僕は彼女にありがとうとお礼を言う
「新くん。私、新くんのためにお弁当を作ってきたの。だからお昼は一緒に食べない?」
とろけるような笑みを浮かべているのはウチのクラスの委員長、花坂万里さん。
「あの、実はワタクシもお弁当を作ってきたんです。新くんさえよければお昼はワタクシと一緒に……」
頬を赤く染めて照れているのはお金持ちで学校一の巨乳のお嬢様、城之内美咲さん。
「新兄はしいと食べようよ~。しいの手作り弁当を貴重なんだぞ!しいと一緒に食べてくれたらあ~んしてあげるから~」
甘えるように上目遣いで昼食の誘いをしているのは天真爛漫で可愛らしい後輩、日下部詩歌ちゃん。
いずれも学校でトップを争うような美女・美少女であり、彼女達と昼食を一緒に食べることが出来るのならお金を払ってもいいという人が大勢いるほど人気がある少女達だ。
そしてそんな彼女達からお昼ご飯の誘いを受けているのはハーレム王の二つ名を持ち、自分を昼食に誘う美少女達に勝るとも劣らない整った容姿を持つイケメン、高遠 新。残念なことに僕と同学年の年子の兄さんでもある。
兄さんは四月生まれで僕は三月生まれ。だから幼稚園から現在の高校まで兄さんとはずっと一緒の学校だった。おまけに何の呪いか、幼稚園の頃から今までクラスすら別れたことがないというのだから驚きだ。
家でも学校でも幼い頃から兄さんとはずっと一緒。だから僕は兄さんの生態については誰よりもわかっているつもりだ。
まず兄さんの特徴をあげるとして、真っ先に思い浮かぶのは女の子にとてもモテるということ。しかも不思議なことに兄さんは美女・美少女限定で女の子を魅了するのだ。
思い返せば幼・小・中・高と俗に言う美女・美少女に分類される女の子は皆兄さんのことが好きだった。しかも不思議なことに不細工な容姿や普通レベルの容姿の女の子は兄さんに対して好意は抱くが恋愛感情は抱かないというのだから始末に負えない。
今でこそ諦観の念で自分を無理矢理納得させているが、中学生までの僕は本気で、兄さんの体からは美女・美少女限定で効果のある特殊なフェロモンが出ているのではないかと疑っていた。そしてその疑いは未だに晴れていない。多分しかるべき研究機関で兄さんの体を研究すれば強力な惚れ薬が出来上がってひと財産築けるかもしれない。
とまあ少しだけ話が逸れてしまったが、まあ僕が何を言いたいのかというと兄さんは美少女達にモテてモテてモテまくるということ。
今は三人の女の子にしか誘われていないけど、本来なら兄さんのハーレムメンバーはもっと大勢いる。
幼馴染・先輩・後輩・お嬢様・委員長・生徒会長・妹系・元不良系・教師・クーデレ・ヤンデレ・ツンデレ.etc
まさにギャルゲーのごとく"属性"を兼ね備えた美少女達は皆兄さんに惚れているというのだから驚きだ。
多分今兄さんを昼食に誘っている彼女達は数いるハーレムメンバーを出し抜いて兄さんのもとまで辿り着いたのだろう。
その上彼女達はそれぞれ兄さんのためにお弁当を持ってきたという。多分彼女達は兄さんに少しでも喜んでもらおうと、そして二人きりのお昼ご飯を期待して昨日から準備をしてきたのだろう。
だけど残念ながら彼女たちの期待は裏切られるであろうことは僕にはわかっている。相手が兄さんである以上、既にこの騒動の結末は僕には見えてしまっている。
「おういいぜ!どうせだったら皆で一緒に食べようよ。最近成長期のせいかお弁当一つじゃ足りなくてな」
ほらね。これもまた兄さんの特徴の一つ。
他人の悩み事やトラブルには鼻が利くくせに、自分に関する出来事――特に恋愛に関わることになると途端に鈍感になる。
