出立
よろしくお願いします。
お茶会がお開きになっても(主に)ブリュンヒルデさんが帰ろうとしなかったので、彼女の妹達の手で文字通りスマキにされて無理やり連れていかれてしまった。
あ最後まで「ジエラ様のお共に是非ワタクシをっ」と叫んでいた事を考えると、ブリュンヒルデさんがこのまま諦めるなんて考えるのは甘いかもしれない。
でも、これから異世界に行く身としてはどうしようもない事なので敢えて気にしないことにする。
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彼女達が帰ったのち、フッラさんに神馬を紹介された。
堂々とした佇まい。
白くて美しい馬身。
輝く灰色…いや、濃い銀色に輝く鬣に尻尾。
その尋常じゃない存在感に圧倒されてしまう。
フッラさんによると「本来なら脚が8本ある神馬なのですが、4本に変化させました」とのことだけど、ボクには偽装もなにも元の世界でよく見かける駿馬にしか見えない。
この仔がボクの相棒になるのかと思うと身も引き締まる思いで、おそるおそる首筋を撫でてみると彼の巨躯に溢れる生気というか覇気がありありと感じられる。
そして『我はまだこの戦乙女と異世界に赴くのを承知したわけではない』と言わんばかりの意志が十分伝わってくるようだ。
…?
あれ?
今さっき…本当に伝わってきたぞ?
(…我が名はスレイプニル。『滑走するもの』『あらゆる馬の中で最高であるもの』だ。我が走れぬところはなく、我が往けないところもない。…戦乙女よ、お主に我に騎乗する資格があるのか?)
おお。
この神馬、ボクと意思疎通可能なのか!?
さすが神馬だね!
「はじめましてスレイプニル。ボクの名前はジエラだよ。キミはボクを乗せるのが不満そうだけど、ボクがキミに相応しい相棒になれるようガンバルから、異世界でもよろしくね!」
(…ッ!? お主…我の心を理解できるのか?)
「…変な事を言うんだね? ボクが君と話をするのがそんなに珍しいの?」
(我は神々や人間の言葉を理解できるが、逆はその限りではない。少なくとも今までは我と普通に話せるのは我が父母と姉弟だけだった。……そして新たにお前だけだ)
「ふぅん。ならボクたちは相性がいいんだね!」
ボクがにっこり笑うと、スレイプニルはブルルと嘶く。
(……ふんっ。我に振り落とされんよう、精々励む事だ)
どうやらスレイプニルに認めてもらえたらしい。
「そうだ、スレイプニルの食べ物って普通の馬と同じく干し草とか燕麦ですか? 現地の干し草って食べられるんですか?」
そうフッラさんに聞いてみるとスレイプニルが話しかけてきた。
話しかけてきたっていうか、念話みたいに聞こえる。
(我は神馬故に食料や水は特に必要ない。そういうものは嗜好する程度だ。美味そうな水や食い物があれば勝手に喰う。オマエが用意する必要はない)
…頼もしいけれど可愛げが無いな。でも食事が必要ないっていうんならそれに越したことない。美味しい野菜や穀物が手に入ったら一緒に食べればいいよね。
(……我の好物は砂糖だ。覚えておけ)
あっそうですか。
何かあったら「お砂糖抜きだからね!」作戦が有効そうだ。
フッラさんにはボクが一人で質問して一人で納得しているので、ちょっと訝し気にみられちゃった。
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それから異世界への案内人さんが来るまでの間、スレイプニルに乗って駆けてみたり、鍛錬して過ごした。
もちろん、家族との触れあいも忘れない。
ボクは息子にゴハンをあげたり、あやしたり、オムツを変えたり、お風呂に入れてあげたりしてイクメンを頑張った。
誰が何といおうとイクメンだ。
バルドルはどんなにむずがったりぐずったりしても、でもボクに抱かれるととたんに機嫌がよくなるんだ。ボクの大きな胸に抱かれるのが心地いいらしい。
…でも、バルドルはボクのおっぱい…ぼ、ぼ、ぼ、母乳を飲もうと頑張るのが困りどころだった。
なんと、ボクのカラダは…ぼ、母乳が出ちゃう体質だったのだ。
それはフレイヤがボクの事を『究極至高の女性』って定義しちゃったせいで、『母』として母乳の出が良くなっちゃったらしい。
最初はめちゃくちゃ驚いたけど、黙々とボクのおっぱいを飲む息子を見ていると、とても幸せっていうか…その…ぼ、ぼ、ぼ母性(?)みたいなモノを感じちゃったりしたんだ。
ボクは真の男になるために、女体っていう逆境の中で男を磨かないといけない。
だから授乳の歓びっていう試練を乗り越えなければならなかった。
それにボクは子供の為にもこの授乳から逃げるわけにはいかなかったんだ。
こ、こんなだけど心は男なんだ。
授乳してても男なんだ!
