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ファンタジックなゾンビ世界に人類最後の切り札として召喚されたが俺には無理です

作者: A*

 かちゃかちゃと金属の擦れる音が響く。複数の人々の息が切れる音、硬い足音、ぱちりと響く松明の音、そして揺らめく影。石造りの建物の通路を、鎧姿の者達が必死になって駆けていた。その者たちの背後からは何も聞こえはしない。何故なら彼らは逃げるためではなく、戦うために駆けているのだから。


「はっ……はっ……はっ……!」


 しかし向かっているのは戦場ではない。建物の奥へ奥へと進んでいる。無音の闇へ続く道を行く。そこに求めるものがあるかのように。そこに唯一の希望があるかのように。ただひたすら走る。走り続ける。


 そして辿り着く──巨大な石造りの扉へ。


 見事な彫刻だったのだろう。松明で照らし出された繊細かつ荒々しいその堀筋は火と水と風と土を生き生きと表現し、鳥や獣たちは今にも動き出しそうな生々しさを感じさせる。まるで一つの美術品のようにも見えた。


 しかし、よく見ると経年劣化からかあちこちが崩れ落ち、風化している。一瞬見えた美は夢か幻か。とはいえ、彼らにそのような感傷を抱く余裕はなかった。彼らの中から小柄な一人が進み出て、門の前に立ち両手を掲げた。


 そして、告げる──。


『人類の危機である! 召喚の義を執り行うことを許し給え──!!』


 おお、と彼らの中の一人が感嘆する。ひとりでに扉が動き出し、彼らを迎えたのだ。扉の向こうの広間の様子も彼らを驚かせる。扉は風化しかかっていたというのに、広間には埃一つ見当たらず丁寧に磨き上げられた大理石がきらりと光る。清浄な空気が流れ込み、彼らの酷使された肺を癒した。


 先程門の前で呪文を唱えた者が広間の中心へ向かいながら、兜を脱ぐ。そこから現れたのは美しき女の貌だった。不安と覚悟に揺れながら、なお前を見据える強き眼差し。結い上げた髪を解き、輝くようなプラチナブロンドの髪が流れ落ちる。鎧を脱ぎ始めた彼女を、予め配役していたのか二名が進み出て手伝い始めた。


「──英雄召喚の儀を執り行います。急ぎましょう、神殿の結界が破られるのも時間の問題です」


 彼らは頷くと、背負っていた荷物や懐の道具を取り出して準備に取り掛かる。それらは淀みなく行われていたが、着替えている彼女は厳しい表情を崩さない。


──これでも間に合うかどうか分からない。間に合ったとして上手く行くかどうかが分からない。


 そして、上手く行ったとして──我らが救われるかどうか分からない。


「願わくば、奴らを滅ぼす力があらん事を──」


 口の中で呟き、苦笑する。そんな何もかも分からないものに、人類の危機を託そうなんて──救われることを賭けようなんて、笑わなければやっていられなかったのだった。




 ◆  ◆  ◆




 昔から俺はタイミングのいい奴だった。


 教科書を間違えて余分に持ってくると、同じ教科書を忘れた別クラスの友人が借りにきたり。自動販売機で飲み物がもう一個当たると、部活帰りの喉が渇いたクラスメートがやってきたり。雨の日に傘を忘れたけど、昔無くした傘が見つかったおかげで憧れの女の子と相合傘ができてしまったり。


 『こんな事もあろうかと』というような準備の良さではなくて、ちょっとした幸運が自分に訪れて、そのついでに誰かにもその幸運が分けてやれる、と言った具合だ。そのおかげで彼女が出来たし、多くの友人にも好かれている。


「毎年しっかりこれをやってるおかげかねえ……?」


 婆ちゃん家からの帰り道。手提げ袋を覗き込んでそう呟いた。


 今時やっている家なんて殆ど無いだろう。ましてやフルセット。信心深い我が家のような家ならいざ知らず、ここまでの完全完備はむしろ笑いを誘うくらいだ。しかし我が家の安泰はそれのおかげとも言えるのかもしれない。何故なら俺だけでなく一家全員なんらかの幸運に恵まれる体質なのだから。