期待を裏切られて残念そうにしている彼女達には弟として申し訳ないけど、兄さんは本気で彼女達の意図に気付いていない。
女の子が頼まれてもいないのに男子に手作り弁当を渡すことの意味なんて一つしかないだろうに、兄さんは彼女達の行為が友情に基づいたものから来ていると思っている。
兄さんの鈍感ぶりは本当に酷い。
女の子が勇気を振り絞って言った『付き合って』という告白に、『いいよ。どこにいけばいいの?』とデフォルトで返すのが兄さんなのだ。
僕は兄さんの弟として、そして傍観者として美少女達と兄さんが繰り広げるギャルゲーのような生活を近くで見ていた。
だからこそ兄さんに好意を寄せる彼女達に一度聞いてみたい。『本当にこのままでいいの?』って。
「でも流石に自分のも含めて弁当4つは食べれないかな。そうだ!天も一緒に食べようぜ」
兄さんに昼食に誘われる。これもいつものこと。だけど僕は彼女達が兄さんのためだけに作った弁当を食べるほど無粋な男ではない。
「僕はいいよ。折角彼女達が兄さんのために作ってくれたんだから、兄さんが食べなよ」
「遠慮するなよ。万里も美咲も詩歌もそんなこと気にしないって。なあ?」
「「「う、うん……」」」
お前が言うべき言葉じゃねえだろって突っ込みたくなるようなセリフだけど、想い人にそう聞かれてしまったら彼女達としては肯定するしかない。
だから僕は心底彼女達に同情する。そして兄さんのことを――心底軽蔑する。
鈍感であることは罪ではないのかもしれない。でも何事にも限度がある。兄さんの白痴ともいうべき鈍感さは許容範囲を超えてしまっている。
今兄さんの周りにいる彼女達は停滞してしまっている。なまじ兄さんが持ち前の鈍感さで答えを出さないものだから彼女達は淡い希望を持ってしまう。彼女達の『高校生』という貴重な青春時代が兄さんのせいで浪費されていくのは正直見るに耐えない。
中学時代もそうだった。先程も言った通り中学校でも学校中の美女・美少女は皆兄さんのことが好きだった。
彼女達は中学時代の全てを兄さんに捧げたと言っても過言ではないぐらい兄さんに尽くした。登下校の送り迎えは勿論、授業中、休み時間、放課後……
兄さんが教科書を忘れたと言ったら彼女達は自分の教科書を兄さんに渡し、放課後は付きっきりで兄さんに付き従って兄さんの望む通りの行動をしていた。
あるクラスメイトはその様子を見て兄さんのことを"ハーレム王"と名付けた。兄さんはハーレムの主で周りにいる彼女達は兄さんの奥さん達。
確かにそのハーレム王というあだ名は的を得ていると思う。しかし僕から見れば兄さんと彼女達の関係は"夫婦"ではなく"主人"と"奴隷"という歪な関係に思えてしまう。
それだけならまだ良かったかもしれない。いや、全然良くはないんだけど本人達が納得しているなら僕は兄さんに対して悪感情を抱くことはなかった。
僕が心底兄さんのことを軽蔑した理由は、兄さんは彼女達に全てを捧げさせた癖に何も答えを返さなかったから。
在学中、兄さんに惚れている彼女達は何十回も兄さんに告白した。だけどその全ての告白が兄さんには"告白"だと伝わらなかった。
『付き合って』という告白には『いいよ。どこにいけばいいの?』という勘違い。
『彼氏になって』という告白には『誰が誰の?』というふざけた回答。
『愛しています』という告白には『え?何か言った?』という突然の難聴。
結果、彼女達の真剣な告白は一回として兄さんに伝わらなかった。僕だって兄さんに好きでもない人と付き合えとは言わない。だけど付き合うつもりがないならはっきりと拒絶の返事をだすべきだ。
