間話 ブリュンヒルデの暗躍 ④
ブリュンヒルデは品の良いドレスを着込んだコーリエ伯爵の寵臣。
彼女の口先三寸のおべんちゃらを受け、最近のコーリエ伯爵の機嫌は頗る良いと言っていい。
よって若輩者とはいえ、誰もブリュンヒルデを軽視するワケにいかなかった。
アンドレはコーリエ伯国の将軍でありながら、現在ではブリュンヒルデの腰巾着と化していた。
「…ぶ、ブリュンヒルデ殿…。な、何か?」
ダミアンは若干の警戒を以てブリュンヒルデを迎える。
「くすっ。ダミアン様、そろそろ胸襟を拓いて話し合いましょう。商会の皆様には内心不安があるのですが、ダミアン様の管理能力を疑っているように取られかねないと思い遠慮なさっているのです」
「な、何と?」
ダミアンは改めて商会の面々を見やる。
すると彼らは「ブリュンヒルデ様には隠し立てできませんな」とばかりに苦笑していた。
商会の懸念材料は三つ。
これ程の肥沃の大地でありながら、農民が皆無であること。
このままでは作付けに悪影響が出るのは必定であるということ。
連邦最大の食料輸出国が大凶作となれば、盗賊が跋扈するのは必然。
その対策はなされているかということ。
そして最後の一つは、オアシスと農場を含めた全てがナキア伯国領だということ。
これは収穫量を査定する上の検地で商会が把握した事だ。
オアシスは古代魔術実験の結果と聞いているので多少のズレは考えられるが、何故、農地をわざわざナキア伯国領に造ったのか、その意図が不明瞭になってきた。
コーリエ伯爵の名で契約した事業ゆえに、商会としては問題ないと踏んでいる。だがハージェス侯国の凶作が絡んでしまうとハージェス侯国の派閥であるナキア伯国が何らかの動きをするのではないか、その場合、コーリエ伯国は商会の利益を守ってくれるのか、ということ。
「ぐぐぐ…。それに関してだが…」
ダミアンが答えに窮していると、ブリュンヒルデは満面の笑顔で応ずる。
「それらにつきましては、軍の拡充で問題ございません」
ブリュンヒルデは語る。
古来から兵農混合は良く用いられてきた手法。
常時は農作業に、非常時は兵士とすれば良いでしょう。
さすれば農作業の人手不足と、野盗の襲撃にも対応可能です。
オアシス都市は商会の自治都市とはいえ、コーリエ伯国の保護下にあるのですから、我がコーリエ伯国の軍によって守るべき都市ですので、無論、我が国も協力致します。
ナキア伯国が寄親であるハージェス侯国の危機に際し、何らかの圧力をかけてくる可能性もありますが、それは相手が与し易いと侮るが故。予め軍を編成し威圧する事で、商会の利益を守ろうという断固たる決意を示しつつ、収穫物を適正価格にて販売する交渉を粛々と行えば宜しいでしょう。
第一、ナキア伯国は現地が荒野だからといって、我らが古代魔術実験に使用する際にも農地を開発するにも見向きもしなかった。これは我らが失敗すると決めつけて侮っていたからであり、いざ収穫が見込めるからと言って権利を主張するとは義にも人倫にも劣ります。商会の財産は全てお守り致します故にご安心を…!