 ひゅう、と風が吹き荒ぶ。季節は真冬。身を切るような冷たさが頬を撫でた。


「うお、寒っ……! 早く帰らないと……みんな待ってるしなあ」


 俺の荷物を今か今かと待っているだろう家族を想い、歩みを早めた──その瞬間。


──辺りが、いや足元が輝き始める。


「……へ!?」


 俺を囲むように地面に文様が描かれていき、それを輝く線が丸く囲む。冷たくも暖かくもない奇妙な風が足元から吹き荒れて、髪の毛が逆立ちコートが揺れて手提げ袋が吹き飛びそうになる。慌てて袋を抱きかかえた。


「なんだなんだなんだぁ……!?」


 輝きは勢いを増し、目に突き刺さるようになってきた。はっ、と俺は気が付く。


「上か──!?」


 まるでスピードキャラに翻弄されるかませキャラのように上を見上げたが、もちろんそんな事はなくて、見えたのは虹色に輝く月とぐるぐる回る視界だった。


「なんだ違うのか……って、なんじゃこりゃあ!?」


 見たこともない色に輝く月に、体に回っているような力は何もかかっていないのに回る風景。目はチカチカするし、不自然に視界は回るし、だんだん気持ち悪くなってきた。


──そして、急に足元の感覚が無くなる。


 ぐるぐる回りながらずぶずぶと目線が下がって行き、いつの間にか体も動かなくなっていた。


──これが水洗トイレに流される者の気持ちだというのか。だとすれば俺は今までなんて軽い気持ちで流していたというのか……!


「って、そんなこと言ってる場合じゃねえ! ぬわーーっっ!!」


 こうして俺は、訳も分からぬままどこかへ流されて行ったのだった。




 ◆  ◆  ◆




「ううっ……気持ち悪い……」


 気が付くと、俺はどこか涼しい場所に立っていた。込み上げてくる嘔吐感に目を瞑り口を抑える。体に特に異常は無く、頭痛もしないし目眩もしない。なのにじくじくとした吐き気だけが残っていて、却って気持ち悪かった。


 ぎゅっと目を固く瞑り、吐き気が収まるのを待った。背筋を伸ばして深呼吸すると徐々に落ち着いてくる。と同時に、ぱちぱちと何かが弾けるような音と、何かが燃えているような臭いが鼻につく。


「……へ?」


 ぱち、と目を開ける。そこには跪く数人の人影と、松明を掲げた人影が見えた。先程の音や匂いはこの松明から発せられていたもののようだ。


「え? え?」


 訳が分からない。思わず振り向いたり辺りを見回してみるが、自分以外に畏まられそうな人間や像は無かった。つまりこの人たちは俺に対して頭を下げているらしい。


「えーっと、そのー……もしもし?」


「勇者様」


「一体どういう──勇者様?」


──綺麗な人だった。一番前で跪いていたのは、この薄闇の中でも輝くような美貌の持ち主。艶やかな肌、瑞々しい唇、煌めく瞳……俺の貧困な語彙じゃとても言い表せない、今までの人生で見た中で最も美しい人だった。その人が顔を上げ、顔の前で手を組み懇願するように告げる。


「よくぞ我らが世界においで下さいました。貴方様がお望みのものは全て差し上げます。ですからどうか、我らの敵を打ち滅ぼし、我らをお救いください……!」


 頭に入ってきたその言葉が、理解できない。いや、理解しきれないというよりは今までの人生で全く縁のない、突拍子も無さすぎるその情報が消化出来なくて頭の中でぐるぐる回っている。おろおろと周りを見回しても目に入るのは同じく跪いている騎士だか兵士だかみたいな人たちばかり。