そうすれば彼女少なくとも彼女達は次の恋に進めるだろうに、はっきりと答えを出さないままだから彼女達は未だに兄さんに縛り付けられてしまう。
今でも中学時代のハーレムメンバーが休みになると兄さんの元へと訪ねてくる。だけど兄さんには彼女達の想いは伝わらない。惚れさせるだけ惚れさせてはっきりと答えを出さない。しかもそれを無自覚だというのだから呆れてしまう。
自覚のない殺人者は最低だと思う。僕に言わせれば兄さんは無自覚の大量殺人者だ。その鈍感ぶりを発揮するたびに兄さんは無自覚に彼女達の心を殺している。
きっと高校生活でも同じように兄さんは少女達の心を殺し続けるのだろう。だからこそ僕は兄さんのことを軽蔑する。心の底から兄さんに惚れる少女たちに同情してしまう。
「うん?どうした天。俺の顔に何かついているのか?」
そんなことを考えていたら兄さんの顔をじっと見てしまったのだろう。兄さんが不思議そうに僕のことを見ている。
だから僕は内にある軽蔑の感情を笑顔という仮面で隠してにこやかに返事を返す。
「ううん。何でもないよ。それより早くお弁当を食べたら?4つもあるんだから早く食べないと昼休みが終わっちゃうよ?」
「ああ、そうだな」
僕の感情や周囲の彼女達の想いも知らずに能天気な顔をして弁当をほうばる兄さん。そんな姿をみていたらつい本音が口から出てしまった。
「兄さんは残酷だね」
「え?何か言ったか?」
「ううん。何でもない」
僕は心の底から思う。この人は――ダメな人なんだと。人の心を無自覚に殺し続ける無自覚の殺人の天才だと。しかも被害者である少女達は望んで殺人者の傍にいるというのだから始末に負えない。
この歪な関係はいつまで続くのだろうか。せめてもの兄さんへの抗議として僕は兄さんの傍で彼女達の行くすえを見届けようと思う。
×××
「新くん、迎えにきたよ。早く学校に行きましょう!」
「はやくこいよー!学校遅刻しちまうぞ」
今日の出迎えの女の子の声が聞こえる。どうやら兄さんのハーレムメンバーの女の子達は協定を結んでいるらしく、曜日ごとに迎えにくる女の子が違う。
今日は月曜日だ。僕の記憶が確かなら今日の出迎えはうちの高校の生徒会長の山瀬理央先輩と元不良の今井桜先輩。二人共三年生でやはり美女・美少女の冠が相応しい容姿を持っている。
兄さんはまだ準備に手間どっているので僕だけが先に玄関に出ると彼女達が視界に入る。彼女達は僕が玄関から出ると一瞬だけ輝くような笑顔を見せたが、出てきたのが兄さんじゃないとわかると露骨にがっかりしたような表情を浮かべる。
『そんなに露骨に感情を出すなよ。僕だって傷つくんですよ?』と思わなくもないけど、決して口には出さず二人の先輩に挨拶だけしておく。
そして今か今かと兄さんを待ちわびる二人を見守るように立っている少女にも挨拶をする。
「……おはよう、雪奈」
「うん、おはよう天」
笑顔を浮かべて挨拶を返すのは兄さんの幼馴染で同級生でもある相川雪奈。即ち僕の幼馴染で同級生でもある存在。
雪奈はウチの高校でもナンバーワンの容姿を持っている。兄さんのハーレムメンバーは皆が皆美女・美少女だけど、その中でランクをつけるとしたら雪奈が一位だ。
そしてそんな彼女だから当然のごとく兄さんのハーレムメンバーに所属している。しかも彼女の場合は筋金入りだ。
何せ雪奈が兄さんのハーレムに所属したのは幼稚園の頃からだ。幼稚園・小学校・中学校・そして今の高校。彼女は常に兄さんの傍にいた。
僕が知る限り雪奈は兄さんに少なくとも10回以上は告白している。だけどその全てを兄さんはスルーしてきた。
いい加減諦めればいいのにとは思うがそれでも雪奈は兄さんの傍にいる。それがとてもはがゆい。