ブリュンヒルデは殊更「コーリエ伯国軍!が商会の利益を守ります!」と気合を入れて説明した。
アンドレ将軍も「うむ! 商会の財産を狙う不当な輩は我がコーリエ伯国軍が根絶やしにしてくれましょう!」と威勢良く吠える。
「…そういう訳ですので、ダミアン様たちコーリエの皆様方のご尽力でオアシス農地が宝の山となりました。それを不届き者から守るために警備への予算拡大をお許し下さい」
商会の監査人たちは納得して帰っていった。
後に残されたのはダミアンとブリュンヒルデ、そしてアンドレである。
「ぶ、ブリュンヒルデ…殿。貴女は、件の土地が何者により開発されたのかご存知か?」
先ほどのブリュンヒルデの話は、全て農地開発をコーリエ伯国が行ったという前提に基づいている。
しかも彼の知る限りにおいて、ナキア伯国からは何の報告も許可もなく、ナキア伯国領の荒地が肥沃の土地と化しているしているのが現状だ。
故にダミアンは疑念を隠せない。
彼ら役人は予定外の事を殊更に恐れ、不明瞭な事を嫌う生き物なのだ。
しかしブリュンヒルデはニコリと笑うだけ。
「これは異な事を。そもそもオアシスも唐突に現れたと聞いておりますが、コーリエ伯爵閣下は即座に活用をお命じになられたではないですか。肥沃なる大地も同様に扱えば宜しいかと思います。どうしても説明を要求する者がいたら、両者まとめて「土壌を豊かにする古代魔術儀式の効果が時間差で現れた」とでも説明すればよろしいではないですか」
「……た、確かに。そうかも知れんが…」
「しかしこれからは帳簿を誤魔化す必要もなく、大っぴらに軍の予算を確保できましたね。商会の財産を守る為とは言いますが、実質的にはコーリエ伯国軍の増強に他ならないのですから、有難い事です」
アンドレ将軍も追従する。
「ダミアン殿も心配性だな。その何者とやらはを何も言ってこないのだろう?土地を開発しておきながら放置して…いやそれは放置とは言わんな。権利を放棄しているのだよ。なぁに、後日文句を言ってきおったら軍の力で解決するのみよ! ムハハハッ!」
ブリュンヒルデとアンドレ将軍は「さ、オアシス農場で働く労働者募集という名の大徴兵の開始ですねっ」「うむ!新兵訓練は腕がなりますな!」と上機嫌で執務室を後にした。
なお、先ほどのブリュンヒルデの話は全くナキア伯国を無視している。
それもそのはず。
彼女は戦争をしたいのだ。
国家間に不和を起こすのが戦乙女の使命なのである。
一人、執務室に残されたダミアン。
椅子に深く坐り直す。
「…我らは何もしておらんとは言ったが、それは誤りだ。…今にして思えば我らが最も力を入れているのはコーリエ伯国の軍備増強のみ…。何故だ。何故こうなっ…。ぐむぅ……」
翌日。
ダミアンは書類に埋もれるようにして倒れているところを発見された。
彼は病気療養という名目で、宰相位を辞し、そのまま領地に帰還する事となる。
そして伯国宰相であったダミアンに代わり、新たな宰相位に就いたのは、コーリエ伯爵ショヴァンのお気に入りであるブリュンヒルデであった。
無論、文官達からは新参者の宰相就任に対して強い反対もあったが、結局はコーリエ伯爵と軍の信頼が厚い彼女の就任となったのである。
◇
コーリエ宮殿。
謁見の間。
ブリュンヒルデの宰相任命式が行われるのであるが、集まった文官武官の数に偏りがあった。
明らかに武官の数が多い。
「ブリュンヒルデよ、余は其方の才覚に期待したからこそ、この度の抜擢となったのだ。お前は余に対し何を誓うべきであるか?」
「ハッ。偉大なるショヴァン伯爵閣下。我が使命は閣下のご尊名とご偉業をこれまで以上に、あまねく広く知らしめる事にあります」
「うむ。当然であるべきである」
「それには、まず我が伯国臣民が改めて閣下の偉大さを再確認する事が肝要でございます」
「…ほう?」
ヒソヒソ
「なんなのだ。まるで伯爵閣下が王かのような口ぶりではないか」
「しっ。聞こえるぞ」
伯爵と新宰相の話を聞く文官達は、ブリュンヒルデを「伯爵へのお世辞だけで成り上がった無能」と断じて、彼らの話を内心せせら笑いながら聞いていた。