「……と、とりあえず説明してくれ。説明。一体何が起きているのか何が起きたのか一から説明してくれ……」


 辛うじてそれだけは口に出した。安請け合いしてもどうしようもなさそうな状況だ。


 流石に何も教えずに事を進める気は無かったようで、しかし時間がないらしいので手短に教えてもらった。


 ここは俺がいた世界とは別の世界、要するに異世界で、魔法や怪物が存在する世界らしい。今この世界の人類は滅亡の危機に立たされていて、ゾンビだとかレイスだとかのアンデッド──ファントム族だとかに世界を征服されようとしているようだ。もちろん人類も黙ってやられていたわけではなく抵抗も行なっていたが、敵に殺された死者や呪いを受けた者は次々と変異して敵側に回ってしまい、多勢に無勢という事でかなり追い詰められつつある。どうしようもなくなった人類は遺された僅かな資料からこの英雄召喚の神殿を探し当て、勇者を召喚し、勇者が持つと言われる神器にて反撃を行うつもりだったらしい。


 ざっくりと言うと、ファンタジー版ゾンビ映画的な世界に人類最後の切り札として俺が選ばれちゃいました! てなわけか!


「なーんだ、そういうわけだったのか! 分かっちまえば簡単な内容じゃねーか! はっはっは!」


「おおっ、それでは……!」


「はっはっは……人選ミスだこれェェェェーーーッッ!!?」


 うぐぅ、とちっとも可愛くない呻き声を漏らしつつ蹲ってしまう俺。いやだって、そんな期待されても俺には何もないですし! 肉体的にも知能的にもごくごく一般的な学生だし! パンピーだし! アイアムノットラストリゾート! アイキャンノットセーブザワールド!


「お、落ち着いてください勇者様! 召喚されし英雄は術式により守護を受け、身体的な強化をされている筈です! それに貴方様には神器が与えられている筈なのです! それさえあればきっと……!」


「そ、そうなんだ。でもそれらしいものは無いみたいだけど……」


 持っているのは召喚される前から持っていた手提げ袋とその中身くらいである。


「もしかしたらお持ちの何かが神器と化しているかもしれません! 中身を拝見させていただいても……?」


「えっ、まあいいけど……大したものは持ってないよ?」


 ほら、と袋の口を開けて見せる。この世界には無いものだったのかぽかんと口を開けて見ていたものだから、ひとつひとつ何に使うものなのか説明して行くと、みるみるうちに強張って行く表情。


 あ、これはあれですなー。この鈍感、と彼女に頬を赤らめながら罵られる俺みたいな朴念仁でも分かります。人類最後の切り札は期待外れでした! ようやく分かってもらえたようだ! よかったね! じゃないよどうすんのこの状況。


「…………」


「…………」


 気まずい……ていうか俺が役立たずイコールこの世界の人類滅亡というわけで……何それ超重い。俺全然悪くないのにすごい申し訳ない。謝ってしまいたいけど謝ってもどうしようもないし……というか却って失礼な気もするし……。


「……えっと」


「…………」


 女性はさっき俺がしたように固く目を瞑り、しばし震えていた。俺はそれを黙って見ていることしかできない。一瞬、もしくは長い間そうしていると、女性はふぅ、と息を吐いて俺に向き直った。


「突然の召喚、申し訳ありませんでした。我らの命に代えても貴方様を帰還させていただきます」


 再び跪いてそう言った。そうか、召喚したら召喚しっぱなし、ってパターンもありえたのか。帰れないままでいれば人類滅亡に巻き込まれて俺も死ぬ。まだ実感が湧かないけど、今俺は命の危機にあるのだ。だからと言って命に代えられても……。


「最早我らには時間がありません。契約の強制解除を持って帰還の術式発動とさせていただきます故、勇者様にはこの場でお待ちいただきます」


「えーと、強制解除……?」


「わたくしが死亡することで契約は解除され、勇者様は元の世界に帰還することができます」


「──は?」


 死亡。死亡って、それって死ぬってことだよな。当たり前だけど。


「お、おい、死ぬなんてそんな……」


「お気になさらずとも、どのみち我らは特攻するほか道はありません。既にこの神殿の結界は破られております。奴らがこの場に侵入してくるのは時間の問題……お見苦しい所をお見せいたしますが、すぐに帰還できますので──」