「お!会長と桜先輩また来たんすか?わざわざ迎えに来てくれなくてももう遅刻しませんって」
苦笑しながら現れた兄さん。兄さんは女の子達が自分を迎えに来るのは自分を遅刻させないためだと思っている。
つまり女の子達が朝に来るのは好意からくるものではなく、生徒会としての仕事の一貫のようなものだと捉えているのだ。
「もう!何回も言っているでしょ?私が来たいから迎えに来ているのよ」
「そうだぜ新!あたいが新と一緒に登校したいんだ」
二人が兄さんの誤解を解こうと毎回のようにアピールをするが、やはり兄さんには通じない。
「そうっすね。友達同士で登校した方が楽しいっすからね」
ここまで来るとわざとかと思うが、弟の僕には兄さんが本気だとわかる。アピールをした先輩達もいつものように兄さんにスルーされて微妙な表情を浮かべている。
「あ、雪菜も来たんだ。おはよう!」
「うん。おはよう新ちゃん」
雪菜の存在にようやく気づいた兄さんは軽く挨拶だけすると、先輩達の方に顔を向けてしまう。
多分兄さんにとって雪菜が自分のところに来るのが当たり前になっているのだ。当たり前のことだからこそ特別に思わず特に話をすることもない。
美少女達が自分の家に毎朝来てくれることがどれだけ男子高校生にとって憧れることだか兄さんは理解できていないのだ。
女の子が自分に弁当を作ってくれることも、女の子達が自分の周りにいることも、ハプニングで彼女達の胸やお尻を触ってしまうことも兄さんにとっては当たり前のことなのだ。
今も兄さんは両腕に女の子を侍らせながら登校している。
生徒会長は自分の胸の谷間に兄さんの右腕を挟み込むようにして抱きついている。左腕には今井先輩が同じように抱きついている。
極上の美少女達に胸を押し付けられて兄さんは若干照れているがただそれだけだ。普通の男子高校生が自分に好意を寄せている美少女達に胸を押し付けられたら前かがみになってしまうか、最悪青春の暴走を引き起こしてしまうだろう。
僕には好きな人がいるが、そんな僕にだって今の兄さんの立場は羨ましい。極上の美少女二人を侍らせての登校など夢のようなシチュエーションだ。道すがら同じ学校の人たちとすれ違うが、男子生徒の半分は兄さんのことを羨ましそうに眺めていて、残りの半分は嫉妬の視線で睨みつけているという有様だ。
今の自分がどれだけ羨ましい立場にいるのか兄さんは理解していない。それもまた腹ただしい。
いちゃつく三人のことを、僕と同じように一歩下がったところで見ている雪菜はどう思っているのだろうか。
雪菜はハーレムメンバーの少女達と違ってあまりベタベタと兄さんにくっつこうとしない。大抵は今みたいに一歩下がったところで兄さんと少女達のやりとりを見守っている。
僕の視線に気づいたのか、雪菜は兄さんから視線を外して顔を僕のほうに向けた。
「なあに天。そんなに見ちゃって。私に何か言いたいことでもあるの?」
「……別に。雪菜も混ざらなくていいのかなって思って」
僕がそう言うと雪菜は苦笑する。
「私はいいや。新ちゃんの両腕は先輩達に取られちゃったしね。それに朝は静かに登校したいから」
「雪菜はそれでいいの?」
「……うん。あんなことしても新ちゃんは気づいてくれない。それこそ裸で迫ることぐらいのことをしないと気付いてくれないんじゃないかな?いやそれもどうだろう?もしかしたら裸で迫っても、照れるだけで服を着ろよの一言で終わっちゃうかも……」
その光景は残念ながら僕にも想像できた。確かに雪菜の言うとおりになる可能性の方が高い。
