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市川春陽という会社員は死にました

誰にでもある、『願望』と『現実』と『可能性』を書けたらいいなと思ってます。

「何のために生きてんだろうな」


市川春陽(いちかわはるき)は四月二九日の午後三時半に会社の前にある自動販売機の前にいた。最近消費税が上がり、返ってくるおつりが多くなったせいで重くなった財布をズボンの後ろ側の右ポケットに入れ、ペットボトルのふたを開けた。社会人になった時に気持ちを一新する意味で短く切りそろえた黒髪も、一カ月も経った今ではほどほどに長くなっている。それでも学生生活を過ごしていた頃に比べれば十分短いが。


「やっぱ疲れてる時には糖分だよな」


果汁一〇〇%のオレンジジュースでのどを潤しながら、近くにある安物の椅子に座ると、窓の外の街並みに目を移す。そうはいっても、こんな田舎の小さな会社から見える景色など五分やそこらでは変わり映えしない。


「そういうことは、仕事をしてるやつが言うセリフだぜ?」


声のした方に春陽が目を向けると、樋橋哲弥(ひばしてつや)がこちらに向かってきていた。


「してるだろ、人並みには」


春陽の言うことは客観的に見ても正しい。小さい会社なので名ばかりの研修期間は三日ほどで終わり(内、一日は指定された場所の測量を行う速さを競う測量大会に全員で参加)、実務に回されて早三週間強、決して大きくはないが地元に古くからあるせいか、道路工事や個人宅の補修等、そこそこに細分化された仕事に回された新入社員八人は、二人一組で担当の仕事をこなしている。新入社員にはまず、個人の仕事が与えられる。まず、新入社員が設計、ベテランが確認した後、施工となる。場合によってはかなり時間がかかる場合もあるが、地元住民は地域で新入社員を育てているといった意識があるために、個人から依頼されてくる仕事は比較的時間にうるさくない。地元密着型の強みというべきか、代々続く社長の人柄の良さというべきなのかは定かではないが、とにかく、工期の日程を評価の基準とするならば、新入社員八人の中で春陽は業績の三番目だ。むしろ人並み以上ともいえる。ただし、業績一位の哲弥に言われたのならば仕方がない。だがそのことで同期からの評価が高くも低くも無く、先輩社員からの評価も特段他の新入社員と変わらない。


とにかく、市川春陽の『上嶋工務店(かみしまこうむてん)』での評価はそんなものだった。


黒目黒髪、身長一七九㎝、七四㎏。引き締まってはいるが筋肉質では無く、スポーツは高等学校の授業程度ならば、そつのない程度に練習なしでもすることができる。イケメンと言っても差し支えないが、街に出てスカウトされるほどではない。卒業した大学も偏差値はそこそこで卒業時成績は上位であった。こんなど田舎の会社に就職したのも、こんなど田舎が彼の地元だったからだ。


「おっ、ニワレッドだ。まだやってたんだな」


かくいう哲弥もこの町の出身である。そして二人の前を、テレビ局のイメージキャラクターであるニワレンジャーのラッピングバスが通り過ぎていった。哲弥が無表情に春陽の方に振り向いた。哲弥も疲れているのだろう。


「笑うなよ、俺昔ニワレッドになりたかったんだ」


春陽も哲弥に負けず劣らずの無表情でただただ、哲弥の言うことを聞いていた。


「もっと格好いいヒーローはたくさんいたのに、よりによってなんであんなローカルヒーローに憧れたんだかな?…って、お前、バカにしてるだろ?」


春陽は飲み干して空になったペットボトルをゴミ箱に入れると、無言でその場を後にした。


(笑いはしないさ、バカにもしてない)


春陽は、社屋に入り自分の部署がある二階へ向かうまでの踊り場で立ち止まり先ほどとは違う町並みに意識を移した。


(俺は…今でもヒーローになりたいんだ)


もちろん、この世界にビームや超能力を使う悪の組織なんていないし、人外の形をした怪人もいない。いるのはお国の目を盗んでセコイ小銭を貯める大企業と、その貯めた金を裏から吸い取り、仕事中に居眠りをする政治家だけだ。

春陽は別に実は空が飛べるとか、片手でビルを壊せるとか、自分の中に秘められた力があるという、いわゆる中二病では無い。


ただ、市川春陽は、ただただ、自分の人生はこんなものじゃないと、そう思いたかった。例えば、プロ野球選手になって四番を打つだとか、感動的な音楽を作曲するだとか、政治家となってよりよい街づくりをするだとか。別に、春陽は有名になりたいわけではない。

だが、今までは別世界だったスポーツ界や芸能界に自分と年齢の変わらない選手やタレントが出て来るたびに、そんなやつらが活躍するたびに、考える。


自分はなんてちっぽけな存在だろう。



俺が本気を出せば、なんだってできる。そう思ってみても、今からプロの入団テストを受けるだとか、作曲したCDを芸能プロダクションに送るとかそんな事は現実的でない。


そう、今の春陽の敵は、『常識』と『現実』だ。


そして、その敵はこれからも春陽の前に立ちはだかるだろう、そして、敗者はいつも春陽なのだ。

勝者は画面の中にしかいない。


時間にして一分ほど立ちすくんだ後に自分の部署に戻った。



「ちょっと、どこに行っていたのよ?」


声のする方に春陽が振り返ると、そこには春陽と同じか、少し年下の女性が不機嫌そうにこちらをにらんでいた。にらんでいることを差し引いても、美人の部類に入るだろう、ともすれば、不機嫌そうなその表情も彼女の魅力を引き立てているようにも見える。