「そうじゃないよ! そんな……そんなの……」


「本当に申し訳ありませんでした……勝手にこのような危険な場に呼び出し、勝手に死に様を見せ付けることになって……」


「何も……何も言えるかよ! 何が言えるって言うんだよ……!」


 視界が滲む。目の前の人たちに当たり散らせるほど子供じゃない。罵声を飛ばせるほど状況がわかってないわけじゃない。俺が彼らにしてやれることは何もないのだ。


 滲んだ視界の向こうで、彼女は儚げに微笑んだ──そんな気がした。


 ぐしぐしと涙を拭うと、彼女は既に振り返り、兵士たちに指示を出していた。俺と召喚陣は死守。彼女とお供の数人が最初に特攻し、俺が帰還したのを確認してから残りの者も後を追うという。聞きたくなかったが、聞かないわけにはいかなかった。


 本当に俺は何もできないのか?


 今までの俺は、偶然と幸運で誰かに力を貸してやれた。今回だってそうなんじゃないか? 今持ってるこれは俺にとってはただの道具だ。けれど、彼らにとってはそうじゃないんじゃないか? 袋を開き、それ(・・)を取り出す。心なしか、神々しい雰囲気を放っている気がする。彼らの力になれるかもしれない。そんな淡い期待を抱く。


──そんな期待は凍りつくような背筋の悪寒で吹き飛ばされた。


  呆然と扉の方へ視線を向ける。彼らは既に戦闘体制に入り、油断なく扉を見据えている。無数の足音がこっちへ近づいて来ているのだ。足音は全く揃っていない。ざわめくような呻き声が響き渡り、迫り来る存在たちの理性の無さを知らせる。


 死がやってくる。


 震えが止まらない。この人たちを殺しに、化け物たちがやってくる。人類を滅ぼしに、死者たちがやってくる。俺の存在は完全に足手まといだ。かといって守ってくれなくていいなんて口が裂けても言えない。人生で経験したことのない『殺されるかもしれない』恐怖に、俺は彼らに縋り付いて無事に帰れることを祈るしかなかった。


 扉のすぐ向こうで大勢の気配が留まり、足音が止む。


『ファファファ……袋のネズミとはこのことよなァ……?』


 老人を通り越し、屍が喋るのならば正にこのような声なのだろう。朽ちた死肉が軋むような悍ましい声。大声でないはずなのに、扉の向こうにいるはずなのに、まるで耳元で囁かれるようによく聞こえて、背筋が凍る。


──そして次の瞬間、扉は腐り落ちた。


「な……!?」


 驚いたのは俺だけだった。既に彼らは動きだしていた。無数の光り輝く矢や炎や雷の球を手や杖から打ち出し、扉の向こうに居たであろう存在へぶつける。もちろん着弾点は爆発したが、不自然に俺たちの周りを飛んでくる破片や煙が避けていく。


 扉の辺りを煙が覆い、暫し見えなくなる。


 だがすぐにその煙の向こうから、2メートル程の人影が現れた。いや、人ではない。絢爛豪華な装飾品を身に付け、淡く光る暗色のローブを着込んでいる。全くの無傷だ。しかしその貌は朽ちた木乃伊。生あるもの全てを憎むような、蔑むような、紅色の目の輝きが俺たちを射抜いている。


『──で、頼みの勇者様というのはその若造か。愚かなりや人族(ヒューマノイド)。土壇場で召喚したところで、即席の英雄では何の役にも立たぬ。我らへ捧ぐ哀れな生贄を増やすだけであったな』