「…しかるに閣下、この度のハージェス侯国の大凶作の気配に、賊の増大や侯国からの難民が予想され、近い将来治安の悪化が懸念されます。ならば我が国は先延ばし可能な公共事情を凍結し、軍の更なる増強を図るべきでございます。如何なる時代、場所においても臣民を守る支配者の姿勢を臣民は賞賛致します。それに古来の例を挙げるまでもなく、自国の民と財を守り、民を安らかになさるのは誉れ高き名君の業でありましょう」
その言葉で宮廷に控えた高級武官が吼える。
全てブリュンヒルデの指示通りである。
「宰相閣下のご進言、誠に然り!」
「侯国の混乱に乗じ、我が国を犯さんとする輩には、全てショヴァン閣下の名に於いて死を! 滅びを!」
「ショヴァン閣下の敵は徹底して粉砕してご覧に入れます!」
「「「コーリエ伯ショヴァン閣下、万歳! 万歳! 万々歳!!!」」」
ドンッ、ドンッ、ドンッ
大勢の武官たちが足を踏み鳴らす。
それは宮殿では無作法な行為かもしれない。
だが、一糸乱れぬ踏み鳴らしはショヴァンを興奮させる。
ブリュンヒルデの宰相任命式のはずだが、蓋を開ければまるで武官による国威高揚式典に様変わりしていた。
青ざめる文官たち。
だがコーリエ伯爵ショヴァンは己を賛美されて上機嫌極まりなかった。
だがその雰囲気に水を差すかのように、老臣の一人が若き宰相の言葉に疑問を投げかけた。
「しばし待たれい! ぶ、ブリュンヒルデ殿、先程から何をおっしゃる? 我が国は内地ぞ。何故軍拡が必要なのだ」
「分かりませんか? コーリエ伯国に危機が迫る可能性がある以上、前もって対応を考える事は臣下として当然。それがショヴァン閣下の名声を高めるのですから臣下としてこれ以上の喜びはございますまい」
「…し、しかし」
「ショヴァン閣下の威光をもって、オアシス周辺の土地は肥沃の大地と化しました。ここが損なわれることがあっては閣下の威光に傷がつきます。よって今後、新たに徴兵する事になる新兵はオアシスに派兵しますが、彼らは兵であり同時に農民でもあります。自らの農地を守る彼らは一騎当千の兵となるでしょう」
全てがおかしい。
オアシスは商会の自治に委ねられているのだが、この場では敢えてそれを伏せている。
更にブリュンヒルデの話だと、まるでコーリエ伯国の各地からもオアシスへの移民を計画しているかのようだ。
コーリエ伯国の各村に住む人々にすれば、現在彼らが住む村よりもオアシス農場の方が豊穣の土地であるのだから、「豊かな農地を提供しよう。だが、村に野盗が襲撃してきた場合、自らも剣を持って戦うのだ。そのため農作業の合間に軍事教練も行うぞ」と提案されても賛成する者も多い事だろう。
だがそれはコーリエ伯国の各地からオアシスへの人口流入の危機を孕んでいる。
さらにオアシスに半農半兵が駐屯するとなれば、それは最早軍事拠点である。
無論、外交上は大問題である。
コーリエ伯国からすればコーリエ伯爵の「オアシス周辺は我が領である!」という宣言に基づいて動いているのだが、ナキア伯国からすれば全てに於いて無断でかつ一方的に自らの土地をコーリエ伯国の軍事拠点とされてしまったのだ。
幸運にもナキア伯国宮廷ではドラゴン討伐成功と漁業や海洋輸送計画に沸き返っているためか荒野への注視が疎かになっており、コーリエ伯国の動きを把握していないだけであるのだ。
もっとも荒野が豊穣の土地になるなど、人間の想像の域を超えている。
だが最も問題なのは前任者のダミアンは「どうすればオアシスの主権を有耶無耶に出来るか」に腐心していたが、ブリュンヒルデはそのような考えは全くないことだ。
よって全てが明らかになった時、両国に何事が起こるだろうか。
戦乙女であるブリュンヒルデとしては、その惨禍を期待して止まない。
それを知らないコーリエ伯爵ショヴァンはブリュンヒルデの言葉に酔いしれる。
「皆の者! 余はここに宣言しよう。最も余の考えを汲んでおるのはブリュンヒルデである! 彼女の意に反対する者は全て罷免するものとする! …ブリュンヒルデよ、そなたの手腕に期待しておる…!」
「ははッ! お任せ下さいませ!」




