第2章 「少女」
アーサーはひとしきり笑うと、ふと神妙な顔をした。
自分の姿を改めて見てみると、髪の毛から鎧まで一面真っ青である。魔人の血の臭いは人間のそれと同じ鉄の臭いのようだ。初めての魔人との戦いに心を震わせていた彼は、急に我に帰った。
「……さすがに陛下の前でこんな恰好はないよな」
彼の目的は皇帝との謁見である。今の血だらけの姿はそうした場にはふさわしくないものであった。
「シャワー浴びてこよ」
宮殿には大浴場があった。戦いから帰ってきた騎士や城門を護る衛兵、書類とにらめっこをして働く官吏が汗を流したり、傷口を洗ったりするために使われている。アーサーは皇帝の部屋には入らず真っ直ぐ地下へ向かった。
「……にしても、魔人か。最近、近隣の国で暴れてるらしいがまさかこの国にも入り込んでいたとはな。しかも陛下の一番近くまで来てるじゃねえかよ。どうなってんだここの警備は」
まあでも、と彼は不敵に笑った。先ほどの2体はあっさりと倒せた。彼らはあまりにもあっけなかった。なんの問題もない。
「だがしかし、慢心は禁物だな。来たるべき時に備えてトレーニングしておくか。ウィルフリッドの馬鹿には倒せねえだろうな。団長殿も昔は強かったと聞くが……怪しいもんだぜ」
彼は自分の実力に確固たる自信を持っている。10年間の功績がそれを示していた。斬り殺した兵の数は2000以上、25人もの敵将の首を持ち帰り、南の独裁政権や北東の300年続いた王政を滅ぼしたこともある。彼にとって戦いとは楽しみであった。力の限りをつくして立ちはだかる敵達を自慢の剣で斬り刻み、剣が使えない時は鍛えぬいた拳を叩き込む。なぎ倒される兵士達の悲鳴を聞きながら前進し、敵将の首を切り落とす。そんな戦いこそが彼の楽しみであり、喜びであり、生きがいである。
「俺みたいのを戦闘狂だとか狂戦士というんだろうな。戦いに狂う者ねえ……ヒヒ、褒め言葉だぜ」
彼は再び高笑いしながら地下へと向かっていった。
飾られている無人の鎧の影にいた小さな人影には気づいていなかった。
魔人族。
人間の社会へと侵入、進撃し破壊の限りをつくす生物群である。その姿は言いようのないほど禍々しく、見る者を恐怖に陥れる。
体は人間の倍以上に大きく、青い血を流し、慟哭は大地を揺るがすほどである。2本足で歩き、道具を使い、言葉を話す。
彼らが初めて人間の歴史に姿を現したのは700年前と伝えられている。その根拠となるのはこんな伝承だ。
東方のある国が、不思議な言動の旅人が入国したその日の夜のうちに滅亡するという出来事があった。夜の10時にその国の都市に緑色の煙が漂い、煙を吸った者が次々に灰と化した。煙は山の向こうにまで及び、とうとう国中の人間がなす術もなく死んでしまったのである。煙を吸わずに逃げてきた数少ない生き残りの人間の話では、煙は旅人を中心に漂っていて彼自身には全く影響がなかったのだという。極めつけは彼の服の間から人間のものとは思えない色の皮膚が見えたというのだ。これはのちに伝えられる伝説に登場する魔人の特徴と酷似していた。数々の伝説や事件の記録から魔人族の特徴は徐々につかまれていった。
そして、とうとうこの時代になって人間の国に戦争を仕掛けるという直接的な行動に及んできたのである。
このことを聞いたアーサーの心には、ある思いが募っていた。
こいつらと戦い、悲鳴を上げさせたい。先ほどのように身体を斬り刻んで血しぶきを吹かせたい。青い血、人間離れした様相、動き。そして人間に劣らぬ文化性。そんな奴らと戦い、滅ぼしたい。温水を浴びる間そんなことを考えていた。