母性を感じちゃってても男なんだ!
これは全部修行なんだ!
バルドルも神様だからだろうか。
あっという間に離乳食を食べられるまでになった。
でもバルドルは甘えんぼさんだからか、ボクのおっぱいを欲しがっていたけど。
しかも片言だけど会話もできるようになった。
バルドルはボクに抱かれたがった。
「ままー、だっこー」
「ママじゃなくて、パパだってば!」
「ままー、ままー、だっこー」
「………しょうがないなー♡ バルドルってば可愛いんだから♡ ちゅ~~っ♡」
「きゃっ。きゃっ」
と、とにかく、こんな感じでイクメンを頑張ったんだ。
だ、誰が何と言おうとイクメンなんだ!
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ついに今夜に出立する。
とてつもなく色々な事が立て続けに起こったけど、実際にはまだこの世界に来て少ししか経っていないと思う。
今日もバルドルを中心とした慌ただしくも微笑ましい一日が終わった。
辺りは既に暗くなってきている。
ふと窓から夜空を見上げると、大きいのか小さいのか解らない女の人達が空の高いところで何かやっている。
大きな荷車で暗い布を拡げていたり、月(?)を運んでいるのだ。
あ、月が荷台から落ちた。コロコロ転がる月を女の人が慌てて拾いに行っている。
「うーん、神々の世界って本当にファンタジーだなぁ…」
そう独り言つと、フレイヤが部屋に入ってきた。
彼女の腕の中にはバルドルが眠っている。
「…貴方様、準備は大丈夫?」
フレイヤはボクの傍に寄り添うと、子供を抱かせてくれた。
バルドルはかなり大きくなった。人間でいう一歳ちょっとくらいかもしれない。
バルドルは寝ながらボクのおっぱいに顔をぐりぐりしながらベストな位置の確保に成功したようで、そのまま再びスヤスヤと眠っている。
フレイヤは「貴方様…。私たち神々の成長は早いわ。この子の為にも早く帰ってきてね」と、少し涙目だ。
二人してバルドルの事を見ていると、とても幸せな気持ちになる。
どうして赤ん坊ってのは見ていて飽きないんだろう。
それに彼は赤ちゃんなのに将来が楽しみなくらい美形に成長する予感がする。
成長を見たいから早く帰ってきたい。
すると唐突にフレイヤは真面目な顔で「異世界で、一つだけ気を付けて欲しい事があるの」という。
ボクは訝しむ。
出発前だってのに今更何だろう。
「……大丈夫だと思うけど…貴方様は…絶対に女性として男性を愛してはだめ」
え…? ボクが女として男性相手に?
なんだ、そんなことか。
いくらボクの身体が女性だからって、中身は男性なんだ。
そんな事絶対ないよ。
異世界に単身赴任するボクの浮気を心配するっていうのとはちょっと意味合いが違うな。
ボクは心配そうなフレイヤを敢えて笑い飛ばした。
「あははっ。大丈夫だよっ。ボクにはフレイヤとバルドルっていう素敵な家族がいるんだもん。どうして他の…それも男性を愛するのさ?」
「…そうよね。ごめんさない。私ったら…」
何でもフレイヤの説明だと、帰還後の転生の際に自分の事を心の底から女性だと自覚しちゃっていると、男性への転生が二度と不可能になるという。
自分の事を女性と自覚する…つまり女として男性を愛してしまうことが一番危険なのだとか。
だけど、フレイヤの心配は杞憂だよ。
ボクはフレイヤやバルドルと家族の絆を深めているんだもん。
…まあ家族のコミュニケーションはバルドル中心だったんで、フレイヤとはイチャイチャできなかったけど、楽しみは後に取っておくんだ。
こんな可愛い嫁がいるのに、他の男なんかに目移りなんかするもんか。
ボクは異世界で女戦士…いや、女戦士っていうと華麗さに欠けるな。野蛮な印象だから…そうだ、女騎士になるんだ。
カラダは女性でも心は男性的な…そう、イケメンな女騎士になる。
凛々しくて、頼りがいがあって、男性も女性もボクに憧れるような…そんな女騎士になるんだ!