 カカ──と嘲笑する化け物。追い詰められた生者の足掻きを──無駄な足掻きを嘲笑っているのだ。しかし兵士たちの誰もがそんな挑発には乗らない。油断なく構え、いつでも斬りかかれるように狙っている。その様子に、化け物は呆れ果てたように蔑む。


『一体何を狙っておるんだか……貴様らに勝ち目は万に一つもない。我に傷一つ与えられず死にゆくのみよ。そして我ら──鬼族(ファントム)への仲間入りを果たすが良い。それこそがこの世においての唯一の幸福へーの道よ。足掻けば足掻くほど苦しみが長引き──』


「──黙りなさい屍鬼(リッチ)。お前如きに私達の魂は渡さない。お前たちの同類へ堕ちるくらいなら、魂さえ燃やし尽くして足掻くだけよ」


『ほう、成る程……』


 くく、とリッチと呼ばれた化け物は嗤い──背後の影へ命じた。


『死んでいなければ構わん──餓鬼(グール)どもよ。彼奴等を取り押さえよ』


 リッチの背後から無数の影が飛び出す。全身の皮を剥がされ、無駄な肉を削ぎ落とされたかのようなその躰は暗褐色に変色し、白く濁ったその目玉は何も写していなかった。そんな化け物たちが次々と襲いかかり、兵士たちは応戦する。だが多勢に無勢。何匹かは倒せても、一人一人に無数の化け物が飛び掛かり、骨を砕き、肉を引きちぎりながら取り押さえる。飛び散る血飛沫に響き渡る絶叫。俺は呆然とそれを眺めて突っ立っているしかなかった。


 彼女はリッチに飛び掛かり、神々しく輝く剣を振るいながら戦っている。だがリッチは遊ぶように杖でそれに応じていて、やがてその剣を掴んだ。じゅう、と焼けるような音がするがそれだけだ。それに怯んだ彼女の首を鷲掴み、持ち上げた。


『さて──では、お前から殺すとするか』


 俺に視線を向けながら、リッチはそう言った。


「な──や、やめ──!?」


『平和に過ごしていた異界の民を、勝手な都合で呼び出した挙句に巻き込んで死なせれば、お前たちにどれだけの絶望が与えられるであろうなァ……?』


「この──!」


 心底楽しそうにリッチが嗤い、彼女は必死に抵抗する。それを眺めながらも固まる俺を見て、更にリッチは嘲笑った。


 俺はというと、体は固まっていても頭の中は急速に回転していた。異世界に来たというのに、俺は普通に話ができていた。その辺は召喚魔法が何とかしてくれたのだろう。重要なのは、この世界特有の言葉であっても、ニュアンスを含めて理解できるほど性能がいいってことだ。


 餓鬼(グール)──餓えた鬼。


 屍鬼(リッチ)──屍の鬼。


 そして、鬼族(ファントム)──鬼の一族。


 鬼。こいつらは要するに鬼なのだ。




 敵が鬼ならば──俺が負ける道理はない。




「──最初に死ぬのはお前の方だ」


 動かぬ体を勇気付けるために、わざと強気な言葉を吐く。それを受けて、リッチは最高の冗談を聞いたかのように嗤う。


『──クク……ハッハッハ! 何だ? 恐怖で狂ったか? まあ無理もあるまい。突然呼び出された挙句この状況では現実逃避もしたくなるであろうな! そら、かかって来るが良い。我を殺して見せよ。出来るものであればなァ!』


 道化の芸を待つように、傲慢に、リッチは彼女を掴んでいない方の腕を広げる。的が大きくなってありがたい。どうせ当たるだろうが、的が大きければ大きいほど成功もしやすい。


『楽しませてくれた例に、貴様はコレクションに加えてやろう。異界の魂を支配するのもまた一興よ! クハハハハ!』


 俺はそれを無視して走る。左手にそれ(・・)を握り締め、右手で中身(・・)を掴み取る。俺は本当に幸運だ。そして、彼女たちもまた幸運だった。あの季節、あのタイミングで、こんな世界に召喚するなんて──なんて、幸運なのだろう。