「それでも一応は先輩達みたいにアピールはしておいた方がいいんじゃないの?両腕を先輩達に取られているなら背中に抱きつくとか」
本心では雪菜にそんなことをして欲しくない。だけど僕の気持ちを彼女に悟られないように本心とは真逆の言葉を口にする。
すると彼女はそんな僕の心を見透かしたような透明な笑顔を浮かべる。
「ううん、やっぱりいいよ。無駄なことはしない主義なんだ。それにもう新ちゃんのアレには慣れているし。だって生まれたときからの付き合いなんだよ?私は新ちゃんの傍にいるだけで満足。これはもう意地みたいなもんだから。……それは天も同じでしょう?」
雪菜はそう言うと再び兄さんの方に視線を向けてその背中をじっと眺めていた。
僕には彼女の考えていることがわからない。知りたいと思っているのに、ずっと一緒にいるのに彼女の気持ちが僕にはわからない。それが僕にはとても悲しかった。
授業が終わりもう放課後。今日も兄さんは女の子を周りに侍らせラブコメのごとき生活を送っていた。転んだ拍子に城之内さんの胸に顔をうずめ、手作り弁当を生徒会長にあ~んをしてもらいながら食べさせてもらい、授業中は花坂さんとこそこそと内緒話をしながらいちゃついていた。
まさにどこの漫画の世界だって突っ込みたくなるようなリア充生活だが、兄さん本人に言わせれば友人と話していただけということになるのだろう。一回兄さんの頭の中を切り開いてどうゆう思考回路になっているのか調べたいぐらいだ。
今日の放課後は珍しくすぐには帰らず教室に残って皆でおしゃべりをしていた。まあ"皆"と言っても兄さん+ハーレムメンバーの女の子達といった有様だが。
ちなみに僕も教室に残っている。勿論望んでいるわけではない。僕が帰ろうとすると兄さんまで帰ろうとするので、彼女達のために仕方なく僕は残っているのだ
とは言っても兄さん達の会話に参加するつもりもないし、彼女達の貴重なアピールタイムの邪魔をするつもりもないので教室の隅の席に座って本を読みながら耳を傾けているだけだが。
ちなみに今日の話題は好みの異性のタイプについて。女の子達はこれはチャンスだと言わんばかりに兄さんにアピールをしていた。
「えっと、私の好きな彼はかっこよくて優しくてちょっとだけ間が抜けてて、少しというかかなり鈍感なんだけど、そこがまた魅力的というか……」
花坂さんがチラチラと兄さんのことを見ながらしゃべりだす。それに賛同するように城之内さんも口を開く。
「ワタクシの好きな人も鈍感で、お弁当を作ってきてもワタクシが好きだって気付いてくれないんです……」
「あたいも抱きついたり一緒に登校したりしているんだけど、一向に好意に気づいてくれなくてねえ。本当にこれ以上どうアピールしたらいいんだか。毎日のように一緒にいるつもりなんだけどねえ」
普通の人が聞けば明らかに兄さんのことだとわかる言い方をする女の子達。だけど兄さんにはそんな遠まわしな言い方では伝わらない。……まあ直接言っても伝わらないと思うけど。
「へ~、皆好きな人がいるんだ。ていうか皆鈍感な奴が好きみたいだけど、そんなやつのどこがいいんだ?」
『はぁ~』と一斉にため息を吐く女の子達。あからさまに肩を落としてガッカリとしている。そんな彼女達があまりにも哀れだったので助け舟を出すことにした。
「ちなみに兄さんの好きなタイプはどんな女性なの?」
僕がそう聞くと女の子たちは一斉に兄さんのことを凝視する。だけどそんな彼女達の視線にも気付かず兄さんは何でもないことのように返事をする。
「俺のタイプか?うーん、そんなこと考えたこともなかったな」
「ロングヘアの子が好きとか胸が大きい方がいいとかそういうのあるでしょ?何でもいいから答えてあげなよ」