「フレイヤ。愛してる。きっと立派な騎士になってキミの許に帰ってくるから」
「……貴方様♡」
「…バルドル、ボクの可愛い赤ちゃん…。キミのことも愛しているよ」
ボクに抱かれたバルドルは、寝ながらほわほわと笑っていた。
…バルドルに泣かれるのは辛い。
だから…このまま出立しよう。
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呼び鈴が鳴る。
どうやら異世界への案内人さんが来てくれたようだ。
ボクとフレイヤは念のためにバルドルをフーリンさんたちに預けたあと、フッラさんを伴って客間の方に向かった。
客間には二人と一匹がいた。
一人はお馴染みのオカマのトールさん。
そしてもう一人は…若く、身なりや顔立ちは整っているものの、そのニヤけた雰囲気で不真面目な印象が強い男性…いや女性…だ? 足元に仔犬…いや仔狼を連れている。
そのニヤニヤした人物が挨拶してくれた。
「やぁ、はじめまして。私の名はロキという。よろしく頼むよ」
「はじめまして。ボクは戦乙女のジエラっていいます。異世界への案内、よろしくお願いします」
ボクたちは客間の椅子に座って軽くおしゃべりをしている。
ロキさんはあちこちの世界を旅慣れているんだって。
それで今回の旅先案内を買って出てくれたらしい。
もちろん、ロキさんが連れて行ってくれるのは異世界の入口までみたいだけど。
フレイヤは「ロキ、ジエラは戦乙女になったばかりなの。お手柔らかな世界を紹介してね」「ジエラに男が寄り付かない様にして欲しいの」と心配そうだった。
「大丈夫だよ。キミも自分の戦乙女を信用しなさいな。それにしても…ジエラちゃんだっけ? すごい別嬪さんじゃないか。こりゃあ、女好きの巨人の連中が放っておかないんじゃない?」
「別嬪だなんてそんな…。フレイヤ様の方がもっとお綺麗です」
「ぼほほほ。ジエラちゃんは確かに並みの美の女神なんて及ばないくらいキレイよね。でも残念。私の美しさにはちょっと及ばないわよぉ」
ひとしきり談笑した後、ロキさんはフッラさんに問いかけた。
「それにしてもフレイヤも思い切った事を考えるものだね。まさか異世界から望む戦士を連れてこようなんて。義兄さんの処が戦士で溢れているっていうのに、いくら気に入る戦士が居ないからってそんな事する必要があるの? それにこんな夜に出立だなんて…やっぱりお忍び? …フッラ、何か面白い事を考えてるんでしょ? 私にも教えてよ?」
「いいえ、ロキ様がお考えになるようなことは何も」
「………ま、いいか。よくわからないけど、面白くなりそうだし♡」
そしてロキさんは「ところで今回の件でトールから相談を受けてね。ジエラちゃんの従者ってことで他国から助っ人を呼んでいるんだ。ちょっと特殊な従者だから苦労したよ。ま、その報酬ってワケじゃないけど、この仔を預かってくれないかな?」と、彼は仔狼を差し出してきた。
なんでも、この仔狼はこんなにも可愛いのに何故か他の神々の皆さんに不評のようで、このままだと近い将来には鎖で縛られちゃうらしい。
だから、ホトボリが覚めるまで匿いたいのだとか。
ボクは仔狼を見る。
仔狼はボクたちの会話に飽きたのかいつの間にか微睡んでいる。
もふもふで可愛い。
「ふうん。大人しくて可愛いわね。バルドルの遊び相手に…あ、バルドルっていうのはウチで預かっている子供よ。戦乙女の赤ちゃんなの」
「…へえ。ところで誰の赤ちゃんなの?」
余計なトコロまで詮索されそうになったのを防ごうとフッラさんが割って入った。
フレイヤだとボロが出ちゃうかもしれない。
「バルドルは異世界に旅立つジエラさんの子供ですわ。そこの狼を預かることは承知しました。ロキ様、この仔の名前は何とおっしゃるのですか?」
「ありがとう。その仔の親として感謝するよ。…名前はフェンリルだ。可愛いだろう?」
ロキさんはニヤニヤと微笑んだ。
準備も済んだ。
案内人も迎えに来た。
…ボクはフレイヤに跪き、最後の挨拶をする。
「……では、行ってまいります。フレイヤ様」
「いってらっしゃい。ジエラ。子供も待っているから…早く任務を遂行して帰還するのよ?」
そしてここにはいない、愛息・バルドルにも心の中で別れを告げる。
(早く帰ってくるからね。ボクのバルドル…いい子で待っていてね)