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超能力者、趣味は読書(前)

「あなたのSFコンテスト」参加作品。

pSychic Fictionを略してSFです(強引)。


 野田一平は、預かっている鍵を使って正面のガラス戸をあけ、店の中に入った。間口三間奥行き三間のせまい店内の中ほどまで午後の日が差し込んでいる。棚のあいだを抜けて奥へ進むと、レジカウンターの上に一冊の文庫本が置いてあるのが見つかった。このあいだ明に貸した『ソードアート・オンライン』の第一巻だ。手にとると、明の声が聞こえてきた。どこかから聞こえてくるのではなく、頭のなかに直接ひびく声だ。

 (一平君、こんにちは。借りてた本を読み終わったから、ここに置いておくよ。なかなかおもしろかった。バーチャルリアリティの世界が、変な言いかただけど、すごく生活感ゆたかに感じられた。飯くったり、寝たり、つまりテーマパークなんかじゃない、本当の世界なんだな。俺もあそこに行ってみたいって思ったよ。ただひとつ文句を言わせてもらうと、結末はおかしい。キリトとアスナの二人は絶対に死んだはずだ。生き延びてるのは理屈に合わない。ああいうご都合主義は俺はどうかと思う。まあ、だいたいそんなところかな。貸してくれてありがとう。それじゃ、また今度)

 どことなく留守番電話の録音に似たその言葉を頭のなかで聞き終えて、一平は、しまった、失敗した、と思った。明が物語のつじつまにこだわることはよく知っていたのに。以前『マヴァール年代記』を貸したときなど、いきなり「医者が出てこない」と言い出して一平をきょとんとさせたものだった。

 「医者? 何の話です?」

 「最初、カルマーンが父親を殺して王位を奪って、自分が殺したんじゃなくて病気で死んだってことにするよな。けどさ、王様だぞ。主治医がいないはずないし、いればまちがいなく誰かが殺したって気がつくはずだ。そしてこの場合、どう考えても犯人はカルマーンに決まってる」

 「なるほど、たしかに」

 「それからヴェンツェルが、カルマーンが父親を殺したんじゃないかってうすうす感づくじゃないか。そしたら医者に意見を聞くだろうふつう。もしかすると医者を証人にしてカルマーンを告発する展開になるかもしれない。医者がカルマーンとヴェンツェルの争いの鍵をにぎる人物になるんだ。なのに小説の中のどこにもそんな医者は出てこない。おかしい」

 一平は明のするどい指摘に感心するいっぽう、こんな読者がいるんじゃ小説家もたいへんだと見も知らぬ作者に同情したものだった。

 メッセージを伝えおわって沈黙した『ソードアート・オンライン』を学生鞄にしまい、その学生鞄を奥の引戸のむこうの茶の間に投げ込んで、一平は店の掃除をはじめた。アキラはずぼらな店主で、ほうっておくと商品に平気で埃をつもらせる。このありさまを見かねて、一平は店番に来るたびに欠かさず掃除をするのだった。おかげで、数すくないなじみ客のあいだでは一平の評判はすこぶる良い。

 ここ大原市は、平成の大合併で生まれた面積ばかりむやみと大きい地方都市だ。主要産業は農業と林業、それに温泉が少しばかり。市という名前はついているが、どこをどう見ても過疎の田舎である。その物さびしい県道沿いにアキラの店はぽつんと立っていた。まわりは田んぼまた田んぼ、いちばん近くの民家から百メートル以上離れている。営業品目は乾物、缶詰、菓子、調味料、清涼飲料水などの食料品に、軍手、洗剤や台所用品、電池や電球、文房具などの日用品で、近くにほかに商店がないため近所の人々からはけっこう重宝されていた。表のガラス戸には白い塗料で「佐藤商店」と書いてある。


 一平が週に三度この店の店番をするようになって三ヵ月ほどになる。今日は休みの日だったのだが、昼ごろにアキラからメールが来て、急に店番を頼まれた。アキラは忙しい人間なのでこういうこともときどきある。車庫にバイクがないところを見ると、近所の寄合などではなさそうだ。市の中心部か、もしかしたら県庁所在地の万代市に顔を出す用事でもできたのかもしれない。

