世界を滅ぼす禁書に転生してしまった
私は、本になっていた。
最初にそう気づいた時、意味が分からなかった。
目を開けようとしても、まぶたがない。手を動かそうとしても、手がない。足もない。呼吸もしていない。なのに、意識だけははっきりしていて、自分がここにいることだけは分かる。
何これ。
死んだの?
それとも、夢?
そう思った瞬間、頭の中に低い声が響いた。
我は『終焉の禁書』。
この本を最後まで読んだ者には、無限の力と憎悪がもたらされる。
そして、世界を滅ぼす者となる。
……はい?
終焉の禁書?
世界を滅ぼす者?
いきなり物騒な自己紹介をしないでほしい。
私は混乱したまま、自分の状況を理解しようとした。
どうやら私は、本になっている。
しかも、ただの本ではない。
読まれると世界が滅ぶ本。
世界を滅亡させるために作られた禁書。
最悪だった。
人間から本に転生しただけでも十分おかしいのに、よりによって世界滅亡装置みたいなものになってしまった。
けれど、そこで私は少しだけ希望を持った。
禁書。
そう、禁書だ。
世界を滅ぼすほど危険な本なら、きっと厳重に保管されているに違いない。
分厚い石の扉。
何重にも張られた結界。
床に刻まれた魔法陣。
選ばれし者しか入れない地下深くの禁書庫。
きっと、そういう場所にあるはずだ。
だとしたら、少なくとも誰かに読まれて世界が滅ぶ危険は少ない。
私は少しだけ安心しかけた。
けれど、その安心はすぐに別の恐怖に変わった。
もし本当にそんな場所に封印されていたら、私はどうなるのだろう。
誰にも見つからない。
誰にも読まれない。
世界は滅びない。
それは良い。
でも、私は?
このまま永遠に本のまま?
暗い部屋の奥で、動けず、眠れず、誰にも触れられず、ただ意識だけを持ったまま存在し続けるの?
一生どころではない。
本に寿命があるのかさえ分からない。
もしかしたら、百年も、千年も、もっと長く、私は本としてそこにあり続けるのかもしれない。
読まれたら世界が滅ぶ。
読まれなければ、私は永遠に本。
どちらにしても地獄だった。
私は本なのに、泣きそうになった。
いや、本なので涙は出ない。
それがまた嫌だった。
泣くことさえできない。
だが、嘆いていても仕方がない。
この手の転生には、必ず能力がある。
人間ではなく本に転生したのなら、本なりの便利能力があるはずだ。
そう思って、私は頭の中の声に問いかけた。
私には何ができるの?
返ってきたのは、同じ声だった。
我は『終焉の禁書』。
この本を最後まで読んだ者には、無限の力と憎悪がもたらされる。
そして、世界を滅ぼす者となる。
違う。
それは聞いた。
私が聞きたいのは、そういう恐ろしい宣伝文句ではない。
もう一度、問いかける。
私の能力は?
我は『終焉の禁書』。
この本を最後まで読んだ者には、無限の力と憎悪がもたらされる。
そして、世界を滅ぼす者となる。
また同じだった。
壊れた再生機か。
世界を滅ぼす禁書のくせに、説明が不親切すぎる。
せめて取扱説明書くらいつけてほしい。
腹は立ったが、声に頼っても無駄らしい。
なら、自分で探すしかない。
私は必死に念じた。
周りが見たい。
目がほしい。
視界。
見る力。
周囲確認。
索敵。
透視。
監視。
とにかく、今の自分がどこにあるのか知りたい。
考えつく限りの言葉を、何度も何度も念じる。
すると、突然、白くぼやけた光が意識の中に差し込んできた。
最初は何も分からなかった。
けれど、少しずつ光と影が形を持ちはじめる。
高い天井。
木の梁。
斜めに差し込む日の光。
かすかな風の音。
遠くで紙をめくる音。
人の声。
私は、周囲が見えているのだと気づいた。
やった。
できた。
初めて見つけた能力に、私は本気で喜びかけた。
だが、見えた光景は、私の予想とまったく違っていた。