「そうは言われてもなあ。まあ、月並みだけど好きになった子がタイプってやつだよ。好きになった子なら胸が大きかろうと小さかろうと関係ないと俺は思うぜ」
『そういうことを聞きたいんじゃないんだよ』という声なき声が教室中に響く。結局それ以上のことを兄さんから引き出すことは出来なかった。
×××
学校を出て自宅へと帰る。今日は珍しく僕と兄さんと雪菜の三人だけ。いつもなら他の女の子達もいるのだが、今日の放課後のやり取りで力が抜けてしまったのか各々家路についた。
「そういえば三人だけっつーのも久しぶりだな。なんだか昔に戻ったみたいだ」
確かに三人だけというのは本当に久しぶりだ。小学校までは三人だけでよく登下校していたけど、中学になると大抵女の子たちが兄さんの傍にいた。
なんだか久しぶりに下校時にリラックスできた気がする。三人だけというのもたまには悪くないのかもしれない。
「本当に久しぶりだね。登校時や学校にいる間はいっつもだれかいるし、下校の時ぐらいは三人だけというのもいいかもね」
「うん。そうね……」
穏やかな時間が流れる。だけどその時間を壊すように兄さんが口を開いた。
「それにしても好きなタイプかー。そんなこと考えたこともなかったからなー」
独り言のような兄さんの呟き。どうやら先程の教室でも会話を引きずっているらしい。
「どうしたの急に。さっき好きになった人が好みのタイプだって言ってたじゃん」
「いやさ、好みのタイプって聞いて思ったんだけど、俺らってもう高校生じゃん?もう彼氏彼女がいてもおかしくない年齢なんだよな。それなのに俺らの周りの奴って誰も付き合ってないなって思ってよ」
「ああ、それは皆にい……いや、なんでだろうね」
"皆兄さんのことが好きだから彼氏を作らないだけだよ。彼女達は作ろうと思えばすぐに彼氏が作れると思うよ。"と言ってやりたいが、それを言うほど僕は野暮じゃない。
「そう言えばさっき雪菜の好きなタイプは聞かなかったな。なあ、雪菜の好きなタイプってどんな奴だ?ていうか好きな奴いるの?」
一瞬空気が凍った。僕は能天気にそんなことを聞く兄さんを睨みつけるが、この馬鹿は何も気付いていない。すると雪菜はいつものように笑顔を浮かべて返事をする。
「私の好きなタイプは……皆と同じかな」
「ふーん。皆趣味が悪いんだな。あー!!こんな話してたら彼女欲しくなってきた!でも俺モテないしなあ。誰か俺のことを好きな人でもいねえかなあ?」
呆れて言葉も出ないとはこのことか。何を言っているんだろう、この男は。しかもその言葉をよりにもよって雪菜の前で言うのか。本当にこの男の神経を疑う。
これだけなら呆れるだけですんだ。だけど次の言葉だけは許せなかった。
「雪菜も好きな男がいるんならアピールしなきゃダメだぞ?お前っていつも俺達のそばにいるし、そんなんじゃ好きな男にフラレちまうぞ。ていうかお前顔は綺麗なんだしさ、もっと頑張れよ。なんだったら俺も強力してやろうか?さっさと彼氏作んなきゃいつまでも独り身のままだぞ~」
その茶化すような言い方がカチンと来て、気が付けば僕は兄さんのことを殴っていた。
「いたっ!っっっ……何すんだよ!?」
頬を押さえながらこちらを睨みつけてくる兄さんのことなど気にも止めず、僕は感情のままに兄さんの胸ぐらを掴んで怒鳴りつける。