 掃除がすむと、一平はいつものようにレジの後ろの椅子に腰をおろして、持参の文庫本をひらいた。『移動都市』。はるかな未来、都市が歩きまわるようになった世界の物語である。主人公は都市が移動するのは当然であり移動しない都市などというものは時代遅れだと考えている。こういう不思議な常識がいろいろ出てきて楽しい。ヒロインも魅力的だ。海外の作品だが翻訳小説につきものの作文のぎこちなさもまったくない。読みおわったら明に貸そうと思う。もっとも明のことだからまた思いもよらないような文句をつけてくるかもしれないが。

 何人かの客の相手をしているうちに日はかたむき、いつのまにか六時を過ぎた。読書もだいぶはかどった。店の前に自動車が停まる音を聞いてふと顔を上げると、ほどなくカラカラと戸がひらいて、スーツ姿の若い男が店に入ってきた。

 「やあ、一平君」

 「あ、明さん。どうも、こんにちは」

 一平は腰を浮かして挨拶した。近くの農協に勤める西澤明とは知り合ってまだ三ヵ月ほどだが、すでに気のおけない間柄だ。

 「昼に来たときに、こないだ借りた本をここに置いて行ったんだけど……」

 「あ、はい。たしかに受け取りました。感想も聞きました。ええとですね、キリトとアスナが死ななかった理由は次の巻で説明してあるんで、そっちもいっしょに貸したらよかったんです。かなりこじつけっぽい説明ですけど。こんど持ってきましょうか」

 「こじつけっぽいのか。どうしようかな」

 「あ、じゃあ、気が向いたらいつでも言ってください。それから、僕もこれ、読みおわったんでお返しします」

 一平は鞄から一冊の文庫本を出して明に渡した。題は『時の果てのフェブラリー』。

 「まあまあおもしろかったと思います。特に決闘の場面とかよかったですね」

 「ああ、あれね! あれは燃えるね」

 「ただ、いちばん重要な場面が単調っていうか、退屈っていうか」

 「いちばん重要っていうと、あれか。フェブラリーが穴に降りて行った後のところ? 宇宙人と本格的にコンタクトを試みる……」

 「そう、そこです。幾何学図形とダンスしたり、ミラーハウスを歩きまわったり、読んでて飽きます」

 「飽きる……? 宇宙人と意思が通じていくっていう爽快感がなかった?」

 「爽快なんですか、あれ。ひたすらもどかしいでしょう」

 「いや、もっともどかしいコンタクトの話なんていくらでも……。あっ、もしかして一平君、ハインラインの「金魚鉢」って読んだことないよね?」

 「はあ。ありません」

 「よし、こんど持ってくる。ひたすらこっちを無視する知的生物の話。『フェブラリー』の元ネタでもある。これこそもどかしいぞ」

 「えー、もどかしいんですか」

 「まあ、そんなイヤそうな顔しないで。たぶんこれを読むとフェブラリーのありがたみがわかるよ。『時の門』っていう短篇集に入っててね、ほかにもいろいろ面白い短編が入ってるから」

 一平と明は読書仲間である。二人ともSFやファンタジーの小説を好んで読むので、知り合ってからのこの三ヵ月、自分が面白いと信ずる小説を貸したり借りたりしているのだが、二人の意見が一致することはほとんどない。同じ小説を読んでどうしてこうも意見が食い違うのか、それが一平にとっても明にとってもじつに興味ぶかかった。

 明は返してもらった本をぱらぱらと眺めていたが、ふと表情をあらためて一平に問うてきた。

 「ところで例の本のほうはどうだい。何も変わりはない?」

 「ええ、さっぱり」

 一平はそう言うと、空中に右手を差し伸べた。何も持っていなかったその手の上に、つぎの瞬間いきなり一冊の白い本が現れる。種も仕掛けもなく、空中から突然出現したのだ。だが明はとっくにこの現象を見慣れており、おどろきもせずに見守っている。

 「あいかわらず白紙のままですし。ほら、このとおり……あれ?」

 表紙をめくった一平の声が裏返り、なにごとかと明ものぞき込んだ。最初のページの中央に「超能力者、趣味は読書」という明朝体の大きな文字がおどっている。一平がおどろいてページをめくると、見開きいっぱいに文章が印刷されていた。一平と明は本の上で頭をぶつけ合うようにして読みはじめる。