「なんだよ晴香(はるか)。いちいち飲み物買いに行くのにお前の許可がいるのか?」


春陽は、この長髪で艶のある黒髪の美女の言葉に面倒くさそうに答えて自分の席に着いた。


「何よ、その態度。それが先輩に対する態度なの!?」

「うるっせぇなぁ」


本人の言う通り、小林春香(こばやしはるか)は市川春陽の一年先輩だ。と言っても、晴香は大学卒業後事務職で、春陽は大学院卒業後に技術職で入社している。そして何より、


「幼馴染みのお前を、今更先輩って呼べって言うのか?昔は春兄(はるにぃ)、春兄って散々後をついてきてたくせに」


春陽と晴香は幼馴染みであった。互いの家は斜向かいにありこの工務店からも徒歩二〇分程度である。誕生日は春陽が一九九一年六月六日、晴香が一九九二年六月七日。互いの親は顔見知りであり、ついでだからと、二人の誕生パーティーを合同で開催し(正確にいうならば、六月六日に開催され、晴香の誕生日は誕生日で家族だけで行っていた)、互いの親の仕事が長引くようならばもう片方の家に預けられて夕飯を共にする。それくらいの腐れ縁だ。


「小学校二年生までのことでしょっ!そっちだって、昔は晴ちゃん、晴ちゃんって言ってたくせに」

「あの時は今より少しは可愛げがあったからな。いつの間にこんなにうるさくなったのか」


中学校までは同じ学校に通っていた二人だが、高校は別々であった。中学時代に家事のスキルが壊滅的だった春陽は、何を思い立ったか、これらを解決するために一人暮らしをすることを決意、両親は驚くほど素直に快諾し(しかも、当時できたばかりの新築マンションであった)、隣町にアパートを借りそこからその町の市立の高校へ進学した。と言っても、アパートは市の境付近にあり、上嶋工務店から歩いて一〇分程度の場所であった(つまり、実家から徒歩三〇分程度の場所であった)。肝心の家事のスキルは、二年生に進学するころには料理だけとってみても平均よりも高く、上手と言ってもよかった。高校二年生のある日、春陽が久しぶりに実家に帰ると、晴香が遊びに来ていた。ちょうどその日は会社で急なトラブルがあり、互いの両親がいないということで、晴香が夕食を作ることになっていた。晴香が作ったカレーを口にした春陽は、晴香の料理の腕が自分のものより数段上だということを実感し、悔しい思いをしたことが何度もある。

その後、春陽はそのマンションから通える大学へ進学し、高校卒業後、晴香も同じマンションに住むようになった。ただし、晴香は春陽の大学から電車で二駅先の大学へ進学した。そして、現在も同じマンションにそれぞれ一人暮らしをしている。かなり近い場所に住んでいる二人だが、春陽が上嶋工務店へ入社するまで、たまに一緒に食事する以外はお互いの生活の事はよく知らずに生活していた。


「で、なんか用か?」

「ああ、そうそう。おばさんが今日実家に帰ってくるようにって。八時までに」

「はあ?なんでお袋がお前に連絡するんだ?」

「あんたが携帯をいつもいつも携帯していないからでしょ?こんな風に」


そう言って晴香は春陽の机の上にある春陽の携帯を持ち上げる。


「それこそ、何を今更…」


基本的に、デスクにいる時春陽は携帯電話を机の端にある。社内にいるときは大抵そのまま置きっぱなしになっている。頭をかきながら自分の席に座る春陽の左腕を、晴香は両手で引っ張り上げる。


「なんだよ?」

「だから早く支度してよ」

「なんでだよ?俺がいつ実家に帰ろうが勝手だろ?俺はまだ仕事が残ってるんだ」

「一回マンションに帰ってから行きたいのっ」

「はぁ?お前も来るのかよ?」

「そうよ。なんかうちの親も含めて話があるんだって」


(はてはて、また面倒くさそうな話みたいだな)


「なんだ?お前らいよいよ結婚か?式を挙げるんなら少なくとも一か月前に言えよ。最高に泣けるスピーチを俺がしてやるからな。それとな、式は盛大にしろよ、何せうちのマドンナを持っていくんだからな。なんなら、うちで資金を出すか?」