「よくそんなことを言えるな!?その言葉をよりにもよって雪菜の前でいうのか!?なあ、本当は全部気づいているんだろう?でなきゃそんな白痴みたいな鈍感はありえないだろう!!多くの女の子から惚れられていて、あからさまに好意を寄せられているのにそれに気付かない。いいよ、それは許してあげる。気付かないのはしょうがないかもしれない。でもさ!一番気付かなければいけないことに気づかなきゃダメだろう!!幼い頃からずっとそばにいてくれる人の気持ちに何で気付いてやらない!!!よりにもよって雪菜の前であんなことを言うなんて……!!だから僕は兄さんが嫌いだ!心底軽蔑する!兄さんは――残酷だよ!!他人を縛り付けるだけ縛り付けて停滞させる!!彼女の、雪菜の気持ちに何で気付いてやらないんだ!?」
「おいおい、何怒っているんだよ。それに雪菜の気持ちって?訳がわからないよ。取り敢えず落ち着けよ、な?」
……ああ、僕は何でこんなことを言ってしまったんだろう。最初からわかっていたはずなのに。この人はダメな人なんだって。言ってもわからない人なんだって。まるで言葉の通じない宇宙人と話しているみたいだ。
ふと視線を感じて顔を向けると雪菜が僕のことを見ていた。真剣な顔で僕のことをじっと見つめていた。そんなに彼女に見つめられたのは初めてかもしれない。
彼女の視線は僕のことを責めているようで、僕はいたたまれなくなって兄さんのことを突き飛ばしてその場から逃げ出した。
最低だ僕は!感情のままに兄さんのことを怒鳴りつけて、本来なら雪菜本人がいうべきセリフを勝手に言ってしまって。
それに何より僕が最低なのは、兄さんを怒鳴りつけた理由だ。
僕は兄さんの鈍感ぶりに怒ったから怒ったのではない。雪菜のことが可哀想で怒ったのでもない。
僕が兄さんに対して怒ったのは――嫉妬したからだ。自分の好きな人が別の男のことが好きで、しかもその男が彼女の好意を蔑ろにしたから。つまり僕は自分のために怒ったのだ。
それなのに彼女のためという大義名分を得て僕は兄さんを怒鳴りつけた。これはただの八つ当たりに過ぎない。そんなことをしてしまった自分が許せなかった。
気が付けばもう日が沈んでいた。兄さんを殴ってから随分時間が経ってしまっている。
自己嫌悪で顔を俯かせながら自宅の前まで行くと視線を感じた。顔をあげるそこにいたのは雪菜だ。
僕はなんて言えばいいのかわからなくて口が中々開かなかった。
「遅かったね。どこに行ってたの?新ちゃんも心配してたんだよ?勿論私もね」
「雪菜……僕は……」
「……さっきはありがとうね。嬉しかったよ。天が怒ってくれて」
「違う!あれは雪菜のためじゃなくて、ただの八つ当たりだったんだ!!雪菜のために怒ったんじゃなくて、全部自分のためだったんだ!」
「それでも私は嬉しかったよ。いいじゃない、自分のためだって。理由がどうあれ、天が新ちゃんに怒ってくれたことは嬉しかったよ。ありがとう、天」
その顔があまりにも眩しくて、あまりにも切なくて僕は何も言えなくなってしまった。
「多分天と付き合えば幸せになれるんだろうね。天は優しいから。新ちゃんと違って本当の意味で優しいから……」
今しかないと思った。幼い頃からずっと秘めていた想いを告白するには今しかないと。
「雪菜、だったら僕と――」
だけど雪菜はその先を言わせないよう、僕の言葉を遮った。
「でもね、それでも私は――ううん、私達は新ちゃんの傍から離れられない。多分、天の言うとおりだと思う。新ちゃんは残酷で人を傷つけるのが上手な人。新ちゃんの傍にいればこの先もずっと傷つけられ続けるんだと思う。でもね、もう引けないの。もう私達は意地になっている。もしかしたら私も、他の女の子達も全部気付いているかもしれない。ううん、多分全員気付いている。新ちゃんの傍にいても幸せにはなれないって。新ちゃんが自分を選んでくれても幸せにはなれないって。でも、それでも私達は望んで新ちゃんの傍にいるんだよ」
