ宮において至高座が映し出した巨大映像で目にした男である。
ビクトルは歓喜を以って大剣を振り回している。
対してヘルマンは冷静だ。
「どうやらお前は俺の事を知っているらしいな…。そんな事より、貴様らの度重なる悪行は見過ごせん。大人しく獄に繋がれるか…それとも俺に殺されるか選ぶといい」
「ゲアァッハッハッハッ! 大物ぶりやがって! 俺がぶち殺してやる!」
「……聞く耳を持たないか。アンタは今までの連中とは違うようだ。俺も未熟ゆえに全力でやらせてもらおう」
口汚く吠えるビクトルだが、それを涼やかに聞き流すヘルマン。
そしてリーゼロッテはというと、つい先ほどまで尊厳と貞操の危機であったというのに、今ではヘルマンの偉容に見惚れてしまっていた。
「わあっはっはっは! 義兄者、雑魚は俺が片付けよう!」
「「「ギャアアッッ!?」」」
グスタフは片手に山賊の頭を吊し上げ、片手に大鉈を持ち、ヘルマンの露払いとなるようだ。
凶相かつ魁夷な巨漢・ビクトルと、類稀な美しい容貌をもつ偉丈夫・ヘルマン。
二人は申し合わせたようにお互いの得物を構え直す。
「ぐおおおぉおぉッッ!!」
「おおおぉぉッッ!!」
そして一騎打ちが始まる…!