「社長、仕事たまってるんだから、必要の無い心配はしないでください。それに、そんな金があるんなら給料の方に還元してくださいよ」


二人の会話を聞いていた社長、上嶋政時(かみしままさとき)が紙コップに淹れたコーヒーをすすりながら近づいてきた。


「馬鹿者、そうであってもお前にはやらん。晴ちゃんの方に振り込む」

「そうですか…」

「今の言葉しっかりとこの耳で聞きましたよ。ボーナス楽しみにしておきますよ?」


晴香がにっこりと社長に微笑む。


「それは、春陽の仕事の出来次第だな」

「だってさ春陽、しっかりしなさいよ」

「俺の頑張りがお前に還元されるかと思うと、モチベーションが上がらんな」

「で、結婚は…」

「しませんよ。そもそも付き合ってもないんですから」


そう、春陽と晴香は結婚をする予定は無いし、そもそも付き合ってもいない。ただの腐れ縁というやつだ。ただ、周りから見ればそう見えても仕方がなかった。住んでいる場所が同じだから同じ電車で出勤し、その道中で一緒になる。別に仲が悪いということは無いので、そのまま二人で出勤すれば、二人で示し合わせて一緒に来たように見えるし、幼馴染ということで軽口を叩くし、今回みたいに家族ぐるみでの付き合いがあればなおさらだ。

春陽が入社してすぐは、晴香を社のアイドルとして扱っていた社員からは親の仇のような目で見られていたが、どうでもいいことで言いあう二人を見て、次第にバカらしく思ったのか、生暖かい目で見守るようになった。なぜなら、そういう時の晴香はすごく楽しそうだからだ。


「私はいいよ。結婚してあげても」


晴香は、先ほどから握っていた春陽の左腕をさらに引っ張って下から覗き込むようにして罪のない顔を春陽に向ける。晴香の身長が一五四㎝ほどしかないので、こういった構図になるのは仕方のないことであった。


「はっ、知ってるか?料理がうまいだけじゃ結婚ってできないんだぜ?ほら、バカ言ってないでさっさと帰るぞ」


この無邪気な瞳に選択を迫られるとき、春陽がとる行動は逃げだ。相手が自分に悪意を持っていないことは確信している。でなければこんなに毎日話すこともない。ただ、この言葉が、一〇〇%の好意であるかどうかは保証がない。異性としてか、兄妹愛的なものなのか、幼いころに兄妹同然に育ってきた環境が逆に春陽を混乱させる。そんな関係がもう二〇年近く続いている。


「俺は何もできなくても平気だよ。どう?俺と結婚しない?」


春陽と同期の笹原修平(ささはらしゅうへい)がここぞとばかりに立候補した。浅黒く、短髪のよく似合う男で、現時点での仕事の出来は、下から数えた方が早いが、特段能力が低いわけではない。新入社員の中には、まだ晴香のことを諦めていないものも何人かいる。


「またまた、笹原さんの周りには笹原さんに好意を持ってくれる人はたくさんいるでしょ?けど、この春陽のことを世話しようなんていう殊勝な人間は日本中のNPO探したっていやしないもの。だから幼馴染として仕方がなく、世話をしてあげようって言ってるだけですから。じゃないと、春陽は生活できないんですよ。もし、他に世話をしようなんて人間がいるんなら熨斗つけて渡してあげますよ」


満面の笑顔で即答し、取り付く島もない晴香を見て、春陽は心の中でごちる。


(まったく、そうなら無いように高校から一人暮らしをしてんだがな)


実を言うと、そう言う人間がいなかったわけでもない。高校生の時に二度ほど告白されたことがある。二人とも、容姿が悪いわけでも性格が悪いわけでも無かったが、二人とも断った。その瞬間、なぜか晴香の顔がよぎったのかは、今でも分からない。


「社長、そう言うことなんで今日はあがらせてもらいますよ」


ここにこれ以上いると、話がややこしくなることは火を見るよりも明らかだったので、春陽はそうそうにこの場を立ち去ることを決意した。それに、普段口やかましく言わない両親が、仕事中に、しかも時間を指定してまで呼び出しているのだから、それなりに重要な要件であろうと春陽は推測していた。


春陽と晴香は荷物をまとめて、午後六時四〇分、帰路についた。


アパートに着き、それぞれ身支度を済ませて、二人は駅へ向かった。

最寄りの日野駅前に着くと、春陽が足を止めて上を見上げた。


「かなりできてきているな」

「そうね」


二人の視線の先を追うと、駅の上層部がすっぽりとブルーの遮音シートに覆われていた。看板には、『NEW駅ビル ヒノステーションビル 今夏オープン』と書かれている。


「ここはうちがとると思ってたんだけどな」

「そうね。それに知らない会社だわ」


看板を見ると、施工主は『阿久津・真島組』と書いてある。第一志望で上嶋工務店に入社したが、一通り同業種は調べていた。しかし、阿久津・真島組という会社は訊いたことがない。縁もゆかりもない街の小さな町の建設会社ならいざ知らず、ここは春陽の育った街だ。このあたりの会社なら知らないはずは無かった。


「まあ、今更考えても仕方がない。早く帰ろうぜ」


二人分の荷物を持って駅構内へ春陽が歩き出した時、晴香が叫んだ。


「春陽っ!!!」


晴香が叫んだのと同時に春陽の頭上が暗くなった。

春陽は反射的に顔を上げると、クレーンにつられていたはずの鉄柱が春陽に向かって振ってくるところであった。



(なんだよ、俺の人生、大したことなかったな)


春陽はそこで意識を失った。





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