何も言えない僕に雪菜は綺麗な笑顔を浮かべる。
「さっきは本当に嬉しかった。だからお礼に天を解放してあげる。停滞していた今の状況から進ませてあげる。それが今の私に唯一出来ることだから」
「え?それはどういう……」
「私はこの先何があっても新ちゃんの傍にいるつもりです。仮に新ちゃんに彼女ができたとしてもね。だから天と付き合うことは出来ません。好きになってくれてありがとう。でもごめんなさい」
雪菜が幼い頃から兄さんに縛りつけられて停滞していたように、僕もまた雪菜に停滞していたのだ。そして雪菜はそれを全部見抜いていた。そして僕を前進させてくれた。だったら僕がいうべき言葉は一つだけだ。
「ありがとう雪菜。僕の背中を押してくれてありがとう。……雪菜は本当にそれでいいんだね?」
最後の確認。だけどもう僕は答えを知っていた。
「うん。これが私の意地だから」
僕と雪菜は互いに笑顔を浮かべて別れの挨拶をする。
「さようなら雪菜。どうか幸せにね」
「さようなら天。どうか幸せにね」
この日僕の初恋はようやく終わりを告げた。
×××
「新くーん、迎えにきたよ。はやくしないと遅刻しちゃうわよ!」
「そうだぞ新!さっさと行くぞ」
あの日からもうひと月以上経ったが兄さんの周りは何も変わらない。あの日僕が謝ると兄さんはあっさりと許してくれた。
今日もまたいつものようにギリギリまで支度をしている兄さんを置いて玄関を出ると、いつもどおりに二人はガッカリとした表情を浮かべる。それを無視して一歩引いた所にいる雪菜に挨拶をする。
「おはよう、雪菜」
「うん、おはよう天」
僕の初恋は終わったけど、彼女との幼馴染という関係が終わったわけではない。これからはできる限り彼女のことを応援したいと思う。
「待たせて悪いっす。もう遅刻ギリギリなんで急ぎましょう!ほら、天も雪菜も走るぞ!!」
僕は雪菜のおかげで前へ進むことができた。だけど兄さんの周りの女の子たちは停滞したままだ。いつか、いつかでいいから彼女達も停滞から解放されて欲しい。僕は一歩下がったところにいる雪菜から更に一歩下がったところでそう願わずにはいられなかった。
「喜べ、男子共!今日は転校生を紹介するぞ!お前ら驚きのあまり小便ちびるなよ~」
担任教師の煽りの声にいやがおうにも男子の期待は高まる。今日は転校生がやってくる日だ。どんな子が来るのかドキドキしながら待っていると扉が空いて転校生がやってきた。
「えっと、テレビで見たことある人もいるかもしれませんがアイドルをやっている渡部彩と言います。よろしくお願いします!」
アイドルにあまり興味のない僕ですら知っている顔だった。今一番人気があるアイドルグループのエースで、当然のことながら美少女。現に男子生徒達は彼女の笑顔にメロメロになってしまっている。
だけど僕には嫌な予感しかしない。"アイドル"という属性を持ちおまけに"美少女"。間違いなく兄さんに縛りつけられるだろう。
「じゃあ渡部の席は……高遠新の隣な。これから授業時間までは質問タイムだ。あまり騒ぐなよ」
これで予感が確信にかわった。彼女は間違いなく兄さんに惚れるだろう。
僕はクラスメイトに囲まれている彼女の傍に近づき、同情と憐憫とほんの少しの羨望を込めて歓迎の挨拶をする。
「ようこそ、うちのクラスへ。君の高校生活が幸せでありますように」
そして僅かな期待を込めて一言だけ呟く。
「君は停滞しないようにね」
新たな登場人物が今の停滞状況を壊してくれることを期待しながら僕は自分の席に戻るのだった。停滞状況から解放された新たな高校生活へと。