 《野田一平は、預かっている鍵を使って正面のガラス戸をあけ、店の中に入った。間口三間奥行き三間のせまい店内の中ほどまで午後の日が差し込んでいる。棚のあいだを抜けて奥へ進むと、レジカウンターの上に一冊の文庫本が置いてあるのが見つかった。このあいだ明に貸した『ソードアート・オンライン』の第一巻だ。手にとると、明の声が聞こえてきた。どこかから聞こえてくるのではなく、頭のなかに直接ひびく声だ。》


 「おいおい、こりゃもしかして……」

 一平と明は顔を見合わせ、同時に言った。

 「『はてしない物語』ですね」

 「「バベルの牢獄」だな」

 「……はい?」

 「……なんだって?」


 じつはこの雑貨屋にはもうひとつの顔がある。表のガラス戸の「佐藤商店」という文字の横には一枚の小さなプラスチック板が貼りつけてあって、そこには次のように印刷されていた。

 「㈶日本超能力機構 大原連絡所」

 財団法人日本超能力機構。英語名Japan ESP Organizationを縮めてJESPOジェスポとも呼ばれるこの団体は、超能力についての相談受け付け、超能力者むけの仕事の斡旋、超能力者差別への対応、一般むけの啓発活動などを行う独立行政法人である。東京に本部、全国の中核都市に支部を置き、そのほかにも各地に連絡所を設けている。超能力者という異質な存在に対する世間の風はつめたく、連絡所はそうした中で疲れた超能力者たちがつかのま同じ境遇の仲間と気がねなく付き合える憩いの場なのである。もっとも、大原市近辺には超能力者は明と一平の二人だけだ。

 野田一平が超能力者になったのはほんの三ヵ月前、高校の入学式の日のことだった。その能力は予知でもテレパシーでもサイコメトリーでも透視でも千里眼でもテレキネシスでも発火でも発電でも念写でもヒーリングでも瞬間移動でも時間遡航でも超能力無効化でもなく、一冊の白紙の本がどこからともなく自分の手の中に出現しどこへともなく消え失せるという、何ともいえないものであった。それが初めて起こったのは入学式のあと、クラスで生徒一人一人の自己紹介がおこなわれたときである。自分の番が来て席から立ち上がった一平は、緊張のあまり言葉につまってすっかり立ち往生し、混乱して意味もなく右手を持ち上げたところ、その右手が何もない空中で一冊の本をつかんだのだ。誰かが手渡してくれたものだと一平は思って周囲を見たがまったくそのような様子はなく、それどころかクラスメートたちはこれを手品だと思って惜しみない拍手をくれた。一平がきょとんとしていると次の瞬間その本はぱっと消え去り、さらなる盛大な拍手がわき起こった。わけがわからぬままにどうにか名前だけ言って自己紹介を終えた一平は、ほどなく知ることになる。自分がいつでも念じるだけでこの本を出したり消したりできるようになっているということを。

 それはなんの変哲もない一冊の本であった。ソフトカバーで、閉じてA5、開いてA4の大きさである。表も中も真っ白でなにひとつ書かれていないという点をのぞけば、そのへんの本屋に並べてあっても不思議はない見かけだ。だが実のところ、一平のこの本はきわめて非常識なしろものだった。出たり消えたりすることもそうだが、いかなる筆記用具をもってしても何かを書くことができないのである。

 クラスのだれかが「その本、書いたことがほんとうになるとかじゃないか?」などと言い出したせいで、入学直後の一時期、一平のクラスメートのあいだではこの本になんとかしてものを書こうと試みることがはやり、みな競ってさまざまな筆記用具やら塗料やらを持ってきては白いページにいどみかかった。鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、万年筆、フェルトペン、色鉛筆、クレヨン、墨、木炭、チョーク、水彩絵具、油彩絵具、トナー、口紅。だがどれもむだだった。液体の塗料やインクは紙の表面ではじかれてしまい、本を立てると水玉になって転がり落ちてしまう。鉛筆やクレヨンなど固体の画材も、本をほろうとパラパラとこぼれ落ちて、書いたはずのものは跡形もない。友人の提案にしたがって本を何時間か日なたに置いてみたこともあるが、日光写真ではないということがわかっただけだった。ガスコンロの火にかざしてみたこともあるが、あぶり出しではないということがわかっただけだった。

 あまりに反応がなさすぎるため、友人たちはじきに一平の本に対する興味を失った。それと同じころに一平のところに現れたのがアキラである。噂を聞きつけて、それは超能力だと告げに来たのだった。