そこは、暗い禁書庫ではなかった。
石の扉もない。
魔法陣もない。
厳重な封印もない。
私がいたのは、明るい図書館だった。
しかも、私は本棚の中にきちんと収められているわけでもなかった。
図書館の本が並べられている戸棚の上。
その上に、横向きでぽんと置かれていた。
見えるのは天井。
つまり、私は本棚の上に寝かされている。
雑。
扱いが雑。
世界を滅ぼす禁書なのに、保管場所が雑すぎる。
誰だ。
誰がこんな危険物を本棚の上に置いた。
せめて鍵のかかる箱に入れて。
いや、箱でも不安だ。
地下に封印して。
できれば二度と誰にも見つからないようにして。
私は本棚の上から、図書館の中を見下ろすこともできず、ただ天井だけを見ながら絶望した。
すぐには見つからないかもしれない。
本棚の上だし、横向きだし、埃も積もっている。
けれど、いつかは絶対に見つかる。
掃除の人が来るかもしれない。
背の高い人が気づくかもしれない。
脚立を使うかもしれない。
そして、私を手に取る。
ページを開く。
最後まで読めば、世界が滅ぶ。
私は叫びたかった。
ここに危険物があります。
今すぐ封印してください。
できれば誰にも触らせないでください。
でも、私の声は誰にも届かなかった。
聞こえるのは、あの呪いのような自己紹介だけ。
私自身の声は、外には出ないらしい。
では、逃げるしかない。
私はまた念じた。
足。
足がほしい。
ページで歩け。
表紙で跳ねろ。
浮け。
飛べ。
誰にも見つからない場所へ移動しろ。
必死だった。
だが、何も起きない。
何度念じても、私は動けなかった。
見える。
聞こえる。
それだけ。
逃げることも、隠れることも、ページを閉じることも、自分ではできない。
ただ、誰かに見つかる日を待つしかない。
それから、どれくらい時間が過ぎたのか分からない。
図書館には毎日、人が来た。
本を借りる学生。
難しそうな顔をした学者。
眠そうな司書。
はたきを持った掃除係。
誰も私に気づかない。
そのうち私は、ひとつのルールを理解した。
誰かがこの本を見つけ、ページを開いた時。
しばらくすると、私は元の世界へ戻れる。
言葉で説明されたわけではない。
けれど、なぜか分かった。
この本を開かれれば、私は帰れる。
助かる。
本ではなく、人間に戻れる。
一瞬、胸が震えるほど嬉しかった。
帰れる。
あの部屋に。
自分の体に。
手も足もある、当たり前の生活に。
けれど、その喜びはすぐに凍りついた。
私が帰るということは、誰かが私を開くということ。
そして、その人が最後まで読んでしまえば、この世界は滅ぶ。
私だけが助かる。
この世界を犠牲にして。
そんなの、嫌だ。
私は自分の部屋に戻りたい。
人間に戻りたい。
でも、そのためにこの世界が滅びるのは嫌だった。
ここにいる人たちは、私のことなど知らない。
私も、彼らの名前を知らない。
けれど、本を借りに来る学生も、居眠りをする司書も、掃除をする人も、難しい本を抱えて歩く学者も、確かに生きている。
その人たちの世界が、私が帰るために滅ぶ。
そう考えた瞬間、私は初めて、本当に怖くなった。
読まれたくない。
でも、帰りたい。
帰りたい。
でも、読まれたくない。
その苦しみの中で、ただ時間だけが過ぎていった。
そして、その時はあまりにもあっけなく来た。
ある日、誰かが本棚にもたれかかった。
ただ、それだけだった。
本棚が、ぐらりと揺れた。
え。
ちょっと待って。
この本棚、そんなに簡単に揺れるの?
次の瞬間、本棚が大きく傾いた。
周囲から悲鳴が上がる。
本が雪崩のように落ちる音がした。
私も棚の上から滑った。
天井が回る。
窓が回る。
人の顔が見える。
床が近づく。
嘘でしょ。
世界を滅ぼす禁書が、本棚の耐久性で発見されるの?