番台に鎧とその下の制服のクリーニングを手配させ、シャワーで血を洗い流した彼は脱衣所で高笑いを始めた。夜勤の休憩中の官吏や衛兵がその声に驚き、声の主を戸惑いの目で見つめた。ひとしきり笑ったあと、彼はあることに気づく。そしてあたりを見まわすと笑いながら自分と同い年くらいの官吏に声をかけた。
「すまん、ちょっとあんたの制服を貸してくれないか」
「な、何を言ってるんだ?急に笑い出したと思ったら、制服を貸せだと?」
「いやな、諸事情で服をかなり汚しちまってな。それなのに着替えがないんだよ。今すぐに皇帝陛下のもとに参上しなきゃいけないんだ。お古でもピチピチでもぶかぶかしててもいい、とにかく今すぐちゃんとした制服を貸してくれ」
官吏は『皇帝陛下』という言葉を聞くとすぐに自分の予備の制服を貸し出した。
「さすが、皇帝陛下さまさまってところか。ネームバリューがすごいね」
アーサーはひゅう、と口笛をふくと服を着替えて官吏にお礼を言って皇帝の部屋の前まで戻ってきた。この国には3種類の制服がある。官吏用の制服、騎士用の制服、一般兵士用の制服。それぞれ色と胸元のエンブレムで身分を、袖部分の星の数やししゅう、勲章などで階級や家柄、功績などを判別できるのだが。
「にしても、色やエンブレムは仕方ないとして……こいつヒラかよ。星が一つもついてないじゃねえか。俺は星3つなのに、こういうのを格差っていうんだろうな。役人の出世事情ってのはわからんが」
しかし、皇帝に何度も謁見している彼は、相手がきちんと順序立てて話せば大抵のことはわかってくれるということを知っていた。この服装のこともわかってくれるだろう。それどころか、自分の近くに潜んでいた魔人が倒されたことを喜び、褒美をくれるかもしれない。彼の気分は高揚した。そんな彼の視界にあるものが入り込んだ。
それは、床にうずくまって先ほど自分が倒した魔人の亡骸を見つめていた。
彼はそれをよく観察した。どうやら少女であるらしい。年齢は12、13歳といったところだろうか。髪は長い亜麻色で、体は小さく弱々しい印象を受ける。
彼は警戒した。その少女も魔人が化けていて、家族もしくは仲間の敵を討とうとするのではないかと思われるからだ。
(あーあ、さっき着替えたばかりなのによ。首を折れば汚れないか。いや、相手は魔人かもしれないからな、この剣は持たないにしろ短剣くらいは構えておくか)
彼の殺してきた兵の中には宗教の教義で戦地に送り込まれた、また傭兵部隊に配属された少年兵も含まれていた。彼らの多くは子供ならではの軽い身のこなしや残虐性で彼に向ってきた。
だが彼は幼くても自分に立ち向かってくる者には容赦はしなかった(とは言っても斬り刻むことはせず、首を絞めるなど血を流さない方法をとっていた。抵抗しない場合には逃がすこともあった)。彼の仲間の何人かは少年兵によって殺された。相手が子供だからと油断したのだ。
(ガキってのは油断ならねえ。女の子を殺すのは気が進まないが仕方ない。とりあえず声をかけて……襲い掛かってきたら攻撃してやる)
アーサーは深呼吸をすると口を開いた。
「おい、お前」
「ひゃいっ!?」
少女が間抜けな声をあげて振り向く。彼は少女の顔をまじまじと見つめた。顔は整っているものの幼さは抜けていない。青い瞳には怯えが読み取れた。
殺さなくてもすみそうだ、と彼は息をつく。
「なんでここにいるんだ?名前は?そこに転がっている奴のことを知っているのか?」
「え、えっと……この人のことは知りません。名前はセミラミスといいます。ハウザーさんにもらった大切な名前です」