 読者のみなさんは、いったいそんな超能力があるのだろうかと疑問に思われるかもしれない。一平もまさにそう感じ、アキラに問いただした。答えは単純明快だった。

 「たしかにオレもこんな超能力は聞いたことない。でもさ、超能力以外に説明がつかないじゃん」

 このような次第で野田一平は超能力者と認定された。JESPOに登録し、佐藤商店の敷居をまたぎ、のみならずアキラから店でバイトしないかと誘われた。

 「オレは万代市の支部にちょくちょく顔を出さないといけなくてさ、店番してもらえると助かるんだ」

 部活動をするつもりのなかった一平には、不都合はなかった。こうして一平は週に三度、家で読書したり図書館で読書したりするかわりに雑貨屋のレジカウンターで読書して過ごすようになったのだった。


 本のページに現れた文章は、いまのところほんの数ページで終わりになっていた。いまのところというのは、一平と明が見守っているこの瞬間にも新しい文章が着々と現れつづけているからだ。一ページ二段組みで、一八字かける二三行。字体は明朝体。まるでただいま印刷真っ最中というようなありさまだったが、もちろんこの場に印刷機などは存在しない。目下いちばん最後の記述は以下のような文章である。


 《本のページに現れた文章は、いまのところほんの数ページで終わりになっていた。いまのところというのは、一平と明が見守っているこの瞬間にも新しい文章が着々と現れつづけているからだ。一ページ二段組みで、一八字かける二三行。字体は明朝体。まるでただいま印刷真っ最中というようなありさまだったが、もちろんこの場に印刷機などは存在しない。目下いちばん最後の記述は以下のような文章である。》


 なおも増えつづける文章を眺めながら、明がかすれた声で問うた。

 「あのさ、念のために聞くけど」

 「はい」

 「これ、一平君が念写してるんじゃないよね」

 一平は首をかしげた。そんな妙なことはしていないつもりだが、無意識に超能力を使うケースもあると聞くから、断言はできない。明は一平の答えを待たずにつづける。

 「それに、この文章の書きかたも気になるよね。これ、ただあったことを記録してるんじゃなくて、まるで小説みたいに書いてるじゃないか」

 「ほんとですね。僕や明さんが出てくる小説、しかもノンフィクションで、そのうえ生中継です。なんか気味がわるいですね」

 「本を出したり消したりするだけでも十分変わった能力だと思ってたけど、ますます常軌を逸してきたねえ。俺もひとのことは言えないけど」

 明の能力、それは何らかの物品にさわるとそこにメッセージを込めることができるというものである。込められたメッセージは次にその品物に触れた人が読み取ることになる。さきほど一平がカウンターの上に置いてあった本を手にとって明の書評を聞いたように。JESPOの分類基準にしたがえば明のこの能力はテレパシーの一種、接触テレパシーのさらに特殊な形ということになるらしい。

 もっとも、明本人は接触テレパシーという名称をいやがっている。以前つよく主張していたところでは、そもそもテレパシーという言葉は遠い場所に気持ちを伝えるという意味であり、接触テレパシーというのは言葉からして矛盾している。たとえば無地のシマウマとか新品の古着というようなものだ、と言うのである。

 二人で本をのぞきこんで眉をひそめているうちに七時になった。閉店の時間である。本には文章の様式についての二人のやりとり、明の能力の説明などが加わり、なおも記述が増えつづけるようすだったが、いつまで見ていてもきりがないのでひとまずお開きにすることになった。一平は本を消滅させると手早く店のなかを片づけ、明といっしょに外に出て戸締まりをした。別れぎわに明はこう言った。

 「これは俺の勘だけど、近いうちに何か起こるのかもしれないな。その本、まめに内容を確認するようにしたほうがいいよ」

 「そうですね。そうします」

 夏になったばかりの明るい夕方だった。一平は自転車にまたがり、自動車の明と別れて家路についた。


 それからしばらくして、☓☓市の片すみにあるがらんとした会議室で一人の少年がぼんやりと光る小さな画面をのぞきこんでいた。年の頃は十二か十三といったところ。顔かたちも服装も平凡だが、瞳の中にはぎらぎらと光るものがある。問題は少年が見ている画面の内容だった。それは何の変哲もない携帯用の電子書籍端末のようだったが、表示されている文章は、なんと野田一平の持つ白い本に現れたのと一字一句同じものだったのだ。