雑。
この世界、危機管理が雑すぎる。
そう思った直後、私は床に落ちた。
痛みはない。
でも、終わったと思った。
周囲に人が集まってくる。
「今、上から本が落ちてきたぞ」
「こんなところに置いてあったのか?」
「ずいぶん古い本だな」
やめて。
見ないで。
触らないで。
お願いだから、拾わないで。
私は必死に叫んだ。
だめ。
私を持たないで。
世界が滅びるの。
開いたらだめ。
読んだらだめ。
けれど、誰もこちらを見て驚かない。
誰も私の声に反応しない。
私の声は、やはり届いていない。
一人の学者らしき男が、私を見下ろした。
白い髭。
丸い眼鏡。
好奇心に満ちた目。
私はその目を見た瞬間、絶望した。
それは、絶対に開く人の目だった。
「これは……興味深いな」
興味深くない。
危険です。
本当に危険です。
好奇心で触っていいものではありません。
学者は私を手に取った。
表紙を撫でる。
背表紙を見る。
重さを確かめる。
私は息ができないほど緊張した。
いや、そもそも息はしていない。
でも、息が止まるような恐怖だった。
「見たことのない装丁だ」
見たことがなくていい。
そのまま置いて。
できれば封印して。
いや、今すぐ遠くへ投げ捨てて。
でも、それで誰かが拾ったら困る。
どうすればいいのか、自分でも分からない。
学者の指が、表紙の端にかかった。
私は叫んだ。
開かないで。
お願い。
開かないで。
私は帰りたい。
帰りたいけど、この世界を滅ぼしたくない。
私のせいで誰かが憎悪に飲まれて、無限の力で世界を壊すなんて嫌だ。
お願い。
誰か止めて。
けれど、誰も止めなかった。
学者は、ページを開いた。
その瞬間、私の中で何かがほどけた。
帰れる。
分かった。
私は元の世界に戻れる。
本ではなくなる。
人間に戻れる。
助かる。
助かってしまう。
その喜びより先に、底のない絶望が落ちてきた。
この世界は終わる。
私が帰る代わりに、この世界は破滅する。
私は何もできなかった。
叫んでも届かなかった。
動けなかった。
閉じられなかった。
守れなかった。
学者は、開いたページをじっと見つめていた。
私はもう、ただ祈ることしかできなかった。
読まないで。
お願い。
読まないで。
学者の眉間に皺が寄る。
長い沈黙。
それから、彼は難しそうな顔で言った。
「……こんな文字は見たことがないな」
え。
私は固まった。
隣にいた若い学員らしき人が、のぞき込む。
「先生。それは、失われた古代の文字です」
「読めるのか?」
「いえ。誰も読むことができません」
誰も。
読むことが。
できない。
私はその言葉を、何度も心の中で繰り返した。
読めない。
誰も読めない。
最後まで読めない。
世界は滅びない。
学者はさらに何枚かページをめくった。
「全て同じ文字か」
「おそらく。現代では解読不能です」
解読不能。
その言葉が、こんなにも美しく聞こえる日が来るとは思わなかった。
助かった。
この世界は助かった。
私は帰れる。
でも、誰も滅びない。
誰も憎悪に飲まれない。
誰も世界を壊さない。
私は、本当に初めて泣きそうになった。
涙は出ない。
けれど、もし人間の体だったなら、その場で泣き崩れていたと思う。
よかった。
本当に、よかった。
その安堵と同時に、意識が遠のいていった。
図書館の天井が白くにじむ。
学者たちの声が遠くなる。
ページをめくる音が、どこか遠い波の音のように聞こえる。
私は帰るのだ。
元の世界へ。
何も壊さずに。
誰も犠牲にせずに。
そう思った瞬間、私は目を覚ました。
見慣れた天井があった。
見慣れたカーテン。
ベッド。
スマホ。
自分の部屋。
私は人間の体に戻っていた。
手がある。
足がある。
息ができる。
まばたきもできる。
私は跳ね起きて、自分の手を見た。
指が動く。
腕が上がる。
布団を握れる。
それだけのことが、信じられないくらい嬉しかった。
全身に脂汗をかいていた。
心臓が痛いほど鳴っている。
スマホを確認する。
次の日の朝になっていた。
夢だ。
そう思った。
なんだ、悪夢か。
そして、ほっとしたら、あくびがでた。
その時、頭の中に、何度も聞かされた壊れた録音機の声が聞こえた。
我は『終焉の禁書』。
この本を最後まで読んだ者には、無限の力と憎悪がもたらされる。
「……」
しばらく、短編を毎日11:50分に更新予定です。
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できるだけ斬新なアイデアをひねり出して書いています。
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