 奴に接近せずに、少し離れたところで大きく振りかぶる。ぱらぱらと零れたそれを見ても、奴には理解できなかったに違いない。出来たとしても狂ってしまったとしか見るまい。俺がこの世界に召喚された時点で、奴の運命は決まったようなものだった。


──俺は高らかに叫ぶ。毎年、家族とともに笑顔で告げたあの言葉を。


──俺は心の底から叫ぶ。生まれて初めて、本当の意味でその言葉を。




「鬼はあああああァァ外おおおおおおおォォォーーーッッ!!!」




 その瞬間に何が起こったのか、理解できていたのは俺だけだっただろう。


──風穴が空いていた。


 リッチの腹から胸にかけて無数の穴が空き、頭蓋は半分吹き飛んで、片腕は千切れ落ちていた。傷口からはしゅうしゅうと黒煙が立ち上り、黒い粘液がじくじくと垂れていた。


 残った腕で掴んでいた彼女をぽろりと取りこぼすと、ぷるぷると震えながら腹をまさぐる。恐る恐る手を掲げ、その手に付着した粘液を見ると、ガクガク震えながら絶叫した。


『──なんじゃこりゃあ!?』


 俺が召喚されたのは、節分の日だった。丁度俺は婆ちゃん家から節分用の豆や升やらを受け取り、家に帰る途中で召喚されたのである。鬼族(ファントム)──鬼が支配する世界へ。鬼払いの道具を持って。


 もう一度升から大豆を取り出して振りかぶる。びくりとリッチは怯え、グールどもを呼び寄せて壁にした。無駄なことを。


「福はああああァァ内いいいいいィィィーーーッッ!!」


 ばきゅん、とグールたちは消し飛ぶ。


『ぎゃあああああああああぁぁぁーーーッ!?』


 障子にショットガンをぶちかましたかの如くグールの肉壁を抜け、リッチを再び穴だらけにした。装飾もローブもぼろぼろになり、足ももげたのか蹲っている。下半身はだくだくと粘液を垂れ流して黒く汚れていた。その隙に兵士たちに取り付いているグールどもにも大豆の嵐を浴びせ、吹き飛ばす。


 もはや形成は完全に逆転していた。神器と化した升からは無限に大豆が湧き出る。大豆は鬼への特効兵器と化し、どんな守りも抜けて敵を打ち据える。先程とは全く逆の状況。敵にはもう万に一つも勝ち目がなかった。


 だが、リッチの目は死んでいない。いや、もう死んでるのだからその表現はおかしいかもしれないけど、とにかく諦めていなかった。


『伝え……なければ……! 危険な神器が生み出されたことを……仲間に伝えなければ……! 我は滅びるが……世界に蔓延る鬼族(ファントム)たちが……貴様らを八つ裂きにするだろう……!』


 魔法を使っているのか、滑るような速度で出入り口から逃げ出そうとするリッチ。その速度は早く、走って追いつけないし豆を投げても届かないかもしれない。


──しかし俺は全く慌てずに袋からそれ(・・)を取り出すと、ダーツのように投げる。


 風を切って飛び出したそれ(・・)は空中で加速し、あっさりとリッチを追い抜いて、出入り口のそばに突き立つ。


 その瞬間リッチはびくりと震え、それ以上進めなくなる。


『ば──馬鹿な、何だこれは……!? 何故こんなもので我は……!?』


 ご存知、ないのですか?