 少年の後ろにはスーツに身をつつんだがっしりした体つきの男が立って、肩ごしに画面をのぞきこんでいた。

 「どうやらおまえの能力は千里眼の一種だったようだな。電子書籍をダウンロードすることはできないが、かわりに遠く離れた場所の出来事が自動的に表示されるのだろう。かなり風変わりだし、状況にもよるが、役に立つ能力だ」

 体格にふさわしい太い声で男が論評する。少年はぼそぼそと応じた。

 「離れた場所とは限らないみたいですよ。ボクが出てきました」

 「なにっ?」

 「ほら、ここです」

 男は表情をけわしくして身を乗り出した。そのジャケットは肩にはおっているだけらしく、空っぽの二本の袖がうしろにたなびいた。

 少年の指さす箇所にはこのように書かれていた。


 《それからしばらくして、万代市の片すみにあるがらんとした会議室で一人の少年がぼんやりと光る小さな画面をのぞきこんでいた。年の頃は十二か十三といったところ。顔かたちも服装も平凡だが、瞳の中にはぎらぎらと光るものがある。問題は少年が見ている画面の内容だった。それは何の変哲もない携帯用の電子書籍端末のようだったが、表示されている文章は、なんと野田一平の持つ白い本に現れたのと一字一句同じものだったのだ。》


 その下にさらに少年と男の会話の場面がつづき、なお新しく表示されてゆきつつあった。男はしぶい顔で言う。

 「これはいかん。やつらにわれわれの情報が筒抜けになってしまう」

 「じゃあ、こうしたらどうでしょう」

 そう言うと少年はかるく目を閉じてなにごとかを念じ、とたんに画面に変化が起こった。場面転換のすぐあとに出てきた所在地の市の名前が☓印に置き替わったのだ。伏せ字になったのである。

 「こんなふうにすれば、やつらに知られたくない情報を隠すことができます。たとえば、ボクたちのアジトが☓☓市☓☓区☓☓町にあるというようなことだってしゃべっても大丈夫ですよ」

 少年の言葉につれて画面に現れたそのせりふのなかの地名は、そのときすでに伏せ字になっていた。もとがどんなだったか読み取るすべはない。だが男はどなりつけた。

 「バカ者!」

 「は?」

 突然少年の体が椅子から空中に浮き上がった。シャツの生地が、まるで誰かが胸ぐらをつかんで引きずり上げているかのように伸びている。少年はもがくが、みごとに宙吊りになってしまっており、のがれられない。スーツの男はその場に立って指一本うごかさないまま少年の顔をにらみつけた。

 「むこうのあの野田一平とかいう能力者が伏せ字をもとにもどす能力を持っていたらどうするのだ。この場所がバレるところだぞ。いいか、おまえはしばらくその端末にでてきた記述を監視しつづけろ。もしやつが伏せ字をもとにもどすことができるなら、すぐにアジトを引き払わねばならん。それから、二度とこんな軽率なまねをするな」

 宙吊りの少年は声もなく青い顔でうなずくばかりだった。


 ところかわってこちらは大原市の一角にある野田家。夕飯をすませて自分の部屋にもどった一平が数時間ぶりにくだんの本を出現させて内容をあらためたところ、そこには思いがけない記述が増えていた。万代市のどこかにあるアジトなる場所で一人の少年と一人の男が電子書籍の端末を見ながら会話する場面なのだが、おどろくべきことにその端末の画面には一平の本にあらわれたのと同じ文章が表示されているらしいのだ。一平は眉をひそめた。これははたして現実に起こっているできごとなのであろうか?

 その場面の大まかな流れはというと、まず少年と男が端末を見ながら会話をしており、そのあと少年が端末に表示された文字をおそらくは超能力によって☓印に変えるという芸を披露し、ちょっと調子に乗ってしまって男からきつく叱られる、というものである。少年が☓印に変えたとされる文字は、一平の本の上でも☓印になっており、もとの地名を読み取ることはできない。もしこの文章を一篇の小説として見るなら、なかなかに凝った趣向であった。