「ここは皇帝陛下の宮殿だ、お前のようなガキが来ていい場所じゃねえ。ハウザーの居場所を教えろ、送り返してやる」
それを聞くと少女の顔色が曇った。アーサーは溜息をついて尋ねる。
「……家出か?追い出されたのか?それともハウザーなんていないのか?」
「ハウザーさんは……5年前に……あの、この人達は……あなたが殺したんですか?」
アーサーはニヤリと笑うと、少女の問いに自慢げに答えた。
「ああそうさ、俺がこのカス共を殺してやった。10年間振るってきたこの剣でスパッとな!こいつ、番人に化けてたんだ。そのくせしてこっちの単純な嘘にまんまと騙されやがった。それにこいつは『人』じゃねえ、『魔人』だ。知ってんだろ?最近暴れてる連中だ。ま、種族なんざ関係ねーけどな。『向かってくる奴は容赦なく殺す』……それが俺のやり方だ」
アーサーは少女の反応をうかがった。少女は彼を見据えると絞り出すように声を発した。
「………怖く、ないんですか?」
それを聴くとアーサーは高笑いを始めた。彼はたまらず腹を押さえて床にうずくまる。少女は彼を恐ろしいものを見る目で見つめた。
「『怖い』?殺したりするのが怖いだと?こいつは傑作だぜ、この俺にそんな馬鹿みたいなこと聞くなんてよ!!怖いわけねえだろ!!いいか、よく聞けお嬢ちゃん。騎士である俺にとって殺りくや戦いってのは生き様で喜びなんだよ!!」
彼の目はらんらんと輝いていた。それはさながら新しいおもちゃを買ってもらった時の子供のような目であった。
「……そ、そんなの異常です!!人を傷つけるんですよ!?なんで楽しいなんて言えるんですか………!?」
ずっと口をつぐんでいた少女は絞り出すように叫んだ。
「まあ、お前はガキだから俺の考えを理解する必要はねえよ。だがなあ、この世は弱肉強食なんだぞ?傷つけなきゃ生きてはいけないんだ、たとえ怖くてもな」
「わ、私が言っているのはそういう意味じゃなくて……」
その時、部屋の扉が開いた。
「アーサー・ブレイドヤード、いつまで馬鹿みたいに笑っているつもりだ!皇帝陛下がお待ちかねだぞ!」
アーサーはハッとした。
そうだ、自分は皇帝陛下に謁見に来たのだ。こんなところで見知らぬ少女と話している場合ではなかった。
彼は服を整えると、彼を怒鳴りつけた男に向かって答えた。
「申し訳ございません、ただいま参上いたします。ああそれと……この少女を家まで送ってやっていただけないでしょうか?」
「少女だと?」
男は怪訝な顔をする。アーサーは溜息をついた。
「この少女は侵入者ですよ?この聖なる皇帝陛下の宮殿に入り込んだ愚か者だ、大体そこに転がってる2人も魔人族なんですよ?いつからここは公衆便所になったんですか?」
男は顔をしかめて何か言おうとしたが、なんとか抑えると、アーサーに淡々と告げた。
「すまないなアーサー・ブレイドヤード。その娘は皇帝陛下の客人だ」
「なんですって?」
アーサーは呆けた顔で少女――――セミラミスを見つめた。
セミラミスは左手で右ひじを隠すと、床に目を落とした。彼は彼女を改めて観察する。
少女は小さなぼろぼろのマントを羽織っていた。マントの端から白い脚がちらりと見えている。もしかして下には何も着ていないのではないか?
そう考えた時、彼はあることに気づいた。
それは彼女の姿勢だ。
そう、彼女の姿勢には全くブレがなかったのである。
「……どういうことだよ、こんな小さいくせに」
「気づいたようだな」
男はしたり顔で口を開く。発せられた言葉はアーサーの耳を疑わせた。
「彼女こそが、魔人族を倒し、世界に平和をもたらす……そう神託を受けた『勇者』だ」