「婆ちゃん特製の『柊鰯(ひいらぎいわし)』だ──そこから先は、通行止めだぜ」


 本来ならば門先に飾って鬼除けのお守りとなるそれが、室内から逃げ出そうとする鬼を閉じ込める錠前と化した。


 鰯の生臭い臭いと、柊の鋭い葉が、リッチをこれ以上進ませまいと立ちはだかっている。当然まだ向こう側に残っていたグールどもも入って来れない。無理に通ろうとすれば鰯の臭いで精神が破壊され、柊の棘で眼球が潰されるだろう。


『こ……この屍鬼(リッチ)が……死を超越し、数多の魔法を使いこなし、無数の生者を屠ってきた我が……大豆や鰯如きに屈するだと……!?』


 がくがくと震え、頭を掻き毟りながら呆然と呟くリッチ。その間に悠々と俺は近づき、大豆を握りしめてゆっくりと振りかぶる。


『ふ……ふざけるな! こ、こんなことで我が! この我がァァァーーッッ!!』


 破れかぶれになったのか、俺に飛びかかってきた。だが、遅い。


「鬼は外ッッ!!」


『ぶげェッ!?』


 至近距離で当てたために大変風通しが良くなった。だが念には念を入れる。


「福は内ッッ!!」


『ぐかッ──!?』


 最早ぼろ切れと崩れた死体の塊である。だがここからでも蘇るかもしれない。駄目押しという奴をしておこう。


「鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外鬼は外オオオオオォォォーーーーーッッッ!!!」


『ぐぎゃらほげぺひもがげひげへあぱがァァァーーーーッッ!!?』


 投げる。投げ続ける。今までにないくらい大豆を投げまくる。それを受けたリッチはぐちゃぐちゃのミンチにされ、ボロクズと粘液の塊になって外に吹き飛ばされた。当然余波を受けた残りのグールも同じ運命を辿り、敵は全滅した。




──そして、静寂が戻る。




 大豆を投げまくって切れた息を整えて振り向くと、リッチに投げ出されたまま座り込んで、ぽかんと口を開けていた女性と目があった。


 とりあえず、笑いかけてみる。


「──勝ったぜ」


 俺たちは幸運だった、奴らは不幸だった。


 そういうことだった。




 ◆  ◆  ◆




「大豆を食べたら怪我が完全回復したよ! ありがとう!」


「あ、はい」


「うおおおお大豆を食べたらなんだか力が湧いてきた!」


「えっなにそれこわい」


「きゃあああ勇者様ありがとう! 素敵! 抱いて!」


「いや、カノジョいるんでそういうのは……もごっ!?」


 大豆万能すぎだろ……流石神器になっているだけはある。あとお嬢さん最初とキャラが違いすぎやしませんかね。役得だからいいけど。


 その後、一息ついた俺たちは大豆を携えて神殿を出ると、周囲の鬼族(ファントム)を掃除した。大豆は無限にあるし、誰が投げても効果があるので誰が一番多く退治できるか競争すら始める始末。あのー、そいつら一応人類を滅ぼしかけている敵ですからね?


 大豆は炒ってあるというのに、地面に植えるとすぐさま芽を出し、あっという間に成長して新たな豆を作った。何これ怖い。大豆じゃない何かになっている……。


 生えた大豆の周囲には鬼族(ファントム)が近寄れなくなり、炒った豆じゃなくても投げれば敵を滅ぼした。これで豆さえあれば子供でも鬼族(ファントム)を退治することができる。残された人類の集落に配り、世界中に豆を撒けば最早鬼族(ファントム)は敵ではない。


 人類は救われたのだ。


 升や大豆を彼らに渡して、俺は帰ることにした。神器は勇者が帰還しても残るそうなので、特に役に立たない俺はお役御免。短い間だったが、役に立ててよかった。


 そして、召喚の間にて帰還の儀式が行われ、俺は元の世界に帰ることができた。




 で、大豆も升も柊鰯もぜーんぶ向こうの世界に置いてきた俺は、家族にこっぴどく叱られるのだった。


 しかも、向こうの世界で散々豆を撒いたので、こっちの世界でやらなかったところ、今年は不幸続きになってしまった。


 一番の不幸は、向こうの世界のあの女性がこっちの世界にまで乗り込んできて、カノジョと今世紀最大の修羅場を展開したことだろう……。




 みんなは異世界で豆を撒いたからって、こっちの世界でサボるなよ!


 俺との約束だ!

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