 ともかく、一平は伏せ字をもとにもどすことができるかどうか試してみることにした。本のページをにらんで、もとにもどれーもどれーと頭痛がするほど念じてみる。だが☓印は☓印のままであった。ついでに文字を伏せ字にするほうもやってみたが、こちらもうまくいかなかった。あの少年のほうが一平よりも幅広い能力を持っているようだ。べつに悔しいとは思わないが、この差のせいで良くない結果になるとしたらやはり面白くない。

 もっとも、伏せ字にする能力があったところでそれを使いこなせるかどうかはまた別の問題である。くだんの少年は伏せ字にすべき場所を一カ所見落としており、おかげでアジトとやらが万代市にあるということは一平にバレてしまっていた。

 ふとわれに返って、一平は勉強机の上の時計を見た。夜十時だ。超能力合戦をしている場合ではない。少し遅い時間だが、この件はアキラに報告しておいたほうがいいだろう。携帯電話を取り出してコールすると、ほどなく妙にエコーのかかった元気な声が聞こえてきた。

 「おっす、一平君。今日は悪かったね、急に店番たのんじゃって」

 「あ、いえ、かまいません、どうせひまですから。あの、それより、ちょっとお話ししたいことがあるんですけど、いまだいじょうぶですか」

 「おう、いいぜ。いま風呂に入ってるとこだから、ぜんぜんオッケーよ」

 電話を切るべきだ、倫理的に! と一平は顔を赤くしながら考えた。なにやら音が響いて聞こえるような気がしていたのだが、入浴中だったとは。だがアキラは平気で話をうながし、しかたなく一平は根性を据えて話し出す。

 「じつは例の本になんか小説みたいな文章が出てきまして……」

 「うん、それは聞いた」

 「あ、そうでしたか。それでですね、ついさっきまた本を見てたら、その小説に場面転換があったんです」

 「場面転換?」

 一平は説明した。電子書籍端末で同じ文章を読んでいるらしい少年、その少年の伏せ字能力、そして少年とスーツの男の謎めいたやりとりのことを。

 「アキラさん、もしかしたらあの二人は「切り拓く会」のメンバーなんじゃないかと思うんですけど……」

 「一平君、いまのこのオレらの会話も本に出てきてんの?」

 「え? あ、はい、ばっちり出てます」

 「つまり連中にも丸見えというわけだよな。うかつなことはしゃべらないほうがいいぜ」

 「あ、う、すみません」

 「だがまあ」

 ばしゃざばーと湯船から立ちあがる音がした。見えるわけではないのだが、一平は反射的に目をつぶる。

 「もしかしなくても「切り拓く会」だろうな。一平君、そのスーツの男だけど、ジャケットの袖がからっぽだとか書いてなかったか?」

 「えっ、ど、どうしてわかったんですか」

 一平はおどろいて聞き返す。さきほど文章の内容をつたえた際にはこまかいところははしょったのだ。アキラこそ千里眼ではないか。だがアキラはこともなげに答える。

 「有名人だぜ。そいつは香川晃太だ、「切り拓く会」の幹部の。袖がからっぽなのは腕がないからだ。やつはむかし事故で両腕を失って、それがきっかけで超能力にめざめたらしい。それで腕がなくなっても不自由なく暮らしてる。それはいいが、テレキネシスを使ってテロもやってる。いま日本で最も危険な超能力者の一人だよ」

 うかつなことは言うなと言っておきながらぺらぺらしゃべるアキラだった。一平は声もなく聞き入るばかりである。

 「じつは「切り拓く会」がちかぢか万代市周辺で何かやらかすみたいだっていうのはオレらもつかんでてさ。ほら、万代市の市長が超能力ぎらいでいろいろ暴言吐いたりしてるじゃん。超能力者に人権はないとか、人類に奉仕すべきだとか。あれで「切り拓く会」に目をつけられたらしいんだ。今日オレが呼び出されたのも、その件で対策を話し合うためでさ。猫の手も借りたいってやつかねえ」

 「はあ」

 「こら、そこは「アキラさんは猫の手なんかじゃありませんよ」って言うところだろう」

 「あ、す、すみません」

 「まあそういうことでオレもしばらく忙しくなるから、また今日みたいに急に店番たのむこともあるかもしれない。悪いけどそのときはよろしく」

 「わかりました。まかせてください」

 「うん。それじゃおやすみ」

 「おやすみなさい」

 風呂場の戸を開けるらしいガラガラガラという音をひびかせつつ通話はおわった。

 そしてそれきりこれといった事件もなく数日が過ぎた。


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